椅子の上で、息をする ――髪を断つ女の五つの季節――

S.H.L

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第六部

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第四十一章 髪の話をしなくなる
いつからか、麻由は自分の髪のことを話さなくなっていた。
短いね、と言われることもあれば、
伸びたね、と言われることもある。
どちらにも、頷くだけ。
説明しない。
理由を語らない。
かつては、
「なぜ切ったのか」
「なぜ剃ったのか」
「なぜ戻したのか」
そう問われるたびに、どこかで答えを探していた。
でも今は、違う。
——語らなくていい。
それだけで、物語は終わっている。
第四十二章 駅前の変化
ある日、仕事帰りに駅前を歩いていて、麻由は足を止めた。
アーケードの一角。
かつて、あの理容店があった場所。
シャッターが下り、
貼り紙が一枚。
「長らくのご愛顧、ありがとうございました」
胸の奥で、何かが静かにほどける。
終わったのだ、と分かる。
あの椅子も、
あの鏡も、
あの時間も。
——もう、戻る場所じゃない。
でも、失われたわけでもない。
第四十三章 選ばなかった一日
その日は、何も選ばなかった。
切るか、伸ばすか。
剃るか、整えるか。
何も決めず、
ただ、夕飯の材料を買い、
家に帰った。
シャワーを浴び、
髪を洗い、
自然に乾くのを待つ。
鏡を見ない。
それでも、自分がそこにいることは分かる。
——これでいい。
何かを決めなくても、
私は消えない。
第四十四章 他人の人生の中で
電車の中で、
若い女性がスマートフォンの画面を見ながら、
小さくため息をついている。
長い髪を、何度も耳にかけている。
麻由は、その仕草を見て、何も思わなかった。
羨ましさも、
過去への郷愁も、
助言したい気持ちも。
ただ、
「ああ、あの人も生きてるな」
そう思っただけだ。
物語は、
誰の中にもある。
それを語るかどうかは、自由だ。
第四十五章 鏡の前
夜。
洗面所の鏡の前に立つ。
短くも長くもない髪。
だが、それはもう問題ではない。
目を見る。
肩を見る。
姿勢を見る。
——私は、ちゃんと立っている。
髪は、ただの一部になった。
象徴でも、武器でも、盾でもない。
終章 椅子を降りたあと
あの理容店の椅子に座っていた頃、
麻由は「変わるために」髪を切った。
でも今は、違う。
変わらなくても、
選ばなくても、
語らなくても、
息ができる。
それを知った。
だから、物語はここで終わる。
髪がどうなろうと、
誰にどう見られようと、
もう続きを書く必要はない。
麻由は、
物語の椅子を降り、
ただの一人として、歩いていく。
呼吸は、静かで、確かだった。
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