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59. 甘い休日
しおりを挟む綾春が蓮哉の家に世話になってから四日目の朝。
喉の渇きを覚えて、綾春はふっと目が覚めた。
(あれ……朝……、あっという間に日曜か……)
ベッドサイドで充電中のスマートウォッチは、日曜の朝五時を示している。
そのスマートウォッチの横には、蓮哉が用意してくれたミネラルウォーターのペットボトルが置かれているのだけれど、まだ布団のぬくもりを感じていたい。喉の渇きは今しばし無視することにして、綾春はもぞもぞと布団に顔を埋めながら、隣で眠る恋人の寝顔へ視線を向けた。
昨夜も彼とセックスをした。
その前も、その前も。昼だったり夜だったりと、時間はまちまちだったけど。
木曜の午後に、葉山にある蓮哉の家に来てから、毎日何かしらの形で体を繋げている。
昨日の土曜はさておき、木曜と金曜にいたっては「怪我して、有給で休んでいるのに何してるんだろう」と冷静な自分が脳内でつっこんでいたけれど、一ヶ月ぶりのプレイで与えられる快楽に理性が敵うはずもなく。さらに、いまだかつてないほどにSubとしての欲求が満たされたとあっては、止められようもなかった。
(……体は怠いけど、軽い)
さすがに連日ともなれば、蓮哉の雄を咥えた後孔は腫れぼったい気がする。前だって精液もほとんど出なくなるほどに吐かされたし、胸も背中も余すところ愛撫されたので、全身が気怠かった。
でもその一方で、Sub特有の欲求不満からくる体の重さはなく、むしろ軽いと感じるほどだ。甘い重さのようなものだけが体に残っていて、それがひどく愛おしい。
(蓮哉さん、ほんとは、もっとやりたかっただろうな)
六つも年上の男だけれど、蓮哉の欲はすごかった。それゆえなのか、あるいは綾春もそれなりだからか、初日は盛り上がってしまって激しいセックスをした。
だが、やはり退院明けの怪我を負った体だ。初日以降は甘やかに慈しむような交合になった。蓮哉が綾春の体を心配したのだ。初日のプレイとセックスで綾春の欲求不満がだいぶ解消され、頭痛や吐き気といった症状が治まったこともある。
本当は、もっと蓮哉がしたいことをしてくれてもよかったのに……と思わなくはない。激しく求めてくれても、きっと綾春は応えられただろうから。
この四日で肌を重ねるだけでなく、言葉をたくさん交わしたことで、彼の為人を今まで以上に知ることができたし、Domとして何を満たしたいかも話してもらえた。
蓮哉は、自分のSubを苛めたい、酷くしたいという嗜虐指向もあるにはあるが、世話をやきたい、甘やかしたいという欲求も同じくらい強いという。だからこの四日間、綾春は蓮哉にかなり世話をやかれて、甘やかされた。
一方で、嗜虐心は多少控えていたようにも思う。
だから、もし綾春が怪我などせず、不安症にもならずにいたら、もっと蓮哉好みのプレイをされたかもとは思うのだ。彼の寝顔を見る限り、満たされなかったというわけではなさそうだけれど、もっと満足してもらえるプレイに興味もある。蓮哉にたくさん支配してもらいたい。
とはいえ、蓮哉と過ごす四日、綾春は幸せだった。
幸せなんて甘い言葉が素直に頭に浮かぶほど、心と体が充実している。
できれば、この関係がずっと続いてほしい。
恋人として、パートナーとして、満たし合える関係でいたい。
(蓮哉さんも、そう思ってくれていたらいいな……)
二人の関係は始まったばかりだ。
あれもこれもと欲張ってしまうのは悪いことではないはずだけど、自分のDomを信頼したいし、恋人にはたくさん幸せを感じてもらいたい。そのために、一方的にねだるだけではダメだから。彼のSubとしても、恋人としても、求められることを惜しみなく受け止めたい。
彼が起きたら、もっと話をしようと思った。
