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2章
憂鬱なお茶会1
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リベーテ家の居城から馬車で丸一日かかるヴィルメール伯爵の別邸で件の会議は開かれていた。
お茶会の席はその別邸の中でも見事なバラが咲き誇るサンルームに設けられていて、バラの絡むアーチの奥の庭からはすでに婦人達の談笑が聞こえてくる。
さすがにアベルをお茶会に同伴させる許可は出ず、彼は居城に留守番をしている。しかしディーネがこの五年半の間でアベルを丸一日以上そばに置かなかった日はなく、あの子がいないというだけで無性に心細かった。
それを察してくれたのかアレスは無言でずっとディーネの傍にいてくれて、その気遣いがくすぐったかった。けれど、会議の間に催されるこのお茶会だけはどうあってもディーネがひとりで頑張らなければならなかった。
「では、またあとで」
アレスはバラで彩られたアーチの前まで送り届けてくれて、緊張しているディーネの額に軽い口づけを落とした。
「……はい」
袖を引っ張って引き留めたいのを必死に堪えると、アレスは迷い無く踵を返し、煉瓦敷きの小道をかつかつと叩く小気味のいい足音が容赦なく遠ざかっていく。
ディーネは額に手を添えて後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、ようやく覚悟を決めてアーチの奥へと足を踏み入れる。
さっと集中する視線に耐えられそうになくて、瞳の色に合わせたラベンダー色のドレスをつまみ上げ、深々とお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。リベーテ子爵家アレスの妻、ディーネと申します」
誕生日の夜にアレスが呼んでくれた口上をなぞると、ほんの少し勇気づけられた。彼のためにも頑張らなければと自分に言い聞かせながら、ディーネはゆっくりと顔を上げた。
まず視界に飛び込んできたのは、純白のレースで編まれた繊細なクロスが敷かれた丸テーブル。テーブルの上には銀の皿にサンドイッチや様々なケーキやマフィンなどがぎっしりと3段に乗せられたアフタヌーンティーセット。青磁に優美な花柄と金縁のティーポットと揃いカップなどが並んでいる。
そしてもちろんテーブル脇にはチェアが、全部で5脚。そのうち4脚が既に埋まっていた。
「どうぞ。こちらにお掛けになって?」
「……ありがとうございます」
一人の貴婦人に残っている椅子を指定されると、メイドがその椅子を引いた。促されるままに腰掛けると、途端に右隣の女性が声をかけてくる。
「ディーネ様とアレス様はとても仲睦まじくいらっしゃっるのね」
額に視線が向けられ、さっきのキスを見られていたのだと気付くと顔が火照った。無言で俯いたが、今日は髪を結い上げているから頬が染まっているのは隠せそうにない。
「おしどり夫婦ってこういう夫婦を言うのねぇ」
「そうそう、見ていてほのぼのしてしまいますわ」
「うふふ、まだ新婚ですもの。みなさんもそんな時期があったでしょう?」
「そうだったかしら?」
「うちの人なんかは照れ屋だから……」
黙っていても話が自分から逸れていったことに、心の中で安堵の息をついた。
これも妻の務めと割り切らなければならないのだが、正直なところ、ディーネはこういう会合が怖かった。
舞踏会や晩餐会なども気が重いが、そういう人が多く行き交っている場はまだ良い。したくない話を振られても、なんとか誤魔化して逃げることができるから。
しかしこういった少数の女性だけの会合、その上普段から親しい女性達のお茶会ともなると往々にして様々な噂で満ちあふれ、そこに放り込まれた余所者は質問責めにされる上に逃げ場がないのが常だ。
グラ家の暗い噂の真相など問われようものならと思うと薄氷を踏む思いがする。
実際、こういう会合で呪いのことを詰問されて倒れたことが幾度もある。おかげで、呪いの噂と病弱という話に箔はつくのだけれど。
「あらごめんなさい。御挨拶がまだでしたわね。私はヴィルメール伯爵夫人ロレッタです。遠いところまで御足労いただいてありがとうございます」
最初に声をかけてくれた夫人がそう挨拶した。
見たところロレッタが一番年長のようで、歳の頃なら40代くらいだろうか。安心させようという心遣いなのだろう、母がいたらきっとこうなのだろうなと思うような優しさで語りかけてくれる。
ロレッタに倣って次々と隣の貴婦人が名乗っていく。フェン子爵夫人レイラ、グラハム男爵夫人ミラリアと名乗ったふたりに会釈しながら、名前と顔を頭に入れる。
しかし最後に残った、ディーネの左隣に座っている夫人は素知らぬ顔で紅茶をすすっていて、名乗ろうとしなかった。
どうしたらいいのかしらと、困惑してその貴婦人を見つめる。
