《最弱スキル《コピー》で世界最強 〜落ちこぼれ高校生、150日後に魔王を討つ〜》

あか

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2話

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第2話 十分だけのヒーロー

 息が焼ける。肺が勝手に悲鳴を上げて、喉がガラスみたいに痛い。

 それでも走る。

 シエラの手首は細い。けど、驚くくらい温かい。ちゃんと生きてる温度だった。それが今の俺にはロープみたいで、あの手を離したら一瞬で引き戻される気がして、怖くて離せなかった。

「はぁっ……はぁっ……待って、蓮っ、そっちは、森の奥いきすぎ……っ!」

「じゃあどこならセーフなんだよ!」

「セーフは、ないっ!」

「ないのかよ!!」

 俺たちが駆け込んだのは王都外縁に広がる低い森だ。森っていうか、潅木と石とぬかるみの集まりみたいな場所で、ゲームでいう「最初の狩場」みたいな雰囲気。細い木が斜めに伸びてて、葉っぱは薄汚れてて、地面はさっきまで雨が降ってたのか泥っぽい。踏むたびにぬちゃっと音がして走りにくい。

 背後からは金属音。怒鳴り声。複数人。たぶん三~四人じゃない。もっといる。

「逃げた亜人は足跡を残す! 引きずった跡を追え! 匂いも残ってるはずだ!」

 聞こえてくる怒声は、完全に狩りのテンションだった。

 やばい。やばい。やばい。冷静に判断すると俺これ詰んでる。

 だって俺、篠宮蓮。全ステータスE。
 素の筋力Eで騎士から逃げるとか、無理ゲーにもほどがある。

 ただ、今の俺は“素の俺”じゃない。

 さっき、シエラの血と混ざった瞬間に頭に流れたシステムログ。

 【臨時パーティ効果:シエラ隣接時、基礎ステータス+1段階補正】

 つまり、いまの俺はEからDに底上げされてるはずだ。

 走れる。足がもつれながらも、ちゃんと前に進んでる。

 それでも騎士のブーツ音はどんどん近い。鎧の奴ら、重いはずなのにスピード落ちないのなんなんだよフィジカルチートか。

「シエラ、怪我どのくらいヤバい?」

「動くのに支障あるくらいヤバい!」

「具体的に言うなそれは!」

「痛い! でも大丈夫! 死なない! 血は止まってないけど!」

「止まってないのは致命的な情報だよね!?」

 心臓がドクドク鳴ってて、全身が酸欠みたいにしびれる。焦りと恐怖で足が勝手に走ってるだけ。理性が「転んだら終わるよ」と警告してくる。

 俺は振り返りもせず、必死に頭の中で状況を並べた。

 今、できることはなに?

 俺のスキルは《模写》。
 効果:対象のスキルを一時的にコピーし、使える。ただし──

 ・自分のステータスが対象と同等以上じゃないとコピーできない
 ・効果は10分だけ
・同時保持不可
 ・再コピーまで24時間のクールタイム

 はいクソ雑魚。って、ついさっきまで本気で思ってた。

 でも、クソ雑魚って言い切るにはまだ早いだろ。なぜならもう一つ、判明したことがある。

 「弱ってる相手」なら、俺でも条件を満たす。

 さっき、鎖を壊したときのアナウンス──あれはこう言ってた。

 【対象:亜人奴隷(ステータス/負傷により大幅低下)】
 【現在のあなたの能力値は、対象と同等以上です】

 つまりさ。

 “相手が死にかけなら、俺でも奪える”。

 これ、冷静に考えるとヤバい。倫理とか置いとけば、めちゃくちゃヤバい。

 (これ、敵にも通用するのか?)

