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第四十四話・星野専務の復職3
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以前の星野専務のデスクはデザイン部内と、幹部の部屋が並ぶ最上階の専用の部屋の二カ所にあったらしい。当時の彼は日によって気分で居場所を変えていたと聞いて、こだわりの多いクリエイターらしいなと思った。けれど、復職後の彼に与えられたのは部内のデスクだけだ。さすがに出戻りの彼に役員専用の部屋まで用意してあげるほど、この会社は甘くはないということか。かつての専務の部屋は、今は完全な物置と化しているらしい。
かと言って、自分のことを良く思っていない部下と一緒では互いに気まずいと、星野専務は部内にあるデスクには必要以上には寄り付かず、全く別の場所に居座っていることが多いらしい。
「失礼いたします。『ヴィレル』企画室の菊池です」
私はドアをノックした後、ぺこりと頭を下げてから社長室の中へと足を踏み入れる。相変わらずの資料に囲まれたこの部屋は無駄な物が一つも置かれていない。社長室というと絵画や壺なんかの装飾品とかがずらりと飾られた豪奢なイメージだけど、ここは完璧な仕事部屋。彼らしいといえばそうなんだけど。
私の顔を見て、デスクで書類に目を通していた悠斗さんが顔を上げて、ほんの少しだけ口元を緩めた。彼は勤務中の公私はきっちり線引きする性格なのを知っているからこそ、その僅かな反応だけでも私はキュンとときめいてしまう。
そして、デスク以外の唯一の家具というべき応接ソファーへと視線を移動させてから、私はホッとした表情を浮かべた。
「良かった、デザイン部で伺ったら専務はこちらにいらっしゃるって――」
「ああ、ごめんね、菊池さん。もしかして探させちゃったかな? ほら、やっぱり俺があそこにいると、みんなに余計な気を遣わせちゃうからねぇ……」
テーブルの上にたくさんの資料とファイルを積み上げて、靴を脱いでソファーの上で胡坐をかきながら、星野専務はタブレット上にペンを走らせていた。彼が今描いているのは来季に発売する『ジェスター』の新商品のデザイン案なのだろう。時折、ペンの後ろで頭を掻いて悩みつつも勢いよく線を描いていく。
悠斗さんが彼に復職の条件として科したのは、最低でも棚二つ分の商品は生み出して、社員達にしっかり認めさせること。小さな棚でも少なくともセットアップで上下四、五着分ずつは用意してもらわないと十分に埋まらない。それを一人で二棚分を考えるとなると大変な量だ。もちろん、その一着一着に手抜きは許されるはずはない。
――でも、それくらいしないと納得してもらえないもんね……
定番商品を少し変えただけでは話にならない。今までになかった『ジェスター』の新しい洋服を発表しないことには彼の才能を認めさせることは難しい。けれど、そんな大変な作業なはずなのに、星野専務はとても活き活きとしているように見えた。『ルネール』では何も描けなくなったと言っていたけれど、そんな気配は全くない。
「あの、余計なお世話かもしれませんが、さっき前を通ったら今日は第二会議室は終日利用はないみたいですよ」
ソファーテーブルでは明らかに手狭そうで、一番上に置かれたファイルに触れた瞬間に雪崩を起こしそうだった。専務に最終チェックをしてもらう為に持ってきた近く展開予定の『ヴィレル』のデザイン画を差し出しながら私がそう言うと、星野専務は少し照れたように笑った。
「ああ、俺はここでも平気平気。昔もね、こうやってあいつと同じ部屋で仕事してたんだよ。悠斗がパソコンで書類作ってる横で、俺はスケッチブック開いてひたすらデザインを起こしてさ」
「そうなんですね」
「学生時代なんかもね、悠斗の部屋にいながら二人別々のことして過ごしてるのが多かったかなぁ。あいつが真面目に宿題してる横で、俺はずっと絵を描いてたりとか」
長い時間同じ体勢だったから足が痺れたと、星野専務は胡坐を解いて背凭れに身体を預けながら、ぐぐっと腕を伸ばしている。悠斗さんも当然ながら私達の会話を聞いているみたいだったけれど、何も言わずに静かに手元の書類をめくっていた。
「そういう最初の頃を思い出させてもらうのが、今の俺には必要だから」
私が渡したデザイン画をパラパラとめくってから、星野専務はしみじみと呟いていた。そして、その中の二枚を抜き出して私へ掲げて見せてから、満面の笑みを浮かべながら言った。
「これとこれは、全くダメ。一から描き直せって言っといて。多分、木島君のやつだよね? 似たようなのはどこにでもある。無難に仕上げてないで真新しさをちゃんと出せって言っといて」
「はい……」
当面は波風立てずに静観しているつもりかと思い込んでいたけれど、仕事に関しての妥協は許さない方針らしい。木島さんが出した両方が通らなかったとなると、この後の企画室はちょっと荒れそうな予感がする。「どの口が言ってんだよっ!」とキレる同僚の顔が瞬時に目に浮かぶ。私は覚悟を決めてから「かしこまりました」とそのボツ原案を星野専務から受け取った。
