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第八話
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霊とあやかし、それらは人によって視える視えないという点では似ているが、全く別の存在だ。霊というのはこの世に生きたモノが命尽きた後も成仏できず、何らかの未練を残して彷徨い続けている魂の姿。あやかしというのは、本来はかくりよと呼ばれる別の世に住まう人ならざるモノのこと。ただ、かくりよと現世を隔てている境界は曖昧で、こちらの世に来て住み着いてしまったモノは少なくない。
「念のために除霊と封印、どっちの護符も持っていっときな」
「それって霊かあやかし、どちらの可能性もあるってこと?」
「……まあ十中八九、あやかしだろう。坊主に経あげさせて変りがないってのなら」
念のためだとしつこく付け加えながら、真知子から二種類の護符の束を手渡される。不動産屋の井上の話を聞いて、特に込み入った案件でもなさそうだし「この程度なら美琴でも大丈夫だ」と、美琴に初めて祓いの仕事が回されてしまった。護符の扱い方などは一通り叩き込まれたが、いきなりの実践はスパルタ過ぎじゃなかろうか……
「とりあえずやってみな。駄目だったらアヤメが何とかしてくれるだろう」
「まかせとき。小娘が失敗しても、アタシがちゃちゃっと片付けたるわ」
端から成功するとは思われていない。「初めての時は誰でもそうですよ」というツバキの慰めの言葉も、上手くいかない前提なのが悲しい。
動き易さ重視でスポーツウエアに身を包んだ美琴は、翌日の土曜は昼食を早めに食べてから家を出た。自転車の前カゴにリュックを放り込むと、当たり前のように後ろにアヤメが横座りして乗っかってくる。
「えーっ、二人乗りは道路交通法違反だし」
「問題ない。アタシの姿は一般人には視えへんし」
「まあ、そうなんだけど……」
着物の裾がヒラヒラと捲れるのを片手で押さえつつ、アヤメは早く出発しろとばかりに美琴の背を叩いて急かしてくる。他の人からは視えないと言い張りつつも、足がさらけ出るのは気にするんだと、美琴はちょっと吹き出しそうになった。
自分とさほど体格の変わらない鬼姫を後ろに乗せて、少し気合いを入れてペダルに足をかけたが、一漕ぎ目でその軽さに勢いあまって前へツンのめりそうになる。二人分の体重で負荷があるつもりでいたら全然なかったのだ。一人で乗ってる時とほとんど変わらない重さだ。
「……っ⁉」
「この世であやかしの実体なんて、あってないようなもんやからな」
ケラケラと揶揄うような笑い声が聞こえた後、後ろから「じゃあ、先に行ってるで」というアヤメの台詞が耳に届く。驚いて自転車を道路脇に停めて振り向いた美琴の目の前、すっと霞のように消えていく鬼姫の濃灰の着物地。
「もうっ! 自力で行けるんなら、最初からそうしてよー」
キコキコと自転車を漕ぎながら、意地の悪い鬼の顔を思い出して愚痴る。猫又のツバキは見るからに従順な式だが、アヤメは命じられたことはやるがという、とりあえず感が否めない。しかも、いつまで経っても美琴のことを『小娘』呼ばわりしてくるのがシャクに触る。
井上から相談を受けた物件は、真新しい鉄筋コンクリート造りの5階建てマンションだった。八神家の近所でよく見るタイプとは違い、ベランダのパーテーションの間隔が広く、敷地内には専用駐車場もあるからファミリー向けの賃貸のようだ。駐輪場には子供の自転車も停められていて、どこかの部屋からは小さな子供が泣く声が聞こえてくる。
ここへ来る手前では広くて開放的な公園も見かけたから、子育て世帯に人気の物件になるべく昨年に建て直されたが、実際のところ今現在の入居率は半分にも満たないのだという。勿体ない話だ。
「どう見ても、普通のマンションなんだけどなぁ……」
最寄り駅からは少し離れているが、歩けない距離じゃないし駐車場もある。資料を見る限り家賃だって築浅の割にはお手頃だったはずだが、入居しても半年しない内に出ていく人が多いのだという。
自信満々で建て直したはずの家主は賃料でのローン返済が上手くいかず、井上の元へ泣き付いてきたらしい。
「夜中に建物が揺れるほど何かがぶつかる音がしたとか、駐車場で獣のような呻き声を聞いたとか。特にどの部屋からという訳でもなく、敷地内の至る所で不気味な現象が起こるんだとか――」
預かってきた一階の角部屋の鍵をリュックの外ポケットから取り出して、美琴はドアの鍵穴へと差し込んでみる。特に違和感なく開いた部屋の玄関からは、新築独特の木材の香りがまだ漂っていた。この部屋は三ヶ月もせずに住民が逃げ出したらしい。
靴を脱いでから「お邪魔します」と小さく呟いて上がり込み、2LDKの間取りを興味深げに眺めて回る。ワックスでコーティングされた艶のあるフローリングに、カーテンの無い窓から日の光が差し込んでいる。
二間ある内、駐車場に面したバルコニーがある洋室へ足を踏み入れた時、美琴は何かが近くを通り過ぎた気配をほんのわずかに感じた。それは部屋の中なのか外なのか、咄嗟のことで判別はつかなかった。
そして、すぐ真後ろから声が聞こえてきて振り返る。
「そこのクローゼットの裏にお札が貼ってあるけど、この部屋はそんだけやな。問題があるんは外や」
詰まらないとでも言いたげに、アヤメがキッチンスペースの収納棚を片っ端から開けたり閉めたりして遊んでいた。いつの間に到着していたのか、美琴が来る前に一人で一通り確認し終えたのだと告げてくる。意外と仕事は早いタイプらしい。
