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第三部
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第二十一章 坊主のままの日々
坊主になってから、時間の流れが変わった。
朝、鏡を見るのに、数秒しかかからない。
寝癖も、分け目も、整える必要がない。
頭を洗う。
指先で、直接、頭皮をなぞる。
——ここが、私の輪郭。
坊主頭は、麻由から「準備」という行為を奪った。
同時に、言い訳も奪った。
会社では、最初こそ視線が集まったが、やがて日常に溶けた。
「慣れたね」
「もう、そのイメージ」
誰かの言葉に、麻由は頷く。
慣れたのは、周囲ではなく、自分だった。
だが、ある朝、ふとした疑問が浮かぶ。
——このまま、伸ばす?
坊主は、完成形ではない。
時間が経てば、必ず「途中」になる。
その途中を、どう生きるのか。
それを考え始めたとき、麻由は初めて迷った。
第二十二章 伸びるという現象
坊主頭は、嘘をつかない。
数日経つと、
数ミリの黒い影が、頭全体に現れる。
触ると、ざらりとする。
均一だった感触が、少しずつ変わっていく。
——伸びてる。
それは「回復」にも見えたし、
「後戻り」にも見えた。
伸ばせば、また形が生まれる。
形が生まれれば、評価も、役割も戻ってくる。
「女性らしさ」
「社会的な無難さ」
すべて、髪と一緒に。
その夜、麻由は久しぶりに母から電話を受けた。
「……その後、どう?」
「うん。元気」
少し間が空いて、母が言った。
「伸ばすなら、今からよ」
悪気のない一言。
でも、麻由の胸に、小さな引っかかりが残った。
——“戻る”って、誰にとっての正解?
第二十三章 理容店の鏡
三度目の坊主から、一ヶ月。
麻由は、また理容店の前に立っていた。
カラン。
「いらっしゃい」
理容師は、何も聞かずに、椅子を示した。
「……伸ばすか、剃るか、迷ってて」
正直に言う。
理容師は、少し考えてから答えた。
「伸ばすのは、何もしないことです。
剃るのは、することです」
その言葉が、胸に落ちる。
——私は、どっちを選びたい?
鏡に映る自分を見る。
坊主頭は、すでに「完成」ではなくなっていた。
中途半端な長さ。
どこにも属さない状態。
「……中途半端なのが、一番、嫌かもしれません」
麻由の声は、静かだった。
第二十四章 剃るという選択
「……剃ってください」
言った瞬間、心が決まった。
「全部、ですか」
「……はい。地肌が見えるまで」
理容師は、何も言わずに準備を始めた。
クロスがかけられる。
だが、今回は首元の締め付けすら、意味を持たない。
すでに、隠すものはなかった。
バリカンが、さらに短い設定に変えられる。
音が、前より高く、鋭い。
第二十五章 最後の毛
バリカンが、頭頂から入る。
じり――。
坊主の名残が、完全に消えていく。
数ミリの毛が、粉のように落ちる。
床には、もはや「髪型」と呼べるものはない。
ただの、黒い粒。
側頭部。
後頭部。
すべてが、同じ長さに、同じ感触に。
指で触れられると、
ざらり、という抵抗が、すぐに消えた。
——もう、何もない。
理容師は、最後にカミソリを手に取る。
「仕上げ、いきますね」
頷く。
刃が、泡の上を滑る。
しゅ、しゅ。
音が、驚くほど静かだ。
頭皮が、完全に露出していく。
冷たさ。
そして、解放感。
第二十六章 スキンヘッド
クロスが外される。
頭に、何も乗っていない。
空気が、直接、触れる。
鏡の中の自分は、
もはや「髪型」という概念から自由だった。
眉も、目も、口も、
すべてがそのまま、そこにある。
性別も、年齢も、役割も、
一度、後ろに下がった顔。
麻由は、静かに息を吸った。
——軽い。
これが、何も足さないということ。
第二十七章 外の世界
外に出ると、風が頭全体を包む。
視線は、確かに集まる。
でも、不思議と気にならなかった。
逃げる髪も、守る形もない。
あるのは、
選んだという事実だけ。
会社で、誰かが言った。
「……すごいね」
麻由は、少し考えてから答える。
「そうかな。でも、楽だよ」
それは、強がりではなかった。
終章 また伸びるとしても
スキンヘッドは、永遠ではない。
放っておけば、また伸びる。
形は、また生まれる。
でも、麻由は知っていた。
——もう、戻らなくていい。
伸ばすか、剃るか。
それは、いつでも自分で選べる。
髪がなくても、
私は、ここに立っている。
鏡の前で、
何もない頭の自分が、確かに笑っていた。
坊主になってから、時間の流れが変わった。
朝、鏡を見るのに、数秒しかかからない。
寝癖も、分け目も、整える必要がない。
頭を洗う。
指先で、直接、頭皮をなぞる。
——ここが、私の輪郭。
坊主頭は、麻由から「準備」という行為を奪った。
同時に、言い訳も奪った。
会社では、最初こそ視線が集まったが、やがて日常に溶けた。
「慣れたね」
「もう、そのイメージ」
誰かの言葉に、麻由は頷く。
慣れたのは、周囲ではなく、自分だった。
だが、ある朝、ふとした疑問が浮かぶ。
——このまま、伸ばす?