歳は多分アレスと同じくらい、ハニーブロンドの巻き毛と凛とした顔立ちが印象的な、とても綺麗な人だった。
「……リズ」
「ランドハイア伯爵の妻でリズベットと申します」
ロレッタに窘められるように呼ばれた夫人はちらりと目を上げ短く名乗り、そしてティーカップをソーサーに戻すと、にこりとほほえみを乗せた。
「とても仲がよろしいのに、ご懐妊の報はまだお聞きしませんね」
そのほほえみが向けられた瞬間、ディーネは背筋に氷を落とされたような気がした。
「そうですわねぇ」
賛同を示す他の夫人達は純粋な相づちでしかないが、リズベットの態度には明らかな嫌悪が滲み、グラ家の呪いの噂の次に歓迎できない話題だと知っていて狙ったように思えた。
「こればかりは天からの授かりものですものね」
「……はい」
凍った背筋にあたたかな手をおき、優しく助け船を出してくれたロレッタに苦笑いで頷く。
「まだ半年ですもの、仲が良くても何年も授からない夫婦だっているわ」
ディーネへの慰めとリズベットへの叱責を兼ねているのだろう、優しさと厳しさが半々の言葉だった。ぴくりと眉を揺らしたリズベットが口を開こうとした時、ロレッタはぱちんと軽快な音を立てて両手を合わせた。
「あら、ごめんなさい。まだお茶も出していなくて。お茶を淹れるあいだにお菓子でも摘んでゆっくりしていてくださいな。お嫌いでなかったらマフィンが焼きたてでおすすめなのだけどいかが?」
「……はい、いただきます」
返事をする前から既にマフィンをひとつとジャムやクリームを次々と手際よくディーネの前に置いてくれるロレッタの朗らかさに、なんとか笑顔をつくる。
「今日の紅茶はね、アールグレイか……こちらは桃のフレッシュフルーツティーなの。とても香りがよいけれど、どちらがお好みかしら?」
「アールグレイを、いただきます」
砂糖は?レモンは?と次々と聞かれるのを上の空で答えながら、ディーネは何かあのリズベットという夫人の気に障るようなことでもしたのだろうかと思考を巡らせる。
(……初対面だし、心当たりはなにも……)
怖くて微妙に視線をそらしてしまうが、記憶の糸を辿ってみても面識はないはずだった。
「彼ったら普段はあんなに澄ましてるのに、あの時だけは情熱的よね」
考え事をしながらぼんやりと目の前のマフィンにクリームとラズベリーのジャムを塗っていると、唐突に耳元に囁かれてびくりと身が竦んだ。
「………え?」
一瞬、なにを言われたのか、理解できなかった。
(あの時って……)
理解しようとすればするほど、目の前が、頭の中が、真っ暗になっていく。
お茶会の席はその別邸の中でも見事なバラが咲き誇るサンルームに設けられていて、バラの絡むアーチの奥の庭からはすでに婦人達の談笑が聞こえてくる。
さすがにアベルをお茶会に同伴させる許可は出ず、彼は居城に留守番をしている。しかしディーネがこの五年半の間でアベルを丸一日以上そばに置かなかった日はなく、あの子がいないというだけで無性に心細かった。
それを察してくれたのかアレスは無言でずっとディーネの傍にいてくれて、その気遣いがくすぐったかった。けれど、会議の間に催されるこのお茶会だけはどうあってもディーネがひとりで頑張らなければならなかった。
「では、またあとで」
アレスはバラで彩られたアーチの前まで送り届けてくれて、緊張しているディーネの額に軽い口づけを落とした。
「……はい」
袖を引っ張って引き留めたいのを必死に堪えると、アレスは迷い無く踵を返し、煉瓦敷きの小道をかつかつと叩く小気味のいい足音が容赦なく遠ざかっていく。
ディーネは額に手を添えて後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、ようやく覚悟を決めてアーチの奥へと足を踏み入れる。
さっと集中する視線に耐えられそうになくて、瞳の色に合わせたラベンダー色のドレスをつまみ上げ、深々とお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。リベーテ子爵家アレスの妻、ディーネと申します」
誕生日の夜にアレスが呼んでくれた口上をなぞると、ほんの少し勇気づけられた。彼のためにも頑張らなければと自分に言い聞かせながら、ディーネはゆっくりと顔を上げた。
まず視界に飛び込んできたのは、純白のレースで編まれた繊細なクロスが敷かれた丸テーブル。テーブルの上には銀の皿にサンドイッチや様々なケーキやマフィンなどがぎっしりと3段に乗せられたアフタヌーンティーセット。青磁に優美な花柄と金縁のティーポットと揃いカップなどが並んでいる。
そしてもちろんテーブル脇にはチェアが、全部で5脚。そのうち4脚が既に埋まっていた。
「どうぞ。こちらにお掛けになって?」
「……ありがとうございます」
一人の貴婦人に残っている椅子を指定されると、メイドがその椅子を引いた。促されるままに腰掛けると、途端に右隣の女性が声をかけてくる。
