風の記憶 ― 髪を断ち、心を生き直す

S.H.L

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第十八章:語り始めた女性 ― 髪を通して伝える勇気

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 年が明けて、一月。
 凍てつくような空気の中でも、七海はコートの下にニット帽を被らず出かけていた。
 頭に直接あたる冬の風にも、もうすっかり慣れている。
 むしろその感覚が「今の自分」を感じさせてくれるようで、どこか誇らしい。

 そんな彼女が今日向かっているのは、都内の小さなコミュニティホールだった。
 SNSを通じて知り合った人たちが主催する「自己表現とアイデンティティを語る会」に招かれたのだ。
 スキンヘッドの女性として、体験談を話してほしい――。
 最初にそのメッセージを受け取ったとき、七海は正直迷った。
 ただ髪を剃っただけの自分が、何を語れるのだろうと。

 けれど、鏡の中で光る自分の頭を見つめているうちに思った。
 (髪を失って得たものを、もし誰かに伝えられるなら――)
 その想いが、彼女を今日ここへ導いていた。



 会場には、二十人ほどの聴衆がいた。
 学生、主婦、会社員、そして少し年配の男性。
 皆、真剣な眼差しで七海を見つめている。

 壇上に立つと、ライトの光が頭皮に当たって反射する。
 それが少し眩しくて、七海は思わず笑った。

 「えっと……光っちゃってすみません。ライトが反射しやすいんです」

 場内に小さな笑いが起こった。
 その柔らかな空気に、七海の緊張がすっとほどける。

 「私は、笹原七海といいます。
  今日は、“髪を通して自分を取り戻した話”をしに来ました」



 七海は語り始めた。
 失恋で心が壊れそうになった日。
 ふと立ち寄った古い床屋「ヘアーサロン風」。
 そこから始まった、自分を変えるための断髪の物語。

 長い髪を切り落とすたびに感じた、恐怖と解放。
 バリカンの音に包まれながら、まるで過去の自分を削り取るような感覚。
 そして最後にスキンヘッドになった瞬間、涙と一緒に心の中の“重し”が外れたこと。

 話しているうちに、会場の空気が静まり返っていった。
 誰もが息を飲むように彼女の言葉を聞いている。

 「私は、髪を失ったことで、“女らしさ”の呪縛から解放されました。
  でも、それは“女性であること”を捨てたわけじゃありません。
  むしろ、ありのままの自分を好きになれたんです」

 七海の声には、凛とした強さがあった。



 一人の女性が、客席からそっと手を挙げた。
 スーツ姿の四十代ほどの女性だ。
 「質問、いいですか?」
 「はい、どうぞ」

 「私は、病気で抗がん剤治療を受けていて、髪を失うのが怖いんです。
  七海さんのように、前向きに受け入れられる気がしなくて……」

 その声には、かすかな震えがあった。
 七海はゆっくりと彼女の方を見つめ、優しく微笑む。

 「……私も、最初は怖かったです。
  “失う”というのは、何であれ怖いことです。
  でも、髪がなくなっても、“あなた”はなくならない。
  むしろ、何も隠せなくなった自分の中に、
  本当の強さが見つかると思うんです」

 その言葉に、女性は涙ぐんで頷いた。
 七海の胸の奥にも、熱いものが込み上げてくる。



 講演の終わりに、七海は少し笑いながら言った。

 「私にとってスキンヘッドは、失恋のショックを乗り越えるための“逃げ道”でした。
  でも今は、それが“生き方の表現”になりました。
  髪がなくても、私は私。
  むしろ、何も隠さずに笑えるようになった今の方が、ずっと“女らしい”と思います」

 会場から拍手が湧き上がる。
 それは控えめで、けれど温かく、長く続いた。
 七海は深く一礼しながら、心の中で静かに呟いた。

 (ありがとう。あの床屋で、私の人生は本当に変わった)



 講演が終わると、数人の聴衆が七海のもとにやってきた。
 「お話、感動しました」
 「勇気をもらいました」
 「いつか自分も、髪を切ってみたいです」

 一人一人と握手を交わすたび、七海の胸が温かくなった。
 あの日、ただの“失恋した女性”だった自分が、
 今は誰かに“希望”を与えている。
 その事実が信じられなかった。



 会場を出ると、夕陽がオレンジ色に沈みかけていた。
 街のビルの窓ガラスに、七海のスキンヘッドが映る。
 その輪郭は、まるで小さな太陽のように輝いている。

 ふと、ポケットの中の名刺を取り出す。
 ――「ヘアーサロン風 加藤」。
 彼の笑顔と、バリカンの音が脳裏に蘇る。

 (今度、またお礼に行こう)

 七海はそう思いながら、ゆっくりと駅へ向かって歩き出した。
 寒風が頭を撫でる。
 でも、それはもう“痛み”ではなく、“祝福”のように感じられた。



 その夜、七海はSNSに一枚の写真を投稿した。
 講演会でマイクを握る自分の姿。
 そして、短いキャプションを添えた。

 >「髪を失って、私は“私”になった。」

 投稿から数時間後、画面にはたくさんのコメントといいねが並んだ。
 “勇気をありがとう”
 “あなたの笑顔に救われました”
 “髪を切るって、自由なんですね”

 七海は静かにスマホを閉じ、灯りを落とす。
 暗い部屋の中で、月明かりが彼女の頭皮を照らしていた。
 その光は、柔らかく、温かく、まるで「肯定」のようだった。



 翌朝。
 鏡の前に立ち、七海は新しい一日を迎える準備をした。
 その表情は穏やかで、どこか凛としていた。

 「今日も、私らしく生きよう」

 そう小さく呟きながら、七海はコートを羽織り、玄関を出た。
 冬の風がまた彼女の頭を撫でた。
 その感触に、七海は微笑んだ。

 もう、あの頃のように“隠す”必要はない。
 髪を通して、心を剃り上げた七海の人生は――
 これからもまっすぐに、風とともに進んでいくのだった。
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