椅子の上で、息をする ――髪を断つ女の五つの季節――

S.H.L

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第二部

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第十一章 短い髪の限界
短くなった髪は、想像以上に雄弁だった。
朝、鏡の前に立つと、誤魔化しがきかない。
寝癖も、疲れも、気分の浮き沈みも、そのまま輪郭として現れる。
麻由は、以前のように髪を結ぶことができなかった。
まとめる必要がない代わりに、隠す手段もなくなった。
会社では評価が変わり始めていた。
「最近、はっきり言うよね」
「前より、話が分かりやすい」
褒め言葉だと分かっていても、どこか落ち着かなかった。
——これ以上、前に出てもいいの?
短くした髪は、問いを投げかけてくる。
ある夜、風呂上がりにタオルで頭を拭いたとき、麻由はふと気づいた。
まだ、重い。
短いのに、どこかに“余白”が残っている。
決意としては、まだ中途半端だ。
その感覚が、数日間、頭から離れなかった。
第十二章 もう一度、あの椅子へ
理容店の扉を開く音は、もう怖くなかった。
カラン。
「いらっしゃい。今日は?」
理容師は、前回と同じように穏やかだった。
「……もっと、短くしたくて」
言葉にすると、胸が静かになる。
「どのくらい?」
麻由は、鏡の中の自分を見つめる。
耳は出ている。
襟足も短い。
それでも、まだ“女性らしさ”という名の逃げ道が残っている。
「……スポーツ刈り、ってできますか」
一瞬、理容師の手が止まった。
「できますよ。かなり短くなりますが」
「……はい」
即答だった。
もう、揺れていなかった。
第十三章 トップを削る
クロスがかけられる。
首元の感触は、もう慣れていた。
「まず、上からいきますね」
バリカンの音が、前回よりも近い位置で鳴る。
じり――。
トップに、直接入る。
短く整えられていた髪が、一気に刈られ、明確な長さの差が生まれる。
ぽとぽと、と落ちる毛は、前より短い。
それでも、確かに“自分の一部”だった。
——頭、丸い。
地肌が、はっきりと見える。
鏡の中で、額から頭頂部にかけてのラインが、むき出しになる。
スポーツ刈りは、曖昧さを許さない。
「……横、お願いします」
言葉は、自然に出ていた。
第十四章 側頭部の喪失
側頭部に、再びバリカンが入る。
じり、じり。
前回よりも、さらに深く。
音が、頭蓋に直接響く。
耳の上が、一気に短くなる。
指で触れれば、もう“髪”というより“毛”だった。
床を見ると、
長い毛はもうない。
落ちているのは、細かく、短い、黒い粒。
——ここまで来た。
鏡の中の自分は、完全に別人だった。
女性か、男性か。
そんな分類を、一度すり抜けた顔。
「……後ろも、同じで」
声は、落ち着いていた。
第十五章 スポーツ刈りの完成
襟足が刈られ、全体が整えられる。
クロスが外されると、頭が信じられないほど軽い。
スポーツ刈り。
それは、活動のための髪型。
守りではなく、前進の形。
鏡の中の麻由は、
逃げるための髪を、完全に失っていた。
「……ありがとうございます」
理容師は、少しだけ微笑んだ。
「よく似合ってますよ。覚悟の顔です」
その言葉が、胸に残った。
第十六章 日常の反応
会社では、ざわつきが起きた。
「え……?」
「思い切ったね」
否定も、好奇も、すべて真正面から届く。
麻由は、初めて視線から逃げなかった。
「自分で、決めました」
そう言えた自分に、驚いた。
だが、数日経つと、次の感覚が生まれる。
——まだ、残ってる。
スポーツ刈りでも、まだ“毛”はある。
触れば、確かに存在する。
もっと削ぎ落としたら、どうなるんだろう。
その問いは、静かに、しかし確実に育っていった。
第十七章 坊主という言葉
「坊主?」
友人に言われたとき、麻由は否定しなかった。
「……考えてる」
その夜、風呂場の鏡で頭を眺める。
スポーツ刈りの自分は、強そうに見えた。
でも、それはまだ“形”だった。
坊主は、形ですらない。
ただ、頭そのものが露出する。
——そこまで行ったら、何が残るんだろう。
怖さは、もうなかった。
あったのは、好奇心に近い静けさだった。
第十八章 三度目の椅子
理容店の椅子に座るのは、これで三度目。
「今日は……」
理容師が言いかけた言葉を、麻由が遮る。
「……坊主で、お願いします」
店内の空気が、一瞬だけ張り詰める。
「長さは?」
「……全部、同じで」
逃げ場のない指定。
理容師は、ゆっくりとうなずいた。
第十九章 均されていく頭
バリカンが、頭頂から入る。
じり――。
スポーツ刈りのトップが、完全になくなる。
一度刈られた毛が、さらに削られていく。
音は、単調で、確実。
どこを刈っても、同じ感触。
——均されていく。
側頭部も、後頭部も、区別が消える。
床に落ちるのは、
もはや“髪型の名残”。
鏡の中で、
頭の形そのものが、現れる。
丸み。
凹凸。
生まれ持った輪郭。
「……もう、ありませんね」
理容師の声が、遠く感じた。
第二十章 坊主の完成
クロスが外される。
頭が、直接空気に触れる。
冷たい。
でも、驚くほど心地いい。
鏡の中には、坊主頭の女性がいた。
化粧も、髪型も、役割もない。
ただ、一人の人間の顔。
麻由は、静かに息を吐いた。
——これでいい。
これが、私。
終章 何もないという強さ
外に出ると、風が頭全体を撫でた。
隠れる場所は、どこにもない。
でも、逃げたいとも思わなかった。
髪を失った分、
輪郭がはっきりし、
呼吸が深くなった。
麻由は歩き出す。
坊主頭で、まっすぐ前を向いて。
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