ゆうかの決意 ― 私、坊主になります!

S.H.L

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ゆうかの決意 ― 私、坊主になります!

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第1章 「女の子なのに、なんで野球?」

 「それじゃ、ランニングあと3周! ラスト、気合い入れてこー!」

 放課後のグラウンドに、キャプテン・コウタの声が響いた。

 「はーい!」

 6年生の結城ゆうかは、声を出して走り出した。泥の跳ねたスパイクが、カッカッと小気味いい音をたてて、夕焼け色に染まるグラウンドを蹴っていく。

 南浜ファイターズ。小学生の軟式野球チームだ。6年生から3年生まで総勢24人。その中で、女の子はゆうかただ一人だった。

 「よし、タイム悪くない。明日から新しいサインプレーやるから、しっかり覚えてきてな」

 監督の黒田先生の声に、子どもたちが「はーい!」と返事をして散っていく。ゆうかも汗をぬぐいながら水筒のふたを開けた。

 練習終わりのグラウンドは、どこか切なさと誇らしさが混じる特別な時間だった。オレンジ色の空と、ざわざわと草むらで鳴く虫の音。風が気持ちよく吹き抜け、帽子の中の蒸れた髪がふわりと揺れた。

 そんな中で、ゆうかの耳に小さな声が入った。

 「……だからさ、あいつがサードってのがちょっとな」

 「うん、オレらの中でいちばん小さいのに、しかも女だろ? 正直、試合じゃ狙われるって」

 声の主はわからなかった。顔も見えなかった。ただ、背後のほう、ベンチの陰から聞こえた男子のささやき。

 ゆうかの心に、ぐさりと何かが刺さった。



 「……女の子なのに、なんで野球?」

 その言葉は、何度も耳にした。

 親戚のおばさんから、クラスの男子から、時には通りすがりの大人からも。

 最初は「気にしてないよ」と笑って流していた。でも、今日のその声は、なぜか胸の深くに沈み込んだ。

 (わたし、本当にこのチームに必要とされてるのかな)

 (男の子と同じように頑張ってきたつもりだった。でも……)

 小さな不安の種は、いつのまにか心の中で芽を出しはじめていた。



 家に帰ると、母が台所で夕飯の支度をしていた。

 「おかえり、ゆうか。今日も練習おつかれさま。お風呂、先に入っていいよ」

 「……うん」

 なんでもないように答えたけれど、頭の中はさっきの声がぐるぐると回っていた。

 脱衣所の鏡に映った自分。肩まで伸びた髪は、汗と砂で少し絡んでいた。ゴムを外すと、ふわりと広がる栗色の髪。お母さんが「大事に伸ばしてるんだよね」と言ってくれていた髪。

 (これが……わたしを「女の子」らしく見せてる?)

 胸の奥に、はっきりとした想いが浮かんできた。

 (だったら、切ってしまえばいい。髪なんか、いらない)



 夜、自分の部屋で勉強机に向かいながらも、ゆうかの頭の中は「髪を切る」という決意でいっぱいだった。

 ランドセルの横に置かれた野球グローブ。その中に何度もボールを投げ、泥で汚れた思い出が詰まっている。

 (わたし、好きなんだ。野球が。ずっとやってたい。だったら、もう……中途半端じゃ、だめなんだ)

 髪をなびかせてバットを振る「女の子らしいプレーヤー」じゃなくて、坊主頭でヘッドスライディングする本気の「選手」として見られたい。

 「……よし」

 ゆうかは、机の引き出しからメモ帳を取り出した。そこに、震える手で文字を書いた。

 『明日、床屋に行って坊主にする』

 たった一行のメモだった。でも、ゆうかの10年ちょっとの人生で、一番重たい約束だった。



 その夜、ベッドの中で何度も思い返した。

 (みんなに笑われるかな……)

 (お母さん、泣いちゃうかもしれない……)

 (でも、逃げたくない)

