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第13章
第13章
第13章:再会の予感と揺らぐ決意(詳細版)
差出人不明のメッセージの送り主と名乗る人物から電話があった翌日、莉子(りこ)と麻衣(まい)は指定された場所へ向かうことを決めていた。無論、不安は大きい。だが、このまま鬱屈した日々を続けていても、さらに深い闇へ沈むだけ――そう感じた二人は互いを見つめ合い、小さく息を呑んで覚悟を固めた。
約束の地へ
約束の時間は夕方。場所は、学校や駅から離れた街外れにある喫茶店だという。通い慣れた繁華街やカフェではなく、やや寂れた商店街の裏通りに位置するらしく、二人とも詳しい場所を把握していなかった。
携帯の地図アプリを頼りに、人通りの少ない道を進む。薄曇りの空からは今にも小雨が降り出しそうな気配が漂い、吹き抜ける風が再び坊主頭を冷たく撫でた。
「……本当にここで合ってるのかな」
「地図の通りなら、あの角を曲がった先にあるみたいだけど……」
路地を抜けると、古びた商店がまばらに並ぶ狭い通りが現れる。赤い看板や昭和レトロ風の装飾が妙に懐かしい雰囲気を醸し出しているが、通行人の姿はほとんどない。
目的の店は、路地の奥まった場所にあった。こぢんまりとした喫茶店で、窓ガラスには凝ったデザインの文字が描かれ、店先には小さな鉢植えが並んでいる。
扉を開けると、カウベルの乾いた音が「カランカラン」と鳴り、店内の奥から焙煎コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐる。客はまばらで、温かみのある照明の下、数名の客が静かに本を読んだり会話したりしていた。
謎の人物との対面
二人が周囲を見回していると、一人の女性が奥のテーブル席から手を挙げて合図した。意外にも若い――二十代後半から三十代くらいだろうか。肩まで届く黒髪を落ち着いたヘアスタイルにまとめ、柔らかなスーツ姿をしている。
彼女は笑顔で立ち上がり、二人を招くように席を促した。至極自然な振る舞いに、莉子と麻衣は少し面食らう。まるで初対面ではないかのような親しみのある笑みだった。
「初めまして。電話でも名乗らなかったけど……ごめんなさいね。とりあえず、座って」
その声は、麻衣が受けた電話の相手と同じだ。近づいてくる二人を見つめる瞳には、どこか安心感のある光が宿っているように見えた。
差し出された名刺には「臨床心理士」の肩書き。見慣れない個人事務所の名前が印刷されていて、どこかで聞いたことがあるような、ないような――。
麻衣が首をかしげていると、女性はテーブルを軽く叩きながら口を開く。
「安心して。私はあなたたちを騙すつもりはないし、危害を加える気もない。ただ、ちょっと話があってね」
そう言われても、緊張が解けるわけではない。莉子と麻衣は互いに目線を交わしながら、恐る恐る椅子に腰を下ろす。すぐにウエイターがやってきて、コーヒーや紅茶などを注文するタイミングになった。
注文を終えると、女性は改めて自己紹介を始めた。
「私の名前は北川(きたがわ)。普段は心理カウンセリングをやっていて、若い方のメンタルケアに関わることが多いの。今回、縁あってあなたたちのことを知る機会があって……連絡してみたの」
さらりと話すが、具体的に「誰から聞いたのか」「どういう経緯で知ったのか」は語られない。莉子と麻衣は半信半疑のまま、しかし興味が勝って次の言葉を待つ。
明かされるメッセージの正体
ほどなくして運ばれたコーヒーの香りが辺りに広がり、北川は小さく息をついてから口を開く。
「まず先に謝りたいの。あなたたちを驚かせるような方法でアプローチしてごめんなさい。あの差出人不明のメッセージ……実は私が送ったの」
莉子が息を呑み、思わず背筋を伸ばす。やはりそうだったのか――とはいえ、安易に納得できるわけではない。
「どうして……こんな形で? 私たちのこと、どこで知ったんですか?」
萎縮しながらも声を震わせる莉子の問いに、北川は少し困ったような笑みを浮かべて応じる。