デスクの方で悠斗さんが苦笑いしているのがノートパソコンのモニター越しに目に入る。これは後でしっかり慰めてもらわないと割に合わない。
かと言って、自分のことを良く思っていない部下と一緒では互いに気まずいと、星野専務は部内にあるデスクには必要以上には寄り付かず、全く別の場所に居座っていることが多いらしい。
「失礼いたします。『ヴィレル』企画室の菊池です」
私はドアをノックした後、ぺこりと頭を下げてから社長室の中へと足を踏み入れる。相変わらずの資料に囲まれたこの部屋は無駄な物が一つも置かれていない。社長室というと絵画や壺なんかの装飾品とかがずらりと飾られた豪奢なイメージだけど、ここは完璧な仕事部屋。彼らしいといえばそうなんだけど。
私の顔を見て、デスクで書類に目を通していた悠斗さんが顔を上げて、ほんの少しだけ口元を緩めた。彼は勤務中の公私はきっちり線引きする性格なのを知っているからこそ、その僅かな反応だけでも私はキュンとときめいてしまう。
そして、デスク以外の唯一の家具というべき応接ソファーへと視線を移動させてから、私はホッとした表情を浮かべた。
「良かった、デザイン部で伺ったら専務はこちらにいらっしゃるって――」
「ああ、ごめんね、菊池さん。もしかして探させちゃったかな? ほら、やっぱり俺があそこにいると、みんなに余計な気を遣わせちゃうからねぇ……」
テーブルの上にたくさんの資料とファイルを積み上げて、靴を脱いでソファーの上で胡坐をかきながら、星野専務はタブレット上にペンを走らせていた。彼が今描いているのは来季に発売する『ジェスター』の新商品のデザイン案なのだろう。時折、ペンの後ろで頭を掻いて悩みつつも勢いよく線を描いていく。
悠斗さんが彼に復職の条件として科したのは、最低でも棚二つ分の商品は生み出して、社員達にしっかり認めさせること。小さな棚でも少なくともセットアップで上下四、五着分ずつは用意してもらわないと十分に埋まらない。それを一人で二棚分を考えるとなると大変な量だ。もちろん、その一着一着に手抜きは許されるはずはない。
――でも、それくらいしないと納得してもらえないもんね……
定番商品を少し変えただけでは話にならない。今までになかった『ジェスター』の新しい洋服を発表しないことには彼の才能を認めさせることは難しい。けれど、そんな大変な作業なはずなのに、星野専務はとても活き活きとしているように見えた。『ルネール』では何も描けなくなったと言っていたけれど、そんな気配は全くない。
「あの、余計なお世話かもしれませんが、さっき前を通ったら今日は第二会議室は終日利用はないみたいですよ」
ソファーテーブルでは明らかに手狭そうで、一番上に置かれたファイルに触れた瞬間に雪崩を起こしそうだった。専務に最終チェックをしてもらう為に持ってきた近く展開予定の『ヴィレル』のデザイン画を差し出しながら私がそう言うと、星野専務は少し照れたように笑った。
「ああ、俺はここでも平気平気。昔もね、こうやってあいつと同じ部屋で仕事してたんだよ。悠斗がパソコンで書類作ってる横で、俺はスケッチブック開いてひたすらデザインを起こしてさ」
「そうなんですね」
「学生時代なんかもね、悠斗の部屋にいながら二人別々のことして過ごしてるのが多かったかなぁ。あいつが真面目に宿題してる横で、俺はずっと絵を描いてたりとか」
長い時間同じ体勢だったから足が痺れたと、星野専務は胡坐を解いて背凭れに身体を預けながら、ぐぐっと腕を伸ばしている。悠斗さんも当然ながら私達の会話を聞いているみたいだったけれど、何も言わずに静かに手元の書類をめくっていた。
「そういう最初の頃を思い出させてもらうのが、今の俺には必要だから」
私が渡したデザイン画をパラパラとめくってから、星野専務はしみじみと呟いていた。そして、その中の二枚を抜き出して私へ掲げて見せてから、満面の笑みを浮かべながら言った。
「これとこれは、全くダメ。一から描き直せって言っといて。多分、木島君のやつだよね? 似たようなのはどこにでもある。無難に仕上げてないで真新しさをちゃんと出せって言っといて」
「はい……」
当面は波風立てずに静観しているつもりかと思い込んでいたけれど、仕事に関しての妥協は許さない方針らしい。木島さんが出した両方が通らなかったとなると、この後の企画室はちょっと荒れそうな予感がする。「どの口が言ってんだよっ!」とキレる同僚の顔が瞬時に目に浮かぶ。私は覚悟を決めてから「かしこまりました」とそのボツ原案を星野専務から受け取った。
デスクの方で悠斗さんが苦笑いしているのがノートパソコンのモニター越しに目に入る。これは後でしっかり慰めてもらわないと割に合わない。
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