言葉よりも口づけで

結城鹿島

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1・言葉よりも口づけで

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ジーナとマリーツァの情報を元に、ルニエダリーナは本格的に戦争へ備えることになった。
ラードゥガラーとの同盟を信じるものは多かったが、説得に無駄に時間を費やす羽目にならずに済んだのは偏にリェフ自身の異能のお蔭だ。
こんなばかりはやはり異能があって良かったと、リェフは苦い思いで感謝した。
ただ、圧倒的に時間は足りない。
マグノリアだった二国の土地は三方を山に囲まれている。同盟が安泰であれば、備えは開けた一方――レオフルス――に対してだけでよかった。

が、ラードゥガラーはルニエダリーナを裏切った。それを考えると、ユイール川の橋を抑えるだけで手に余る。レオフルスへも通じる山道も抑えなければいけないし、マリーツァの情報が無ければ完全に詰んでいただろう。
対応を苦慮しているリェフの元へ、
「おい、疲れた顔してんなあ、リェフ」
忙しくしている筈のロジオンが、楽しそうにやって来た。

「なんだ、ロジオン、その抜けた顔は。ちゃんと仕事はしてるんだろうな」
「いい知らせを持ってきたのにその云いようはなんだなんだ。喜べよ、リェフ。姫の喉を治せるかもしれん」
「なに?」
「こないだお前について神霊探究院に行った時に思いついてな、記録をさらってたんだよ。結構渋られたけどな。いるらしいぞ、どんな怪我でも治す異能の持ち主が」
「本当かロジオン!?」

本当だとわかっても確認してしまうリェフに笑いつつ、ロジオンは答える。
「能力者の登録名簿に記録があったのは本当だ」
リェフは意識して息を深く吸い込み、我知らずに浮かしていた腰を椅子へと戻した。
「……最近やかましくないと思ったら、そんなことをしていたのか」
「嬉しいからって皮肉を言うなよ。素直に喜べよリェフ」

ロジオンにはラードゥガラーへの対策を一手に任せてきた。自由に動けるように身分こそ抑えているが有能でなにより実直だから、リェフだけでなく周囲も彼を信頼している。
時間が十分にあった訳ではないのだ、どこかで無理をしただろう。

「――そうだな。恩に着る」
「お、素直で結構。特殊な力だからな。居場所の把握はされているんだが――移動しながら祈祷師の真似事をして暮らしているらしくて、呼んでくるのに多少の時間がかかる。ちっと待っててくれ」
「そうか……」
瞬間、内心によぎった想いにリェフは戸惑った。

「それまでに今度こそ、ちゃんと仲直りしておけよ」

云うだけ云うと、ロジオンは執務室を出て行った。
先ほど、浮かんだのは己に対する疑念だ。声が戻らない方がいいのでは? という考えがつかの間、よぎった。
例えマリーツァがリェフを嫌っていても、本当の気持ちが分からなければ愛されているのだと夢を見ることが出来る。否応にも暴かれる心の内は、決して優しいばかりのものではない。

「……馬鹿なことを」

                 ◇

「お加減はいかがですか? マリーツァ様」
ジーナがぬるめの紅茶を煎れるようになったのは、マリーツァが喉を傷めてからだ。
一通り回復するまで血反吐で汚れたマリーツァの世話をしてくれていた彼女は、以前よりもさらにきめ細やかにマリーツァの望みを叶えてくれる。
引き離され、もう会えないかもしれないと思っていただけに、再会できたのは本当に嬉しい。お揃いのようだった黒髪を切られて痩せた姿は悲しいが、ゆっくり休めば元通りになるだろう。
「熱すぎはしませんか?」
大丈夫よ、と云う代わりに微笑みをジーナへ返す。ふわっとジーナの顔に浮かぶ笑みに、思いが伝わったのだと確信できた。
言葉が通じても会話が出来なかった父とは大違いだ。
「……」
もう自分には出来ることはないのだろうか。
知っていることは全部リェフに伝えられた。それで十分な筈、マリーツァには他にできることはない。
けれどそれでも、何かを――と気持ちが急く。
リェフがマリーツァを攫ってくれたおかげで、ラードゥガラーとレオフルスとの同盟の絆は万全でないはずだ。あの日は血の臭いに怯えてしまったけれど、レオフルスまで連れていかれてしまっていたならどうなっていたか――考えるだけでぞっとする。
(どうか……どうか戦争が回避できますように)
仕方ないことかもしれないが、ここの所、リェフはずっと険しい顔している。
それに、あれから、マリーツァに触れてくれない。
(声が出れば、私がリェフを想っていることが真実だと伝わるのに……)