「直接のきっかけは、あなたたちの通う看護学校の関係者からの依頼があったの。名前は伏せるけれど、あなたたちのことを心配している人がいてね。私のところに『助けてやってくれないか』と相談が来たの。だけど、公式ルートだとどうしても構えられるだろうし、そもそも学校のカウンセリング制度だけではカバーしきれないんじゃないかっていう話になって……」
学校関係者――村上教員か、もしくは別の誰か。莉子と麻衣の頭にいくつもの顔が浮かぶが、確信は持てない。北川が続ける。
「あなたたちには、いろいろ事情があるのは分かってる。下手に学校側が動くと逆効果になることもあるからね。まずは私が個人的にコンタクトを取って、話を聞けないかっていう提案を受けたの。だから、ああいうメッセージの送り方になってしまって……怖がらせたわよね。ごめんなさい」
そこで北川は深く頭を下げる。本当に申し訳なさそうな態度だ。麻衣もドギマギしながら、ようやく口を開く。
「じゃあ……私たちの坊主頭のこととか、国試に落ちたこととか、全部知ってるんですか?」
「全部というほどではないけど、大まかな状況は聞いてる。あなたたちが何度も髪を剃ったことで苦しんでること、次の試験に向けて追い詰められていること……」
言い当てられた苦しみに、麻衣は思わず目を伏せる。何もかもを見透かされているようで、恥ずかしさと警戒心がせめぎ合う。
カウンセリングの勧め
北川は優しい口調を保ちつつ、テーブルの上で手を組んだ。
「私はカウンセラーとしてあなたたちの力になりたい。坊主頭になった理由も、そこに至るまでの心境も、本当はたくさん話したいことがあるんじゃないかと思ってる。だから、もしよかったら私の事務所へ一度来てみない?」
唐突な提案に、莉子と麻衣は顔を見合わせる。これがいわゆる「ビジネス的な売り込み」なら即断るところだが、北川の表情は真剣そのもので、商売っ気のようなものは感じられない。
とはいえ、過去に何度も髪を剃り、そのたびに官能と痛みの狭間を彷徨った自分たちの行為を、他人に知られるのはやはり抵抗がある。カウンセリングと言っても、どこまで本音を話せるのか分からない。
「……あの、私たち……カウンセリングってやったことなくて……」
「もちろん、最初は難しいかもしれない。でも、少しずつ気持ちを整理していく手伝いができると思う。国家試験に再チャレンジしたいなら、その道筋を一緒に考えるのも仕事のひとつだし」
北川はそう言って微笑む。その瞳には偽りのなさそうな優しさが宿っており、二人の心は少しずつ揺れ動く。誤解がないように説明すると、事務所の場所や料金体系などもざっくりと話してくれるが、全く押しつけがましい感じではない。
莉子は、これまで三度も剃髪をして抜け出せない自分に、何か別の方法があるのかもしれないと思い始める。麻衣も、村上教員への壁を感じていた自分とは違って、こうしてプライベートな形で話を聞いてくれるカウンセラーなら、少しは心を開けるかもしれない――そんな一抹の希望を覚えた。
迷いと一歩
コーヒーを飲み終わるころ、北川は「今日は話を聞いてもらうだけでいい」とあっさり打ち切る姿勢を見せた。二人にあれこれ説教したり、急かしたりすることは一切しない。
「どうするかはあなたたち次第。私にできるのは、カウンセラーとして場所と耳を用意することだけ」という彼女の言葉には説得力がある。
店を出る前に、北川は名刺の裏に事務所の地図と連絡先を改めて書き込んで差し出した。
「焦らなくていい。でも、もしもうどうしようもなく辛くなったら、いつでも連絡して。できれば早いうちに来てくれると、私も準備がしやすいけど……無理強いはしない。あなたたちのペースで決めて」
そう言い残して、彼女は先に店を出た。残された二人は、しばし唖然としたまま無言で見つめ合う。
「騙されているわけじゃ……ない、よね?」と麻衣が囁き、莉子も首を振る。確かに胡散臭さは感じないし、あの誠実そうな眼差しと穏やかな口調に嘘はなさそうだ。何よりも、誰かが裏で心配してくれていた事実――それが妙に胸に温かい灯をともしていた。
帰り道の会話
店を出ると、すっかり夕闇が降りていた。通りの街灯がぼんやりと道を照らし、先ほどまで薄暗かった雰囲気がさらに深みを増している。二人は寂れた商店街の路地を抜け、少しずつ駅に近づく。
