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第十一章:外の光の中へ――新しい風と新しい自分
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扉の上に取り付けられたベルが、**カラン……**と軽やかな音を立てた。
それは、長い儀式の終わりと、新しい人生の始まりを告げる合図のようだった。
笹原七海は、理容椅子からゆっくりと立ち上がった。
首筋を伝う微かな風が、直接地肌を撫でていく。
今まで髪に遮られていた空気が、まるで生まれたての肌に触れてくるようだった。
彼女は両手を頭に当て、指先で頭皮を確かめた。
つるりとした感触――もう一本の髪もない。
指先が滑るたび、光が反射して白く輝く。
まるで、何かをすべて削ぎ落としたあとの“純粋な形”がそこにあった。
店主の加藤は、静かに道具を片付けていた。
長年の手付きで剃刀を拭き、ハサミを磨き、最後にタオルを丁寧に畳む。
七海はその一連の動作を、どこか神聖な儀式のように見つめていた。
この場所で、彼女は確かに「過去」を置いてきたのだ。
「……終わりましたね」
加藤が言った。
その声には、少しの疲れと、それ以上に深い達成感が滲んでいた。
七海は鏡を見つめたまま、小さく笑った。
「はい。……不思議な気分です」
「軽いでしょう?」
「ええ。体も心も。まるで中身まで入れ替わったみたい」
加藤はうなずき、柔らかく微笑んだ。
「髪というのは、心を覆う“幕”のようなものなんです。
それを剃り落とすと、心の奥まで光が届くんですよ」
七海は、その言葉を胸の中で繰り返した。
――光が届く。
まさに今の自分がそうだった。
これまで胸の奥にあった黒い影――怒り、悲しみ、後悔。
そのすべてに、柔らかい光が差し込んでいるのを感じた。
「これから、どうしますか?」
加藤の問いに、七海は一瞬考えてから答えた。
「まず……少し歩いてみたいです。
風がどんなふうに当たるのか、確かめたくて」
加藤は笑って頷いた。
「いいですね。今日の風は、きっと特別ですよ」
七海は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。――加藤さんのおかげで、前を向けます」
「こちらこそ。……また、伸びたら来てくださいね」
「ええ。でも、しばらくはこのままでいたいです」
扉を押すと、街の光が一気に目の前に広がった。
外はもう夕方。
西の空が朱色に染まり、建物の影が長く伸びていた。
七海は一歩、外へ出た。
冷たい風が、頭の上を通り抜ける。
まるで風が「ようこそ」と語りかけるようだった。
肌の上を流れる空気の質が、まるで違って感じられる。
髪があった頃は、風を「感じる」というより「防いでいた」のだと気づく。
彼女は歩道に立ち止まり、信号待ちの人々の視線を感じた。
ちらり、と見る者もいれば、すぐに目を逸らす者もいる。
だが、七海はもう動じなかった。
どんな視線を受けても、自分の中に一本の軸がある。
(私は、これでいい。これが私なんだ)
風が頬を撫でる。
そのたびに、頭皮が微かに震え、太陽の光を反射する。
街のショーウィンドウに映った自分を、七海はしばらく見つめた。
スキンヘッドの女性が、そこに立っている。
だが、そこには「失恋に打ちひしがれた女」の影はどこにもなかった。
目は澄んで、口元には穏やかな笑み。
顔全体が引き締まり、姿勢さえも堂々としている。
(こんな顔してたんだ……)
自分自身にそう呟き、七海は小さく息を漏らした。
街を歩くたび、人々の視線が自分に集まる。
けれど、それはもう恥ずかしさではなく、誇りのようなものだった。
彼女は人の目を避けるのではなく、まっすぐ見返すことができた。
信号が青に変わり、七海は横断歩道を渡った。
歩くたびに、風が頭皮をなで、世界が近づいてくる。
髪がないだけで、こんなにも風が身体を通り抜けていくのか――と驚く。
すれ違う人の中には、小さく笑みを向けてくる者もいた。
七海も自然と笑い返した。
それは、かつて恋人に向けた笑顔とは違う。
誰かに見せるためではなく、自分のための笑顔だった。
ふと、道端のウィンドウに目をやると、そこに小さな花屋があった。
七海は足を止め、中を覗いた。
薄桃色のガーベラ、真紅のカーネーション、白いユリ。
どの花も、太陽の光を浴びて誇らしげに咲いている。
彼女は迷わず店に入り、一輪の白いガーベラを選んだ。
「この花、似合いますよ」
店員の女性が微笑んで言った。
七海は少し恥ずかしそうに笑いながら、頷いた。
「ありがとうございます。……はい、今日は特別な日なので」
花を手に、再び外に出る。
ビルの谷間から吹く風が、彼女の頭を撫でる。
その瞬間、七海は心の底から思った。
――髪を失って、ようやく世界に触れた。
太陽の光も、風の温度も、人の視線も、
すべてがまっすぐ自分に届いている。
何も隠すものがない今の自分が、いちばん「生きている」と感じられた。
(この感覚を、忘れたくない)
彼女はガーベラを胸に抱き、まっすぐ前を見据えた。
その瞳には、かつて失ったはずの光が、確かに戻っていた。
理容店のガラス戸の向こうで、加藤は静かにその背中を見送っていた。
スキンヘッドの女性が夕陽の中を歩いていく。
そのシルエットは、どこか神々しく、
――そして、限りなく自由だった。
