【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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番外編

夏の空、また新たな一日を 後編

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「でも、そんな中でも覚えているものはありますよ」

 私は赤く煌めく瞳を見ながら、しみじみと言った。

「あなたが、この贈りものをしてくれたときに見たリンドウの花……。あれはとても綺麗でした。それに、私が寝台の住人となっていたときも、よく持ってきてくださったでしょう? 好きな花なんです。リンドウだけでなく、あなたと見たものは何であっても、私の宝物です」

 胸元に下がるペンダントを見せる。私の一番の宝物と言ってもいい、小さな煌めきを湛えた青い石。

「このゼンテイカも?」
「ええ、もちろん。あなたといると、宝物がたくさん増えますね」

 くすくすと笑えば、ディオンは嬉しそうに笑って。
 破顔したかと思えば、切なそうに眉を寄せて私を抱き寄せた。

「もっと……もっともっと、これからもたくさん思い出を作ろう」

 水に浸かる足元は涼しいのに、触れ合うところはあたたかい。
 しっかりと厚い胸板に頬を寄せると、二つの鼓動が一つになっていく気がした。

「王都の家の温室も賑やかにして、きみの好きをたくさん詰め込んだ家にしよう。リンドウにゼンテイカ、ほかにも色とりどりの花たち。アナベルの花はエントランス脇の花壇に植えようか。二人でたくさんの『好き』を、大切に育てていこう。それで、休みの日には花が咲いた温室や庭で、俺おすすめのフィナンシェを食べる。ケニーに美味しいお茶を淹れてもらいながらね。どうかな?」

 次々に出てきた提案に、私は思わず目を丸くした。

 そして、フィナンシェと聞いて、小さく鼓動が高鳴る。
 それは〈一度目〉の人生で、はじめてディオンと言葉を交わしたときに誘い文句として言ってくれた——彼の姉も気に入っているという、あのフィナンシェだ。〈一度目〉の人生でも、〈十度目〉の今世でも、彼は気に入りだというそれを度々持参して、私のもとを訪ねてくれた。

 ある意味では、思い出が詰まった焼き菓子だ。

 彼と過ごすなかでこれまでにも、そのフィナンシェは何度も口にしたことがある。甘くて、香ばしくて。数あるうちの菓子の中でもフィナンシェは好きな菓子の一つになった。特にディオンが勧めてくれるあのフィナンシェは、私も気に入っている。
 ディオンが王都の家に連れていこうと考えていて、今回の旅にも同行してくれているクラヴリー家のシェフも、フィナンシェだけは「敵いませんね」と笑う。私は、ディオンとは友人関係でもあるという彼が作るフィナンシェも好きなのだけれど。でも、たしかに……思い入れの深いそれは、理屈を抜きにして美味しいと思ってしまうのも事実ではあった。

「ふふ、素敵。ほかには?」

 心が弾む提案に、つい欲張ってみる。
 あまり自分からあれこれと要望を出すことをしない私の反応に、ディオンは一瞬目を瞠って、それから笑みを深くした。

「ほかにも、あるよ。晴れた日には庭で日向ぼっこをしよう。季節の花に囲まれながらお茶をして、たくさん話そう。家だけじゃなく、こうやって、いろんなところへ行って、いろんなものを見よう」
「マオリルにも行けますか?」
「もちろん。いつか海に行くのもいいね」

 私が死の淵から目を覚まして、随分経った。
 二十三歳の命日をゆうに越え、二十四歳の日々もつつがなく、楽しく暮らしている。

 最愛の人との婚姻の約束をしてからは、殊更に日々が愛おしい。

「どれもこれも、とても……とっても素敵な提案です」

 最初に、ディオンも好きな「フィナンシェを食べながら」と言ったのは、なにも彼自身の好物だからという理由だけではない。私も、それをとても気に入っていることをディオンはよく知ってくれているからだ。
 そして、ケニーが淹れてくれる、香りの良い優しいお茶が好きなことも。

 それだけではなくて、たくさんの花や景色を見ようと言ってくれることも。
 時には、のんびりと日向ぼっこをしたり、午睡をしたりも。
 海という一度も見たことのない、今は本の中だけで広がる場所への旅も。

 私を、いつも大切に想ってくれて。
 私のことを、心から愛してくれて。

 はじめて得られた平穏や愛情、見知らぬ未来に、私はゆっくりと慣れてきた。
 まだ信じられない気持ちはあるけれど、一日一日が楽しみになってきた。あんなに鈍く錆びついていた心が、今は滑らかに動き続けている。

 彼が作り、守ってくれている今を、大切にしていきたい。

「ディオン様。さらに我が儘を言ってもいいでしょうか?」

 思いついた願いを胸に、そう訊ねれば、ディオンは「何でも言ってくれ」と深く頷く。無謀なことを願うわけではないけれど、それでもはなから否定をせずに……なんだったら、私の願いのすべてを請け負おうとする寛大さと包容力に、私は安心して言葉を紡いだ。

「手紙を書いてくださいますか?」

 宝石よりも煌めく、たくさんの素敵な提案に、私の胸は否が応でも浮き立っていた。だから、不意について思い立った、私なりの我が儘だった。

「手紙?」
「はい。一緒に暮らしていても、あなたからの手紙をいただきたいです。あなたの何気ない言葉を綴った贈りものを、私にくださいませんか? 私もディオン様に、たくさん手紙を書きますから」

 思い出の詰まった青いリンドウ。
 夏の記憶を詰め込んだ黄色いゼンテイカ。
 ディオンが好きな白いアナベル。
 夕暮れの街並みに、微睡みに白む早朝の寝室。
 柔らかなシーツ。愛しい人の温もり。
 香り豊かな焼き菓子やお茶と、あたたかで美味しい食事が待つ我が家。
 胸元で輝く、ブルートパーズのペンダント——。