明日からはまた日常がやってくる。綾春は都内に勤務しているし、蓮哉は葉山で器を作る日々に戻るだろう。離れたくないと思わなくはないけれど、いい年をした大人同士の恋愛だ。心と折り合いをつけながら、毎日をつつがなく暮らして、彼との恋を楽しみたい。
「ふぁ…………俺も、もうひと眠りしよ」
欠伸をして、隣で眠る彼を起こさぬように気をつけながら体を起こし、ミネラルウォーターを飲んだ。
暖房はついているけれど、布団から出るとぬくもりが恋しくて、綾春は喉を潤してすぐ再び布団へ潜りこんだ。それから、ぐっすり眠る蓮哉に擦り寄る。
彼の体温は心地がいい。誰かと寄り添って眠ることがこんなに愛おしいだなんて、はじめて思った。
◇◇◇
「そういえば、訊きたいことがあったんだけど」
蓮哉の作った朝食を食べたあと、彼の肩に寄りかかるようにしてソファで寛ぎながら、綾春は口を開いた。綾春の髪の毛を梳いたり、くるくると弄っていた蓮哉は「なに?」と続きを促す。
「この前『Kneelもグレアももう心配ない』って言ってただろ。あれって、さ……」
「ん? ああ……」
Kneelは、この四日で毎回プレイで命じてくれるようになったから、彼の中のトラウマが薄れたことは理解できた。
過去に二度起こした、蓮哉が意図していなかったサブドロップ——その経験が心の重石となって、特に〈Kneel〉というコマンドに忌避感があったことを蓮哉本人から聞いたことはないけれど、綾春はずっと気づいていた。
でも、グレアももう心配ないということは、グレア不全症を克服できたということか……それが気掛かりだった。
「まだ病院に行ってないから何とも言えないけど、たぶんグレアを出せるようになったと思う」
蓮哉曰く、綾春が入院したあの日、実家に帰宅したときに一人で試してみたところ、問題なくグレアを出せたらしい。
「……そっか」
それを聞いて、嬉しくて……でも、少しだけ寂しい気持ちにもなった。
グレアを出せないというのは、Domとしては致命的だ。プレイにグレアは欠かせないし、他のDomに対しての威嚇をすることもできなくなる。本能を満たす手段を自由に使えないのは、肉体的にも精神的にもつらい。それが可能になったのだから、喜ばしいことだ。
喜ばしいことなのだけれど、グレア不全症が治ったということは、自分以外のSubを相手にしてもプレイができるということでもある。——それは、嫌だなと思ってしまったのだ。
「っはは。大丈夫だよ。綾春以外を相手にすることなんてないし」
「う……なんで考えてること、わかったんだよ……」
「拗ねてる顔してたから」
ふにっ、と頬をつままれる。
「それに、俺がグレアが出せるのは、綾春のことを考えてるからだしな」
「……え?」
それはどういう意味かと小首を傾げれば、蓮哉は綾春のこめかみにキスを一つ落としてから続きを語った。
「綾春のこと好きだなーとか、守りたいなーとか、ずっと俺のものにしておきたいなーとか。そういうこと考えてると出せるらしい。試してないし、そうなりたくもないけど、たぶん綾春がいなくなったら、きっとまた元通りだよ」
ぎゅっと、背後から抱き締められる。
服越しでも伝わる恋人の体温に、強張る心が解けていくようだった。
「なにそれ。……それじゃ、俺、もうずっと蓮哉さんから離れられないってことだ」
「そうだよ。俺のためにも、離れないで。まあ綾春が嫌だって言っても、離してやれないけど」
回された腕に手を添える。
すると、離さないという言葉を体現するかのように、いっそう力が込められた。独占欲を露わにする仕草に、なんとも言えない幸福感でいっぱいになる。
「綾春」
耳を食むように口づけていた蓮哉が、名前を呼んだ。
「今度、カラー贈っていい?」
カラー——それはDomとSubが強い信頼関係を結ぶときに、DomからSubへと贈られる証。
