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第三幕
05 対峙
しおりを挟むそれから数日後。野原から内線が入った。彼から直接連絡が来るのは珍しいことだった。
「今晩?」
『保住は鼻が効く。そろそろ釘を刺してもいいのかも』
これは好機。野原が与えてくれた好機だった。
「今晩いつもの料亭を予約するから。そこで保住と交渉する。一人でくるかな」
『さあ。わからない』
「まあ、いい。頭の切れる男だ。こんな込み入った場所に誰かを連れてくるとは思えないしな」
野原の内線は切れた。
——今晩、保住と交渉ができる。山場だ。
槇は自分に言い聞かせるように頷いて内線を切った。すると安田が心配そうな表情をして槇を見ていた。
「実篤」
彼が自分のことを名前で呼ぶ時は、市長ではなく「叔父モード」の時だ。
「なにか問題でもある?」
「いえ。大丈夫です。すみません。雪からです。仕事のことではないので、心配しないでくださいよ」
「そう? ならいいんだけど……」
安田はそういうと、槇のデスクに置いてある本を眺めた。
「日本神話。実篤が本を読むなんて見たことなかったな。そんなに面白い?」
正直、そんなに読み進められていないのだが……。
「叔父さんは知っていますか」
「それはね」
「あの、須佐男って知っています?」
「ああ、もちろん。八岐大蛇を退治した英雄だろう?」
「英雄、なのでしょうか?」
槇の質問に、安田は笑う。
「まあ、英雄に成長する前は散々だろう?大人になったって、母親恋しくて大泣きだし、天照が天岩戸に隠れてしまったのも、彼が悪さばかりしていたからだしね。なかなかのうつけだろう?」
「そ、そんな奴なんですか?」
「あれ? 読んだんじゃないの?」
野原は昔、自分のことを『須佐男みたい』と夢現で言っていた。だからどんな男なのかと借りてみたのに……。
「最悪な男じゃないですかっ」
「そんなに怒らなくてもいいだろう?」
「すみませんっ」
安田に八つ当たりをしても仕方がないと思いつつも、むうむうとしてしまった。
***
結局、保住は一人ではなかった。
待ち合わせの場所で待っていると、そこには彼と、そして振興係の一人、田口という男がやってきたのだ。
野原が『ラブラドール犬』と揶揄する男だ。
確かに大柄で温和そうな瞳は大型犬を彷彿とさせるが、槇からするとどちらかと言えば『土佐犬』だろうか?
保住が一人ではないということを確認し、槇は野原を見る。
——おれの言う通りじゃん。二人でよかったでしょう?
結果的に槇たちも二名で対応して正解だったのだ。行き当たりばったりの作戦もこういう時には役立つものだと槇は自信を持った。
しかしうまくいく話ばかりではない。田口は「自分は澤井から保住を預かっている」と言った。
澤井が他人を信頼し、そして保住をその男に託すなんてことは思ってもみなかったので、正直に言うと動揺していたのだ。
だがここまで来て止めるというわけにもいかず、槇は保住と田口を連れて目的の場所へと足を運んだ。
選んだ会合の場は、安田の政治活動で利用する料亭だ。
自分のテリトリーに相手を連れ込んで、一気に畳みかけるという作戦なのだが……。
終始、野原の疑いの雰囲気を無視しながら、槇は主導権を握って話を進めた。
「我々は君の才能を買っているのだ。澤井は気に食わないが、君は助けたい。どうだ?我々と手を組まないか。澤井を失脚させるには君の協力が不可欠だと思っている。詳しく説明しなくても、君ならこの意味がわかるだろう?」
「失敗しろと――?」
槇の目の前にいる不機嫌そうな男は、眉間シワを寄せて「不快」な感情を露わにしてきた。
主語を述べなくても、話しの内容を理解する保住はやはり切れる。面倒な手間が省けて楽な反面、裏の裏までかかれそうで用心しなければならないと心を戒めた。
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