僕はバス停だから、

結城鹿島

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 田舎のバスの運行はいい加減なものだ。
 今朝も彼女と衝立男の乗るはずのバスが、定刻を過ぎても中々現れない。
 しかし、今日は彼女も遅れているので問題ない。あとでバスのやつを褒めてやろう。
 いつも通りの頃合いにやって来た衝立男は苛々しているが、それはどうだっていい。
 彼女とバスがやってくるのは同じ方向なので、僕は気兼ねなく彼女の姿を探すことが出来る。
 そわそわしながら彼女を待っていると、髪を乱しながら走ってくる姿が小さく見えた。かなり本気で走っているのが見える。珍しいことだ。急いでいても早歩きを崩したことはないのに。
 衝立男がまだ僕の前にいるのを見て、彼女はほっと息をついて走る速度を落とした。息を整えながら、僕から数歩のところで足を止める。
 そして、ケータイと時刻表とを交互に見比べては眉をしかめた。本来なら、既にバスは出発している時間だ。乗り遅れたのかと不安に思っているのだろう。なにせ次のバスは一時間後。乗り過ごしは致命的だ。
 それでもいつも同じバスに乗る衝立男が居るので、このまま待ってても平気なのか悩んでいるようだ。
 声が出るなら僕が教えてあげられるのに。

「バスならまだです」

 押しつけがましさのない、落ち着いた声。それが前に並んでいる衝立男の声だと、僕はすぐに気が付かなかった。
衝立が声を発するなんて、なぜだか想像していなかったのだ。
「まだ来てないから、大丈夫です」
 今度は背中越しではなく、衝立男は彼女に向き直って言った。
「そう、ですか」
 彼女は見るからに安堵した。
 よかった、彼女が困ったことにならなくて。
 けれど、それが衝立男のおかげのような気がして、僕は少し腹立たしい。
 僅かの間、交わった衝立男と彼女の視線は再び離れた。
 いつも通りの距離感に戻る。僕の間に衝立男を挟んで、彼女。黙ってバスを待つ乗客の列。ありふれた光景だ。
 けれど、この沈黙は破られるだろう。僕にはわかる。
 衝立男に阻まれて、いま僕から彼女の顔は見えない。それでも彼女が何を考えているのかわかるのだ。
「あの」
 小さな呼びかけに、衝立男はゆっくり顔を後ろに向けた。
「あの、教えてくれて……ありがとうございました」
 僕の予想通り、彼女は衝立男に礼を言った。極めて儀礼的なものだったが。
「いえ」
 衝立男はすぐに顔を彼女から背け、変な顔をした。
 なんだ、その顔は。……絶対に彼女には見せたくない。絶対に。
 いまこの瞬間のコイツの顔は僕しか知らない。そう思って腹立ちをどうにか呑みこむ。
 衝立男は、深く息を吸い込んでから、また口を開いた。
「けっこう遅れますよね、ここのバスって」
「ですよね……」
 答える彼女の声は固く、緊張が伝わってくる。
 彼女はどちらかといえば話すのが苦手な子なんだ。ぺらぺら話しかけるな。このやろう。僕は衝立男を内心で罵った。
 衝立男はゆっくりと彼女に向き直る。
「まあ、早く来られるよりはいいかもしれないっすね」
「そうですね。……おかげでたまに助かっちゃってます」
 ぎこちなく、ゆっくりとしたテンポで二人の会話が続けられていく。
 彼女の声を、少しでも多く聴くことができるのは嬉しい。
 だが、なんなのだ。相手がこんな衝立だなんて。衝立男の口にその辺の草を詰め込んでやりたい。僕は衝立男の後頭部を睨みつけた。お前なんか早く黙れ。
 でも、やっぱり黙るな、衝立。もっと彼女の声を引き出してほしい。
 それは僕には出来ないことだから。

 バスは随分と遅れてやってきた。
 乗り込む衝立男の背に、彼女から離れて座れと念を送る。
 そして離れた席に二人が座るの確認すると、むしゃくした気分を飲み下した。
 この気持ちは一体なんだと言うのだろう。



