地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした。

雪うさこ

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交響曲第9番  d moll Op.125

第5話 秘めたる思い

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「お前よお。本当に

 カウンターの席に座ると、ウイスキーを飲んでいる野木という男が関口の肩をバシバシ叩いてきた。 

「悪かったですね。いつまでも上達しないで」 

 嫌味に返してやるが、野木はさほど気にしないのだろう。「がはは」と嬉しそうに笑った。 

「だってよ~。本当に下手じゃん? なにそれ? 学芸会ですか?」 

「野木さん」 

 バー・ラプソディに通うようになって二週間以上が経過した。もう彼からの罵声も慣れたものだ。 

 野木はこの店の一番古株の常連客らしく、こうして連日のように同じ場所に座っている。関口は目の前のビールを口にした。 

「まったく。野木さんは一体どんな演奏したら『いいね~』って言ってくれるんですか?」 

「さてな。こう、ぐっとくるやつを頼むぜ。パンチのきいたよう」 

「それがよくわからないんですよ」 

 カウンターの中にいる桜はにやにやと口元を緩めているばかり。 

「桜さん、本気で僕の教育してくれるんですか? 本当に柴田先生から頼まれているんですよね?」 

「ああ、そうだよ」 

「じゃあ——」 

「あのねえ」 

 彼女は関口の目の前に人差し指を突き出して言い放った。 

「まだまだ教えるレベルじゃないんだよ。この下手クソ野郎」

「ひ、ひどいですよ。本当に。ねえ、ここにいると僕の人格なんて、これっぽっちも尊重されませんよね? 人格否定されているみたいで傷つきますよ」 

「傷ついているくせに毎晩来るんだ。おまえも相当な変わり者だよな~」 

 野木はけらけらと笑った。 

 ——くそ。ちっとも本戦のバッハが弾けないじゃないか。 

 ここで依頼される曲は正直に言うと舞曲系ばかり。ノリのいい曲が好みらしい。アイリッシュ音楽ばかり弾かされて、もう辛くなってきた。 

 それになにより。関口にとって辛いのはあおと会話をする時間すらないということ。お互い信頼しあっているから問題ないと言えば問題ないのだが。 

「くそ。薬切れみたいな状態だ」 

 そう呟いた瞬間、フロアからまたリクエストの声が飛ぶ。ちっとも休まる暇もない。 

「ほれほれ。頑張れよ~」 

 ひらひらと手を振る野木を憎々し気に睨みつけてながら、関口はヴァイオリンを手にフロアに戻った。 

 
***


「頑張るねえ。おぼっちゃまは」 

 野木は頬杖を突いてフロアに視線をやる。常連客の親父たちにからかわれながら演奏をする関口は不憫にさえ思えた。

「大丈夫だろう? ——の息子だ」

「桜。ねえ。だから引き取ったの?」 

 野木はいつになく真面目な顔をして桜を見ていた。彼女の中にある思いは消えてはいないのだ。黒目がちの虹彩に宿る昔の思いを感じ取った野木は不安げに彼女を見つめた。 

「バカじゃないの。あんた——。昔の話はするなよ。いくらあんたでも殴るよ?」 

「はいはい」 

 ぷいっと踵を返す桜を見送ってから、野木は軽くため息を吐く。ウイスキーの水面に映る自分は疲れ切った中年男子だ。 
 なんの取り柄もない。そうただのしがないサラリーマン。

「こんな男じゃ、ざまないよな……」 


***

 

 ——プレゼントか。 

 蒼は布団にごろりとしていた。今日も関口は帰宅が午前様になるであろう。昼間のクリスマスの話題のおかげで、なんだかそのことが頭から離れなかった。 

「プレゼントってどんなの欲しいんだろう」 

 自分も二十代男性であるが、好みはかなり偏っている。蒼だったら、最近改訂版が出た辞書をもらったら嬉しい。だが関口はそうではない。身だしなみに無頓着な男ではない。人並におしゃれなものが好きなのではないかと思うと、プレゼントを迷ってしまうものだ。 

 彼が自分へのプレゼントを用意している可能性は限りなくゼロに近い。しかし、もし……もしも仮にも用意していたとしたら——お返しがないのは情けない。そう高いものでなくてもいいので、なにか用意をしておこうと思った。 

 そして、彼が万が一プレゼントを用意していなければ自分で使えるものにすればいいと思ったのだ。 

 蒼はスマホを開いて『二十代男性へのクリスマスプレゼント』と検索ワードに入れてみた。すると出てくるタイトルは『彼氏へのプレゼント』ばかり。 

「おいおい。彼氏ってなんだよ……」 

 気恥ずかしい。友達同士ではプレゼント交換なんてしないものだろうか? 

 昔、小学校の頃、一人百円までという制約がついてプレゼント交換をしたことを思い出す。あの時もどうしたらいいかわからなくて、結局家政婦さんになにか買ってもらったことを思い出した。 

 もともと、人にプレゼントをしたことがない人生だ。今年は母親が実家に戻っているので、なにかプレゼントしないと。そう思っている矢先のことだった。 

 クリスマスまでそう日数もない。明日は平日の休みだから、街にでもて出て調達しなくては。そう思ったのだ。 

 仕方なしに彼氏へのプレゼントランキングを開いてみる。 

「ええ~……、これはないよねえ」 

 一位はアクセサリーだ。それはそうだろう。彼女からのプレゼントと言ったら肌身離さずのものになるに違いない。——まあ、蒼にとったら、そんなプレゼントはもらったこともないから、あくまで妄想の世界だが。 

「時計に財布かあ。おれの予算じゃ、ちょっとなあ」 

 画面をスクロールしてみていくとマフラーが出てくる。 

 ——マフラーか。関口はおしゃれだから色々持っているみたいだけど。もう一つくらい仲間に入るのがあってもいいのかな。 

 自分は一本しかないが、彼は日替わりのようにマフラーを代えている気がする。そうすると、少しくらい趣味に合わなくても別のもので代替えが利くし、逃げの口実にもなる。 

「よし。これにしよう」 

 ほっとしたら、咳が出た。 

 ——この時期はひどい。 

 台風からずっと、喘息は不安定。 

 ——明日、通院も行ってこよう。 

 吸入薬を吸う機会は確実に増えている。震える手を抑えるように両手で握りこんでから布団にもう一度潜る。 

 夜一人で起きているのはいいことがない。早く眠るのだ。そうすればまた朝が来る。そんなことを言い聞かせながら蒼は目を閉じた。 





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