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第十八話・出張
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社長自らが地方のフランチャイズ店を視察して回るなんてことは、私がスターワイドに入社してから一度も聞いたことはない。オープンに合わせて小金井部長がマネージャーと一緒に様子を見に行くことはあったみたいだけれど、忙しい及川社長が出向くことは考えられなかった。
でも、代表的デザイナーだった星野専務が退職したことで取引先の一部がスターワイドの行く先を不安視している可能性があり、その信頼回復の為には社長が動くしかない状況。専務がいなくなってからの及川社長への負担は私が思っていたよりもずっと大きいのかもしれない。
新幹線の座席でもノートパソコンから目を離さない社長の隣で、私は駅内のコンビニで購入してきたばかりの雑誌を膝の上で開く。すでにショップ勤務から離れて随分経つけれど、ファッション誌を毎月数冊ずつ購入するのは変わらない。SNSもチェックはしているが、紙面でゆっくりと文字を追いながら眺めるのが一番好きだ。
新作アイブローの特集記事のページをめくりながら、私は社長のパソコンの液晶をちらりと盗み見る。文字と数字だらけで記載された何かの報告書。それを眉間にしわを寄せた難しい表情になって見ている社長は細い黒縁の眼鏡をかけていた。いつもはコンタクトレンズを着用しているっぽいから、眼鏡バージョンの彼を目撃するのはこれで二度目だ。
――眼鏡だとさらに取っつきにくそうに見えるんだよね……
レンズ越しの眼が普段以上に人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。最近になってようやく社長に慣れたつもりでいたけれど、まだまだ仕事以外の会話をしていい空気じゃない。現地までこの無言を貫き通すつもりで私は雑誌のページに目を戻しかけたが、パソコンのモニターから視線を上げたばかりの社長と目が合ってしまい慌てた。
「どうかしたか?」
私がずっと社長のことを横からガン見しているのに気づいていたらしい。否、普通に隣から見られていたら誰でも気付いて当然か。グリーン車の席幅が広いと言っても、真横なのだから。
「いえ、何でもないです、すみません……社長、今日は眼鏡なんだなって思っただけで」
「ああ、今朝は目が腫れ気味だったからコンタクトは止めておいた」
至極普通の答えが戻ってきて、私は「あ、そうなんですね」と納得した顔でうなずき返す。言われてみると、確かにちょっと目元に疲れが出ているような気もしたが、これ以上ジロジロ見るといい加減に怒られそうで雑誌へと視線を戻すフリをする。社長は何も言わなくても、今日は本社で待機中の秘書に後で何を言われるかは分かったものじゃない。
最初の訪問は新幹線の停車駅からはタクシーを使い、郊外型のショッピングモールへと向かう。駅前から市バスも循環しているみたいだったし、商業施設の近くには住宅も密集していたから特に不便な場所というわけではなさそうだ。
「こちらはかなり初期から取引があるFCさんなんですよね?」
「ここのオーナーはもう一店舗持っているけど、そっちはうち以外の取り扱いの方が多いな」
このモール内にテナントとして入るセレクトショップの一角に『ジェスター』の商品を置いてくれているらしく、今回私が同行してきたのはそこに『ヴィレル』も追加してもらうよう勧める目的もあった。カタログが入った紙袋をギュッと胸に抱いて、私は気合を入れる。
一階フロアにある店舗に到着すると、私は店のスタッフとレジ前で話し込んでいた男性の顔を見て驚く。以前にプレスルームで会って名刺交換をさせてもらったのが、この店のオーナーさんだったのだ。名刺にはショップではなく会社の住所が書かれていたから顔を見るまで分からなかった。向こうもすぐに気付いてくれたみたいで、「あー、『ヴィレル』の人か」と笑顔で迎えてくれた。そして同時に、私が同行している理由を察したらしい。
「そうだなぁ、『ヴィレル』も置いてみたいとは考えてるんだけど、これ以上増えると場所がなぁ……」
言われて店内を見回してみると、確かに様々なブランドの商品がぎっしりと陳列されている。新しい商品を扱うには棚数が足りなさそう。かと言って、他を引き上げて下さいなんて不躾な提案ができるわけもなく、私は「それは残念ですね、空きができた時はよろしくお願いいたします」と言うしかできなかった。
「あー、でも、本店の方なら余裕あるか?」
「本店、ですか?」
「そう、古い商店街にある店で客の年齢もここより高いから、『ジェスター』よりいいかもしれないな」
手渡した商品カタログを見ながらオーナーさんが言うと、私は隣の及川社長の顔を見上げる。社長が私へ小さくうなずき返したので、私は「それならぜひ!」とオーナーさんへお薦めの商品を紹介していった。
二つ目の訪問先へは駅へ戻った後に新幹線に乗って一駅。ただ、こちらは目的の店舗が駅に直結したビルの中にあったのですぐたどり着いたし、今晩泊まるホテルも駅のすぐ前だと聞いてホッとしたのも束の間、二店舗目のオーナー店長によって食事会の場を設けられてしまった。
「あの、接待とかって初めてなんですけど……」
ほぼショップの勤務歴しかない私は仕事上の会食なんて無縁で過ごしてきた。これはもしや、後でキャバクラやスナックなんかに連れて行かれたりするんだろうか? そういうところだと女の私はどうすればいいんだろう?