 俺の頭がそう考えた瞬間、木々の間から銀に光るものが飛んできた。

 反射的にしゃがんだ。

 ヒュンッ、と耳の横をなにかが裂く音。髪がふわっと浮いた。心臓が喉まで吹き飛びそうになる。

 そのまま、正面の細い木の幹にそれは突き刺さった。小さな金属の投げナイフだ。刃が樹皮に半分ほどめり込んでいる。

「見つけたぞォォォ!!」

 怒鳴り声。茂みが割れ、鎧の男が現れた。

 全身を金属で固めた典型的な兵士スタイルじゃない。肩当てと胸当てだけを軽くつけた、機動寄りの追跡兵。腰には短剣が二本。あと、軽い弩(クロスボウ)を片手にぶら下げている。

 逃げ足要員ってやつだ。完全に回収班。プロ。

 ひとりだけじゃない。後方の木陰にもう二人、シルエット。さらに、もっと奥にも甲冑の反射が見えた。六、七、いやもっと?

 マジか。俺たち、めっちゃ本気で追われてる。

「亜人のガキと……どこの小僧だ? 冒険者崩れか? ……まあいい、両方まとめて売ればいい金になる」

 追跡兵が笑った。歯が黄色い。

「いや売らないって決めたんだけど」

 俺はつい口に出してた。

 追跡兵は、あからさまに鼻で笑う。

「あ? 決めるのはテメェじゃねえんだよ」

 その一言に、背筋がゾワッとした。あ、これだ。この空気。この「お前は物」という扱い。さっき王城で浴びたのと同じだ。

 胸の奥で、カチンと音が鳴った。

 ああ、嫌いだわこういうやつ。
 本気で嫌いだわ。

 同時に、シエラの肩がびくっと震えたのが手のひらから伝わった。
 怖いとかじゃない。怯え慣れた反応だった。心が虐げられるのに慣れてしまった反応。これは……これはムカつく。かなりムカつく。

「シエラ」

 俺は囁いた。

「あと何メートル離れたら、パーティ補正切れる?」

「三、歩くらいかな……? ううん、距離というより、“そばにいる”って判定っぽい。転んだり引きはがされたらアウトかも」

 つまり、簡単に引き離されたら俺はまたEに逆戻り。=即死。

 だったら、離れないでやる。

 俺はシエラを自分の背中に押しやり、片手で庇いながら前に一歩出た。

 追跡兵があざ笑うみたいに腰の短剣を引き抜く。
 銀の刃が冷たく光った。

「おまえ、守れるつもりか? ガキが騎士の刃を?」

 守れるつもりは、ない。
 でも、守るって宣言したんだ。こいつの前で、シエラ自身が「私が守る」って言った。その顔を踏みにじらせるのはもっと嫌だ。

「なあシエラ」

「なに?」

「こいつ殺さない程度にボロボロにできそう?」

「いきなり怖いこと聞くね!?」

「いや、マジで聞いてる」

「……正直に言うと、いまの私は無理。出血で体力も魔力も落ちすぎてる。スキルもまともに回せない。逃げるだけでいっぱいいっぱい」

 だよな。そりゃそうだ。
 でも今の答え、俺には逆に希望に聞こえた。

 「出血で体力も魔力も落ちすぎてる」

 つまり。彼女はいま、全盛期よりめちゃくちゃ弱ってる。

 俺は心の中で呟いた。

(《模写》起動、対象:シエラ)

 頭の中にすぐ反応が返る。

 【対象:シエラ】
 【比較中……】
 【現在、あなたの能力値は対象と同等以上です】
 【コピー可能スキルを検索……】
 【《野生感知》《逃走路察知》《拘束具破断(低出力)》が候補です】
 【どれをコピーしますか?】

 スキル、複数候補きた。

 心臓が跳ねた。

 《野生感知》は多分、周囲の敵の位置がわかる系。
 《逃走路察知》は、安全に逃げる経路が見えるとか、そんな匂いがする。
 《拘束具破断》はさっき使ったやつの弱い版。

 今必要なのは──

 逃げることも大事だけど、こいつらを一回止めないといけない。後ろにわらわら来てるうちは、逃げルートもバレる。何より、目の前のこいつはシエラを“物”に戻す気しかない。

 だったら、ここは殴らなきゃいけない局面だ。

 つまり、センサーよりも制圧。

(《模写》──《拘束具破断(低出力)》)

