【完結】燃えゆく大地を高潔な君と~オメガの兵士は上官アルファと共に往く~

秋良

文字の大きさ
98 / 110
最終章

97. 家族

しおりを挟む


 雨の降る時間が日に日に増してきた六月も半ば。
 レオンスは、旧帝都にある自宅で家の補修作業をしていた。経年と共に汚れてしまった壁紙を掃除していたのだ。今日も朝から雨が降っていて、しとしとと窓を濡らしている。

「こういうことに役立つとはなー」

 なかなか落ちないと思っていた壁紙の汚れは、第九部隊支援班にいたときに得た知識で目立たない程度には落とすことができた。徴兵前ではこうは上手に落とせなかったかもしれないと、レオンスは自嘲気味に独り言ちる。

 レオンスが捕虜としてフュメルージュ砦で沙汰を待ち続けて、ひと月ほどだった五月のはじめ。大きな荷馬車に詰められて、レオンスたち元帝国兵は旧帝都へと帰還した。それからさらに一ヶ月半が経っていた。

 戻ってきたのだ、我が家へ。愛すべき家族のもとへ。

 そのころには、ブランノヴァ帝国はすでに亡国となり、治めていた領地はベルプレイヤード皇国の支配下におかれることが決まっていた。統治権は皇国のものとなり、帝国の土地はすべて皇国領となった。
 分不相応な願いを戴いた国は、一年と六ヶ月の時を経て、大陸の獅子に食われたのだ。

 これにより、帝国に住んでいた者は、紙の上では皇国の民となった。帝国の民はもうどこにもいない。
 だが、『帝国』という形にこだわりを持っていた者に関しては話は別ではあるが、多くの市民は少なからず戸惑いはあれども最終的にはそれを受け入れた。それにはいくつかの理由がある。

 まず、今まで祖国だと思っていた「ブランノヴァ帝国」という名は無くなれど、皇国は旧帝国一帯を「ブランノヴァ領」と定めたこと。祖国の名が何らかの形で残ることに、見えない不安が一つ消えたのだ。
 国でなくとも「ブランノヴァの民」として生きていける……それだけでも、やり切れぬ不安が解消される者は多かった。

 次に、皇国が旧帝国民を手厚く保護すると宣言したこと。民にとっては、これが一番大きいかもしれない。
 此度の戦争を指揮していた者や政をしていた者はさておき、基本的には軍人も民間人も、皇国に歯向かう恐れがない限りは他の皇国民と同じ扱いを受けられることが約束された。さらに、戦争で疲弊しきった民に救いの手が差し伸べられ、肉体的にも精神的にも傷ついた者へ適切な治療を施すことも公布された。

 多くの市民にとっては、帝国として戦争に勝利することよりも、明日を生きれる命と共に平穏を取り戻せたことのほうが重要だったのだ。戦に勝利した皇国は、人命と人々の営みを尊重する高潔な国であった。

「レオンス、そろそろ出る時間じゃない?」
「ん? あー、ほんとだ。もうこんな時間か。ありがとう、母さん」

 母に指摘されて壁にかかる時計を見れば、家を出る時間が近づいていた。
 レオンスは作業を中断し、自分の部屋に戻って、棚の上に置いてあった鞄を手に取った。中にはブランノヴァ領の民に配られた身分証代わりの小さな木版と買い物をするには十分な紙幣、それから常備薬や手巾などといった携帯品が入っている。

「ねぇレオンス、帰りにお花を買ってきてくれる? 食卓に飾りたいの」
「うん、わかった」

 食卓に花を飾りたいという母は、明るい笑顔でレオンスを見送った。
 レオンスがフュメルージュ砦から帰ってきた直後は、母に今のような笑顔が見られなかった。ようやく母の心に暗い影を落とすものが薄れてきたことに、レオンスはほっと安堵する。一年と数ヶ月ぶりに見た母は随分と細くなっていて、帰ってきた当初はそれはもう心配したのだ。

 そう心配するレオンスも痩せていたので、無事に帰ってきたとはいえ兵役中は厳しい任務を課されていたのだろうと、母をより心配させたのかもしれない。

「兄さん、送ろうか?」
「いつもの病院に行くだけだから平気。花屋もそう遠くないし」
「そう?」

 キッチンへ姿を消した母の背中を見ていると、今度は弟のセレスタンが声をかけてきた。
 レオンスは今、母と弟、そして妹の四人で暮らしている。戦争中、この家では母と妹、そして叔母の三人で暮らしていた。そんな叔母のもとにも、徴兵された叔父と息子が無事に帰ってきたため、終戦後はあるべき家族と共に暮らしている。