 眠れないまま、いつの間にか夜が明けていく。

 カーテンのすき間から差し込む朝の光は、いつもよりまぶしくて、少しだけ怖かった。でも――

 ゆうかは、そっと布団から抜け出し、ユニフォームの上にパーカーを羽織って、自転車のカギを手に取った。

 行き先はひとつ。

 町の小さな床屋「とこや たかし」。

 そこに、わたしの“新しいはじまり”がある。


第2章 「バリカン、お願いします」

 日曜の朝。町の通りはまだ静かで、商店街のシャッターは半分以上が閉まったままだった。

 ゆうかは、自転車をゆっくりこぎながら、胸の奥がドクンドクンと早く脈打つのを感じていた。早朝の冷たい風が、パーカーのすそをふわふわと持ち上げる。

 (やっぱりやめようかな……)

 そんな弱い気持ちが一瞬頭をよぎる。でも――

 (やめたら、きっとまた後悔する。あのままじゃ、何も変わらない)

 ふいに、昨日の夕方に聞こえたあの男子の声が脳裏をよぎる。

 「正直、試合じゃ狙われるって……」

 胸がぎゅっと締めつけられた。

 「……もう、誰にも言わせたくない。わたしが“本気”だって、見せるんだ」

 そうつぶやいて、自転車を止めた。



 目の前には、古びた床屋「とこや たかし」。

 ガラス戸の上には赤青白のポールが、のろのろと回っている。ちょっとホコリをかぶったような看板。でも、ここには「本物のバリカン」がある。

 (深呼吸……深呼吸……)

 手をギュッと握って、ゆうかは扉を開けた。

 カランカラン――。

 「いらっしゃい……って、あれ? ゆうかちゃんじゃないか。どうしたの、こんな朝早くに」

 新聞を読んでいた店主・たかしさんが顔を上げる。白髪混じりの口ヒゲに、ちょっとびっくりした目。

 「……坊主にしてください」

 「……へ?」

 新聞のページが途中で止まったまま、たかしさんは固まった。

 「もう一度、言ってくれる?」

 「坊主に、してください。……男の子みたいな、いちばん短い、丸刈りで」



 しばし沈黙が落ちた。

 店内には、壁掛け時計の「チチ……チチ……」という音と、たかしさんの小さなため息だけが聞こえる。

 「……なんか、あったの?」

 「野球を、本気でやりたいんです」

 ゆうかは、まっすぐたかしさんの目を見て言った。泣きそうな気持ちをぐっとこらえて。

 たかしさんはしばらくじっとしていたが、やがて椅子のレバーを上げて言った。

 「じゃあ、座ってごらん。……本気の人間には、こっちも本気で応えるよ」



 首元に白いクロスが巻かれ、椅子が油圧でウィィィンと持ち上がる。

 鏡に映る自分の顔が、だんだん近づいてくる。肩まで伸びたやわらかい髪は、朝の風で少しぼさついていた。

 「じゃあ、いくよ。バリカン……一番短いやつでね」

 たかしさんが道具棚から重みのあるバリカンを取り出す。

 コードを差し込んだ瞬間、**ウィイイイィィン……!**というモーター音が響いた。

 その音を聞いただけで、ゆうかの心臓はドキンと跳ねた。

 (……ほんとうに、坊主になるんだ)



 「まず、こめかみのあたりから入れるよ。じっとしててね」

 たかしさんがバリカンを右のこめかみにそっと当てる。

 ごぉぉぉ……

 刃の震える感覚が、頭皮に直接伝わってくる。

 じゅるじゅる……!