久しぶりにまともに会話ができる空気がそこにあった。
「どうする……? 本当にカウンセリング、受けてみる?」
「分かんない。でも、他に方法が見えないのも事実だし……。少なくとも、もう一度髪を剃るのはやめたいよ。正直怖い」
その言葉に、莉子も大きく頷く。三度の剃髪で身も心も傷だらけになった自分たちには、新しい可能性を模索するしかない。少なくとも「剃刀でどうにかなる」わけではなかったのだから。
「私たち、本当に看護師になりたいのか、それすらも分からなくなってきた。それでも……やっぱり諦めたくないというか……」
「うん……。勉強に手がつかないのも、結局心の問題なのかもしれない。カウンセラーって、そういうのを整理してくれるのかな……」
話をするうちに、じわじわと重いものがほどけていくような気がした。夜風が直接当たる坊主頭は相変わらず冷たいが、前ほど痛烈に心を抉る感じはしない。不思議と、やわらかな期待感に包まれている。
駅に着く頃には、二人の間にはかすかに微笑みが戻っていた。
一縷の光
帰宅後、莉子は自室で改めて北川の名刺を眺める。そこには手書きで書き込まれた住所や連絡先があり、インターネット検索をすれば評判や事務所のホームページなども調べられそうだ。
(こんな形で他人に頼るなんて、昔の私なら恥ずかしいと思ったかもしれない。でも、もうそんなこと言ってる場合じゃない)
スマホを手に取り、「カウンセリング 受けたい」と入力しかけては消し、北川の名前を検索してみたりする。どこかで「もしハズレだったら?」という一抹の不安が拭えない。
けれど、例の差出人不明のメッセージの謎を知る手がかりでもあることに間違いはないし、その背景には誰かが二人を心配してくれているという事実がある。
(もう少し、勇気を出してみようかな……)
同じ時間、麻衣も似たような葛藤を抱えていた。いつものようにシャワーを浴び、剃り落とした髪のない頭皮を手早く拭いてから、自分の坊主頭を鏡に映してみる。
三度剃った髪はまた少しずつ伸び始め、ザリザリとした短い毛になりかけている。その姿は見慣れたはずなのに、どうにもやるせない。
(これを繰り返すのはもう嫌だ。何とかしなきゃ……看護師を諦めたくない気持ちも、まだある……)
握りしめたタオルを静かに下ろし、スマホを確認する。莉子からメッセージが届いていた。
「ねえ、北川さんの事務所、いつ行ってみる……?」
短い文章。けれど、そこには「一緒に行こう」という意志が感じられる。麻衣は胸が温かくなるのを覚え、すぐに返信を打つ。
「なる早で行こう。今週末、予定合わせよう?」
やり取りを終え、画面を閉じるころには、自分の中に小さな光が灯った気がした。誰にも言えずに抱え込んでいた痛みを、ほんの少しだけ手放す準備ができそうな予感――それは、三度の剃髪を経てやっと見えた、一縷の希望かもしれない。
第13章の結び
意外な人物との出会いが、閉塞した状況に一筋の光を差し込む。看護学校の関係者の誰かが密かに二人を案じ、心理カウンセラーの北川を通して手を伸ばしてくれていた――その事実だけで、莉子と麻衣の心には僅かながらの安心感と期待が生まれていた。
「剃刀の刃」を頼ることでしか道を見いだせなかった過去を捨てるには、まだ時間がかかるだろう。とはいえ、四度目の剃髪に向かう危うい衝動を抑え込み、何か別の方法を探せるかもしれない。
北川の言う“カウンセリング”が本当に二人を救えるのか、あるいは新たな試練を伴うのかは分からない。だが、もう一度「看護師になる夢」を思い出すきっかけになるならば――そう思えるだけで、今は十分だった。
次章では、二人が北川の事務所を訪れ、新たな一歩を踏み出そうとする。そこで明かされる真実や、彼女たちの心の奥底に潜む“本当の思い”が、運命をさらに揺さぶっていくことになるだろう。
闇の中で手探りするように見つけた小さな光。それは、希望の入り口か、それともまた別の選択肢を示す分岐点なのか――答案用紙を埋めるだけでは越えられなかった大きな壁を、二人がどう乗り越えるのか、物語は次なる展開へと進もうとしている。
