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3話
しおりを挟む第3話 冒険者ギルドの門を叩く
まぶたの裏が熱い。
誰かが肩を揺さぶっている感覚がする。
遠くで声が聞こえる。低くて、だるそうで、けど芯のある声。
「おい、起きろ。ガキ、ここで寝たら死ぬぞ」
ゆっくりと目を開けると、薄汚れた天井板が見えた。
木の梁。すすけたランタンの光。鼻をつく鉄と薬草の匂い。
……どこだ、ここ?
ぼやけた視界の先に、あのひげ面――ガロンがいた。
腕を組んで、俺を見下ろしている。その後ろで、シエラが毛布に包まれて寝かされていた。
脇腹の傷には包帯が巻かれていて、血は止まっているみたいだ。
「……ここは?」
「王都下層のギルド支部だ。お前らを放置すると寝覚めが悪いって、俺が担ぎ込んでやった」
ギルド。
昨日の夜まで、希望であり幻でもあった場所。
現実としてそこにいるんだと思うと、喉がひどく渇いた。
「シエラは……」
「生きてる。ギリギリな。血が足りねえ。医療班が安物の薬草とポーションでどうにかしてる。助けたかったら金を払えってよ」
「金なんか、持ってない……」
「だろうな。だから俺が立て替えた。ツケだ。返せ」
ガロンは椅子を蹴って立ち上がると、壁に立てかけてあった斧を肩に担いだ。
そして振り返らずに言う。
「今日からお前は“仮登録”の冒険者だ。ギルドは慈善団体じゃねえ。飯が食いたきゃ、働け」
仮登録。
つまり正式な身分証を持たない奴でも、一応仕事を受けられる最低限の身分。
犯罪者ギリギリでも拾ってくれる“底辺のセーフゾーン”。
それだけで、胸が震えた。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。仕事で返せ。お前のスキル、さっきちょっとだけ聞いた」
ガロンが俺を鋭く見た。
「《模写》、だっけな。人のスキルを十、分だけ真似できる。条件次第で、敵からも奪える。間違いないか?」
「……はい」
「面白ぇ。普通ならインチキだ。けど昨日の追跡兵の死体見たら、納得したわ。お前、あれ自力で倒したんだろ?」
「……“倒した”というか、“止めた”というか……」
「違いはねえ。止めた時点で勝ちだ」
ガロンは不敵に笑うと、机の上の書類を一枚投げてよこした。
茶色の紙に、インクでこう書かれている。
――【討伐依頼:下層水路のスライム駆除】報酬:銅貨三十枚。危険度F。
「初依頼だ。ゴミみたいな報酬だが、仮登録でも受けられる。腕試しにはちょうどいい」
「スライム……」
ゲームの初敵みたいなやつか。
でも、こっちは命がかかってる現実だ。油断すれば死ぬ。
「条件がある」
ガロンの声が低くなる。
「シエラはまだ歩けねえ。だから連れてくな。お前ひとりで行け。……死ぬかもしれねえが、それでわかることもある」
喉が、ごくりと鳴った。
ひとりで。
この世界で、初めての“戦い”を、ひとりで。
逃げる選択肢もあった。
けど、それを選んだら、またあの時と同じになる。
「いらない」って言われて、黙って下を向くだけの俺に戻る。
「行きます」
自然と声が出た。
ガロンはにやっと笑って、俺の肩を叩いた。
「上等だ。死ぬなよ、“十分の勇者”」
* * *
ギルドを出た路地は、湿った朝霧に包まれていた。
下層区は上層の華やかさとは真逆。狭い石畳、排水の臭い、すれ違う人の視線の荒さ。
でも、空の色だけはやけに青い。
俺は腰に古びた短剣を下げ、地図を片手に歩く。
スライムの巣は、王都の排水路――昨日逃げ込んだ、あのドブ川のさらに奥らしい。
皮肉だな。助かった場所が、今度は仕事場になるなんて。
湿気と腐臭にむせながら、水路の奥に進むと、ぬるりとした音がした。
青緑色の塊が、じゅるりと壁を這っている。
「スライム、か……」
ぷるぷる震えながら、こちらを感知したように動く。
サイズはバケツくらい。牙も爪もない。だけど、じっと見ているとぞっとする。
表面の液体が、鉄を溶かしてる。
「体液が酸性……触ったら終わりだな」
剣を構える。
呼吸を整える。頭の中で何度もイメージを描く。
最初の一撃。
すべては、ここからだ。
「行くぞ……!」
短剣を振り下ろした瞬間、スライムが予想外の速さで跳ねた。
刃が空を切る。
バランスを崩す。足がぬかるみにはまり、体勢が崩れた。
その瞬間、スライムが飛びかかってきた。
ぬるりとした冷たい感触が腕を包み――皮膚が、焼けた。
「っっっっああああああああああ!!!!!」
酸。
痛みで頭が真っ白になる。反射的に腕を振るが、スライムは離れない。
皮膚が煙を上げる。マジでヤバい。
「落ち着け……落ち着け俺……!」
パニックになりかけた瞬間、頭の中に淡い光が走った。
【対象:スライム/スキル《体液分泌》検知】
【比較中……】
【あなたの能力値は対象と同等以上です】
「……っ、コピー!」
【《体液分泌》を模写しました/効果時間600秒】
体が一瞬、冷たく光る。
直後、スライムの表面がぴたりと動きを止めた。
次の瞬間、俺の腕からじゅるりと同じ液体が滲み出し、スライムを覆う。
スライムが悲鳴のような泡を上げて、溶けて消えた。
……今、俺の酸で、酸を溶かしたのか?
痛みと吐き気で足が震える。
でも、倒した。
ひとりで、倒した。
「っは、はは……やった……!」
笑いが漏れた。涙が混じった。
右腕はズタズタで、痛みは地獄。でも、心の奥で確かに“何か”が動いていた。
“最弱”が、生きて帰る。
その事実が、どんな薬より効いた。
* * *
ギルドに戻ると、ガロンがちょうど出入り口で煙草をふかしていた。
「お、戻ったか。……死ななかったか」
「はい……でも腕、少し……」
「少し? 炭になりかけてんじゃねえか。ま、スライム倒せたなら上出来だ」
ガロンは笑って、俺の頭を軽く叩いた。
「見ろ、これが“生きる”ってことだ。いいか蓮。ギルドの掟は簡単だ。“誰も信じるな、けど見捨てるな”。それだけ守ってりゃ死なねえ」
「……覚えます」
「そうしろ。お前、気に入った。明日から俺のパーティの下働きだ。掃除、荷物、雑用、なんでもやれ」
「えっ、いいんですか?」
「いいも悪いもねえ。お前、借金あるだろ? 働いて返せ」
ガロンの笑顔は荒くて、でも不思議と温かかった。
ギルドの喧騒が、遠くで響く。
冒険者たちの笑い声、剣の音、酒の匂い。
ああ、これが、俺の新しい世界か。
シエラが隣のベッドでうっすらと目を開け、かすれた声で言った。
「……おかえり、蓮」
「ただいま」
その一言で、すべての痛みが報われた気がした。
俺の“十分”は、まだ始まったばかりだ。
(第3話・終)
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