 やわらかい髪が、バリカンの刃の下で切り取られていき、ブワッと浮き上がるようにしてケープの上に落ちた。

 ゆうかは、ぞわっと鳥肌が立つのを感じた。頭の中に風が吹き抜けるような、冷たくて、でもどこか心地よい感触。

 鏡をのぞくと、右のこめかみの髪がなくなり、地肌がまるっと露わになっていた。

 (……あ、すごい。ほんとうに、刈れてる)

 たった一列、髪がなくなっただけで、顔の印象ががらりと変わる。なんだか、ちょっと大人っぽくも見えた。



 「次、横いくよ。耳のうしろ、くすぐったいからね」

 ブオオオ……

 左側も、ゴリゴリと音を立てながら刈られていく。小さな毛束が、ケープに落ち、肩をすべるようにして足元に舞い落ちる。

 (……軽い。頭って、こんなにスースーするんだ)

 髪が短くなるたびに、重さが取れていく。なにか、自分を縛っていたものが、ひとつひとつ解けていくような感覚。



 「じゃあ、後ろいくよ。鏡には見えないけど、いちばん気持ちいいところかもな」

 たかしさんの手がゆうかの後頭部に軽く触れ、バリカンが襟足に当てられる。

 ブォォォォン!

 ジョリジョリジョリ……

 振動が後頭部から首のほうへ流れ、細かい毛がふわりと舞ってケープをすべって落ちていく。

 (背中が、ゾクゾクする……!)

 目を閉じて、その感覚に身をゆだねる。なんだか夢の中みたいだった。



 「さあ、いよいよ、てっぺんだよ。前髪、全部いっちゃうよ」

 鏡の中で、ゆうかの瞳と目が合った。

 (これで最後。もう迷わない)

 「お願いします」

 たかしさんが、バリカンの刃を額の生え際に当てた。

 ジョリジョリジョリ……

 前髪が、ばさり、と落ちた。

 額があらわれ、まるい頭の形が鏡に映る。

 (ああ……なんてスッキリするんだろう)

 次々と、バリカンが頭頂部を走るたびに、髪がなくなり、頭全体が風に当たるような感覚になっていく。

 「……はい、仕上げ入りますね」

 最後にもう一度、全体を整えるように、バリカンがやさしく滑る。

 チリチリとした毛の感触の中に、“新しい自分”が生まれていく実感があった。



 すべてが終わったとき、たかしさんがクロスを外してくれた。

 「終わったよ。……かっこいいじゃないか」

 鏡の中には――丸坊主の女の子。少し緊張した面持ち。でも、目はどこまでも澄んでいて、力強かった。

 ゆうかは、自分の頭に手を当てた。ツルツルとして、でもぬくもりのある感触。

 (これが……本気のわたし)