差出人不明のメッセージの送り主と名乗る人物から電話があった翌日、莉子(りこ)と麻衣(まい)は指定された場所へ向かうことを決めていた。無論、不安は大きい。だが、このまま鬱屈した日々を続けていても、さらに深い闇へ沈むだけ――そう感じた二人は互いを見つめ合い、小さく息を呑んで覚悟を固めた。
約束の地へ
約束の時間は夕方。場所は、学校や駅から離れた街外れにある喫茶店だという。通い慣れた繁華街やカフェではなく、やや寂れた商店街の裏通りに位置するらしく、二人とも詳しい場所を把握していなかった。
携帯の地図アプリを頼りに、人通りの少ない道を進む。薄曇りの空からは今にも小雨が降り出しそうな気配が漂い、吹き抜ける風が再び坊主頭を冷たく撫でた。
「……本当にここで合ってるのかな」
「地図の通りなら、あの角を曲がった先にあるみたいだけど……」
路地を抜けると、古びた商店がまばらに並ぶ狭い通りが現れる。赤い看板や昭和レトロ風の装飾が妙に懐かしい雰囲気を醸し出しているが、通行人の姿はほとんどない。
目的の店は、路地の奥まった場所にあった。こぢんまりとした喫茶店で、窓ガラスには凝ったデザインの文字が描かれ、店先には小さな鉢植えが並んでいる。
扉を開けると、カウベルの乾いた音が「カランカラン」と鳴り、店内の奥から焙煎コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐる。客はまばらで、温かみのある照明の下、数名の客が静かに本を読んだり会話したりしていた。
謎の人物との対面
二人が周囲を見回していると、一人の女性が奥のテーブル席から手を挙げて合図した。意外にも若い――二十代後半から三十代くらいだろうか。肩まで届く黒髪を落ち着いたヘアスタイルにまとめ、柔らかなスーツ姿をしている。
彼女は笑顔で立ち上がり、二人を招くように席を促した。至極自然な振る舞いに、莉子と麻衣は少し面食らう。まるで初対面ではないかのような親しみのある笑みだった。
「初めまして。電話でも名乗らなかったけど……ごめんなさいね。とりあえず、座って」
その声は、麻衣が受けた電話の相手と同じだ。近づいてくる二人を見つめる瞳には、どこか安心感のある光が宿っているように見えた。
差し出された名刺には「臨床心理士」の肩書き。見慣れない個人事務所の名前が印刷されていて、どこかで聞いたことがあるような、ないような――。
麻衣が首をかしげていると、女性はテーブルを軽く叩きながら口を開く。
「安心して。私はあなたたちを騙すつもりはないし、危害を加える気もない。ただ、ちょっと話があってね」
そう言われても、緊張が解けるわけではない。莉子と麻衣は互いに目線を交わしながら、恐る恐る椅子に腰を下ろす。すぐにウエイターがやってきて、コーヒーや紅茶などを注文するタイミングになった。
注文を終えると、女性は改めて自己紹介を始めた。
「私の名前は北川(きたがわ)。普段は心理カウンセリングをやっていて、若い方のメンタルケアに関わることが多いの。今回、縁あってあなたたちのことを知る機会があって……連絡してみたの」
さらりと話すが、具体的に「誰から聞いたのか」「どういう経緯で知ったのか」は語られない。莉子と麻衣は半信半疑のまま、しかし興味が勝って次の言葉を待つ。
明かされるメッセージの正体
ほどなくして運ばれたコーヒーの香りが辺りに広がり、北川は小さく息をついてから口を開く。
「まず先に謝りたいの。あなたたちを驚かせるような方法でアプローチしてごめんなさい。あの差出人不明のメッセージ……実は私が送ったの」
莉子が息を呑み、思わず背筋を伸ばす。やはりそうだったのか――とはいえ、安易に納得できるわけではない。
「どうして……こんな形で? 私たちのこと、どこで知ったんですか?」
萎縮しながらも声を震わせる莉子の問いに、北川は少し困ったような笑みを浮かべて応じる。
「直接のきっかけは、あなたたちの通う看護学校の関係者からの依頼があったの。名前は伏せるけれど、あなたたちのことを心配している人がいてね。私のところに『助けてやってくれないか』と相談が来たの。だけど、公式ルートだとどうしても構えられるだろうし、そもそも学校のカウンセリング制度だけではカバーしきれないんじゃないかっていう話になって……」