坊主は、完成形ではない。
時間が経てば、必ず「途中」になる。
その途中を、どう生きるのか。
それを考え始めたとき、麻由は初めて迷った。
第二十二章 伸びるという現象
坊主頭は、嘘をつかない。
数日経つと、
数ミリの黒い影が、頭全体に現れる。
触ると、ざらりとする。
均一だった感触が、少しずつ変わっていく。
——伸びてる。
それは「回復」にも見えたし、
「後戻り」にも見えた。
伸ばせば、また形が生まれる。
形が生まれれば、評価も、役割も戻ってくる。
「女性らしさ」
「社会的な無難さ」
すべて、髪と一緒に。
その夜、麻由は久しぶりに母から電話を受けた。
「……その後、どう?」
「うん。元気」
少し間が空いて、母が言った。
「伸ばすなら、今からよ」
悪気のない一言。
でも、麻由の胸に、小さな引っかかりが残った。
——“戻る”って、誰にとっての正解?
第二十三章 理容店の鏡
三度目の坊主から、一ヶ月。
麻由は、また理容店の前に立っていた。
カラン。
「いらっしゃい」
理容師は、何も聞かずに、椅子を示した。
「……伸ばすか、剃るか、迷ってて」
正直に言う。
理容師は、少し考えてから答えた。
「伸ばすのは、何もしないことです。
剃るのは、することです」
その言葉が、胸に落ちる。
——私は、どっちを選びたい?
鏡に映る自分を見る。
坊主頭は、すでに「完成」ではなくなっていた。
中途半端な長さ。
どこにも属さない状態。
「……中途半端なのが、一番、嫌かもしれません」
麻由の声は、静かだった。
第二十四章 剃るという選択
「……剃ってください」
言った瞬間、心が決まった。
「全部、ですか」
「……はい。地肌が見えるまで」
理容師は、何も言わずに準備を始めた。
クロスがかけられる。
だが、今回は首元の締め付けすら、意味を持たない。
すでに、隠すものはなかった。
バリカンが、さらに短い設定に変えられる。
音が、前より高く、鋭い。
第二十五章 最後の毛
バリカンが、頭頂から入る。
じり――。
坊主の名残が、完全に消えていく。
数ミリの毛が、粉のように落ちる。
床には、もはや「髪型」と呼べるものはない。
ただの、黒い粒。
側頭部。
後頭部。
すべてが、同じ長さに、同じ感触に。
指で触れられると、
ざらり、という抵抗が、すぐに消えた。
——もう、何もない。
理容師は、最後にカミソリを手に取る。
「仕上げ、いきますね」
頷く。
刃が、泡の上を滑る。
しゅ、しゅ。
音が、驚くほど静かだ。
頭皮が、完全に露出していく。
冷たさ。
そして、解放感。
第二十六章 スキンヘッド
クロスが外される。
頭に、何も乗っていない。
空気が、直接、触れる。
鏡の中の自分は、
もはや「髪型」という概念から自由だった。
眉も、目も、口も、
すべてがそのまま、そこにある。
性別も、年齢も、役割も、
一度、後ろに下がった顔。
麻由は、静かに息を吸った。
——軽い。
これが、何も足さないということ。
第二十七章 外の世界
外に出ると、風が頭全体を包む。
視線は、確かに集まる。
でも、不思議と気にならなかった。
逃げる髪も、守る形もない。
あるのは、
選んだという事実だけ。
会社で、誰かが言った。
「……すごいね」
麻由は、少し考えてから答える。
「そうかな。でも、楽だよ」
それは、強がりではなかった。
終章 また伸びるとしても
スキンヘッドは、永遠ではない。
放っておけば、また伸びる。
形は、また生まれる。
でも、麻由は知っていた。
——もう、戻らなくていい。
伸ばすか、剃るか。
それは、いつでも自分で選べる。
髪がなくても、
私は、ここに立っている。
鏡の前で、
何もない頭の自分が、確かに笑っていた。
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