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第四話・企画部への初出社
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翌朝、本社の始業時間より少し早めに出社した私は、慣れない場所と慣れないスーツ姿に顔を強張らせていた。仕事というと自社ブランドの服を着るばかりだった私が、二日連続で他社製のスーツに袖を通すなんて就活の時以来だ。
二階の企画部の部屋を覗くと、壁面のスチール棚と床一杯の段ボールで埋め尽くされていた。中には見覚えのあるポスターなどの販促物があり、ここは広報も兼ねている部署なのだと一目で分かる。入り口近くにいた出社したばかりの男性に声を掛けると、一番奥のデスクでノートパソコンに向かっている三十代っぽい女性が上司だと言われ、挨拶をしに向かう。
「ああ、菊池さんだっけ? 小金井部長から聞いて一応席は作っておいたんだけど……」
企画部の課長だという古沢さんは、挨拶を終えると溜め息混じりに私をデスクへと案内してくれた。入り口近くのさっきの男性の真向いの席らしい。
古沢課長はキャリアウーマンを絵に描いたような雰囲気で、パンツスーツにアップした髪。私の存在を面倒だと思っているのが思いっきり顔に出ている。でも少しスーツが体型に合ってないな、この人ならもう少しワイド目のパンツの方が似合うのにとか思いつつ、私は得意の作り笑顔を浮かべながら礼を言う。
「もう聞いてると思うけど、星野専務が辞めて今後の企画の大半が流れてしまったから、ここは当面の間、その穴埋め業務がメインのつもりでいてくれる?」
「……はい」
「ああ、でも、あなたには社長直々に指示が出てるのよね? あとで他の子達に説明してあげて。うちだけじゃなく、デザイン部からも人を集めてもらわないといけないわね……」
古沢課長はまた深い溜め息を吐いて見せる。「しかし、あなたも間抜けよねぇ」と鼻で笑っているところを見ると、昨日会議室で起こったことは全て聞いているのだろう。
「ま、この先どうなるんだろうって皆で心配してたところだから、出来ることをやるしかないわよね」
星野専務の退任騒動は昨日の朝一に起こったことだと聞いている。まだショップの方には話は漏れていないみたいだけれど、本社はかなりパニック状態に陥っているようだった。
その後に出社してきた人達のほとんどが不安を隠せない暗い表情だったのは、この会社が『ジェスター』というブランド一本でやってきていたからだ。
「今季の商品はいいとして、来季からどうするんだろうな……残ってるデザイナーだけでやっていけるのか?」
「星野専務が独立した先で似たような物を発表したら……」
たった一晩であることないことが噂として回っているようで、互いに聞いた情報を確認し合っている。スターワイドは主要デザイナーである星野篤人に依存しすぎていたことが露呈してしまったようなもので、社内には早くも転職を考え始める者も出ているようだった。
私が企画部の人達を前に挨拶をしている間も、後ろの方ではヒソヒソと今後のことを話し合っている声が聞こえていた。このタイミングでは新人なんて歓迎していられないのも当然だ。けれど、割と真剣に聞いてくれている人の方が多いのは私が及川社長自らの指示で配属されたのを知っているからなのだろう。
——だからって、私に何ができるって言うんだろう……
あれは絶対に逆ギレに近い辞令でしかない。ショップでの販売経験のみの私が、本社の企画部でできることなんて何もない。古沢課長によって指名された二人と一緒に第三会議室へと移動しながら、私は手のひらに爪が食い込むほど両手をギュッと握りしめる。
昨夜、江藤店長からスマホに電話がかかってきた。閉店時間はとっくに過ぎていたけれどまだショップにいるという店長は時折鼻をすすっているのが分かった。ショッピングモールの明かりが落とされ、店の照明だけが点いた陸の孤島のような空間で一人残って電話している彼女の姿は簡単に想像できる。彼女の下で働いていた二年という年月を私はそこまで短いとは思っていない。
「さっき、真田さんから電話があってね、私が来月からマネージャーになるって話も、菊池さんの店長昇格も無しになったって……」
あんなに嬉しそうにしていたのを知っているから、私は「はい」という短い返事しかできなかった。
「なんかさ、本社がごたついてるからマネージャー職の増員はしばらくしないことになったんだって」
「はい」
「でもさ、なのになんで菊池さんが本社勤務になるわけ?」
「いや、私も何でだか……」
「ねえ、何かおかしくない? 本来、本社勤務になるのは私の方じゃないの? あなた、面談で何を言ったの? 私の評価が下がるようなこと、言ったんじゃないのっ⁉」
初めは静かな口調で話していたはずが、江藤店長の語気は徐々に大きく強くなっていった。昇格の話が二人同時に立ち消えるのなら納得できるのに、私の方は企画部への配属替えになったことが許せないのだ。どういう流れでこんなことになったのかまでは知らないらしく、店長は私が彼女の悪口を幹部に吹き込んだからだと考えているようだった。
「あの、私は何も……」