学校関係者――村上教員か、もしくは別の誰か。莉子と麻衣の頭にいくつもの顔が浮かぶが、確信は持てない。北川が続ける。
「あなたたちには、いろいろ事情があるのは分かってる。下手に学校側が動くと逆効果になることもあるからね。まずは私が個人的にコンタクトを取って、話を聞けないかっていう提案を受けたの。だから、ああいうメッセージの送り方になってしまって……怖がらせたわよね。ごめんなさい」
そこで北川は深く頭を下げる。本当に申し訳なさそうな態度だ。麻衣もドギマギしながら、ようやく口を開く。
「じゃあ……私たちの坊主頭のこととか、国試に落ちたこととか、全部知ってるんですか?」
「全部というほどではないけど、大まかな状況は聞いてる。あなたたちが何度も髪を剃ったことで苦しんでること、次の試験に向けて追い詰められていること……」
言い当てられた苦しみに、麻衣は思わず目を伏せる。何もかもを見透かされているようで、恥ずかしさと警戒心がせめぎ合う。
カウンセリングの勧め
北川は優しい口調を保ちつつ、テーブルの上で手を組んだ。
「私はカウンセラーとしてあなたたちの力になりたい。坊主頭になった理由も、そこに至るまでの心境も、本当はたくさん話したいことがあるんじゃないかと思ってる。だから、もしよかったら私の事務所へ一度来てみない?」
唐突な提案に、莉子と麻衣は顔を見合わせる。これがいわゆる「ビジネス的な売り込み」なら即断るところだが、北川の表情は真剣そのもので、商売っ気のようなものは感じられない。
とはいえ、過去に何度も髪を剃り、そのたびに官能と痛みの狭間を彷徨った自分たちの行為を、他人に知られるのはやはり抵抗がある。カウンセリングと言っても、どこまで本音を話せるのか分からない。
「……あの、私たち……カウンセリングってやったことなくて……」
「もちろん、最初は難しいかもしれない。でも、少しずつ気持ちを整理していく手伝いができると思う。国家試験に再チャレンジしたいなら、その道筋を一緒に考えるのも仕事のひとつだし」
北川はそう言って微笑む。その瞳には偽りのなさそうな優しさが宿っており、二人の心は少しずつ揺れ動く。誤解がないように説明すると、事務所の場所や料金体系などもざっくりと話してくれるが、全く押しつけがましい感じではない。
莉子は、これまで三度も剃髪をして抜け出せない自分に、何か別の方法があるのかもしれないと思い始める。麻衣も、村上教員への壁を感じていた自分とは違って、こうしてプライベートな形で話を聞いてくれるカウンセラーなら、少しは心を開けるかもしれない――そんな一抹の希望を覚えた。
迷いと一歩
コーヒーを飲み終わるころ、北川は「今日は話を聞いてもらうだけでいい」とあっさり打ち切る姿勢を見せた。二人にあれこれ説教したり、急かしたりすることは一切しない。
「どうするかはあなたたち次第。私にできるのは、カウンセラーとして場所と耳を用意することだけ」という彼女の言葉には説得力がある。
店を出る前に、北川は名刺の裏に事務所の地図と連絡先を改めて書き込んで差し出した。
「焦らなくていい。でも、もしもうどうしようもなく辛くなったら、いつでも連絡して。できれば早いうちに来てくれると、私も準備がしやすいけど……無理強いはしない。あなたたちのペースで決めて」
そう言い残して、彼女は先に店を出た。残された二人は、しばし唖然としたまま無言で見つめ合う。
「騙されているわけじゃ……ない、よね?」と麻衣が囁き、莉子も首を振る。確かに胡散臭さは感じないし、あの誠実そうな眼差しと穏やかな口調に嘘はなさそうだ。何よりも、誰かが裏で心配してくれていた事実――それが妙に胸に温かい灯をともしていた。
帰り道の会話
店を出ると、すっかり夕闇が降りていた。通りの街灯がぼんやりと道を照らし、先ほどまで薄暗かった雰囲気がさらに深みを増している。二人は寂れた商店街の路地を抜け、少しずつ駅に近づく。
久しぶりにまともに会話ができる空気がそこにあった。
