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第五部
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第三十五章 数年後の朝
三年が経っていた。
麻由は、相変わらず同じ駅で電車を降り、同じ通りを歩いていた。
街は少しだけ変わり、少しだけ変わらない。
朝の支度は、以前ほど早くは終わらなくなっていた。
洗面所の鏡の前。
タオルで頭を拭いたあと、指先が止まる。
——あ、伸びてる。
ほんの数センチ。
産毛だったものが、明確な「髪」になっている。
スキンヘッドでいることを、もう「保って」いなかった。
剃らなくなったのは、いつからだったか。
特別な理由はない。
ただ、
そのままでよかった。
第三十六章 途中の自分
鏡の中の自分は、少し不思議な姿をしていた。
坊主でもない。
ショートとも言えない。
どこにも分類されない長さ。
でも、麻由はその「途中」を嫌だと思わなかった。
——途中でいい。
かつては、完成を急いでいた。
ロングでなければ、
ショートでなければ、
坊主でなければ。
今は、どれでもない時間を、
そのまま置いておける。
それは、時間に急かされなくなった証拠だった。
第三十七章 周囲の変化
会社では、誰も気づかない。
「伸びましたね」と言われることもない。
それは、麻由が「髪の人」ではなくなったからだった。
かつて注目された変化は、
今では履歴の一つにすぎない。
後輩が相談に来る。
同僚と笑う。
仕事は、淡々と続く。
その中で、
麻由は、もう自分の髪を意識しない。
意識されないものは、自由だ。
第三十八章 理容店の前で
久しぶりに、駅前のアーケードを歩いた。
例の理容店は、まだそこにあった。
看板は、さらに色あせている。
立ち止まり、ガラス越しに中を見る。
椅子。
鏡。
回転灯。
懐かしさはあったが、呼ばれる感じはなかった。
——必要になったら、また来ればいい。
今は、まだいい。
選ばないことも、
選択の一つだと知っていた。
第三十九章 母との再会
実家で、母が言った。
「少し、伸びたね」
それだけだった。
麻由は、うなずく。
「うん」
「……どうするの?」
「まだ、分からない」
母は、それ以上聞かなかった。
数年前なら、
沈黙は不安だった。
今は、
余白だった。
第四十章 風の記憶
夜道を歩きながら、麻由は思い出す。
坊主だった頃の、
スキンヘッドだった頃の、
風の感触。
今は、
風は少しだけ柔らかい。
でも、完全には遮られない。
髪が戻っても、
身体は、その感覚を覚えている。
——私は、知っている。
削ぎ落とした先の、自分を。
終章 また、どこへでも
鏡の前で、麻由は自分を見る。
短くも、長くもない髪。
でも、そこに迷いはなかった。
伸ばしてもいい。
切ってもいい。
剃ってもいい。
どれも、すでに通った道だ。
だから、もう怖くない。
麻由は、髪を軽く撫で、微笑む。
——また、どこへでも行ける。
それが、この数年で手に入れた、
たった一つの、確かなものだった。
三年が経っていた。
麻由は、相変わらず同じ駅で電車を降り、同じ通りを歩いていた。
街は少しだけ変わり、少しだけ変わらない。
朝の支度は、以前ほど早くは終わらなくなっていた。
洗面所の鏡の前。
タオルで頭を拭いたあと、指先が止まる。
——あ、伸びてる。
ほんの数センチ。
産毛だったものが、明確な「髪」になっている。
スキンヘッドでいることを、もう「保って」いなかった。
剃らなくなったのは、いつからだったか。
特別な理由はない。
ただ、
そのままでよかった。
第三十六章 途中の自分
鏡の中の自分は、少し不思議な姿をしていた。
坊主でもない。
ショートとも言えない。
どこにも分類されない長さ。
でも、麻由はその「途中」を嫌だと思わなかった。
——途中でいい。
かつては、完成を急いでいた。
ロングでなければ、
ショートでなければ、
坊主でなければ。
今は、どれでもない時間を、
そのまま置いておける。
それは、時間に急かされなくなった証拠だった。
第三十七章 周囲の変化
会社では、誰も気づかない。
「伸びましたね」と言われることもない。
それは、麻由が「髪の人」ではなくなったからだった。
かつて注目された変化は、
今では履歴の一つにすぎない。
後輩が相談に来る。
同僚と笑う。
仕事は、淡々と続く。
その中で、
麻由は、もう自分の髪を意識しない。
意識されないものは、自由だ。
第三十八章 理容店の前で
久しぶりに、駅前のアーケードを歩いた。
例の理容店は、まだそこにあった。
看板は、さらに色あせている。
立ち止まり、ガラス越しに中を見る。
椅子。
鏡。
回転灯。
懐かしさはあったが、呼ばれる感じはなかった。
——必要になったら、また来ればいい。
今は、まだいい。
選ばないことも、
選択の一つだと知っていた。
第三十九章 母との再会
実家で、母が言った。
「少し、伸びたね」
それだけだった。
麻由は、うなずく。
「うん」
「……どうするの?」
「まだ、分からない」
母は、それ以上聞かなかった。
数年前なら、
沈黙は不安だった。
今は、
余白だった。
第四十章 風の記憶
夜道を歩きながら、麻由は思い出す。
坊主だった頃の、
スキンヘッドだった頃の、
風の感触。
今は、
風は少しだけ柔らかい。
でも、完全には遮られない。
髪が戻っても、
身体は、その感覚を覚えている。
——私は、知っている。
削ぎ落とした先の、自分を。
終章 また、どこへでも
鏡の前で、麻由は自分を見る。
短くも、長くもない髪。
でも、そこに迷いはなかった。
伸ばしてもいい。
切ってもいい。
剃ってもいい。
どれも、すでに通った道だ。
だから、もう怖くない。
麻由は、髪を軽く撫で、微笑む。
——また、どこへでも行ける。
それが、この数年で手に入れた、
たった一つの、確かなものだった。
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