 「ありがとうございました」

 深くお辞儀をして、ゆうかは床屋をあとにした。

 いつもより強く感じる朝の風が、坊主になった頭をやさしくなでていた。


第3章 坊主のゆうか、現る

 月曜日の放課後。南浜小学校の裏にあるグラウンドでは、今日も変わらず野球の練習が始まっていた。

 「キャッチボール5分! そのあとノックだ!」

 キャプテンのコウタが声を張り上げ、みんなが駆け出していく。グローブの音、ボールの音、走る音。それはいつも通りの日常だった。

 ……ただ一つのことを除いて。

 「え……あれ、だれ……?」

 ベンチ近くに立つその姿に、誰もが目を見張った。

 頭を丸めた坊主の女の子。制服のシャツの上からユニフォームのジャケットを羽織り、キャップをかぶらずに、まっすぐ前を向いて立っていた。

 そう、ゆうかだった。



 「うっそ……ゆうか、髪……坊主にしたの?」

 最初に気づいたのは、同級生のショウタだった。目をまるくして立ち止まり、他の子たちも次々と手を止めて集まってくる。

 「ほんとに? マジで?」

 「え、なんで? え? ほんとに剃ったの?」

 帽子もかぶらず、さらけ出されたゆうかの頭は、日差しを受けてほんのり光っていた。丸く整ったその形は、思った以上に整っていて、どこか清々しい。

 「……坊主にしたのは、野球のため。もっと、ちゃんと見てもらいたかったから」

 静かな声で、でも力強く。ゆうかは言った。

 「“女の子だから”って言われるの、もうイヤだった。わたしは、みんなと同じ“野球選手”になりたい。それだけです」



 その言葉を聞いて、みんながしばし沈黙した。

 最初に口を開いたのは、キャプテンのコウタだった。

 「……ゆうか」

 彼は一歩、ゆうかに近づいて、じっと彼女の顔を見た。

 「……すげえよ。マジでびっくりしたけど……かっけーな、それ」

 その一言で、空気がほどけた。

 「やばい、似合ってるぞ!」

 「てか、なんか強そうに見える!」

 「ボウズ仲間じゃん! オレと同じ!」

 みんなが次々と声をかけてくる。はじめは驚きの表情だった子たちも、今では笑って、グータッチをしてくれた。

 「坊主のエース、いいじゃん! テレビとかに出そう!」

 「うちのチーム、坊主女子って伝説だな!」

 ゆうかの頬が熱くなる。日差しのせいじゃない。うれしくて、涙が出そうだった。



 「ゆうか、ちょっと来い」

 ベンチから監督の黒田先生が呼んだ。いつも厳しい顔のまま、ゆうかの坊主を見て、腕を組む。

 「……お前、それ、本気だったんだな」

 「はい」

 「なんでそこまでする?」

 「野球が好きだからです。……言葉じゃなくて、ちゃんと行動で見せたかった。わたしが、どこまで本気か」

 黒田先生はしばらく黙っていたが、やがてポツリと呟いた。

 「……昔、俺がいたチームにもいたよ。坊主の女の子が。ポジションはセカンドだったがな。レギュラーだった」

 「えっ、そうなんですか?」

 「お前と同じ目をしてたよ。あの子も、本気だった」

 そして、ニヤリと笑って言った。

 「よし、じゃあ今日は坊主エースの特別メニューだ。ランニング5周増やしとくか?」

 「ええっ!? 監督ぅ!」

 「本気なんだろ? 坊主が泣くな!」

 グラウンドに笑い声が弾ける。



 練習後、帽子を取ってタオルで汗をぬぐったとき、ゆうかの坊主は夕日に照らされて赤く染まっていた。

 髪が風に揺れることは、もうない。でも、その代わりに得たものがある。

 仲間の信頼。覚悟。前に進む強さ。

 坊主頭の自分が、思っていたよりもずっと誇らしかった。

 (わたしは変わった。もう、戻らない)

 その夜、日記にこう書いた。

 「わたしは、坊主になった。でも、それで“女の子じゃなくなった”わけじゃない。わたしは、わたし。野球選手として、これからもっと強くなる」


第4章 坊主のエース、初陣!

 週末。雲ひとつない快晴。南浜小学校のグラウンドは、朝から緊張感に包まれていた。

 今日は、南浜ファイターズの春季大会一回戦。相手は強豪・中里ウルフズ。昨年のベスト4チームだ。

 ベンチ前で円陣を組む子どもたちの輪の中に、坊主頭のゆうかがいた。

 「今日の先発、サードは――結城!」

 監督の声に、一瞬沈黙が落ちる。

 ゆうかが驚いたように顔を上げると、黒田監督はにやりと笑って言った。

 「覚悟、見せてもらったからな。期待してるぞ、坊主のサード」

 「……はいっ!」

 帽子をぐっとかぶり直す。坊主になってから、帽子がぶかぶかに感じるようになった。でもその分、視界は広い。動きやすさも段違いだった。



 試合が始まると、グラウンドの空気は一気に張り詰めた。

 「ナイスキャッチ、ゆうか!」

 ファウルゾーンぎりぎりのライナーをダイビングで捕ったとき、味方ベンチから歓声が上がった。土にまみれたユニフォームの袖を払って、ゆうかは笑う。

 (坊主だからって、なにも変わらない。むしろ、前よりも自由に動ける!)