 俺はそう念じた。

 【承認。スキル《拘束具破断(低出力)》をコピーします】
 【効果時間:600秒】
 【クールタイム:24時間】

 よし。十、分。

 もう一回使えるんだなこれ。今の俺、わりと本当に“十分だけのチート”だ。

 追跡兵が短剣を逆手に構えて近づいてきた。

「安心しろ、ガキ。腕一本落とせば大人しくなる。致命傷にはしねえ。……高く売れなくなるからな」

 ああ、ムカつく。

「黙れ」

 自分でも驚くくらい低い声が出た。

 追跡兵がニヤリと笑って踏み込んだ一瞬──俺は地面に落ちてた石を拾って、そのまま彼のブーツに叩きつけた。

「がっ!? このッ!」

 ブーツって鉄のイメージあったけど、こいつのは足首周りが革だ。動きやすいかわりに隙がある。その隙に、石の角を全力でねじ込んだ。俺の指の関節が悲鳴をあげるくらい。

 追跡兵の足が一瞬止まる。体勢がわずかに崩れる。バランスが前に傾く。

 そこだ。

 俺は右手を伸ばし、彼の腰のベルト──短剣ホルダーの革帯──をつかんだ。

 感覚的には「つかんだだけ」なんだけど、頭の中にスイッチが入る。

 【スキル《拘束具破断(低出力)》発動】
 【固定具の強度を一時的に内部から破砕します】

「は?」

 追跡兵の腰ベルトが、内側からバキィッと音を立てて壊れた。
 短剣ホルダーも、予備の投げナイフのポーチも、まとめてストンと落ちる。

 武器が、足元にばらまかれた。

「はあああああああああっ!? なにしやが──」

 奴が叫ぶよりも早く、俺は落ちた短剣を拾い、反射で振るった。

 狙ったわけじゃない。ただ振っただけだ。なのに刃は追跡兵の手首の甲の浅いところを掠め、パッと血が出た。

 追跡兵の顔色が一瞬で変わる。武器を持ってた手が脱力して、短弩が土に落ちた。

 ──今だ。

 俺はそこに飛びついた。
 正直、自分でもバカだと思う。逃げるべきだってことくらい、わかってる。だけど、ここでこいつを放置したら普通に背中から撃たれる。だったらやるしかない。

 俺は追跡兵の腕に噛みついた。

「っっいってぇぇええええええええ!!?」

 口の中に鉄の味が広がる。血だ。
 あ、俺今、人の血噛んでる。ふつうに吐きそう。だけど離さない。全力で噛みちぎる勢いで押し込む。

 追跡兵は完全にパニックになって、全身で俺を振りほどこうと暴れた。けど、うまくいってない。足を痛めてる、ベルトが壊れてる、片腕から血が出てる──弱ってる。

 そう、弱ってる。

 俺は歯を離し、血だらけの口のまま心の中で叫んだ。

(今のこいつから、なんかコピーできるか!?)

 脳内システムが応える。

 【対象:人間兵(軽追跡兵)】
 【比較中……】
 【現在、あなたの能力値は対象と同等以上です(※対象は混乱・負傷状態)】
 【コピー可能スキル:《追跡術・下級》《急所狙い(短剣)》】

 ……ある。

 マジである。

 「自分より強い相手じゃなきゃコピーできない」んじゃない。「同等以上」だ。つまり、こうして相手を一時的にでも「同等」まで引きずり下ろせば──俺は奪える。

 これ、誰にでも通るんじゃないのか? 条件さえ作れたら、どこまでも強いやつのスキルを盗めるってことじゃないのか?

 これが本当に「ゴミスキル」?

 いや、違うだろ。
 これは──

「レン! 後ろ!!」

 シエラの悲鳴で我に返る。反射的に振り返ると、さっき後方にいた別の回収兵が、もう目の前まで迫っていた。いつの間にこんな距離詰めて──!

 その兵士は長い棒を両手で構えていた。棒の先には鉄の輪っか。輪の内側には小さな棘。

 それ、知ってる。犬捕まえるやつのデカい版。首に引っかけて締め上げて、そのまま引きずっていく捕獲道具。

 俺の首に、その輪っかが迫る。

「させない!」

 シエラが飛び出した。
 彼女は足を引きずりながらも、体当たりみたいに兵士の脇腹にぶつかった。

 鈍い音。兵士が一歩よろける。輪がそれて、俺の肩に引っかかっただけで済む。

 でもその瞬間、シエラは悲鳴を噛み殺して膝をついた。彼女の脇腹から、さらに血がどっとこぼれた。

 ヤバい。ヤバい。ヤバい。

 俺の中のなにかが、一気に弾けた。

 考えるより先に、体が動いた。

(《模写》──《急所狙い(短剣)》!)

