失われた光 〜剃刀に囚われた看護学生たちの軌跡〜

S.H.L

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第15章

第15章

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第15章:見えてきた道筋(詳細版)

 北川(きたがわ)のカウンセリングルームを訪れた翌週も、莉子(りこ)と麻衣(まい)は迷いながらも再びそこへ足を運んでいた。看護学校での講義や実習の合間を縫って時間を作り、週に一度のペースでカウンセリングを受けるという流れが、少しずつ二人の日常に定着しはじめたのだ。
 その背景には「もう同じ失敗は繰り返したくない」という強い思いがある。髪を剃ることで一時的にリセット感や快感を得ていた自分たちにとって、剃髪は「抜け道」でもあった。だが、いまはその抜け道ではなく、正面から自分たちの問題と向き合おうとする意志が、ほんの少しずつ育っていた。

新しい朝の風景

 「もう一度看護師を目指して頑張りたい」という気持ちが芽生えはじめると、不思議と日々の小さな行動にも変化が出てきた。
 たとえば朝、起きる時間を少しだけ早めに設定し、カフェインレスのお茶を飲みながら10分ほどストレッチをする。夜更かし気味だった生活を見直し、なるべく夜は1時前にはベッドに入る。
 北川からのアドバイス――「小さく始めて、無理なく続けることが大切」という言葉に従い、二人は可能な範囲で生活リズムを整え始めた。完全にはうまくいかなくても、また剃刀に逃げる衝動を鎮めるための小さな手段を積み重ねていく。

「おはよう、莉子。昨日、ちゃんと眠れた?」
「うん……だいぶ寝つきは良くなったかも。まあ、まだ夜中に目覚めることもあるけど」

 登校時間に合わせて、二人が寮の玄関ホールで顔を合わせることも増えた。坊主頭は相変わらずだが、先の剃髪からしばらく経って少し伸びかけてきている。まだまだショートどころか、うっすらザリザリとした状態だが、以前のような「剃らなきゃ」という焦燥感は少し薄れていた。

カウンセリングのなかで

 週末のカウンセリングルーム。柔らかな日差しが差し込むリビングのような空間に、北川の落ち着いた声が響く。
 その日はまず、「目標を細分化してみる」というテーマで話が始まった。大きなゴール――たとえば「看護師国家試験に再合格」――は、あまりにも高い壁に見えるため、途中で挫折感に押しつぶされてしまう。だからこそ、小さなステップに分けて達成を重ねていくアプローチが大切だという。

「いきなり『合格ラインを超えなきゃ』と思うとプレッシャーが大きいけど、まずは『今日は参考書のこの章だけ復習する』『1日に問題を10問ずつ解いてみる』っていう小さな目標はどうかしら?」

 莉子は目を伏せたまま考える。これまで、国家試験に受かるかどうかの不安ばかりが頭を占めていたが、確かに具体的に何をすればいいのか明確でないまま焦っていた節がある。

「小さい目標か……それなら、ちょっとできそうな気がします」

 隣で話を聞いていた麻衣も、同意するように頷く。自分がやるべき勉強を細かく刻んでクリアしていくというイメージなら、少しは前に進めるかもしれない。
 さらに北川は、「二人で進捗を共有し合うこともいいわね」と提案する。お互いに強制するのではなく、「私は今日ここまでやったよ」と報告し合うだけでも、ひとつの励みになるというのだ。

「今まで、同じ教室やカフェで勉強してても、なんとなく焦りが募るばかりで……」
「そうね。『やらなきゃ』と頭で分かっていても心が追いつかないことが多いから、互いに小さな成功を見せ合えるといいかも」

 そのとき、莉子と麻衣はふと視線を交わした。剃髪がきっかけで生まれた違和感や、失敗を責め合うような空気があったのは事実だが、こうして専門家を介して会話すると、不思議と二人の間にあった溝が溶けはじめているのを感じる。

髪の再生

 カウンセリング中、北川はふと、二人の頭に目を向けながら言った。

「髪の毛、少し伸びてきたね。どう? 伸ばすつもり?」

 それはなかなか直球の質問だった。最初は不意を突かれて身構えそうになるが、ここがカウンセリングの場であると思うと、素直に答えなければという気持ちになった。
 莉子は少し恥ずかしそうに笑う。実際、これまで何度も「また剃ろうか?」という誘惑に駆られた場面はあった。しかし今は「できるだけ剃らないでいたい」という思いの方が勝っている。

「……正直、もう剃りたくないです。あんなに何度も剃刀を当てたのに、結局何も解決しなかったし……」
「私も……あれを繰り返すのは辛いし、恐怖もあるし」

 二人がそう口にすると、北川は柔らかく頷いた。

「分かった。もしどうしても『剃りたい』と思ってしまったら、その衝動自体を否定するんじゃなくて、『どうして今そんな気持ちになってるのか』を観察してみて。もしそれが分からなかったら、いつでも私に連絡してほしい」

 剃髪の衝動を否定するのではなく、自分の気持ちを冷静に観察する――そのアドバイスは、二人にとって目から鱗のようなものだった。何度も「こんなこと、もうやめよう」と思いながら、なぜか剃髪に走ってしまった背景には、抑えきれない感情の渦があったのだと気づく。