「率直に言いたいことを伝え、聞きたいことを尋ねたらどうですか? わたくしたちには人の心を読むようなことは出来ないのですから」
「!」

突然のジーナの言葉にマリーツァは狼狽えた。
リェフのことを考えていたのがどうしてばれたのだろうか。

「わかりますとも。姫様がそんな顔をしている時には、リェフ様のことを考えているに決まっています」
(でも……)
筆談では云いたいことの全部が伝わらない気がするのだ。どうにも追い立てられるようで、話すようにはいかない。

「筆談というものが案外難しいのだと身に染みましたので、躊躇するのはわかります。ですから――手紙はどうでしょうか? 自分の気持ちを余すところなく綴ってみるのです」

確かに予め書いておけば、言葉選びに悩むことはない。
何もかも打ち明けて、その上でゆっくり意思の疎通を図るのがいいのかもしれない。
「……ん」
マリーツァは、侍女の有りがたい進言を受け入れ、リェフに手紙を書くことにした。

                 ◇

人の気配がしたような気がしてマリーツァは目を覚ました。
大抵は夢だと分かっていても、恐ろしい予感にうなされることが多い。喉を焼かれてから眠りが浅くて仕方ない。
「う……」
寝起きは喉が傷む。水差しを手に取るついでにと、起き上がって気配を感じた方向を確認すれば、窓際で月明かりを頼りにリェフが手紙を読んでいた。
(リェフ)
息だけで呼べば、泣きそうな顔のリェフがこちらを向いた。

「マリーツァ……」

寝台を抜け出し、急いで彼の元へ向かう。
荒々しくマリーツァを抱いてからリェフは一線を引いている。マリーツァもどこかでリェフへの怯えがあった。
だけど、こんな彼を放っておけない。
まるで、独りぼっちの子供のようなリェフを。
そっと腕に触れ、目を見て笑顔を作った。
返ってきたのは頼りない小さな声。

「――すまないマリーツァ」

(もうあやまらないで、リェフ)

手紙には素直な気持ちを綴ったつもりだ。父のしたことへの謝罪、怖かったけれど、リェフに抱かれるのは嫌だった訳じゃないこと、それから悩んでいることがあったら打ち明けてほしいと。聞くことしかできなくても、リェフの悩みを分かち合いたいと思っている、と。
いっそ声が出ないのは秘密の保持のためにはいいかもしれない、という追記はリェフを悲しませただろうか。
「聞いてくれるか? マリーツァ……、私がみっともない男だと笑ってくれてもいい」
マリーツァは首を振った。リェフをそんな風に思ったことなんてない。
「なかなか会いにこられないほど忙しくしているのは、全面衝突を回避するために奔走しているのもあるが……それらがなかったとしても、変わらないくらい忙しかっただろう」
続きを促すようにマリーツァは小首を傾げた。リェフは顔を歪め、小さな声で言った。

「父が死んだんだ。今は病気で寝込んでいることにしているが……既に死んでいるんだ。だから、あまり時間が作れず、君に会いに来れなくて……すまなかった」

マリーツァは驚きで目をいっぱいに見開いた。
いつ? と唇を動かすと、
「もう一月半になる」
リェフは項垂れた。
それほどに長い期間、国王の死を隠していたのは何故だろう。今となっては幸運であるとはいえ、ただ事ではない。
リェフの様子にただならぬものを感じて、両の腕を掴む手に力が籠る。
「君に異能のことを話したのは七歳の時だったな。それからも他の人間には出来るだけ隠して……五年前…十五で周りにばれたと話してあっただろう」
そう。そうだった。マリーツァには特別、そういって秘密を打ち明けてくれた。
自分にだけ、秘密を教えてくれたことが嬉しかったものだ。