 頭の中で叫ぶ。

 【承認。スキル《急所狙い(短剣)》をコピーします】
 【効果時間:600秒】

 世界が一瞬、スローモーションになった。

 兵士の重心がどこにあるか。どの筋肉がいま収縮してるか。どこに力が集まってて、どこが手薄か。視界のなかに、ほんの一瞬だけ、光の線が走った。

 ──そこだ。

 俺はさっき拾った短剣を、光の線の一点に向かって突き出した。

 ザクッ。

 兵士の太腿の、付け根の内側あたり。鎧の隙間、革の延長でしか守られてない場所。
 手応えは肉。深くまでは入ってない。でも十分だった。

「ぐっっっぅあああああああああああッ!!?」

 兵士が悲鳴を上げて崩れ落ちる。棒が地面に転がった。輪っかが俺の肩から外れて、カランと鳴る。

 俺は、自分の手を見た。

 震えてた。
 めちゃくちゃ震えてた。
 でも、止まってはいない。

 俺、いま──人間を、ちゃんと止めた。

 俺なんかが。

「……シエラ、大丈夫か!?」

「っ、はぁっ、はぁっ……」
 シエラは歯を食いしばって頷き、でもその顔色は明らかにヤバい白さだった。

 後ろから甲冑の音が増える。距離が近い。どんどん来る。いまの二人三人止めたくらいじゃ、全然足りない。

 ──逃げなきゃ。ここで全滅する。

「シエラ、立てる? 今すぐ動かなきゃマジで終わる」

「うん……動く、動くから……はぁ……はぁ……」

「よし。肩貸す。てかもう俺に体重乗せてくれ、いいから」

「あなた、折れる」

「大丈夫だ、俺いまDランクだから」

「それ、たいして強くないよ?」

「いや知ってるけどプライドがあるんだよそこは!」

 俺はシエラの腕を自分の首にまわさせて、半分おぶるみたいに引きずり上げた。彼女の体温が直接背中にのしかかる。軽い。軽すぎる。こんな体で、さっきまで捕まって殴られて、まだ「守る」なんて言ったのか。

 胸が勝手に熱くなる。

「シエラ、逃げ道分かるか? さっき言ってた《逃走路察知》ってやつ、使えそう?」

「……やってみる」

 彼女は目をぎゅっと閉じた。息を整えて、低く呟く。

「……あった。あっち。森の中じゃなくて、逆。土手を下りて、臭い川沿い。……ううん、川っていうか、下水? わかんないけど、そっちは追い手少ない」

「臭いほう行くの!? そっち!?」

「うん。人間は臭いの嫌うの」

「なるほど理屈が強い!」

 俺たちは泥を蹴り、シエラが指したほうへ進路を変えた。

 森の奥じゃなく、むしろ森から外側に離れる感じだ。そこは少しだけ地面が削れていて、斜面になっている。土手を滑り落ちるようにして下ると、すぐに鼻が曲がりそうな悪臭が襲ってきた。

 うわ、くっっそ臭い。

 目が痛いレベルの刺激臭。腐った卵と生ゴミと鉄の錆とドブ川を一緒に煮詰めたみたいな匂い。ぬかるみというより、灰色の汁が小さく流れている。排水路。人工の溝だ。

「これ……街の外に流す、下水路か?」

「たぶん。王都の外側は“下層民区”がある。そこに流す汚水道。兵士はあんまり入りたがらない。病気になるから」

「病気になるの入ってから言ってよ!!!!」

「いまは入るしかないよ!!」

「入るわ!!!!!!!」

 勢いで叫んで、そのまま俺たちは泥よりさらにひどいドブ水の中へ飛び込んだ。

 靴の中まで一瞬で水が染みて、足元がずるっと滑る。けど、流れは弱い。膝くらいまでの深さしかない。俺はシエラを抱え直して、できるだけ水面に彼女の傷が浸からないようにしながら、低い姿勢で進んだ。