「ディーネ様とアレス様はとても仲睦まじくいらっしゃっるのね」
額に視線が向けられ、さっきのキスを見られていたのだと気付くと顔が火照った。無言で俯いたが、今日は髪を結い上げているから頬が染まっているのは隠せそうにない。
「おしどり夫婦ってこういう夫婦を言うのねぇ」
「そうそう、見ていてほのぼのしてしまいますわ」
「うふふ、まだ新婚ですもの。みなさんもそんな時期があったでしょう?」
「そうだったかしら?」
「うちの人なんかは照れ屋だから……」
黙っていても話が自分から逸れていったことに、心の中で安堵の息をついた。
これも妻の務めと割り切らなければならないのだが、正直なところ、ディーネはこういう会合が怖かった。
舞踏会や晩餐会なども気が重いが、そういう人が多く行き交っている場はまだ良い。したくない話を振られても、なんとか誤魔化して逃げることができるから。
しかしこういった少数の女性だけの会合、その上普段から親しい女性達のお茶会ともなると往々にして様々な噂で満ちあふれ、そこに放り込まれた余所者は質問責めにされる上に逃げ場がないのが常だ。
グラ家の暗い噂の真相など問われようものならと思うと薄氷を踏む思いがする。
実際、こういう会合で呪いのことを詰問されて倒れたことが幾度もある。おかげで、呪いの噂と病弱という話に箔はつくのだけれど。
「あらごめんなさい。御挨拶がまだでしたわね。私はヴィルメール伯爵夫人ロレッタです。遠いところまで御足労いただいてありがとうございます」
最初に声をかけてくれた夫人がそう挨拶した。
見たところロレッタが一番年長のようで、歳の頃なら40代くらいだろうか。安心させようという心遣いなのだろう、母がいたらきっとこうなのだろうなと思うような優しさで語りかけてくれる。
ロレッタに倣って次々と隣の貴婦人が名乗っていく。フェン子爵夫人レイラ、グラハム男爵夫人ミラリアと名乗ったふたりに会釈しながら、名前と顔を頭に入れる。
しかし最後に残った、ディーネの左隣に座っている夫人は素知らぬ顔で紅茶をすすっていて、名乗ろうとしなかった。
どうしたらいいのかしらと、困惑してその貴婦人を見つめる。
歳は多分アレスと同じくらい、ハニーブロンドの巻き毛と凛とした顔立ちが印象的な、とても綺麗な人だった。
「……リズ」
「ランドハイア伯爵の妻でリズベットと申します」
ロレッタに窘められるように呼ばれた夫人はちらりと目を上げ短く名乗り、そしてティーカップをソーサーに戻すと、にこりとほほえみを乗せた。
「とても仲がよろしいのに、ご懐妊の報はまだお聞きしませんね」
そのほほえみが向けられた瞬間、ディーネは背筋に氷を落とされたような気がした。
「そうですわねぇ」
賛同を示す他の夫人達は純粋な相づちでしかないが、リズベットの態度には明らかな嫌悪が滲み、グラ家の呪いの噂の次に歓迎できない話題だと知っていて狙ったように思えた。
「こればかりは天からの授かりものですものね」
「……はい」
凍った背筋にあたたかな手をおき、優しく助け船を出してくれたロレッタに苦笑いで頷く。
「まだ半年ですもの、仲が良くても何年も授からない夫婦だっているわ」
ディーネへの慰めとリズベットへの叱責を兼ねているのだろう、優しさと厳しさが半々の言葉だった。ぴくりと眉を揺らしたリズベットが口を開こうとした時、ロレッタはぱちんと軽快な音を立てて両手を合わせた。
「あら、ごめんなさい。まだお茶も出していなくて。お茶を淹れるあいだにお菓子でも摘んでゆっくりしていてくださいな。お嫌いでなかったらマフィンが焼きたてでおすすめなのだけどいかが?」
「……はい、いただきます」
返事をする前から既にマフィンをひとつとジャムやクリームを次々と手際よくディーネの前に置いてくれるロレッタの朗らかさに、なんとか笑顔をつくる。
「今日の紅茶はね、アールグレイか……こちらは桃のフレッシュフルーツティーなの。とても香りがよいけれど、どちらがお好みかしら?」
「アールグレイを、いただきます」
砂糖は?レモンは?と次々と聞かれるのを上の空で答えながら、ディーネは何かあのリズベットという夫人の気に障るようなことでもしたのだろうかと思考を巡らせる。
(……初対面だし、心当たりはなにも……)
怖くて微妙に視線をそらしてしまうが、記憶の糸を辿ってみても面識はないはずだった。
「彼ったら普段はあんなに澄ましてるのに、あの時だけは情熱的よね」
考え事をしながらぼんやりと目の前のマフィンにクリームとラズベリーのジャムを塗っていると、唐突に耳元に囁かれてびくりと身が竦んだ。
「………え?」
一瞬、なにを言われたのか、理解できなかった。
(あの時って……)
理解しようとすればするほど、目の前が、頭の中が、真っ暗になっていく。
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