刈り上げの先に、あなたがいた。

S.H.L

文字の大きさ
3 / 7

第3章:スキンヘッドの選択

しおりを挟む
風呂場の静寂の中、水が流れ落ちる音だけが響いていた。

薫の頭から、ぬるま湯と一緒にわずかに残った剃り跡が流れていく。青年の手が優しく頭を包み、指先で泡を撫でるたび、薫は自分が全く新しい姿になったことを、ようやく実感し始めていた。

「……これ、私なの……?」

鏡に映るのは、全くの別人。長年愛してきた刈り上げショートは、もうどこにもない。そこにあるのは、艶のある地肌だけ——スキンヘッドの女。

「……意外と、似合ってますよ」

青年がふと口にした言葉に、薫は小さく笑った。

「そうかな……」

笑おうとして、喉の奥が詰まりそうになった。

(私、なにやってるんだろう……彼氏がいたのに。髪だって、大切にしてたのに……)

罪悪感と興奮、羞恥と安堵。その全てが胸の中で渦を巻いていた。

「……着替えるね」

風呂場を出て、着ていたシャツを脱ぐ。タオルで頭を拭くたびに、手のひらが地肌を感じてゾクリとした。今まで感じたことのない、自分の身体の一部のような、でもどこか他人のような不思議な感覚。



仕事の時間が近づく。

「……一緒に歩く?」

青年の提案に、薫は無言で頷いた。駅までの道、帽子を深くかぶりながら歩く。

店の裏口から入り、制服に着替え、鏡の前でキャップを被る瞬間——ドアが開き、後輩の女の子が入ってきた。

「か、薫さん!?……頭、どうしたんですか……?」

「あっ……ちょっと、刈りすぎちゃって……」

慌てて帽子を被るが、動揺は隠せなかった。

だが、後輩は予想外の言葉を返す。

「……でも、似合ってますよ。スキンヘッド女子も、全然アリだと思います!」

薫は小さく、震える笑顔を浮かべた。

「……ありがと」



仕事が終わる頃には、いつものように大学生が店の外で待っていた。

「お疲れ様です、薫さん」

「……来てくれたんだ」

「うん。話、したいと思って」

ふたりは再び、彼のアパートへ戻った。

「どう?スキンヘッド」

「……不思議な気持ち。でもね、あなたがいたから、なんとか乗り越えられたよ」

青年の目が、優しく細められる。

「……もう少し、このままでいてもいいかも、って思ってる自分がいるの」

「本当に?」

「うん。でも、彼氏にはどう言えばいいかわかんない」

沈黙が落ちる。

そして青年は、ぽつりと口を開いた。

「だったら……また、剃らせてくれませんか?」

「え……?」

「今夜、もう一度。今度は……眉毛も。完全に、何もない薫さんを見てみたい」



再び風呂場に座らされる薫。

今度は抵抗も迷いもなかった。彼女は静かに、青年に身を預けた。

「行きますね」

シェーバーの音が響き、わずかに生え始めていた髪の根を再び剃り落とす。そして、ゆっくりと眉へ刃が進んでいく。

(ああ……)

鏡に映る自分は、完全なスキンヘッドで、眉すらない。まるで生まれ変わったかのような自分。

「……これが、私」

青年は黙って見つめていた。そして、静かに呟いた。

「きれいです」



翌朝。薫は新しい決断をした。

彼氏に、真実を話そう。

スキンヘッドのままでは彼と関係を続けることはできない。だが、嘘をついてはもっといけない。

LINEの画面を開き、指が震える。

《大事な話があるの。今日、会えないかな?》

彼氏からの返信は、すぐに来た。

《いいよ。どうしたの?》



その日の夜。カフェの近くの公園。

帽子を深く被ってベンチに座る薫に、彼氏がやって来た。

「久しぶり……って、帽子?」

「……見せなきゃいけないものがあるの」

薫は帽子を静かに脱いだ。

「……えっ……?」

彼氏の目が大きく見開かれる。

「髪……どうしたんだよ……!」

「剃ったの。全部」

「なんで……?」

「……いろいろ、あったの。正直に言うね。……他の人と、少し関わって、その人に……」

言葉が詰まり、涙がこぼれそうになる。

「……ごめんなさい」

彼氏は数秒間沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。

「……スキンヘッドのお前とは、やっぱり……無理だ」

その言葉は、冷たくもなかった。ただ、事実だけがそこにあった。

薫はうなずいた。

「うん。わかってた」

そして、立ち上がり、深く頭を下げた。

「今まで、本当にありがとう」



その夜、青年の部屋に戻った薫は、全てを話した。

「彼とは、別れた。……やっぱり、今の私を受け入れてくれる人が、必要だった」

青年は何も言わず、ただ薫をそっと抱きしめた。

「じゃあ……これからは、俺が剃ってあげる。何度でも」

「うん。お願いね」

2人はようやく、お互いの気持ちを正面から伝え合った。

そして薫は、これからスキンヘッドを維持することを自分の意志として選んだ。すでに青年が用意していた剃毛専用クリームで、地肌のケアも開始していた。

(これは、私の選んだ道)

それは、恋と髪と向き合う覚悟だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

仮の彼女

詩織
恋愛
恋人に振られ仕事一本で必死に頑張ったら33歳だった。 周りも結婚してて、完全に乗り遅れてしまった。

幼馴染とのんびりするだけ

下菊みこと
恋愛
ソフトヤンデレ目指して書いたはずなんです。 アルファポリス様でも投稿しています。

元婚約者が修道院送りになった令嬢を呼び戻すとき

岡暁舟
恋愛
「もう一度やり直そう」 そんなに上手くいくのでしょうか???

彼氏が実は…ってお話

下菊みこと
恋愛
身分を偽っていた彼氏と、気付かない鈍感主人公のお話。 小説家になろう様でも投稿しています。

妻の遺産をあてにするなんて論外です!

四季
恋愛
私には三つ年下の妹がいる。 彼女は昔から父親に可愛がられていた。 その結果心なしか損な役回りだった私は、ある時、父親と妹の本心を知ってしまって……。

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

離れて後悔するのは、あなたの方

翠月 瑠々奈
恋愛
順風満帆だったはずの凛子の人生。それがいつしか狂い始める──緩やかに、転がるように。 岡本財閥が経営する会社グループのひとつに、 医療に長けた会社があった。その中の遺伝子調査部門でコウノトリプロジェクトが始まる。 財閥の跡取り息子である岡本省吾は、いち早くそのプロジェクトを利用し、もっとも遺伝的に相性の良いとされた日和凛子を妻とした。 だが、その結婚は彼女にとって良い選択ではなかった。 結婚してから粗雑な扱いを受ける凛子。夫の省吾に見え隠れする女の気配……相手が分かっていながら、我慢する日々。 しかしそれは、一つの計画の為だった。 そう。彼女が残した最後の贈り物(プレゼント)、それを知った省吾の後悔とは──とあるプロジェクトに翻弄された人々のストーリー。

処理中です...