 上では、追跡兵の怒鳴り声が続いている。

「足跡がここで消えてるぞ!」「いや、臭いが強すぎて……くそ、鼻が死ぬ」「下水路か? やだよ入るの、前の隊で熱病出ただろ!」

 ──止まった。

 追ってきてた足音が、土手の上でうろうろしてるだけになった。

 俺とシエラは息をひそめたまま、水の中でじっとして耳を澄ませる。

 心臓の音がやたらでかい。ドクドクいってて、音だけで見つかりそうなくらい。

 十秒。二十秒。三十秒。
 やがて、少しずつ金属音が遠ざかった。

 緊張が、糸が切れたみたいに一気にゆるんだ。

 膝から、全身の力が抜ける。

 どばっと、へたりこんだ。

 ドブの上に。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っっぶはぁっっっはははは最悪!!!!!!」

 自分で笑って、ちょっと泣いた。涙とドブ水の区別がつかない。

 シエラもぐったりして、でも口元だけちょっと笑ってる。

「ねえ蓮。あなた、バカ?」

「バカじゃない。戦術的天才だよ。自称だけど」

「ふふ……ありがと……」

「礼はいいから寝るな!! 寝たら終わるぞ!!」

「寝ない、寝ない。ちょっと目を、閉じるだけ……」

「それだいたい寝る前の人が言うやつ!!!!」

 慌てて彼女の頬をぺちぺち叩く。彼女は小さく顔をしかめた。

「い、た……」

「ごめん。でも意識飛ぶとマジで死ぬ。血止まってないんだろ? 応急ってどうすんだよ、この世界、救急キットとかあるのか?」

「ない。包帯とか軟膏はギルドで買うもの。いまは、こうやって圧迫するしかない……自分でやる、から、蓮は休んで。あなたも、すごい血、ついてる」

「俺のは噛みつきの返り血とちょっと切り傷だけだからいいんだよ」

「よくないよ」

「よくなくても今は順番的におまえ」

「……順番的に私、か」

 シエラは弱く笑って、自分の脇腹の裂け目を押さえた。血はまだじわじわ出ているけど、勢いはさっきより落ちている。これが“圧迫止血”ってやつか。保健の授業で聞いたことある。まさか異世界で実践することになるとは思わなかったけど。

 俺は呼吸を整えながら、現実をもう一度並べる。

 ・追っ手は一旦撒いた
 ・でも完全に安全ではない
 ・シエラは失血で限界近い
 ・俺は《模写》を二回使った(シエラ、追跡兵)
 ・どっちもあと何分持つかわからないけど、10分したら消える

 そう。ここが問題だ。

 十、分経ったら、俺はまたただのEランクに戻る。
 それどころか、クールタイムっていうのがある。再コピーまで24時間。つまり、次に敵に見つかったら、俺にはもう“十分だけのヒーロー”すらできない。

