【小説版】妖精の湖

葵生りん

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2章

夢幻泡影5☆

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 背中に添えられていた手のひらがぐっと強く押し当てられて、互いの身体が密着する。

「……ディーネ、意味がわかって言っているのか?」

 迷い、張りつめた声が、耳の中に直接吹き込まれるようで、心臓が凍るような気分だった。思わず詰めてしまった息をゆっくりと吐き出しながら、改めて、心を決める。

「はい。初夜の続きをしてくださるのでしょう?」

 気恥ずかしくて小さな声で返事をすると、ぴくりと彼の指が震えた。
 静寂が降りた――と思った瞬間、唐突に唇を塞がれた。
 まるで飢えた狼に襲い掛かられたような錯覚がしてしまうほど激しいキスだった。

「んっ、ん、んぅ!」

 貪るようなキスに続けて、息をつく隙も与えてくれずに熱い舌が入り込んできて、意識が朦朧とするほど激しく口内を蹂躙される。
 この半年ずっと、軽く触れるだけの挨拶のような口づけしか交わさなかったことが、嘘のように。

「はぁっ……あ、あぁっ!」

 ようやく唇を解放されて息を継いだ瞬間、今度は首筋に噛みつくように吸いついてきて、思わず悲鳴が漏れた。

 意識がふわりと歪むのは、アレスの呼気に含まれる強い酒気にあてられたのか、それとも息をつく隙も与えてくれない深い口づけのせいなのか、よく、わからない……。

「……あ…ふ、…………っ!?」

 ふわふわとした心地に酔っていると、唐突にふわりと身体が浮いた。
 膝の裏と背中に腕を回して抱き上げられていて、きょろりと見回す間に景色は流れる。向かうのは、当然――。

 怖々と見上げたアレスの表情はピリリと張りつめていた。
 思わず縋るように探したアベルはアレスの足下をついてきていたが、寝室への扉の前までくると立ち止まり、迷うようにウロウロと歩き回った。

(アベルの迷いは、私の迷いだ)

 ぎゅっと胸の前で拳を握り、アベルに「そこで待ってて」と目配せで指示する。
 耳と尻尾をしょぼんと垂れさせたのを誤魔化すようにその場に伏せるアベルの姿を、閉じゆく扉が遮る。
 続いてカチャリと静かに鍵のかかる音が薄闇に落ちる。

 空気とともに身が引き締まる思いがして、ますます強く両手を握った。







 アレスはディーネをベッドに運びおろすと、枕元のチェストの上に常備されている水差しとグラスを手にとり並々と注ぎ、一息に飲み干した。
 深呼吸のように肩を揺らして大きく息を吐くと、下ろされたまま動けないでいるディーネに再び深い口付けを求めた。
 呼気からは酒気が幾分和らぎ、絡める舌や唾液からはほのかにレモン水の味がした。

「……ディーネ……」

 彼は呻くように囁く。
 潤んでいるように見える熱視線に、心臓が飛び跳ねる。
 なにか言おうと思ったけれど全身にぞくぞくする感覚が駆けめぐってうまく言葉にならなかった。
 高熱に浮かされたような、あるいは夢でも見ているようなうっとりとした甘い掠れ声が、熱い吐息が、妻の名を呼んで肌をくすぐる。
 熱い両手のひらが素肌の胸を包み込み――いつのまにかネグリジェどころか下着まで脱がされていることに気づく。
 舌が首筋から胸に滑っていき、てのひら全体で揉みしだき、唇がとがりを吸い上げる。胸の谷間に痛みが走るほど強く吸いついて、赤い痣のような痕を残す。