「ずっと隠していた異能がばれて以来、顔を見るのすら嫌がっていた父からある日、食事に招かれたんだ。母の命日を悼むためにと云われ、行かざるを得ない空気を作られた。周りにもこの異能のせいで……怯えられてしまっていたし、これ以上関係をこじらせたくなかった」

確かに、過去に異能を持っていたせいで迫害され、襲われた人間も少なくはないという。
「だから、ロジオンを伴って招きに応じた。……父はずっと私を避けていたから、知らなかったんだ。直接話さなくても、ただ聞くだけでわかるのだと」
(なにが、あったの?)

「ロジオンと父が会話しているのを影で聞いたんだ。父の『今日の料理は息子のために最高の料理人に用意させたんだ』という言葉が嘘だと、聞いただけでわかってしまった」
だけど、嘘だということがわかるだけで、詳細はわからない。何がどう嘘なのかは。

「食卓ではロジオンが率先して父と話してくれた。それぞれの食材の産地なんかを上手く尋ねてくれてな。最後に食後のワインの産地を尋ねた時だった。父はわからないから執事に聞くように言ったんだ。それで、執事の答えが嘘だとわかった。だから、――次に聞いた。これに毒が入っているか、と」

マリーツァはその言葉に硬直した。これから続くリェフの言葉を想像して、胸が痛い。
「執事の怯えようは笑えるほどだった。だって、答えればその言葉が嘘か本当かが判ってしまう。けれど、答えなければそれだけで肯定しているようなものだ。父はその場をとりなそうとした。私が父の企みなのかと尋ねると――」
そこで一旦リェフは言葉を切った。マリーツァを強く抱きしめ、耳元で声を絞り出す。

「何も知らない、と言った。それは嘘だった。知らないというのが嘘なら……つまりは知っていたということだろう?」
マリーツァを抱きしめるリェフの腕が震える。
「意味がわからなかった。口にした言葉が嘘か本当か分かる異能を持っていると知っているのに、なんであんな嘘を吐いたのだろう。そんな簡単な嘘を吐いたって、瞬時に分かってしまうのに……。質問に答えずに誤魔化そうとしたなら、まだ良かった」
マリーツァもリェフの背中に手を回した。そうして支えなければ、倒れてしまいそうだと思ったから。
「結局、私のことなど、どうでもいいのだと……そう思い知らされた。まるで理解する気がないんだと。……だから、私は……父と執事にそのワインを飲むよう突きつけた。毒でないなら飲めるだろうと」
「っ!」
「まさか……本当に飲むとは思わなかったんだ。父は殆ど自棄だったんじゃないかと思う」

なぜ毒など、と血を吐いて床をのた打ち回る父にリェフは尋ねた。自分を殺すなら会話を必要としない状況の方がいい。こっそり背後からナイフで刺すような、そんな問答無用な状況でなければ気づいてしまう。ロジオンを同席させることも拒むべきだった。
問いの答えには、皮肉な笑みしか返ってはこなかった。
残されたのは圧倒的な沈黙だけ。

「っつ!」
リェフ、と名前を呼びたかったのに、マリーツァの喉から出てきたのは、声ではなく咳だった。けほけほと咳こむマリーツァの背中をリェフが撫でてくれる。

「大丈夫か? 無理をさせたな」

ふるふるとマリーツァは首を振った。
(辛いのはリェフだわ)
まさか、父親に殺されるところだったなんて……。

「似たもの同士だな、私たちは……実の親に疎まれた。いや、違うな。殺したいほど憎まれていたのは私だけだな。私がいなければ……君の声が失われることはなかった。私のせいだ。すまなかった」

泣き出しそうなリェフをいつまでも抱きしめ、代わりのようにぽろぽろとマリーツァは涙を流した。


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