 このリスク、重い。

 つまり今のうちに「安全地帯」まで行かないと、本当に終わる。

「シエラ、ギルドってどこなんだ? 遠い?」

「……そんなに遠くない。下層の市場を抜けた先。建物に“角の折れた剣と杯”の看板がぶら下がってるはず。それが冒険者ギルド」

「冒険者ってホントにあるんだな……」

「あるよ。私、何度も見た。いい匂いのスープを売ってる。お肉も揚げてる。……通るたび、お腹鳴っちゃって」

 彼女の声が少し夢みたいにふわっとして、そのふわっとが逆に怖い。これはもう、ギリギリだ。

 わかった。そこまで行く。それだけを目標にする。

「よし、行こう。歩けそう?」

「行ける。行く。……契約だから」

「契約って便利な言葉だな」

「うん。とっても便利」

 シエラはそう言うと、ふっとほんのわずかに笑った。

 契約。
 “私があなたを守る”って言った少女。
 “俺もお前を捨てない”って答えた俺。

 たぶんそれは、すごくちっぽけで、たぶんこの世界の常識から見たら弱くて、薄くて、すぐ破られる紙切れみたいな約束なんだろうけど。

 それでも今、俺たちはそれだけで立ってる。

 俺たちは、下水の流れに沿って、泥と悪臭の中をゆっくり進みはじめた。

 足元を灰色の水が流れていく。耳の奥で自分の鼓動がまだドクドクいってる。全身が重い。寒気が出てきた。アドレナリンが切れはじめてる。

 このまま、ギルドに辿りつければ──少なくとも今日だけは、生き残れる。

 そう思ったときだった。

 土手の上、つまり俺たちの頭上から、別の声がした。

「おい。そこにいるのは人間か?」

 ……え。

 その声は、鎧の兵士のものじゃない。もっと低い。くぐもった。酒焼けした、だるそうな声。

 土手の上に、影が三つ見えた。逆光で顔は見えない。でも、輪郭が兵士と違う。肩当てや槍のシルエットじゃない。もっとバラバラで、厚手のマントとか、でかい荷物とか、ゴツい斧とか──

 シエラがかすれ声で言った。

「……冒険者……?」

 冒険者。
 つまり、ギルド側の人間。

 俺は、ほんの一瞬だけ、心が浮いた。助かったかもしれない、って。

 でもその瞬間、別の声が落ちてくる。さっきの低い声とは違う、冷たい声。

「待て。あの耳、見ろ。亜人だ。鎖の痕もある。面倒ごとだ」

 冷たい声の主は言い捨てるように続けた。

「売られてた奴隷に首突っ込んだガキなんざ、巻き込まれたくない。病気持ってたらどうする。ギルドに持ち込んだら管理局に通報されて、こっちが罰金だぞ」

 ……あ。

 あ~。そうだよな。

 さっきまで「ギルドに行けば助かる」って希望にしてたけど、それはシエラの“願い”であって、保証じゃない。俺たちから見たギルドは「保護してくれる場所」だけど、向こうから見た俺たちは「トラブルそのもの」だ。

 助けてくれる、なんて、誰も言ってない。

 胸の奥がズドンと凹んだ。期待っていう風船に、氷の針を刺されたみたいにしぼんでいく。

 俺は咄嗟に叫んでいた。

「待ってくれ! 俺たち、追われてる! 王城の連中に! この子、鎖つけられてた! 殺されるか、売られるかしかなかったんだ! 俺たち、ただ──」

 そこまで言って、言葉が喉につかえた。

 “助けがほしい”。

 それを言った瞬間、断られたときに本当に折れる気がした。

 だから、言えなかった。

 代わりに出てきたのは、もっと生々しい、むき出しの本音だった。

「──頼むから見捨てないでくれ!!!」

 叫んだあと、沈黙。

 土手の上の三つの影が、わずかに動いた気配がした。

「……なあ」

 一番だるそうな声の男が、もう一人に言う。

「お前、どうする? あれ放置する? 放置したら、あのガキら、明日には死体だぞ」

「明日まで保つかも怪しいな。血の量見ろ。亜人のほう、腹いってる」

「だよなあ。あ~~……くそ。めんどくせえなぁマジで」

 影のひとつが、こちらに降りてきた。

 逆光が少しだけ動いて、ようやく顔が見えた。無精ひげを生やした三十代くらいの男。革の胸当て。肩には包帯。片目の周りに青あざ。腰には片刃の大きな斧。全身から「生き延びてきたタイプの現実主義」が漂ってる。