不安になって確認した私へ、及川社長は何でもないことのように平然と言ってのける。
「別に気にせず飯を食えばいい。菊池がいるから、そういう店に連れていかれることはないだろう」
もし誘われても断ればいい、とはっきり断言してくれたから、私はほっと胸をなで下ろす。
でも、代表的デザイナーだった星野専務が退職したことで取引先の一部がスターワイドの行く先を不安視している可能性があり、その信頼回復の為には社長が動くしかない状況。専務がいなくなってからの及川社長への負担は私が思っていたよりもずっと大きいのかもしれない。
新幹線の座席でもノートパソコンから目を離さない社長の隣で、私は駅内のコンビニで購入してきたばかりの雑誌を膝の上で開く。すでにショップ勤務から離れて随分経つけれど、ファッション誌を毎月数冊ずつ購入するのは変わらない。SNSもチェックはしているが、紙面でゆっくりと文字を追いながら眺めるのが一番好きだ。
新作アイブローの特集記事のページをめくりながら、私は社長のパソコンの液晶をちらりと盗み見る。文字と数字だらけで記載された何かの報告書。それを眉間にしわを寄せた難しい表情になって見ている社長は細い黒縁の眼鏡をかけていた。いつもはコンタクトレンズを着用しているっぽいから、眼鏡バージョンの彼を目撃するのはこれで二度目だ。
――眼鏡だとさらに取っつきにくそうに見えるんだよね……
レンズ越しの眼が普段以上に人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。最近になってようやく社長に慣れたつもりでいたけれど、まだまだ仕事以外の会話をしていい空気じゃない。現地までこの無言を貫き通すつもりで私は雑誌のページに目を戻しかけたが、パソコンのモニターから視線を上げたばかりの社長と目が合ってしまい慌てた。
「どうかしたか?」
私がずっと社長のことを横からガン見しているのに気づいていたらしい。否、普通に隣から見られていたら誰でも気付いて当然か。グリーン車の席幅が広いと言っても、真横なのだから。
「いえ、何でもないです、すみません……社長、今日は眼鏡なんだなって思っただけで」
「ああ、今朝は目が腫れ気味だったからコンタクトは止めておいた」
至極普通の答えが戻ってきて、私は「あ、そうなんですね」と納得した顔でうなずき返す。言われてみると、確かにちょっと目元に疲れが出ているような気もしたが、これ以上ジロジロ見るといい加減に怒られそうで雑誌へと視線を戻すフリをする。社長は何も言わなくても、今日は本社で待機中の秘書に後で何を言われるかは分かったものじゃない。
最初の訪問は新幹線の停車駅からはタクシーを使い、郊外型のショッピングモールへと向かう。駅前から市バスも循環しているみたいだったし、商業施設の近くには住宅も密集していたから特に不便な場所というわけではなさそうだ。
「こちらはかなり初期から取引があるFCさんなんですよね?」
「ここのオーナーはもう一店舗持っているけど、そっちはうち以外の取り扱いの方が多いな」
このモール内にテナントとして入るセレクトショップの一角に『ジェスター』の商品を置いてくれているらしく、今回私が同行してきたのはそこに『ヴィレル』も追加してもらうよう勧める目的もあった。カタログが入った紙袋をギュッと胸に抱いて、私は気合を入れる。
一階フロアにある店舗に到着すると、私は店のスタッフとレジ前で話し込んでいた男性の顔を見て驚く。以前にプレスルームで会って名刺交換をさせてもらったのが、この店のオーナーさんだったのだ。名刺にはショップではなく会社の住所が書かれていたから顔を見るまで分からなかった。向こうもすぐに気付いてくれたみたいで、「あー、『ヴィレル』の人か」と笑顔で迎えてくれた。そして同時に、私が同行している理由を察したらしい。
「そうだなぁ、『ヴィレル』も置いてみたいとは考えてるんだけど、これ以上増えると場所がなぁ……」
言われて店内を見回してみると、確かに様々なブランドの商品がぎっしりと陳列されている。新しい商品を扱うには棚数が足りなさそう。かと言って、他を引き上げて下さいなんて不躾な提案ができるわけもなく、私は「それは残念ですね、空きができた時はよろしくお願いいたします」と言うしかできなかった。
「あー、でも、本店の方なら余裕あるか?」
「本店、ですか?」
「そう、古い商店街にある店で客の年齢もここより高いから、『ジェスター』よりいいかもしれないな」
手渡した商品カタログを見ながらオーナーさんが言うと、私は隣の及川社長の顔を見上げる。社長が私へ小さくうなずき返したので、私は「それならぜひ!」とオーナーさんへお薦めの商品を紹介していった。
二つ目の訪問先へは駅へ戻った後に新幹線に乗って一駅。ただ、こちらは目的の店舗が駅に直結したビルの中にあったのですぐたどり着いたし、今晩泊まるホテルも駅のすぐ前だと聞いてホッとしたのも束の間、二店舗目のオーナー店長によって食事会の場を設けられてしまった。
「あの、接待とかって初めてなんですけど……」
ほぼショップの勤務歴しかない私は仕事上の会食なんて無縁で過ごしてきた。これはもしや、後でキャバクラやスナックなんかに連れて行かれたりするんだろうか? そういうところだと女の私はどうすればいいんだろう?
不安になって確認した私へ、及川社長は何でもないことのように平然と言ってのける。
「別に気にせず飯を食えばいい。菊池がいるから、そういう店に連れていかれることはないだろう」
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