小さな進展

 そんなカウンセリングを数回重ねていくうちに、莉子と麻衣の間には明るい話題が増え始めた。以前のように毎日べったり行動するわけではないが、空き時間にちょっとお茶をしたり、図書室で勉強した進捗を報告し合う機会が自然と生まれるようになった。
 もちろん、すぐに集中力やモチベーションが劇的に向上するわけではない。それでも、「今日は参考書の〇〇章を読み切った」というごく小さな成功体験を共有し合うことで、互いに「やればできるかもしれない」という希望を掴む。
 時には、また落ち込むこともある。思うように頭に入らず、苛立ちを感じる日もある。そんなときは無理に詰め込まず、北川の助言を思い出して「気分が落ちる理由」を紙に書き出してみる。
 剃髪衝動が湧き上がりそうになったら、とにかく深呼吸をして北川にメッセージを送る。するとカウンセラーとしての立場から、「いま何が辛いと思ってるの?」と問いかけてくれ、それを書き返すうちに衝動は不思議とやわらいでいくことも多かった。

周囲の変化

 以前は二人が坊主頭であることをクラスメイトたちも不思議がっていたが、近頃はその疑問や好奇の視線も薄れ、自然に受け入れられはじめている。
 「もう剃らないの?」と茶化すように尋ねてくる人もいたが、二人は笑って受け流す。自分たちの中では、「いつまた衝動が来るか分からない」という危うさを抱えながらも、それを笑いに昇華できるだけの心の余裕が少しずつ生まれていた。

「……莉子、前より顔色が良くなったんじゃない?」
「そうかな。麻衣こそ、前はずっと沈んでたけど、最近は割と余裕ありそうに見えるよ」

 何気なく交わす会話のなかに、これまで感じられなかった穏やかさがある。かつては自分たちが“仲良し”だったはずなのに、試験に落ち、剃髪を経験してからはギクシャクしていた。
 その亀裂が完全に埋まったわけではないが、少なくとも今は互いを理解し合おうとする気持ちが生まれている。大きな目標や夢を語り合うにはまだ怖さが残るけれど、小さな一歩を踏み出すならお互いに支え合える。そんな空気が、二人の間に流れはじめていた。

差出人の正体

 一方、謎のメッセージを北川に依頼した“学校関係者”は誰かという疑問も、二人の中で次第にぼんやりと答えが見えてきていた。カウンセリング中に北川が「その人はあなたたちの身近にいる」と漏らした言葉や、授業の雰囲気などから、おそらくは村上教員(むらかみ)か、その近しい人物ではないかと推測している。
 だが、村上教員もあからさまに「私が北川さんを紹介したのよ」とは言ってこない。見かければ声をかけてくれるが、それはあくまで「体調はどう?」といった程度だ。
 莉子も麻衣も、その隠し立てするような態度を不思議に思いつつも、下手に深追いして恩を仇で返したくないという思いがある。いつか自分たちが試験に合格し、看護師への道に進むときに、改めてきちんと感謝を伝えよう――そう誓い合う程度に留めていた。

小さな成功と次の段階

 ある日、二人はテキストの小テスト問題を持ち寄って、カフェで一緒に勉強する機会を設けた。いつもは図書室や自習室で黙々と取り組んでいたが、たまには外の空気を吸いながら教え合おうという試みだ。
 問題を一通り解き終え、採点してみると、莉子は7割ほど正答していた。今までなら「これじゃ合格ラインに届かない」と落ち込んでいただろうが、北川のアドバイスを思い出し、「前の自分より解けるようになったかもしれない」と前向きにとらえられた。
 麻衣も似たような成績だったが、得意分野と苦手分野が異なることが分かり、今後は「相互フォローで勉強できそう」と感じる。今まではただ漠然と苦手だと決めつけていた領域が、調べてみると案外理解できる部分もある。

「こんなの、昔なら全然無理だと思ったけど、意外といけるかも」
「私、ここが全然できなかったから、今度教えてもらえる?」

 そうして微笑み合う姿に、かつての友情がほんのりと戻ってくる気がした。決して完璧ではないし、まだ試験の結果は何も分からない。けれど、「一緒にやれば何とかなるかもしれない」という希望が、二人の胸を温かく満たしている。

第15章の結び

 北川のカウンセリングを受け始めてからしばらく経ち、莉子と麻衣の心は少しずつ回復の兆しを見せていた。剃髪への衝動が完全に消えたわけではないが、それをコントロールする術を学びながら、看護師への再挑戦に向けた具体的な一歩を踏み出しつつある。
 「無理しなくていい」「小さな成功を積み重ねる」――北川からの言葉は、三度の剃刀に走った自分たちを責めるのではなく、これからの未来に焦点を当てる視点を与えてくれる。そんなサポートを得ることで、二人は少しずつ道筋を見いだしているのだ。
 もちろん、道はまだ遠い。看護学校の課題や実習は厳しく、次の国家試験までの時間も決して多くはない。焦りは残るし、不安の波が押し寄せてくることもあるだろう。
 それでも、もう一度一緒に学び合う決意を固めた二人には、「自分たちは変われるかもしれない」という希望が宿っている。そして、その希望がかすかな光となって、再び床屋の刃へと逃げる日々を少しずつ遠ざけていく。
 やがて訪れる試験の時期――そのとき、二人は本当に自分の力を取り戻し、看護師としてのスタートラインに立てるのか。長い長い旅の先に、ようやく新たな扉が見え始めている。
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