「ようやくだ」

 彼はその痣を見つめ、呻くように呟いた。

「ようやく、あなたを名実ともに私の妻にできる」

 胸元から見上げてくる情熱的な熱視線に、心臓が飛び跳ねた。

「アレス様……あ、……んっ」

 なにか言おうと思ったけれど、言葉など要らないと言わんばかりに激しい愛撫が繰り返されて、全身にぞくぞくする感覚が走って言葉にならない。

「あぁ……かわいいディーネ……」

 高熱に浮かされたような、あるいは夢でも見ているようなうっとりとした甘い声が、熱い吐息が、肌をくすぐった。
 アレス様もかわいい、なんて思ってしまった。
 いつも澄まし顔で、淡々としていて、走り回ったりもしなくて、息を乱すなんて珍しいのに。今は妻の名前を呼びながら息を乱し、愛撫に夢中になっているから。
 彼が触れるたび、名前を呼んでくれるたびに、体の奥の方ががじんわりと熱くなっていくのを感じた。

「ようやく捕まえた……私の妖精……」

 耳朶にやわらかく噛みついてきて、うっとりとした声が耳をくすぐる。じわじわと思考を痺れさせていくのを、気になる単語が引き留めた。

「………妖精……って……?」
「うん? あなた以外に誰がいる?」

 愛撫を中断した彼がものすごく当然のことのように聞き返すので、返事に窮した。

「泣くたびに涙に溶けて消えていくんじゃないかと不安になるくらい儚げで、そのくせによく泣く困った妖精だ」

 彼の指が目元から頬に滑って包み込み、そらさないまっすぐな視線で射抜かれた。かぁっと顔だけではなく全身が熱くなると、彼はくすっと笑みをこぼした。

「……もう、逃がさない」

 胸の谷間に顔を沈め、両腕をしっかりと背中に回して息苦しいほど強く抱きしめられる。

「………アレス様………」

 なんだか迷子の子供のように必死だったから、星空みたいな髪の中に指を滑り込ませる。
 逃げるわけではないけれどそう遠くない将来に別れの時がくるのだと思うと、罪悪感がちくりちくりと胸を刺した。

「あなたが望んでくださるのなら、私は死ぬまであなたの傍にいます……」

 きゅっと彼の頭を抱え込み、本当にそう望んでくれるといいのだけど、と心の中で呟く。

「ディーネ……」

 彼は深みのある掠れ声で私の名前を呟くと、再び深く口づけを求めた。

「…………う……、ふ……ぅ……」

 さっきまでの激情に任せた荒々しさではなく、ことさらゆっくりと口内を舐めあげられ、熱い吐息が絡み合い、頭に霞がかかったようにぼうっとしてくる。
 彼は気の済むまで何度も角度を変えては唇を合わせることを繰り返してから、ようやく解放するといたずらっぽく目を輝かせて笑った。

「あなたが人間か妖精か、確かめてみようか?」
「……確かめるって……、どう……やって……です?」

 唇は解放してもらえたけれども、彼の指が喉や首筋に滑るから心臓が暴れ狂っていて、切れ切れにしか声が出ない。

「ん……とりあえず、耳は尖ってないかとか背中に翅がないかとか、確認してみるか」
「ひゃうっ!」

 耳の裏を舐めあげられ、背中に回された手に肩胛骨のあたりを艶めかしく撫で回され、嬌声が口をつく。
 すると、くくっと小さく笑われて、からかわれたのだと思った。

「かっ……からかわないでください!」

 小さく喉の奥で笑われて、必死に抗議の声を上げた。
 アレスが妖精と呼ぶのは、口の達者な貴公子達が大事な人を「お姫様」とか「子猫ちゃん」と呼ぶのと同種なのだろうか?
 それは徹底して非社交的なアレスのイメージとはかけ離れているけれど――。


「……ディーネ」

 その、掠れた声。
 ぽつりと静かに呟いて、私の髪を一房手に取ると、唇を押しつける。まるで、その髪の一本一本まで愛しくて堪らないといわんばかりの視線。
 指先まで情熱が行き渡っているような熱い指が、気遣いながら触れる感触。

「………愛している」

 目眩を堪えるように目を閉じ、肩口で囁かれたその言葉に、心臓があまりにも強く脈を打って、胸が痛いほど。

「身も心も、あなたのすべてを奪いたい」

 アレス様がもう一度耳朶に噛みつき、熱い吐息とともにそんな言葉を耳の中に直接吹き込んでくるから、全身の血が沸騰してしまって、らしくないだなんて、そんな思考は空気に溶けて消えてしまった。


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