 髪が視界に入ることもなければ、暑苦しさもない。

 プレーに集中できる。

 (わたし、ずっとこれを求めてたんだ)



 6回裏。2対2の同点。ツーアウト満塁。

 バッターボックスに立ったのは、ゆうかだった。

 観客席からは、いろんな声が飛ぶ。

 「がんばれー!」

 「坊主の子、あれ女の子?」

 「え、マジ? めっちゃ構えいいじゃん……」

 ざわざわとした空気の中、ゆうかはバットを握りしめる。

 (緊張しないわけじゃない。だけど……もう逃げない)

 相手ピッチャーが腕を振る。全力のストレート。

 「えいっ!」

 バットが快音を響かせた。

 カキィィィィン!!

 打球は左中間を抜けていく。二人のランナーが返ってくる。

 「セーフ! 二点タイムリー!!」

 ベンチが総立ちになった。

 「ゆうかー!!」

 「ナイスバッティング!!」

 塁上で立つ坊主のゆうかが、帽子を外して軽く会釈した。光る頭を見て、観客からどよめきが起こる。

 だけどそのどよめきは、もう驚きじゃない。

 尊敬と、感動の混じった拍手だった。



 試合はそのまま南浜ファイターズの勝利。

 試合後、観客のなかの知らないおじさんがゆうかに声をかけてきた。

 「いいプレーだったな。坊主の女の子なんて初めて見たけど、かっこよかったよ」

 「……ありがとうございます!」

 坊主になっても、自分は“女の子”。でもそれ以上に、“野球選手”として見てもらえたことが、なによりもうれしかった。



 その夜、グラウンドの脇に座って、夕焼けを見ながらコウタがぽつりと言った。

 「お前、もう“女子選手”って感じじゃないな」

 「えっ?」

 「“ファイターズの結城”だ。かっこよすぎだろ、マジで」

 「……ありがと」

 照れくさくて、思わず後ろ頭をさすった。坊主になったばかりのころよりも、ちょっとだけザラザラしてきていた。

 その感触が、どこか誇らしく思えた。



 坊主になって、ゆうかは変わった。

 でも、いちばん変わったのは――周りの目じゃない。

 自分自身の、心の奥だった。


第5章 「髪が伸びてきたんだ」

 五月の風が、南浜の町をやわらかく吹き抜ける季節になった。

 グラウンドの隅にある桜の木も、すっかり葉桜になって、日差しのまぶしさをいっそう際立たせていた。

 坊主になってから、三週間。

 ゆうかの頭には、すこしずつ、うっすらと髪が生えてきていた。指先で触ると、ザラザラとした感触があった。鏡を見ると、黒い絨毯のように、頭全体を覆っている。

 「……なんか、変な感じ」

 登校前、洗面所の鏡をのぞき込みながら、ゆうかはつぶやいた。

 はじめて剃ったときの、つるんとした坊主頭。スースーした風。あのとき感じた誇りと覚悟。それが、ほんの少し、遠ざかっていく気がしていた。



 「ねえねえ、ゆうかちゃん、髪、ちょっと伸びてきたね!」

 学校で声をかけてきたのは、クラスの女子・さやかだった。前は坊主に驚いていた子も、今ではふつうに接してくれる。

 「うん。なんか、すぐ伸びるんだよね」

 「このまま伸ばしていくの?」

 その言葉に、ゆうかはちょっとだけ言葉に詰まった。

 (……どうしよう。もう一度、坊主にするのかな)

 「……まだ、考えてない」

 そう答えるのが精いっぱいだった。



 帰り道、ランドセルを背負いながら、自分の頭を軽くこすってみる。伸び始めた髪の先が、風にわずかに揺れていた。

 (このまま伸びたら、きっと“普通の女の子”に見えるんだろうな)

 (でも……それで、いいのかな)

