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2章
Happy birthday3
しおりを挟む「……ディーネ、寝ようか?」
アレスがついっとディーネの髪に指を滑らせた。
指先にくるくると巻いて弄び、軽く唇に押し当てる。
ディーネが首を傾げると、くっと腰にまわしている手に力が入ったが、でもすぐに優しく添えているだけに戻る。香水の香りを確かめているのかうなじの匂いを嗅いで、手首を羽のように優しく撫でた。
どことなく不安げに目を覗き込まれたディーネは、ふわりと笑った。
「はい。でも私、嬉しくてすっかり目が冴えてしまいました。父に近況のご報告とお礼の文を書いてから休みますから、アレス様は先に休んでいてくださいね」
便箋にこの香りを少し移してお父様にも送ってあげようかしら、とかそんなことを考えていたディーネが意気揚々と答えると、妻の唇に指を滑らせていた夫は苦笑いで肩を落とした。
「そうか。体に障らない程度にしておけよ」
「はい」
ディーネは夫の微妙な反応に首を傾げたが彼はなんでもないと首を振るので、いそいそと額縁を箱にしまって手紙と香水瓶を抱きしめてベッドを降りる。
アレスはその様を複雑な表情で見守っていた。
「…………ディーネ」
「はい?」
ベッドから足を下ろした時、アレスに呼び止められて振り返る。
留められたけれど、彼は言葉選びに迷っているかのようにしばらく言葉を継がなかった。
「あ、ごめんなさい。アレス様にお礼を言うのが先ですよね。ありがとうございました」
彼が言い淀む理由を探すとまだお礼を言っていなかったことに思い当たり、慌てて深く頭を下げると、彼はさらに失笑した。
「いや、大したものじゃないから、礼はいらないんだが……」
迂闊だった。こんな言い方では、ついでのように聞こえてしまったのかもしれない。
こんなに溢れるほどの喜びをくれたのはアレスだというのに。
どうしたらこの気持ちを伝えられるだろうかとディーネがぐるぐる思案していると、空気がぴりりと張りつめた。
「……答えたくないなら別にかまわないんだが、ひとつ尋ねてもいいか?」
浮かれていて空気を読めていなかったことに気付いたディーネは慌てて気をしきしめた。
なんだか嫌な予感がしてすぐには返事ができず、そっと何度か深呼吸をしてバクバクと煩い心臓を宥め賺すかす。
「はい、なんでしょうか?」
答えたくないなら答えなくてもいいという前置きを反芻し、ゆっくりと息を整えて返事を絞り出す。
緊張が伝わってしまったのか、彼は迷うように手を離して目をそらした。
「私も人のことを言えた義理ではないんだが……その、友人はいないのか? 誕生日もだが、結婚式の祝いも公爵からだけだったし、日頃から親交のある相手もいない様子だ」
下手な答えができない質問だった。
なんと答えればいいのか困ってしまい押し黙ると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「嫌なことに触れたならすまない。何も答えなくてもいいんだ。ただ、私と違って愛想も人当たりもいいのに不思議だと思っただけだから」
腫れ物にさわるようないたわりの言葉が、胸に刺さった。でも、これなら言い訳は用意してある。
「療養で国内をあちこち旅をしていましたので、なかなか友人と呼べる関係を築く時間がなかったんです」
用意してあったのにドキドキしてしまってぎこちない言い訳をすると、彼は小さく「そうか」とだけ呟いた。
納得ではなくただの相づちというような返事だったし、口に出すべきか迷うような空気がしたので、いったい何を迷っているのだろうかと彼の顔色を伺う。
「…………アレス様?」
目が合うと彼は苦笑いを浮かべたが、うやむやに笑ってごまかそうとしているように見えた。アレスが歯切れ悪い言い方をするのは珍しい。
そして数秒の沈黙の後、彼はいかにも億劫そうに溜息をついた。
「来週、この周辺の領主が集まって会議が開かれるんだが、父の代理で私が出席することになっている」
「ええ、その話なら伺っております。3日ほど不在になさるのでしょう?」
一人で寝るのが寂しいからアベルを寝室に入れてもいいだろうかと許可を願ったらものすごく渋い顔をして許可してくれたのだから、彼も一度話をしたのは覚えているはずだけれど。
先が見えなくてただ首を傾げていると、気遣わしげな視線がちらりと投げかけられた。
「ああ。それでその会議の間、夫人達がお茶会を開くんだそうだ。貴女もここでの暮らしにも慣れた頃だし、一緒に行って彼女らと顔見知りになっておいてもいいんじゃないかと父が言ってきているんだが……」
ようやく、合点がいった。
そうだった。この人が歯切れ悪い時というのは、気を遣ってくれている時なのだ。相変わらずの不器用な優しさに、思わず頬が緩む。
「でしたら、ご一緒させていただきます」
「……無理をすることはない。嫌なら体調が悪いとか理由をつけて断ってもかまわない」
「いいえ、行きます」
念を押されたが実際には断るわけにいかないだろう。
本来領主一族の妻ならば、子を成して一族の存続を守る他に、色々な舞踏会やお茶会に出て夫の仕事がしやすいような円滑な人間関係を構築してサポートするのが当たり前で、夫人達の付き合いが家名に障ることだってあるのだ。
けれどもディーネはこの半年間、そのどちらも全くしていない。
そもそも彼もそういったところに顔を出そうとしないのをいいことに、体調を理由にそれとなく断り続けてきていた。
「私はアレス様の妻ですから」
口に出すと気恥ずかしくて身を捩りたくなるのだけれど、今はせめてそのくらいの務めは果たさなければと決意を胸に秘めて押しとどめる。
「……妻、か」
彼も面映ゆそうにはにかみ、ディーネの頭を抱え込むようにして抱きしめた。
「リベーテ子爵家アレスの妻、ディーネ?」
そっと囁くように呼ばれ、結局恥ずかしくて顔をあげることができなくなってしまった。彼はなんだか少し意地の悪い笑みでそれを笑っていた。
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