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独奏ヴァイオリンのための組曲 Op.123 Ⅳ chaconne
第7話 養ってください
しおりを挟む台風は朝方には通り過ぎた。一晩中窓ガラス戸を叩いていた雨風のおかげでよく眠れなかった。いや。慣れない場所での夜がそうさせたのだろうか。関口の家には居間の他に部屋が三間ある。
玄関を入ってすぐ右手は関口の練習部屋だそうだ。祖父母も音楽をやっていたらしく、そこは防音室に改築されいるため、窓がない密閉された空間になっているようだった。
その防音室の次が二間続きの和室。一つは居間。その奥は仏壇などが置いてある部屋だ。関口はそこで寝起きをしているようだった。
玄関からまっすぐに伸びた廊下を突き当りまでいくと、それは右手に折れている。建物自体がエル字型なのだ。どの部屋も庭に面している作り。蒼はその一番奥の部屋で一晩を過ごした。そこはなにもない和室だった。関口の祖父母のものらしき荷物が段ボールに入れられていくつか重ねられている、いわゆる物置部屋のような場所だった。
目を擦りながら重い頭を抱えて居間に顔を出すと、味噌汁のいい匂いがした。
「おはよう。よく眠れ——なかったようだな」
関口は蒼の様子を見て苦笑いを見せた。
「ごめん。朝ごはんまで」
「僕も食べるものだから気にする必要はないよ。それに、まさか人を泊めるなんて想定外だったから、大したものはないよ」
「ううん。美味しそうじゃない」
ごはんと、わかめと豆腐の味噌汁、ハムエッグの脇にはトマトが並んでいる。昆布の佃煮も置いてあった。
「これ美味しいんだよ。北海道からお取り寄せで」
「え?」
「なに?」
「お取り寄せなんてするの? 関口が?」
蒼の言葉の意味を理解したのか、関口は顔を赤くした。
「あのねえ。僕だって美味しいものを取り寄せたりするんだけど」
「え~。なんか生活感ない人なのに、変なの」
蒼は冗談を言っているものの、内心は嬉しい。正直に言うと人との食事は久しぶりだ。確かに星野たちと外食をすることはある。だが手作りの朝食を食べるのは久しぶりだった。
熊谷の家は母親の海が入院してしまうと男ばかり残された。そのおかげで父親が頼んでおいた家政婦協会の人が来ては食事の準備や身の回りのことをしてくれた。とてもいい人たちだったことには違いないが、彼女たちは仕事としてそれをこなしていることくらい、子どもの蒼にも理解できた。
「いただきます」
箸を持って挨拶をしてから食事を始めると、目の前に座っていた関口は「あのさ」と声を上げた。
「昨晩の話」
「コンクールのこと? え? もしかして気が変わっちゃった? 出ない?」
蒼は不安になる。ふと息を吸うとなにかが喉に突っかかるような感触に息を潜めた。一度出始めたら止まらないのだ。咳が——。じっと堪えていると、関口は気が付いていないようで話を続けた。
「コンクールはコンクールなんだけどさ。もしコンクールに本当に出るとなると、もう期間が差し迫っていて、本気で準備していかないと間に合わないんだよ」
少し落ち着いた喉の調子を確かめるように、蒼はそっと声を出す。
「関口が遅いから悪いんでしょう?」
「それはそうだけどね」
「でも。そんなことは言っていられないもんね。ねえ、関口」
蒼は箸を置いてから彼を見据える。
「おれが言い出したことでもあるし。なんでもするよ。関口がベストな状態でコンクールに臨めるように、できることはなんでも手伝うね」
彼は蒼の言葉を聞いて、それから「じゃあ」と切り出した。
「多分、準備期間中はそれの練習に専念したい。東京のオケはどうせ下っ端だしね。休めると思う。市民オケは今度の定期演奏会さえ終われば、あとは少し融通してくれると思うんだ。柴田先生が」
「うん」
「で、ヴァイオリン協会も講師が何人かいて、それぞれで都合つけてやっているところもあるから、抜けても大丈夫だと思う」
「じゃあ、いいじゃないの」
「ただね。問題が一つ」
関口はそういうと蒼に頭を下げた。
「ごめん! 蒼。僕を養ってください!」
「は!? はあ!?」
蒼は大きな声を出したおかげでむせりそうになり、慌てて口元を押さえた。
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