吸血鬼は恋する5秒前 ー人間に恋した吸血鬼とその周囲についての中間報告ー

灯トモル

文字の大きさ
9 / 18

9 ふたりで地下街へ

しおりを挟む
 4月も終わりが近づいた頃。
 家泉はすっかり暗くなった街の通りの真ん中でくしゃみをした。理容店で髪を切ってきたせいか襟足が寒い。それでも、前髪はオーダー通りの長さに整えてもらったので、家泉は満足していた。彼にとって髪の毛というものは、ふわふわの癖毛が上手くまとまればそれでいいのだ。
 季節は春と言っても、まだ肌寒い日が多い。特に日が落ちてからは気温がぐっと下がり、厚手の上着は手放せなかった。


 ショートコートのポケットに手を入れた家泉は、人の流れに沿って歩く。今日と明日は休みのため、時間はまだたくさんあった。気晴らしに街をぶらぶらと散策する。夜になっても飲食店やカフェは賑わっているようで、ガラス越しに見える明るい店内は楽しげに食事をする客でいっぱいだった。

「そういえば、お腹すいたな」

 腕時計を見れば夜の7時はとっくに過ぎている。昼に軽くパンを食べてからは何も口にしていないことを思い出すと、急激に空腹感を覚えた。

「この付近で入れそうな店は……ん?あそこにいるのは」

 周囲を見渡していた家泉の視界の中に、見覚えのある姿が入ってきた。

(あれって、間違いないよな)

 地下鉄に続く階段の入口にイリヤが立っていたのだ。
 職場で見る事務服ではなく、ふわりとした淡いベージュのワンピースに、ロングブーツを履いている。スラリとしているイリヤによく似合った服装で、周りの人間たちにも違和感無く溶け込んでいた。
 イリヤは、家泉が近くにいることには気がついていないらしく、手持ちのバッグからスマホを取り出して画面で何かを確認している。
 何をしているのか知りたくなった家泉は、思い切って声をかけてみることにした。近付いて名前を呼ぶ。

「イリヤさん」
「ひゃっ!」

 びっくりした顔のイリヤが家泉を見た。

「えっ、家泉さん?なんで?ここに?」
「髪を切ったその帰りに何かごはん食べようかと思っていたら、イリヤさんが見えたから声をかけたんだけど……だめでした?」
「いっいえ!ダメではないです」
「だったら、いいけど」
「というか逆に良かった、です」
「え?」

 今度は家泉が聞き返す番だった。

「どうして」
「わたし、スマホを買いに来たんですけど、地下街はあまり行ったことがなくて、アプリを見ても場所がよくわからないんです。誰かに訊こうと思っていたので家泉さんが声をかけてくれて助かりました」
「地下街?」
「はい、この階段を降りた先にあります」

 イリヤが指差した方向に家泉が視線を動かす。地下鉄の入り口と思っていたものは、地下街への通路だったらしい。

「おれ、ここは地下鉄だと思ってた」
「地下街と地下鉄は同じ入り口なんです」
「へえー」
「あの、それで家泉さん。よかったら、わたしとお店を探してくれませんか?」
「おれと?でも、おれも地下街には行ったことないんです。だから道案内はできないかも」
「道案内をお願いしようとは思ってなくて。ただ、その、地下街をひとりで歩くのは緊張するので……もしも迷惑じゃなかったら」

 最後の方は声がだんだんと小さくなっていったので、家泉は聞き取れなかったが、イリヤが困っていることはわかったので、すぐに首肯した。

「わかりました。おれでよかったら一緒に行きましょう」
「本当ですか?ありがとうございます」

 家泉の返事にぱっと表情が明るくなったイリヤは、階段へと一歩踏み出した。
 2人で階段を降りていたが、家泉が振り返ってイリヤを見る。

「そうだ。今は別に仕事中じゃないんで敬語とか要らないですよ」
「いいんですか?」
「うん。いいよ」

 イリヤは戸惑った表情をしたが、少し考えた後で心を決めたらしく、頷いて返事をした。

「では、敬語を使わずにお話してみま……話をしてみるわ」




 階段を降り、100メートルほど進んだ先に地下街はあった。天井にはライトが付いているせいか、予想していた以上に街全体が明るい。一見すると、大きな通路を挟んで左右に店が並んでいるためシンプルな街並みに見えるが、路地にも似た小さな道が所々に設けてあり、見た目以上に複雑な構造になっていることがうかがえる。

「思ったより明るいんだな」

 天井を見上げて思ったことを口にした家泉に、イリヤも上を見た。

「この照明は吸血鬼に影響が無いように作ってあるらしいの。わたしたちは太陽以外の強い光にも弱いから」
「へえ、初めて知った。ん?てことは、うちの病院の明かりも吸血鬼用に取り換えてあるってこと?」
「病院の蛍光灯は取り換えてありますって採用初日に総務の人が説明してくれたわ」
「いつの間に取り換えたんだろ・……おれ全然知らなかった」

 それから2人は話をしながら目的のモバイルショップを探し歩いた。

「お店はここから近いの?」
「アプリのナビではもう少し先みたい」

 地図アプリを頼りに探しても、店はすぐに見つかりそうもなかった。なぜならほとんどの店の外観は極端に光が苦手な吸血鬼にも配慮しているせいで、薄暗い雰囲気のところが多いのだ。よほど街に慣れていないと、目当ての店を通り過ぎてしまうだろう。
 通りかかる店の看板を注意深く1つずつ確認して進んでいたが、それでも途中で曲がり角を間違えてしまい、30分以上かかってようやくショップが見つかった。イリヤと家泉は共に店内に入ったが、家泉が商品をキョロキョロと見ている間に、イリヤは本体を購入して戻ってきた。

「買い物が終わったわ。行きましょ」
「もう?他には見なくていいの?」
「大丈夫」
「じゃあ、出ようか」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

悪役令嬢として、愛し合う二人の邪魔をしてきた報いは受けましょう──ですが、少々しつこすぎやしませんか。

ふまさ
恋愛
「──いい加減、ぼくにつきまとうのはやめろ!」  ぱんっ。  愛する人にはじめて頬を打たれたマイナの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。  甘やかされて育ってきたマイナにとって、それはとてつもない衝撃だったのだろう。そのショックからか。前世のものであろう記憶が、マイナの頭の中を一気にぐるぐると駆け巡った。  ──え?  打たれた衝撃で横を向いていた顔を、真正面に向ける。王立学園の廊下には大勢の生徒が集まり、その中心には、三つの人影があった。一人は、マイナ。目の前には、この国の第一王子──ローランドがいて、その隣では、ローランドの愛する婚約者、伯爵令嬢のリリアンが怒りで目を吊り上げていた。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...