 あれから、衝立男は彼女に話しかけるようになった。
 バスが来るまで二人が他愛のない会話を繰り広げることは、すぐに『日常』になった。
 日を重ね、二人の間で交わされる言葉は増えていく。
 今日はほとんど同時に着いたのに、先に並ぶのはなぜだかやはり衝立男で、腹立たしいことこの上ない。
「そういえばさ、聞きたかったんだけど、小暮君って転校生とかじゃないよね?」
 と、彼女。
 おお、小暮! 初めてのことではないとはいえ、衝立男の名前が彼女の口から発せられる苛立たしさといったらない。いつ自己紹介しあっていたのか、僕はその場面の記憶が無い。
 いや、それよりも何よりも、彼女の方から衝立男に話しかけた。僕はその事実に衝撃を受けた。小学生の頃から彼女はどちらかというと聞き役で、付き合いの浅い人間に積極的に話しかける方ではない筈だ。
 今までだって、会話を始めるのはずっと衝立男の方からだった。
「ちょっと気になってはいたんだけど。三年の途中からバス使うの珍しいなぁ……って思って。聞いちゃ悪かった?」
「あ、いや、別に。母親の職場と高校が近いから今まで乗せてもらってたんだけど、それが無理になったのでやむなくバス生活に……ってだけで、特に深い事情はございません」
 何故か神妙な顔をしている。
「わあ、お母さんに送って貰ってたなんて、贅沢……」
「いや、ほら、楽だからってのもあるけど、この辺って急な坂が多くて自転車はしんどいでしょ? 距離もあるし。バスの本数めっちゃ少ないし。別に俺からねだったわけじゃなくて、母親の方から言ってきたんだって」
 衝立男が言い訳じみたことを並べたてる。
 知ったことかよ。
「自転車が辛いのは確かにだねぇ。私も高校に受かった時に自転車通学考えたんだけど、坂が多いし冬は寒いし、丁度学校前にバス停あるし、バスにすることにしたんだ……」
「ね! 自転車はないでしょ!? でしょ? ここの坂だって、ほら、反対側のバス停も全然見えない傾斜だし。俺が怠惰なわけじゃないから」
 まだぐちぐちと言っている。怠け者だと彼女に思われたくないのか。
 心底どうだっていい。
 それから二人の話は坂への愚痴へと移った。
「そうだよねえ。反対側のバス停も、ここの向かいに置いてくれればいいのにね。年々帰りの坂を一気に上がってくるのが辛くてねえ……」
「いや、榎本さんそんな年じゃないでしょう。それじゃあ老人みたいだってば」
 二人は少し不慣れな様子で笑いあう。
 一旦、会話が途切れる。
 何気なさを装って腕時計を確認する彼女。
 僕は、次に発せられる言葉を少し緊張しながら待つ。
「……じゃあ小暮君はもう、これからずっとバス通学?」
「んー、どうだろうな、やむなくの事情ってのがさ、ちょっと前に母親が交通事故にあったからなんだけど――」
「事故」
 彼女の驚いた声に衝立男は慌てて、
「いや、大丈夫。命に別状はないし。腕と首をちょっと痛めたくらいで、車の運転も出来ないほど辛いわけじゃなくて、いい機会だから休みたいって悠々自適生活してるだけだから」
 言った。

「お母さんが良くなって、お仕事復帰したら……、また送ってもらうのかぁ……」

 それは何気なく、本当に何の気なしに零れたという呟きだった。
 前はそうしてたのだから、元通りに戻るだけ。母親に送り迎えしてもらう方が衝立男にとって断然に楽なのだから、喜ぶべきことの筈だ。
 彼女自身、自分の声がどんな風に聞こえたのか、把握できなかったのだろう。衝立男の後頭部に大半が隠れたその顔は、いつも通りのように見える。零れた声の温度とは裏腹に。
 まだ気づいてないのだろうか。
 
――何に?
 
 僕は浮かんできた自問自答を急いで箱にしまって、厳重に蓋をした。 
 衝立男の背中を睨みつける。視線だけで誰かを殺せるならいいのに、と思いながら。……もっとも僕には人間のような眼はない。
 背中からは、衝立男が何を思っているか測れなかった。
「……俺もどうしようか、考え中だったんだけど――帰りの時間合せるのも大変だし、残りもそんなにないし、最後までバス通学にしようかな。母親孝行しないと。うん」
 衝立男が満更でもない様子で頷く。
 僕はといえば、彼女の口元に浮かんだ微笑に動揺して、ある筈のない胸が苦しかった。目を逸らしたい。動けない身体が憎い。
 走り出してここから消えてしまいたい。
 そんなこと出来ないってわかっているけれど。
 他愛のない会話が彼女の息抜きになっているなら、それは喜ばしいことのはずなのに。
 何かが始まってしまいそうな予感。
 溢れてくるものに気づいているのは、僕だけだろうか。

「毎日は楽しいですか?」
声をかけても返事はない。

――はい。バスを待つ時間が楽しくなりました。

 僕は彼女の返事を夢想して、初めて不愉快な気分になった。

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