 たくさんの『好き』に溢れた家で、たくさんの言葉を胸に灯して。
 一欠片の言の葉も逃さないで、忘れずに心にしまって宝物にしていく。
 そうして、幸せに生きていきたい。

「イリエスが望むなら、いくらでも書こう。約束するよ」

 ぎゅっと強く抱き締めてくれた腕の強さに、安堵する。
 それから頭のてっぺんや額に唇を落とされて、触れるだけの口づけをした。

 やがて体は離れて、温もりも離れたのは少しだけ惜しい気がしたけれど。
 でも、せっかく美しい景色の広がる場所へ遊びに来たのだからと、私はまた足元の水をぱちゃぱちゃと揺らしたり、跳ねさせたりした。この水の心地も、ずっと忘れないでいたい。

 体が弱っていた頃も、屋敷に閉じ込めたられていたときも、感じたことのない特別な時間だから。もう何一つとして、こぼれ落ちてしまわないように、心の中の宝物入れにしっかりと仕舞いこむ。

 鮮やかなゼンテイカを見ながらの水遊びはとても楽しかった。
 だから、たくし上げた服の裾が濡れるのも構わずに足を左右に踏み鳴らして、ついつい、子どものようにはしゃぐ。

 と——。
 パシャリと再び、水がかかった。

「冷たっ。もう……ディオン様ってば。本当に悪戯っ子ですね」

 今度は、私の首筋を掠めるように。
 飛沫の冷たさに首を竦めると、悪戯が成功した子どもみたいな笑顔が見えた。再び「ごめん」と言いながらも、また狙いをつけたような瞳で私を見ている。

「狡いです。私にも教えてください」
「はははっ、いいよ。でも、イリエスにできるかな?」
「ディオン様が教えてくれたら、きっと」
「じゃあ、まずは手をこうやって組んでみて——」

 ディオンが見せてくれたお手本に倣って、私も手を組む。

「——それで、少し空間を作って水を入れたら、手のひらでぎゅっと押し出すんだ。……ほら、こうやって」

 そう言って、ディオンが両の手のひら同士をキュッと押しつければ、ぴゅっと飛び出た水が小さな弧を描いて、水のアーチになって水面へと落ちていく。そのアーチはきらきらと陽光を反射して、光の橋のようにも見えた。

「んん……? 難しいですね……」

 彼に倣うようにして、私もやってみる。
 けれど、なかなか思い通りにいかない。

 そもそも、水がぴゅうっと手のうちから飛び出していかないのだ。両手をうまく組み合わせて、中に閉じ込めた水を隙間から押し出すのだと、優しく教えてもらっても、なぜだかディオンのように上手にできなかった。

「ほら、意外に難しいだろう?」

 得意げに話すディオンが、なんだかおかしくって。

「うーん……特訓あるのみ、でしょうか」

 それなら、またここへ連れてきてください、と。今日何度目かの我が儘を言外に滲ませて見上げれば、水面に反射する光を映し出したルビーの瞳が細められる。
 さっきまで子どもっぽい表情を浮かべていたのに、すぐに年上らしい頼れる男の顔をするのだから、本当にディオンは狡い。

 愛おしい人を慈しむような顔をされたら、ますます好きになってしまう。

「また教えるよ」
「はい、ぜひ」

 だから、私は笑顔で頷いた。
『また』があるのは、未来がある証拠。次を望むことの難しさを知っていたから、先の約束ができる日常がどれだけ素晴らしいことなのかをしみじみと思う。

 明日はきっと、また新しい思い出が増えるのだろう。
 王都の家で早速、温室の手入れを始めてみるのもいいし、まだあちこち歩いていない街をケニーと二人で回ってみるのもいい。明日、ディオンは近衛騎士の仕事がある。帰ってきた彼に、その日あった出来事を話せたら、どんなに楽しいだろう。

 ディオンが知らない王都のことを見つけるのは難しいだろうけど、私が知らないことを見つけて話せば、それは彼にとっても知らなかったことを一つ知ることになる。
 お疲れで帰ってくるディオンを美味しい食事とお酒で迎えてもいい。

「んんんー……」

 明日からのことを考えながらも、私は引き続き、手で水を飛ばせないかと格闘していた。横ではディオンが「がんばれ」「あともう少し!」なんて励ましてくれる。

 そうやって試行錯誤した末に……。

「あっ!」
「お。成功だ!」

 新しいことが一つ、できるようになった喜びに二人で抱き合う。
 私もディオンも両手を濡らしていたから、気をつけていたはずなのに、ふと互いのことを見やれば、服のあちこちが濡れてしまっていた。

 夏の陽射しが私たちと湖、鮮やかな花やきらめく風景を照らすなかで、私とディオンは互いに顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。隣ではゼンテイカが嬉しそうに咲いている。

 夏の日も、秋の日も。春や冬の季節だって。
 心安らぐ人たちとともに。新しい一日一日を、これからも——。



『夏の空、また新たな一日を』 End.



・--・--・--・


(2024.8.30 後書き)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
番外編はまた書きたいなと思いつつ、ついつい幸せいっぱいキャッキャうふふなお話までいききれない不幸な受け好きの悪いところが…。
今度ははちゃめちゃに幸せハッピーで、R18ありな番外編を書きたいです。

私がお話を書くときに、ついついお花を出しがちなんですが、作中に出てくるリンドウやアナベル、ゼンテイカは花言葉やその由来なんかがイリエスやディオン、このお話の雰囲気に合うかなぁなんて思って出していたりします。
少しでもイリエスたちに彩りを添えられていればいいな。

では、また番外編や次作でお会いできることを願って。
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