綾春も、いつかいい人と巡り合ったら、それを贈ってもらいたいと思っていた。人によってはカラーを嫌がることもあるらしいけれど、綾春にとっては憧れのような存在だった。
強い信頼関係とはすなわち、綾春にとってはすべてを満たしてくれる関係を意味していたから。
「……いいの?」
「綾春が嫌じゃなければ、贈りたい。ほら、俺たちは住んでいるところに少し距離があるだろ? 時間は作るものだって言うし、なるべくたくさん会いたいとは考えているけれど、金を稼いでちゃんと生きていくことも大切だと思う。綾春だって、今の仕事は好きだろ?」
彼の問いに、綾春は頷く。
蓮哉の言うように、生きていくのは大切なことだ。
それは今朝方、一度目が覚めたときに恋人の寝顔を見ながら綾春が思ったことでもある。
いずれは一緒に暮らすとか、綾春がもっと近くに引っ越すとか、そういう選択肢はあるだろうけれど。でもまだ恋は始まったばかりで、特に綾春は浮かれてもいるけれど、すぐに今の環境を変えられるほどお互い子供じゃない。
「俺も今の仕事は嫌いじゃないし、この家も愛着がある。となると、自然と会えない日だってある。それは今はまだ仕方ない。でもそのときに、綾春がまた不安になったら嫌なんだ」
もちろん、会えなくても不安にさせないようにはするけどな、と蓮哉は言う。
「それに『綾春は俺のSubだ』って、思わせてほしい。だから贈りたい。……ダメか?」
「ううん……ダメじゃない。嬉しいよ」
カラーを贈りたいのは、綾春のことを考えてのことであると同時に、蓮哉の支配欲を満たすため。その贈り物が、嫌なわけなかった。
「どんなのがいい? 定番のチョーカータイプ? ネックレスとかブレスレットとか、いろいろあるけど」
「んーそうだなぁ……首輪とかチョーカー系は好きじゃないかな」
「Subって、周りにわかりやすいから?」
「いや、そうじゃなくて。あーっと……」
「どうして? Say」
唐突に放たれる微量のグレアとコマンドに、体が自然と反応する。
「コマンドなんて、ずるいよ」
「大切なことだろ。ほら、言ってみて」
こんなやりとり、前にもあったななんて思う。
首輪タイプのカラーが好きではない理由は、はっきり言って綾春の我儘なのだ。我儘で、それでいて言うのは少し躊躇われるもの。
けれど、コマンドで命じられた以上、Subの綾春は自分のDomに応えたくなってしまう。
綾春は頬を染め、もごもごとしながらもその理由を口にした。
「……プレイのときに、そういうので遊べないのは、嫌かなぁって。前にさ、書斎でしたときみたいに……ああいうの、またやりたい」
以前、この家の書斎で行ったプレイでは玩具の首輪を使ってのプレイだった。
あのときはまだ、ただのリハビリ相手で、深いプレイをする相手になるとも思っていなかったけれど……茜色に染まる部屋で支配された記憶は甘くて、重くて、忘れられないプレイの一つだ。
「だから、その……プレイの邪魔にならなくて、仕事の邪魔にならないものがいい」
「はは。意外と我儘なリクエストだ」
「う……だって社会人なんだから仕方ないだろ」
「プレイのリクエストもしたのに?」
「あ、うぅ……」
社会人云々は関係ないだろ、と暗に言われて赤く染まっていた顔はさらに朱に染まる。
意地悪なやりとりは、綾春をたじたじにするけれど、これもまた愛おしいものには違いない。——だって、綾春は蓮哉のSubなのだから。
「まあ、でも——蓮哉さんらしいものを贈られたい、かな」
「ん。りょーかい。なんか考えておく」
そう言って、蓮哉は綾春に口づけた。甘く痺れるキスに酔いしれながら、綾春は残り僅かな休日も幸せであるようにと願った。
◇◇◇
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