「外? 外って駐車場しかないけど……」
「隅っこにあった稲荷の古い祠か何かを、建て替える時に処分してしまったんやろうな。この辺りに狐の匂いがぷんぷんしとる」
「念のために除霊と封印、どっちの護符も持っていっときな」
「それって霊かあやかし、どちらの可能性もあるってこと?」
「……まあ十中八九、あやかしだろう。坊主に経あげさせて変りがないってのなら」
念のためだとしつこく付け加えながら、真知子から二種類の護符の束を手渡される。不動産屋の井上の話を聞いて、特に込み入った案件でもなさそうだし「この程度なら美琴でも大丈夫だ」と、美琴に初めて祓いの仕事が回されてしまった。護符の扱い方などは一通り叩き込まれたが、いきなりの実践はスパルタ過ぎじゃなかろうか……
「とりあえずやってみな。駄目だったらアヤメが何とかしてくれるだろう」
「まかせとき。小娘が失敗しても、アタシがちゃちゃっと片付けたるわ」
端から成功するとは思われていない。「初めての時は誰でもそうですよ」というツバキの慰めの言葉も、上手くいかない前提なのが悲しい。
動き易さ重視でスポーツウエアに身を包んだ美琴は、翌日の土曜は昼食を早めに食べてから家を出た。自転車の前カゴにリュックを放り込むと、当たり前のように後ろにアヤメが横座りして乗っかってくる。
「えーっ、二人乗りは道路交通法違反だし」
「問題ない。アタシの姿は一般人には視えへんし」
「まあ、そうなんだけど……」
着物の裾がヒラヒラと捲れるのを片手で押さえつつ、アヤメは早く出発しろとばかりに美琴の背を叩いて急かしてくる。他の人からは視えないと言い張りつつも、足がさらけ出るのは気にするんだと、美琴はちょっと吹き出しそうになった。
自分とさほど体格の変わらない鬼姫を後ろに乗せて、少し気合いを入れてペダルに足をかけたが、一漕ぎ目でその軽さに勢いあまって前へツンのめりそうになる。二人分の体重で負荷があるつもりでいたら全然なかったのだ。一人で乗ってる時とほとんど変わらない重さだ。
「……っ⁉」
「この世であやかしの実体なんて、あってないようなもんやからな」
ケラケラと揶揄うような笑い声が聞こえた後、後ろから「じゃあ、先に行ってるで」というアヤメの台詞が耳に届く。驚いて自転車を道路脇に停めて振り向いた美琴の目の前、すっと霞のように消えていく鬼姫の濃灰の着物地。
「もうっ! 自力で行けるんなら、最初からそうしてよー」
キコキコと自転車を漕ぎながら、意地の悪い鬼の顔を思い出して愚痴る。猫又のツバキは見るからに従順な式だが、アヤメは命じられたことはやるがという、とりあえず感が否めない。しかも、いつまで経っても美琴のことを『小娘』呼ばわりしてくるのがシャクに触る。
井上から相談を受けた物件は、真新しい鉄筋コンクリート造りの5階建てマンションだった。八神家の近所でよく見るタイプとは違い、ベランダのパーテーションの間隔が広く、敷地内には専用駐車場もあるからファミリー向けの賃貸のようだ。駐輪場には子供の自転車も停められていて、どこかの部屋からは小さな子供が泣く声が聞こえてくる。
ここへ来る手前では広くて開放的な公園も見かけたから、子育て世帯に人気の物件になるべく昨年に建て直されたが、実際のところ今現在の入居率は半分にも満たないのだという。勿体ない話だ。
「どう見ても、普通のマンションなんだけどなぁ……」
最寄り駅からは少し離れているが、歩けない距離じゃないし駐車場もある。資料を見る限り家賃だって築浅の割にはお手頃だったはずだが、入居しても半年しない内に出ていく人が多いのだという。
自信満々で建て直したはずの家主は賃料でのローン返済が上手くいかず、井上の元へ泣き付いてきたらしい。
「夜中に建物が揺れるほど何かがぶつかる音がしたとか、駐車場で獣のような呻き声を聞いたとか。特にどの部屋からという訳でもなく、敷地内の至る所で不気味な現象が起こるんだとか――」
預かってきた一階の角部屋の鍵をリュックの外ポケットから取り出して、美琴はドアの鍵穴へと差し込んでみる。特に違和感なく開いた部屋の玄関からは、新築独特の木材の香りがまだ漂っていた。この部屋は三ヶ月もせずに住民が逃げ出したらしい。
靴を脱いでから「お邪魔します」と小さく呟いて上がり込み、2LDKの間取りを興味深げに眺めて回る。ワックスでコーティングされた艶のあるフローリングに、カーテンの無い窓から日の光が差し込んでいる。
二間ある内、駐車場に面したバルコニーがある洋室へ足を踏み入れた時、美琴は何かが近くを通り過ぎた気配をほんのわずかに感じた。それは部屋の中なのか外なのか、咄嗟のことで判別はつかなかった。
そして、すぐ真後ろから声が聞こえてきて振り返る。
「そこのクローゼットの裏にお札が貼ってあるけど、この部屋はそんだけやな。問題があるんは外や」
詰まらないとでも言いたげに、アヤメがキッチンスペースの収納棚を片っ端から開けたり閉めたりして遊んでいた。いつの間に到着していたのか、美琴が来る前に一人で一通り確認し終えたのだと告げてくる。意外と仕事は早いタイプらしい。
「外? 外って駐車場しかないけど……」
「隅っこにあった稲荷の古い祠か何かを、建て替える時に処分してしまったんやろうな。この辺りに狐の匂いがぷんぷんしとる」
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