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第3章:スキンヘッドの選択
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風呂場の静寂の中、水が流れ落ちる音だけが響いていた。
薫の頭から、ぬるま湯と一緒にわずかに残った剃り跡が流れていく。青年の手が優しく頭を包み、指先で泡を撫でるたび、薫は自分が全く新しい姿になったことを、ようやく実感し始めていた。
「……これ、私なの……?」
鏡に映るのは、全くの別人。長年愛してきた刈り上げショートは、もうどこにもない。そこにあるのは、艶のある地肌だけ——スキンヘッドの女。
「……意外と、似合ってますよ」
青年がふと口にした言葉に、薫は小さく笑った。
「そうかな……」
笑おうとして、喉の奥が詰まりそうになった。
(私、なにやってるんだろう……彼氏がいたのに。髪だって、大切にしてたのに……)
罪悪感と興奮、羞恥と安堵。その全てが胸の中で渦を巻いていた。
「……着替えるね」
風呂場を出て、着ていたシャツを脱ぐ。タオルで頭を拭くたびに、手のひらが地肌を感じてゾクリとした。今まで感じたことのない、自分の身体の一部のような、でもどこか他人のような不思議な感覚。
⸻
仕事の時間が近づく。
「……一緒に歩く?」
青年の提案に、薫は無言で頷いた。駅までの道、帽子を深くかぶりながら歩く。
店の裏口から入り、制服に着替え、鏡の前でキャップを被る瞬間——ドアが開き、後輩の女の子が入ってきた。
「か、薫さん!?……頭、どうしたんですか……?」
「あっ……ちょっと、刈りすぎちゃって……」
慌てて帽子を被るが、動揺は隠せなかった。
だが、後輩は予想外の言葉を返す。
「……でも、似合ってますよ。スキンヘッド女子も、全然アリだと思います!」
薫は小さく、震える笑顔を浮かべた。
「……ありがと」
⸻
仕事が終わる頃には、いつものように大学生が店の外で待っていた。
「お疲れ様です、薫さん」
「……来てくれたんだ」
「うん。話、したいと思って」
ふたりは再び、彼のアパートへ戻った。
「どう?スキンヘッド」
「……不思議な気持ち。でもね、あなたがいたから、なんとか乗り越えられたよ」
青年の目が、優しく細められる。
「……もう少し、このままでいてもいいかも、って思ってる自分がいるの」
「本当に?」
「うん。でも、彼氏にはどう言えばいいかわかんない」
沈黙が落ちる。
そして青年は、ぽつりと口を開いた。
「だったら……また、剃らせてくれませんか?」
「え……?」
「今夜、もう一度。今度は……眉毛も。完全に、何もない薫さんを見てみたい」
⸻
再び風呂場に座らされる薫。
今度は抵抗も迷いもなかった。彼女は静かに、青年に身を預けた。
「行きますね」
シェーバーの音が響き、わずかに生え始めていた髪の根を再び剃り落とす。そして、ゆっくりと眉へ刃が進んでいく。
(ああ……)
鏡に映る自分は、完全なスキンヘッドで、眉すらない。まるで生まれ変わったかのような自分。
「……これが、私」
青年は黙って見つめていた。そして、静かに呟いた。
「きれいです」
⸻
翌朝。薫は新しい決断をした。
彼氏に、真実を話そう。
スキンヘッドのままでは彼と関係を続けることはできない。だが、嘘をついてはもっといけない。
LINEの画面を開き、指が震える。
《大事な話があるの。今日、会えないかな?》
彼氏からの返信は、すぐに来た。
《いいよ。どうしたの?》
⸻
その日の夜。カフェの近くの公園。
帽子を深く被ってベンチに座る薫に、彼氏がやって来た。
「久しぶり……って、帽子?」
「……見せなきゃいけないものがあるの」
薫は帽子を静かに脱いだ。
「……えっ……?」
彼氏の目が大きく見開かれる。
「髪……どうしたんだよ……!」
「剃ったの。全部」
「なんで……?」
「……いろいろ、あったの。正直に言うね。……他の人と、少し関わって、その人に……」
言葉が詰まり、涙がこぼれそうになる。
「……ごめんなさい」
彼氏は数秒間沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。
「……スキンヘッドのお前とは、やっぱり……無理だ」
その言葉は、冷たくもなかった。ただ、事実だけがそこにあった。
薫はうなずいた。
「うん。わかってた」
そして、立ち上がり、深く頭を下げた。
「今まで、本当にありがとう」
⸻
その夜、青年の部屋に戻った薫は、全てを話した。
「彼とは、別れた。……やっぱり、今の私を受け入れてくれる人が、必要だった」
青年は何も言わず、ただ薫をそっと抱きしめた。
「じゃあ……これからは、俺が剃ってあげる。何度でも」
「うん。お願いね」
2人はようやく、お互いの気持ちを正面から伝え合った。
そして薫は、これからスキンヘッドを維持することを自分の意志として選んだ。すでに青年が用意していた剃毛専用クリームで、地肌のケアも開始していた。
(これは、私の選んだ道)
それは、恋と髪と向き合う覚悟だった。
薫の頭から、ぬるま湯と一緒にわずかに残った剃り跡が流れていく。青年の手が優しく頭を包み、指先で泡を撫でるたび、薫は自分が全く新しい姿になったことを、ようやく実感し始めていた。
