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第三十三話・魔法使いジャン

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 グランまでの日帰りの護衛を無事に終え、ルイの幌馬車が馴染の宿屋に戻って来たのは、太陽が完全に沈み、宿の食堂が一日の中で一番混み合っている時間だった。
 宿泊客以外も利用できる食堂は、家庭的な味付けを求めて夕食の為だけに訪れる客も多い。女将の遠縁だという赤毛の少女は、週に4日はこの忙しくなる時刻だけ給仕の手伝いに来ていた。

「あ、ジークさん」

 食事の済んだ皿を厨房へと運ぶ途中、食堂の入口前を通り過ぎて行く黒いローブの青年を見つけ、ヘレンはツインテールを揺らしながら慌てて追いかけた。抱えていた食器を水の張った洗い桶へと乱雑に投げ入れると、すかさず女将からの小言が飛んでくる。

「ごめんなさい。ジークさん達、帰ってきたから!」

 急いだおかげで、階段を上り切る前に追いつき、少しばかり荒くなった呼吸を整える。

「やあ、ヘレン」
「こんばんは、ジークさん。今日、お客さんが来てたよ」
「客? 俺に?」

 コクコクと二度頷いて、ヘレンは栗色の髪の青年を見上げた。少女のいる高さまで階段を降りて戻ると、ジークは屈んでヘレンに目線を合わせた。

「男の子が、ジーク様は? って」
「男の子?」

 ジークが聞き返すと、ヘレンはまたコクコクと頷いた。彼のことを「ジーク様」と呼ぶということは、実家関係の者だろう。誰だろうかと首を捻ってみるが、さっぱり見当がつかない。
 給仕の仕事を抜け出して伝えに来てくれたお礼を言うと、ジークは再び階段を上って二階の角部屋に入った。後ろ手で扉を閉めると、ずっと抱かれていた猫は待ってましたと、ローブから勢いよく飛び出した。

 翌朝、普段と同じ時刻に目が覚めたジークは、宿屋の中庭で模擬剣を振り回していた。昨日見たアデルの模擬試合に触発されて、いつもよりも長い鍛錬になってしまったせいか、着替えて出掛ける準備が出来た頃には随分と時間が経っていた。

 ティグを宿屋に残して一人でギルドに向かうが、すれ違う冒険者の数は格段に少ない。今朝はいつも以上に出遅れてしまったようだ。人影のほとんどないギルド前通りを歩いていると、レンガ造りのギルドの入口扉前――四段しかない短い階段の二段目に腰掛けていた少年が、こちらに気付いて驚いたように立ち上がった。黒に近い茶毛に幼さの残る顔立ち、まだ成長途中の低い背丈はギルドには似つかわしくない。

「ジーク様?!」

 目を見開いて驚いていた顔は、すぐに喜びからの高揚へと変わる。少年はジークの元へと駆け寄ってくると、首に掛けたネックレスを得意気に見せた。

「僕も、ジーク様と同じ、冒険者になりました!」
「ジャン……家の人の許可は取れてるのか?」

 呆れたように少年に問いつつ、ジークは溜息を洩らした。ジークの実家である領主本邸で従事する馬番の息子であるジャンは、ドヤ顔で親指を立てている。

「ちゃんと学舎も卒業したし、好きなようにやって来い、って」

 ジークがこの3歳年下の少年と出会ったキッカケは、ジャンの魔力が芽生えた5歳の頃だった。家族に誰一人として魔力持ちが居なかった為に、彼に魔力操作を教えてやって欲しいとジャンの父である馬番に頼まれたのが最初だ。
 すでに8歳であらゆる魔法を使いこなせるようになっていたジークは、新しく習得したばかりの魔法を歳下の魔法使いに得意げに披露して見せた。それ以降、この人懐っこい少年から、異常な程に懐かれてしまった。

「ジーク様はこれから依頼探しですか?」
「ああ、ジャンはもう何か受けたのか?」

 ここでその呼び方は止めてくれと訴えても、少年には首を横に振られてしまう。「ジーク様は、ジーク様です」と。
 昨日ヘレンから聞いた、宿に来たという客は、ジャンのことだったのだろう。

「依頼って、どうやって選んだらいいんでしょうか?」

 並んでギルドの中へと入り、依頼ボードの前で首を傾げているジャンを見ながら、ジークは栗色の前髪をわしゃわしゃと掻いた。そして、ふぅと溜息に似た息を吐く。

「ジャン、ここでは魔法使いとして登録した?」

 彼が剣術が得意だという話は聞いたことがない。かと言って、攻撃系の魔法もそこまで強かった記憶もない。何を思って冒険者になったのか……。
 笑顔で頷く同郷の友に、ジークは再び溜息を洩らした。間違いなく、彼を追いかけて来ただけなのだろう。

「一人で行動するのは危険だから、必ずどこかのパーティに入れて貰うように。あと、ジャンの魔力量なら杖を使う方がいい」

 声を掛けられ易いように、魔法使いだと分かるよう装備も揃えた方がいいとアドバイスすると、ジャンは大きく頷いてから、ギルドの建物を飛び出して行った。

 素直過ぎる弟分の行く先を案じつつ、ジークは再び大きく溜め息をついた。
 前髪を描き上げて気を取り直し、依頼ボードを見上げる。
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