 亡き父が遺してくれた小さな家は、レオンスが帰還したときも旧帝都の片隅で変わらずにその場に残っていた。皇国との戦争で帝都まで戦火が広がらなかったことが幸いしていた。レオンスの家だけでなく、他の民家も商店も、病院や公共施設なども、ほとんどが形を変えずに残っていた。
 聞くところによると、皇国は武器を持たぬ無辜の民間人が数多く暮らす帝都に大規模な攻撃をしないように指揮していたらしい。また戦争によって多くのものが接収されたが、家や最低限の生活用品はこの家に残っていた。

 鞄を肩にかけながら玄関へ向かうレオンスに、セレスタンは心配半分、信頼半分といったような目を向ける。
 セレスタンが旧帝都へ戻ってきたのは、レオンスよりも十日ほど前だったそうだ。
 最後に手紙のやりとりをしたとき、同じく徴兵されたセレスタンはサブルデトワール川付近の拠点で兵役中だと聞いていた。かの川は日に日に激戦地と化していき、レオンスは弟のことが心配でたまらなかった。共に生きて帰ろうと送った手紙に返事はなく、万が一も覚悟していたのだ。

 しかし、彼はレオンスよりも早く家族のもとに帰ってこられていた。それも、大きな怪我もなく。
 小さな骨折や切り傷擦り傷は兵役中にできたらしいが、いずれも後々まで残るようなものではなく、こうして元気な姿でレオンスの前にいる。それがレオンスは嬉しかった。

 セレスタンは今、休業中だ。兵役前まで働いていた工場は閉鎖され、そこで働いていた者で希望があれば次の職を皇国が斡旋してくれるらしい。そのため、セレスタンはその声がかかるのを待ちながら、しばしの休息を取っている状態だ。
 できれば前と同じように、何かしら技術の腕をいかせる職につきたいと話していた。命を狩るような職でなければいいな、とレオンスは内心思っている。

「それより、セレスは母さんの手伝いをしてやって。今日、花を飾りたいっていうなら、きっと今夜は例のアレを作りたいんだと思うから。仕込みを手伝ってやれよ」
「へぇー、なるほど。兄さんは、面倒くさい皮むきやら生地作りやらから逃げるわけだ」
「そう言うなって。帰ってきたら俺も手伝うから」

 例のアレというのは、亡き父が好きだった煮込み料理やパイ料理のことだ。
 一年半以上ぶりに家族が揃ったことが、母は嬉しいのだろう。レオンスが帰ってきてからというもの何かにつけて朝食や昼食、夕食に思い出の品々が出てくる。料理だったり、食器だったり、鍋敷きなどの小物だったりだ。そして夕食に花を飾るときは、決まって父が好きな料理を作るのだ。
 きっと花を飾りたくなったのだろう。だから今夜の食卓には、父の好物が並ぶに違いない。

 それを指摘すれば、セレスタンは困り笑いを浮かべながら、やれやれと肩を竦めてみせた。そういう仕草は若いときの父にそっくりで、レオンスはつい口元を綻ばせてしまう。面倒くさいだの何だの言いながらも、この心優しい弟はレオンスが外出したあとに、きちんと母を手伝ってくれるだろう。

「それじゃ行ってくるよ。母さんをよろしく」
「うん。雨だし、足元には十分気をつけて。いってらっしゃい」
 
 玄関まで見送ってくれた弟に挨拶をして、レオンスは傘をさして家を出た。
 これから向かうのは、先ほど会話でも挙げていたとおり、病院だ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最強βの俺が偽装Ωになったら、フェロモン無効なのに狂犬王子に求愛されました~前世武道家なので物理で分からせます~

水凪しおん
BL
前世は日本の武道家、今世は平民β(ベータ)のルッツ。 「Ωだって強い」ことを証明するため、性別を偽り「Ω」として騎士団へ入団した彼は、その卓越した身体能力と前世の武術で周囲を圧倒する。 しかし、その強さと堂々とした態度が仇となり、最強のα(アルファ)である第一王子・イグニスの目に止まってしまった! 「お前こそ俺の運命の番だ」 βだからフェロモンなんて効かないのに、なぜかイグニスの熱烈な求愛(物理)攻撃を受ける日々に突入!? 勘違いから始まる、武闘派β×最強王子のドタバタ王宮BLファンタジー!