「私、菊池さんのこと結構評価してあげてたつもりだったけど、とんだ見当違いだったみたいねっ!」
ブチッと切られた通話に、私は言い訳する猶予も与えてはもらえなかった。
二階の企画部の部屋を覗くと、壁面のスチール棚と床一杯の段ボールで埋め尽くされていた。中には見覚えのあるポスターなどの販促物があり、ここは広報も兼ねている部署なのだと一目で分かる。入り口近くにいた出社したばかりの男性に声を掛けると、一番奥のデスクでノートパソコンに向かっている三十代っぽい女性が上司だと言われ、挨拶をしに向かう。
「ああ、菊池さんだっけ? 小金井部長から聞いて一応席は作っておいたんだけど……」
企画部の課長だという古沢さんは、挨拶を終えると溜め息混じりに私をデスクへと案内してくれた。入り口近くのさっきの男性の真向いの席らしい。
古沢課長はキャリアウーマンを絵に描いたような雰囲気で、パンツスーツにアップした髪。私の存在を面倒だと思っているのが思いっきり顔に出ている。でも少しスーツが体型に合ってないな、この人ならもう少しワイド目のパンツの方が似合うのにとか思いつつ、私は得意の作り笑顔を浮かべながら礼を言う。
「もう聞いてると思うけど、星野専務が辞めて今後の企画の大半が流れてしまったから、ここは当面の間、その穴埋め業務がメインのつもりでいてくれる?」
「……はい」
「ああ、でも、あなたには社長直々に指示が出てるのよね? あとで他の子達に説明してあげて。うちだけじゃなく、デザイン部からも人を集めてもらわないといけないわね……」
古沢課長はまた深い溜め息を吐いて見せる。「しかし、あなたも間抜けよねぇ」と鼻で笑っているところを見ると、昨日会議室で起こったことは全て聞いているのだろう。
「ま、この先どうなるんだろうって皆で心配してたところだから、出来ることをやるしかないわよね」
星野専務の退任騒動は昨日の朝一に起こったことだと聞いている。まだショップの方には話は漏れていないみたいだけれど、本社はかなりパニック状態に陥っているようだった。
その後に出社してきた人達のほとんどが不安を隠せない暗い表情だったのは、この会社が『ジェスター』というブランド一本でやってきていたからだ。
「今季の商品はいいとして、来季からどうするんだろうな……残ってるデザイナーだけでやっていけるのか?」
「星野専務が独立した先で似たような物を発表したら……」
たった一晩であることないことが噂として回っているようで、互いに聞いた情報を確認し合っている。スターワイドは主要デザイナーである星野篤人に依存しすぎていたことが露呈してしまったようなもので、社内には早くも転職を考え始める者も出ているようだった。
私が企画部の人達を前に挨拶をしている間も、後ろの方ではヒソヒソと今後のことを話し合っている声が聞こえていた。このタイミングでは新人なんて歓迎していられないのも当然だ。けれど、割と真剣に聞いてくれている人の方が多いのは私が及川社長自らの指示で配属されたのを知っているからなのだろう。
——だからって、私に何ができるって言うんだろう……
あれは絶対に逆ギレに近い辞令でしかない。ショップでの販売経験のみの私が、本社の企画部でできることなんて何もない。古沢課長によって指名された二人と一緒に第三会議室へと移動しながら、私は手のひらに爪が食い込むほど両手をギュッと握りしめる。
昨夜、江藤店長からスマホに電話がかかってきた。閉店時間はとっくに過ぎていたけれどまだショップにいるという店長は時折鼻をすすっているのが分かった。ショッピングモールの明かりが落とされ、店の照明だけが点いた陸の孤島のような空間で一人残って電話している彼女の姿は簡単に想像できる。彼女の下で働いていた二年という年月を私はそこまで短いとは思っていない。
「さっき、真田さんから電話があってね、私が来月からマネージャーになるって話も、菊池さんの店長昇格も無しになったって……」
あんなに嬉しそうにしていたのを知っているから、私は「はい」という短い返事しかできなかった。
「なんかさ、本社がごたついてるからマネージャー職の増員はしばらくしないことになったんだって」
「はい」
「でもさ、なのになんで菊池さんが本社勤務になるわけ?」
「いや、私も何でだか……」
「ねえ、何かおかしくない? 本来、本社勤務になるのは私の方じゃないの? あなた、面談で何を言ったの? 私の評価が下がるようなこと、言ったんじゃないのっ⁉」
初めは静かな口調で話していたはずが、江藤店長の語気は徐々に大きく強くなっていった。昇格の話が二人同時に立ち消えるのなら納得できるのに、私の方は企画部への配属替えになったことが許せないのだ。どういう流れでこんなことになったのかまでは知らないらしく、店長は私が彼女の悪口を幹部に吹き込んだからだと考えているようだった。
「あの、私は何も……」
「私、菊池さんのこと結構評価してあげてたつもりだったけど、とんだ見当違いだったみたいねっ!」
ブチッと切られた通話に、私は言い訳する猶予も与えてはもらえなかった。
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