「どうする……? 本当にカウンセリング、受けてみる?」
「分かんない。でも、他に方法が見えないのも事実だし……。少なくとも、もう一度髪を剃るのはやめたいよ。正直怖い」
その言葉に、莉子も大きく頷く。三度の剃髪で身も心も傷だらけになった自分たちには、新しい可能性を模索するしかない。少なくとも「剃刀でどうにかなる」わけではなかったのだから。
「私たち、本当に看護師になりたいのか、それすらも分からなくなってきた。それでも……やっぱり諦めたくないというか……」
「うん……。勉強に手がつかないのも、結局心の問題なのかもしれない。カウンセラーって、そういうのを整理してくれるのかな……」
話をするうちに、じわじわと重いものがほどけていくような気がした。夜風が直接当たる坊主頭は相変わらず冷たいが、前ほど痛烈に心を抉る感じはしない。不思議と、やわらかな期待感に包まれている。
駅に着く頃には、二人の間にはかすかに微笑みが戻っていた。
一縷の光
帰宅後、莉子は自室で改めて北川の名刺を眺める。そこには手書きで書き込まれた住所や連絡先があり、インターネット検索をすれば評判や事務所のホームページなども調べられそうだ。
(こんな形で他人に頼るなんて、昔の私なら恥ずかしいと思ったかもしれない。でも、もうそんなこと言ってる場合じゃない)
スマホを手に取り、「カウンセリング 受けたい」と入力しかけては消し、北川の名前を検索してみたりする。どこかで「もしハズレだったら?」という一抹の不安が拭えない。
けれど、例の差出人不明のメッセージの謎を知る手がかりでもあることに間違いはないし、その背景には誰かが二人を心配してくれているという事実がある。
(もう少し、勇気を出してみようかな……)
同じ時間、麻衣も似たような葛藤を抱えていた。いつものようにシャワーを浴び、剃り落とした髪のない頭皮を手早く拭いてから、自分の坊主頭を鏡に映してみる。
三度剃った髪はまた少しずつ伸び始め、ザリザリとした短い毛になりかけている。その姿は見慣れたはずなのに、どうにもやるせない。
(これを繰り返すのはもう嫌だ。何とかしなきゃ……看護師を諦めたくない気持ちも、まだある……)
握りしめたタオルを静かに下ろし、スマホを確認する。莉子からメッセージが届いていた。
「ねえ、北川さんの事務所、いつ行ってみる……?」
短い文章。けれど、そこには「一緒に行こう」という意志が感じられる。麻衣は胸が温かくなるのを覚え、すぐに返信を打つ。
「なる早で行こう。今週末、予定合わせよう?」
やり取りを終え、画面を閉じるころには、自分の中に小さな光が灯った気がした。誰にも言えずに抱え込んでいた痛みを、ほんの少しだけ手放す準備ができそうな予感――それは、三度の剃髪を経てやっと見えた、一縷の希望かもしれない。
第13章の結び
意外な人物との出会いが、閉塞した状況に一筋の光を差し込む。看護学校の関係者の誰かが密かに二人を案じ、心理カウンセラーの北川を通して手を伸ばしてくれていた――その事実だけで、莉子と麻衣の心には僅かながらの安心感と期待が生まれていた。
「剃刀の刃」を頼ることでしか道を見いだせなかった過去を捨てるには、まだ時間がかかるだろう。とはいえ、四度目の剃髪に向かう危うい衝動を抑え込み、何か別の方法を探せるかもしれない。
北川の言う“カウンセリング”が本当に二人を救えるのか、あるいは新たな試練を伴うのかは分からない。だが、もう一度「看護師になる夢」を思い出すきっかけになるならば――そう思えるだけで、今は十分だった。
次章では、二人が北川の事務所を訪れ、新たな一歩を踏み出そうとする。そこで明かされる真実や、彼女たちの心の奥底に潜む“本当の思い”が、運命をさらに揺さぶっていくことになるだろう。
闇の中で手探りするように見つけた小さな光。それは、希望の入り口か、それともまた別の選択肢を示す分岐点なのか――答案用紙を埋めるだけでは越えられなかった大きな壁を、二人がどう乗り越えるのか、物語は次なる展開へと進もうとしている。
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