泡にはならない/泡にはさせない

BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――  明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。 「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」  衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。 「運命論者は、間に合ってますんで。」  返ってきたのは、冷たい拒絶……。  これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。  オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。  彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。 ——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。

高貴なオメガは、ただ愛を囁かれたい【本編完結】

きど
BL
愛されていないのに形だけの番になるのは、ごめんだ。  オメガの王族でもアルファと番えば王位継承を認めているエステート王国。  そこの第一王子でオメガのヴィルムには長年思い続けている相手がいる。それは幼馴染で王位継承権を得るための番候補でもあるアルファのアーシュレイ・フィリアス。 アーシュレイは、自分を王太子にするために、番になろうとしてると勘違いしているヴィルムは、アーシュレイを拒絶し続ける。しかし、発情期の度にアーシュレイに抱かれる幻想をみてしまい思いに蓋をし続けることが難しくなっていた。  そんな時に大国のアルファの王族から番になる打診が来て、アーシュレイを諦めるためにそれを受けようとしたら、とうとうアーシュレイが痺れを切らして…。 二人の想いは無事通じ合うのか。 現在、スピンオフ作品の ヤンデレベータ×性悪アルファを連載中

【完結】恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話

十海 碧
BL
桐生蓮、オメガ男性は桜華学園というオメガのみの中高一貫に通っていたので恋愛経験ゼロ。好きなのは男性なのだけど、周囲のオメガ美少女には勝てないのはわかってる。高校卒業して、漫画家になり自立しようと頑張っている。蓮の父、桐生柊里、ベータ男性はイケメン恋愛小説家として活躍している。母はいないが、何か理由があるらしい。蓮が20歳になったら母のことを教えてくれる約束になっている。 ある日、沢渡優斗というアルファ男性に出会い、お互い運命の番ということに気付く。しかし、優斗は既に伊集院美月という恋人がいた。美月はIQ200の天才で美人なアルファ女性、大手出版社である伊集社の跡取り娘。かなわない恋なのかとあきらめたが……ハッピーエンドになります。 失恋した美月も運命の番に出会って幸せになります。 蓮の母は誰なのか、20歳の誕生日に柊里が説明します。柊里の過去の話をします。 初めての小説です。オメガバース、運命の番が好きで作品を書きました。業界話は取材せず空想で書いておりますので、現実とは異なることが多いと思います。空想の世界の話と許して下さい。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

胎児の頃から執着されていたらしい

夜鳥すぱり
BL
好きでも嫌いでもない幼馴染みの鉄堅(てっけん)は、葉月(はづき)と結婚してツガイになりたいらしい。しかし、どうしても鉄堅のねばつくような想いを受け入れられない葉月は、しつこく求愛してくる鉄堅から逃げる事にした。オメガバース執着です。 ◆完結済みです。いつもながら読んで下さった皆様に感謝です。 ◆表紙絵を、花々緒さんが描いて下さいました(*^^*)。葉月を常に守りたい一途な鉄堅と、ひたすら逃げたい意地っぱりな葉月。

婚約破棄された令息の華麗なる逆転劇 ~偽りの番に捨てられたΩは、氷血公爵に愛される~

なの
BL
希少な治癒能力と、大地に生命を呼び戻す「恵みの魔法」を持つ公爵家のΩ令息、エリアス・フォン・ラティス。 傾きかけた家を救うため、彼は大国アルビオンの第二王子、ジークフリート殿下(α)との「政略的な番契約」を受け入れた。 家のため、領民のため、そして―― 少しでも自分を必要としてくれる人がいるのなら、それでいいと信じて。 だが、運命の番だと信じていた相手は、彼の想いを最初から踏みにじっていた。 「Ωの魔力さえ手に入れば、あんな奴はもう要らない」 その冷たい声が、彼の世界を壊した。 すべてを失い、偽りの罪を着せられ追放されたエリアスがたどり着いたのは、隣国ルミナスの地。 そこで出会ったのは、「氷血公爵」と呼ばれる孤高のα、アレクシス・ヴァン・レイヴンだった。 人を寄せつけないほど冷ややかな瞳の奥に、誰よりも深い孤独を抱えた男。 アレクシスは、心に傷を抱えながらも懸命に生きようとするエリアスに惹かれ、次第にその凍てついた心を溶かしていく。 失われた誇りを取り戻すため、そして真実の愛を掴むため。 今、令息の華麗なる逆転劇が始まる。

沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました

ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。 落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。 “番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、 やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。 喋れぬΩと、血を信じない宰相。 ただの契約だったはずの絆が、 互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。 だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、 彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。 沈黙が祈りに変わるとき、 血の支配が終わりを告げ、 “番”の意味が書き換えられる。 冷血宰相×沈黙のΩ、 偽りの契約から始まる救済と革命の物語。

処理中です...