58 / 94
独奏ヴァイオリンのための組曲 Op.123 Ⅳ chaconne
第6話 決心
しおりを挟む「ありがとう」
「——え?」
驚いて顔を上げる。関口は蒼をじっと見ていた。その表情は怒ってもいない、落胆でもない。なんだかどことなしか嬉しそうに微笑を浮かべていた。
「あの。えっと。ごめん。僕も言葉にできないや」
「へ? え? そ、それはおれのセリフ」
「いやいや。それ、僕のセリフ」
なんだか意味がわからないのに、お互いが「言葉にできない」って。結局、相手がどう思っているのかなんてさっぱりわからないだけ。ただ、自分の覚えた思いを胸に戸惑っているだけなのだ。
人間とはどうしようもできないと笑ってごまかすらしい。蒼はぷっと吹き出す。関口も釣られて笑みを見せた。
「ごめん。意味わかんない」
「僕もだ」
なにがなんだかわからないのに、二人はただ笑い合うだけだった。
「ねえ! 関口」
「な、なに?」
蒼は関口の元に歩み寄ると、関口の腕を掴んだ。
「ねえ、コンクール出よう!」
「え?」
「うん。出たほうがいいよ! ねえ、絶対に出よう! おれ、応援するから!」
「でも」
『出ない』とは言わせたくない。蒼は関口を見上げた。必死だった。
——どうか、お願い!
「——わかったよ」
「本当?」
「僕もそろそろ限界だったんだ。もう二十二だ。ヴァイオリニストとしては遅すぎるくらいなんだ。続けるか辞めるか、決めなくてはいけないんだ」
彼はそう言うと愉快そうに笑った。
「まさかね。初対面でイライラさせられた蒼に、背中押されちゃうなんて。本当に変なの。おかしい」
「なに? だって。関口だっておれの背中押してくれたでしょう? 本当に感謝しているんだよ? でもね。そのお礼とかじゃないんだ。おれはその。純粋にね。関口の演奏にぐらぐらさせられて、それで、ドキドキして。それでそれで、もう体じゅうがモヤモヤとしちゃって……」
「ねえなにそれ。意味わかんないし。っていうか興奮したってこと?」
関口の言葉に蒼は顔を真っ赤にした。
「ち、違う!」
「へえ。性的な興奮と音楽を聴いて得る興奮って似ているんだよ? 蒼」
関口の指摘に蒼は耳まで真っ赤になる。
「せ、関口って変態——」
「変態って。あのねえ。いい年の男だろう。ねえ、恥ずかしいの? そういうの。蒼って初心なんだね」
「お、おれだって。彼女くらいいたことあるし……」
自慢できるほどの女性遍歴はない。声が小さくなる蒼を見て、関口は笑ってばかりだ。
——どうせ、関口みたいに王子様キャラじゃないし。バカにして!
いつもは冷静で聡明な関口の視線はどことなしか熱を帯びているように見えて、心臓が口から飛び出しそうなくらい拍動を早めている。なんとかそれをごまかそうと、蒼は自分でもびっくりするくらい大きな声を上げた。
「——と、ともかくね! 関口の音楽はすごいってこと!」
興奮してなにを言っているのかわらかなくなった。肩で息を吐く。少し喉が痛い。喘息が悪さをし始めているのかも知れない。
「なんだかよくわからないけど。嬉しいもんだね」
「そう?」
「そうだね。どんなに言葉を並べて評価されるよりもなによりも。蒼のその、ド・ストレートな感想って、すっごく嬉しいかも」
「本当!? へへ。おれもよかった」
とりあえず笑ってはみるけれど、正直言うと蒼にはどのくらい関口が嬉しいのかは推し量れないものだ。だが……。二人で視線を合わせて笑い合っているこの時間は、きっと大切なものに感じられたのは間違いがなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる