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交響曲第一番変イ長調 Op.55
第9話 自分のいる場所
しおりを挟む蒼が目を見張ったのは、みんなが真面目に仕事している最中なのに、大福を食べている職員を発見したからだ。尾形と一緒だと思った。
しかも尾形どころではない。堂々と……だ。みんなが忙しそうなのに、彼だけ時間の経過が違っているようだ。そのうち、女性職員が彼の元にやってきて「ああだこうだ」となにやら話をしているが、我関せずの様子だ。
「はあ」
感嘆の声を上げそうになって、両手で口元を塞ぐ。そんなことを一人で右往左往してやっていると要件は済んだのか、最後に自分を紹介してくれるらしかった。
「蒼」
「は、はい」
蒼は慌てて吉田に視線を戻した。
「渡辺係長、うちに入った新人の熊谷蒼です。今後、なにかとお世話になるだろうからよろしくお願いしますと課長からです」
「新人さんね。よろしく。おれは振興係長の渡辺です。なんて偉そうにしているけど、おれも四月からでなにもわからないんだよね。水野谷課長さんには大変お世話になっています。そして、こっちが今年、星音堂担当になる十文字です」
先ほどのお洒落な十文字が蒼を見た。
「えっと、十文字です。おれも星音堂の担当は、今年が初めてだからよろしくね」
「よ、よろしくお願いいたします」
蒼はぺこーっと頭を下げた。
「じゃあ、これで失礼いたします」
吉田が頭を下げたので、蒼は再びつられて頭を下げた。
二人は廊下に出て来た道を引き返した。
「これが本庁ね」
「すごいところですね。人がたくさんいました」
蒼の感想に吉田は笑う。
「東京見物に来た田舎者かよ~……。市役所職員は全部で二千人だからね。そりゃいるさ。人はね」
「すごいですね。星音堂でよかったのかも」
「おいおい。星音堂だって厳しいんだからな」
吉田はそう笑うけど、そんなことはない。本庁とは違ってゆったりと流れている時間は、蒼にとったらちょうどいい空間だ。こうしてみると、自分にはちょうどよい部署だったのだろうと思われた。
「でも、次の異動で本庁になったら怖いです」
「え? ないよ」
「へ?」
吉田の答えに、蒼は目を瞬かせた。
「ど、どういう……?」
「だから。星音堂に配属されると、しばらくはそこだから。異動なんて考えなくて大丈夫だよ」
蒼には吉田の言葉の意味がわからない。しかし彼はすでに違うものに興味が向いているようだ。
「売店寄ってく?」
「売店、ですか」
「ゆずりんグッズ売ってるんだよ。可愛いんだよね」
「ゆずりん……」
『ゆずりん』とは梅沢市のゆるキャラである。顔が柚子で出来ていて、うさぎの耳が生えている二頭身キャラだ——と思い出してから吉田を見ると、彼はすでに走り出していた。
「吉田さん!」
吉田の後を蒼は必死に着いていった。 吉田は人の好い男であるが、マイペースである。たまに着いていけないことがあった。
「そう言えば、尾形さんみたいに大福食べている人いました。本庁でもそんな人いるんですね」
「え~。そんな人いないよ。だって本庁だもの」
——え、じゃあ……あれは見間違いだったのだろうか?
蒼は首を傾げながら、吉田と一緒に売店に足を踏み入れた。
***
蒼が吉田と一緒に星音堂に帰ると、事務室が騒然としていた。
「どうしたんですか」
吉田の問いに、高田が難しい顔をして答えた。
「ダブルブッキングだってよ」
「ダブル、ブッキング?」
蒼がそう声を上げると、彼は説明を加えた。
「大ホールの予約、重複して入っていたんだって」
そんなことがあるのだろうかと思ってしまうが、なにせ人間が管理しているものだ。 施設の予約はパソコン上のサーバーに保存されているエクセル台帳管理となっている。こういう事態にならないように、一元化しているのだが。どこをどう間違ったのか。高田が持っている書類を覗くと、二ヶ月後の予定が重複しているようだった。
星音堂では毎月、施設で開催されるイベントをチラシにして発行している。チラシの作成者は吉田か尾形。星野曰く、新人の仕事だ。チラシ作りを行うことで、大概のホール利用団体の動向が把握できるからだ。七月になったら蒼もやるんだぞと、星野に言われていたばかりだったのだが……。
八月分のチラシ担当の尾形が確認をしていたところ重複予約が発覚したようだ。
「参ったな~」
頭を掻く氏家。見ると課長席は空席だ。水野谷がいないのだ。彼が不在の場合は責任者は氏家ということになる。そのおかげで彼は戸惑っているようだった。
「課長は?」
吉田の問いに氏家が答えた。
「ちょっと外勤なんだよ。もうすぐ帰って来るけど……大目玉だよな」
「受付したのは尾形と高田さんだろう? ちょっと、ちゃんと確認してもらわないと」
人のせいにしても仕方がないことだが、氏家は戸惑っていて、つい二人に責任を押し付けたがっていることがよくわかる。
問題が発生した時、人の性格がよく出るものだと蒼は思った。すでに尾形と高田は「おれは悪くない」的な雰囲気で責任を押し付けあっている。
「だって。エクセルっていうのが悪いですよ。たまたま、時間差で申し込みあって……高田さんは、いつもすぐに保存しないから、おれが開いた時には、まだ空欄だったんですからね」
確かに尾形の言い分は最もだ。
予約管理はシステムを導入しているわけでもなく、職員のエクセル管理である。自動保存機能があるわけではないので、手動での保存操作がなされなければそのデータが反映されるわけがないのだ。
しかし高田も黙ってはいなかった。
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