七海の心には、もう「喪失」という言葉はなかった。
そこにあるのはただ、
**“再生”**という名の静かな光だけだった。
それは、長い儀式の終わりと、新しい人生の始まりを告げる合図のようだった。
笹原七海は、理容椅子からゆっくりと立ち上がった。
首筋を伝う微かな風が、直接地肌を撫でていく。
今まで髪に遮られていた空気が、まるで生まれたての肌に触れてくるようだった。
彼女は両手を頭に当て、指先で頭皮を確かめた。
つるりとした感触――もう一本の髪もない。
指先が滑るたび、光が反射して白く輝く。
まるで、何かをすべて削ぎ落としたあとの“純粋な形”がそこにあった。
店主の加藤は、静かに道具を片付けていた。
長年の手付きで剃刀を拭き、ハサミを磨き、最後にタオルを丁寧に畳む。
七海はその一連の動作を、どこか神聖な儀式のように見つめていた。
この場所で、彼女は確かに「過去」を置いてきたのだ。
「……終わりましたね」
加藤が言った。
その声には、少しの疲れと、それ以上に深い達成感が滲んでいた。
七海は鏡を見つめたまま、小さく笑った。
「はい。……不思議な気分です」
「軽いでしょう?」
「ええ。体も心も。まるで中身まで入れ替わったみたい」
加藤はうなずき、柔らかく微笑んだ。
「髪というのは、心を覆う“幕”のようなものなんです。
それを剃り落とすと、心の奥まで光が届くんですよ」
七海は、その言葉を胸の中で繰り返した。
――光が届く。
まさに今の自分がそうだった。
これまで胸の奥にあった黒い影――怒り、悲しみ、後悔。
そのすべてに、柔らかい光が差し込んでいるのを感じた。
「これから、どうしますか?」
加藤の問いに、七海は一瞬考えてから答えた。
「まず……少し歩いてみたいです。
風がどんなふうに当たるのか、確かめたくて」
加藤は笑って頷いた。
「いいですね。今日の風は、きっと特別ですよ」
七海は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。――加藤さんのおかげで、前を向けます」
「こちらこそ。……また、伸びたら来てくださいね」
「ええ。でも、しばらくはこのままでいたいです」
扉を押すと、街の光が一気に目の前に広がった。
外はもう夕方。
西の空が朱色に染まり、建物の影が長く伸びていた。
七海は一歩、外へ出た。
冷たい風が、頭の上を通り抜ける。
まるで風が「ようこそ」と語りかけるようだった。
肌の上を流れる空気の質が、まるで違って感じられる。
髪があった頃は、風を「感じる」というより「防いでいた」のだと気づく。
彼女は歩道に立ち止まり、信号待ちの人々の視線を感じた。
ちらり、と見る者もいれば、すぐに目を逸らす者もいる。
だが、七海はもう動じなかった。
どんな視線を受けても、自分の中に一本の軸がある。
(私は、これでいい。これが私なんだ)
風が頬を撫でる。
そのたびに、頭皮が微かに震え、太陽の光を反射する。
街のショーウィンドウに映った自分を、七海はしばらく見つめた。
スキンヘッドの女性が、そこに立っている。
だが、そこには「失恋に打ちひしがれた女」の影はどこにもなかった。
目は澄んで、口元には穏やかな笑み。
顔全体が引き締まり、姿勢さえも堂々としている。
(こんな顔してたんだ……)
自分自身にそう呟き、七海は小さく息を漏らした。
街を歩くたび、人々の視線が自分に集まる。
けれど、それはもう恥ずかしさではなく、誇りのようなものだった。
彼女は人の目を避けるのではなく、まっすぐ見返すことができた。
信号が青に変わり、七海は横断歩道を渡った。
歩くたびに、風が頭皮をなで、世界が近づいてくる。
髪がないだけで、こんなにも風が身体を通り抜けていくのか――と驚く。
すれ違う人の中には、小さく笑みを向けてくる者もいた。
七海も自然と笑い返した。
それは、かつて恋人に向けた笑顔とは違う。
誰かに見せるためではなく、自分のための笑顔だった。
ふと、道端のウィンドウに目をやると、そこに小さな花屋があった。
七海は足を止め、中を覗いた。
薄桃色のガーベラ、真紅のカーネーション、白いユリ。
どの花も、太陽の光を浴びて誇らしげに咲いている。
彼女は迷わず店に入り、一輪の白いガーベラを選んだ。
「この花、似合いますよ」
店員の女性が微笑んで言った。
七海は少し恥ずかしそうに笑いながら、頷いた。
「ありがとうございます。……はい、今日は特別な日なので」
花を手に、再び外に出る。
ビルの谷間から吹く風が、彼女の頭を撫でる。
その瞬間、七海は心の底から思った。
――髪を失って、ようやく世界に触れた。
太陽の光も、風の温度も、人の視線も、
すべてがまっすぐ自分に届いている。
何も隠すものがない今の自分が、いちばん「生きている」と感じられた。
(この感覚を、忘れたくない)
彼女はガーベラを胸に抱き、まっすぐ前を見据えた。
その瞳には、かつて失ったはずの光が、確かに戻っていた。
理容店のガラス戸の向こうで、加藤は静かにその背中を見送っていた。
スキンヘッドの女性が夕陽の中を歩いていく。
そのシルエットは、どこか神々しく、
――そして、限りなく自由だった。
七海の心には、もう「喪失」という言葉はなかった。
そこにあるのはただ、
**“再生”**という名の静かな光だけだった。
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