「……これ、私なの……?」
鏡に映るのは、全くの別人。長年愛してきた刈り上げショートは、もうどこにもない。そこにあるのは、艶のある地肌だけ——スキンヘッドの女。
「……意外と、似合ってますよ」
青年がふと口にした言葉に、薫は小さく笑った。
「そうかな……」
笑おうとして、喉の奥が詰まりそうになった。
(私、なにやってるんだろう……彼氏がいたのに。髪だって、大切にしてたのに……)
罪悪感と興奮、羞恥と安堵。その全てが胸の中で渦を巻いていた。
「……着替えるね」
風呂場を出て、着ていたシャツを脱ぐ。タオルで頭を拭くたびに、手のひらが地肌を感じてゾクリとした。今まで感じたことのない、自分の身体の一部のような、でもどこか他人のような不思議な感覚。
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仕事の時間が近づく。
「……一緒に歩く?」
青年の提案に、薫は無言で頷いた。駅までの道、帽子を深くかぶりながら歩く。
店の裏口から入り、制服に着替え、鏡の前でキャップを被る瞬間——ドアが開き、後輩の女の子が入ってきた。
「か、薫さん!?……頭、どうしたんですか……?」
「あっ……ちょっと、刈りすぎちゃって……」
慌てて帽子を被るが、動揺は隠せなかった。
だが、後輩は予想外の言葉を返す。
「……でも、似合ってますよ。スキンヘッド女子も、全然アリだと思います!」
薫は小さく、震える笑顔を浮かべた。
「……ありがと」
⸻
仕事が終わる頃には、いつものように大学生が店の外で待っていた。
「お疲れ様です、薫さん」
「……来てくれたんだ」
「うん。話、したいと思って」
ふたりは再び、彼のアパートへ戻った。
「どう?スキンヘッド」
「……不思議な気持ち。でもね、あなたがいたから、なんとか乗り越えられたよ」
青年の目が、優しく細められる。
「……もう少し、このままでいてもいいかも、って思ってる自分がいるの」
「本当に?」
「うん。でも、彼氏にはどう言えばいいかわかんない」
沈黙が落ちる。
そして青年は、ぽつりと口を開いた。
「だったら……また、剃らせてくれませんか?」
「え……?」
「今夜、もう一度。今度は……眉毛も。完全に、何もない薫さんを見てみたい」
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再び風呂場に座らされる薫。
今度は抵抗も迷いもなかった。彼女は静かに、青年に身を預けた。
「行きますね」
シェーバーの音が響き、わずかに生え始めていた髪の根を再び剃り落とす。そして、ゆっくりと眉へ刃が進んでいく。
(ああ……)
鏡に映る自分は、完全なスキンヘッドで、眉すらない。まるで生まれ変わったかのような自分。
「……これが、私」
青年は黙って見つめていた。そして、静かに呟いた。
「きれいです」
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翌朝。薫は新しい決断をした。
彼氏に、真実を話そう。
スキンヘッドのままでは彼と関係を続けることはできない。だが、嘘をついてはもっといけない。
LINEの画面を開き、指が震える。
《大事な話があるの。今日、会えないかな?》
彼氏からの返信は、すぐに来た。
《いいよ。どうしたの?》
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その日の夜。カフェの近くの公園。
帽子を深く被ってベンチに座る薫に、彼氏がやって来た。
「久しぶり……って、帽子?」
「……見せなきゃいけないものがあるの」
薫は帽子を静かに脱いだ。
「……えっ……?」
彼氏の目が大きく見開かれる。
「髪……どうしたんだよ……!」
「剃ったの。全部」
「なんで……?」
「……いろいろ、あったの。正直に言うね。……他の人と、少し関わって、その人に……」
言葉が詰まり、涙がこぼれそうになる。
「……ごめんなさい」
彼氏は数秒間沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。
「……スキンヘッドのお前とは、やっぱり……無理だ」
その言葉は、冷たくもなかった。ただ、事実だけがそこにあった。
薫はうなずいた。
「うん。わかってた」
そして、立ち上がり、深く頭を下げた。
「今まで、本当にありがとう」
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その夜、青年の部屋に戻った薫は、全てを話した。
「彼とは、別れた。……やっぱり、今の私を受け入れてくれる人が、必要だった」
青年は何も言わず、ただ薫をそっと抱きしめた。
「じゃあ……これからは、俺が剃ってあげる。何度でも」
「うん。お願いね」
2人はようやく、お互いの気持ちを正面から伝え合った。
そして薫は、これからスキンヘッドを維持することを自分の意志として選んだ。すでに青年が用意していた剃毛専用クリームで、地肌のケアも開始していた。
(これは、私の選んだ道)
それは、恋と髪と向き合う覚悟だった。
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