 男は俺たちをじろっと眺めて、鼻を鳴らした。

「とりあえず、動けるか?」

 俺は息を荒くしながら頷いた。

「動く。行ける。ギルドまで行きたい。そこに行けば、正式に依頼を……なんかその、保護証? を」

「保護証ね。ああ、まあ、形だけなら出せる時はある。けどな」

 男はわざとらしく肩をすくめた。

「勘違いすんなよ。俺らはヒーローじゃねえ。タダ働きで保護したら、こっちが損する」

 わかってる。そういう世界なんだって、さっきから何度も見せつけられてる。
 だからこそ、俺は搾り出した。

「じゃあ──金になる話を、これからいくらでも持ってくる」

 男の眉がぴくっと動く。

「は?」

「俺のスキルは《模写》だ。相手のスキルをコピーできる。十、分だけだけどな」

 俺は息を荒くしたまま続ける。

「でも、その十、分で俺は騎士を止めた。武器を壊した。人間相手に足を止めさせた。俺は役に立たないゴミだって、王城で決めつけられて捨てられた。つまり──」

 一度、息を吸って。

「この国は、俺の価値をまだ知らないまま俺を捨てたんだ」

 男は、目を細めた。

 沈黙が、短い。でも濃い。

 やがて彼は、ふっと鼻で笑い、頭をかいた。

「おい、こっち降りろ! ガキ二人拾うぞ! ギルドまでは連れてくだけな! それ以上は知らねえからな!」

 土手の上のもう二人が、あからさまに不満そうな声を上げた。

「はあ!? マジで!?」「まーたストレイ拾うのかよ、あんたほんとすぐ情に流される!」

「うるせえ! てめえらも若いころ誰かに拾われただろうが!! 恩くらい回せ!!」

 男が怒鳴ると、他の二人は舌打ちしながらも降りてきた。

 膝が笑いそうになった。全身から一気に力が抜けそうになる。危なかった。あとちょっとで崩れ落ちるところだった。

 でも、崩れちゃダメだ。まだ安全圏に入ってない。

 俺は絞り出すように言った。

「ありがとう」

「礼はギルドついてから言え。まだ死ねるからな」

「わかった」

「名前は?」

 男が聞いてくる。

 ここで、俺はほんの一瞬だけ迷った。名乗るってことは、記録に残るってことだ。この世界に「篠宮蓮」という名が刻まれるってことだ。

 だけど──

 ここで名乗らないってことは、また透明になるってことだ。
 日本でずっとやってた「空気のポジション」に戻るってことだ。

 それだけは、ぜったいに嫌だ。

「篠宮蓮」

 俺は、はっきりと言った。

「俺の名前は篠宮蓮だ。……こいつはシエラ。俺の──」

 「なに?」ってシエラがこちらを見る。耳がぴくっと動いた。

 俺は一拍だけ迷ってから、言った。

「俺の仲間だ」

 シエラが、目を見開いた。わかりやすく顔が赤くなる。耳まで真っ赤になる。尻尾が忙しく揺れる。

 男はふっと息を漏らして、口の端だけで笑った。

「そうか。じゃあ覚えとくわ。篠宮蓮と、シエラな」

 男は俺の肩をがしっと掴んだ。力強い。だけど押しつけがましい感じじゃない。引き上げるための力だ。

「俺はガロン。こっちはマルタとベルク。三流の場末冒険者だけど、ま、王都下層くらい案内はしてやれる」

「三流とか自分で言う?」

「一流はこんな臭いとこ歩かねえよ」

「あーなるほど説得力ある」

「だろ?」

 ガロンと名乗った男はシエラの容態を一瞬だけ見て、「急ぐぞ。ギルドに運び込めば、とりあえず血止めくらいはしてくれるさ」とぼそっと言った。

 その言い方は乱暴なんだけど、そこに「捨てる」というニュアンスはなかった。

 ──そこで、限界が来た。

 安心した瞬間、アドレナリンが切れる。視界がぐらっと揺れる。耳鳴りがドッと押し寄せる。頭が痛い。膝が砕ける。

 ガロンの声が遠くなる。

「おい、おい、ガキ! 気絶すんな今は! おい!」

 無理だ。
 俺はもう本当に限界だ。

 目の前が暗くなる中、最後に頭に響いたのは、冷たいシステムの声だった。

 【スキル《急所狙い(短剣)》の効果時間が残り60秒です】
 【スキル《拘束具破断(低出力)》の効果時間が残り45秒です】

 ──そうか。

 十、分だけのチートも、そろそろ切れる。

 俺は、暗闇に沈みながら、ぎりぎりのところで思った。

 いいよ。切れていい。
 どうせまた、奪えばいいんだから。

 それが俺のスキルで。
 それが、俺の生存戦略だ。

 ──この世界で俺を「不要」と言ったやつらに、絶対に見せつけてやる。

 俺が、“最弱”のまま終わらないってことを。

(第2話・終)
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つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
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勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
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「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

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