 最初の決意は「髪じゃなくて、実力で見てもらいたい」だった。

 それは、もう手に入ったのかもしれない。

 だけど――坊主にしたあの日、心の奥で感じた“強さ”の感触を、忘れたくなかった。



 週末の練習、キャプテンのコウタが声をかけてきた。

 「なあ、ゆうか。今週末の市大会、うちの先発メンバーに入ってるって、知ってた?」

 「えっ、本当?」

 「監督が言ってた。“髪だけじゃなくて、覚悟も一番短いやつ”だってよ」

 「それ、ほめてるの?」

 「もちろん。あのとき、お前が坊主にしたとき、チーム全体が変わったからな。誰よりも“本気”だったの、わかってたよ」

 コウタは、ぽん、と坊主頭に触れてくる。

 「……でも、だいぶ伸びたな。そろそろ“ふつうの子”に戻る?」

 ゆうかはその言葉に、じっと答えを探すように空を見た。

 青空の向こうに、自分が坊主になった日の空が重なった。



 その夜、母に声をかけた。

 「お母さん……明日、また床屋に行ってくるね」

 「え……髪、切るの? せっかく伸びてきたのに?」

 「うん。また、坊主にしたい。今度は“覚悟のため”じゃなくて、“自分の意志”で」

 母はしばらく黙っていたが、やがてやさしく微笑んだ。

 「……わかった。ゆうかがそうしたいなら、応援する」



 次の日曜日。

 ゆうかは、またひとりで床屋「とこや たかし」の前に立った。

 カランカラン――。

 「あれ、また来たの? 今度はどんなカットにするんだ?」

 「……坊主でお願いします。前よりも、もっと短く」

 「よっしゃ、じゃあ本気のバリカン、いくぞ!」



 ウィイイイイィィン……

 あの音。あの振動。あの開放感。

 バリカンの刃が再び頭をなぞるとき、ゆうかの頬が自然とゆるんだ。

 (これが、わたし。どこにも隠れない、飾らないわたし)

 ケープに落ちていく短い毛のひとつひとつが、まるで自分の中の迷いをそぎ落としていくようだった。



 「また、スッキリしたな」

 「ありがとうございます!」

 たかしさんに頭をぺしっとされて、笑いながら店を出た。

 初夏の風が、また坊主になった頭にふれて、心まで軽くなったような気がした。



 坊主にしたことは、勇気だった。

 坊主を続けることは、意志だった。

 そして今――それが、自分のスタイルになろうとしていた。


第6章 坊主で卒業、坊主で再スタート

 三月。南浜小学校の卒業式当日。

 ゆうかは、式服のブラウスに身を包み、ピカピカの頭を見せたまま登校した。

 他の女の子たちは、髪をゆるく巻いたり、おしゃれなピンをつけたりしていたけれど――ゆうかはキャップもかぶらず、堂々と歩いていた。

 「ゆうか、今日も坊主かよ!」

 後ろから同級生のカズマがふざけたように言う。

 「うるさいな! あんたこそ、ワックスつけすぎ!」

 言い返すと、みんながドッと笑った。

 卒業式の控室で、女の子たちの一人がぽつりと言った。

 「ねぇ、ゆうかってさ、なんか……かっこいいよね」

 「うん。なんか、女とか男とか関係ないっていうかさ」

 ゆうかは照れくさくて、頬を赤くしながら笑った。

 (ああ……なんだ。ちゃんと、見てもらえてたんだ)



 卒業式の校歌斉唱。ゆうかは、坊主頭を高く掲げ、まっすぐ前を見て歌った。

 歌声は澄んでいて、力強かった。

 そして、壇上で卒業証書を受け取るとき――体育館が少しざわついた。

 「坊主の子、すごいね……」

 「野球部の女の子らしいよ」

 「へぇ、かっこいいなぁ」

 それはもう“珍しさ”ではなく、“憧れ”に変わりつつある空気だった。



 春休み。

 ゆうかは、中学野球クラブの体験入部に向かっていた。

 町の隣にある「南河ジュニアクラブ」は、男子中心のクラブだったが、近年では女子も少しずつ入部し始めていた。

 しかし、坊主頭の女子選手は、いまだにいなかった。

 (新しいところで、また見られるかもしれないな……)

 でも、もう怖くなかった。

 「自分が坊主っていうだけで、なにか変わるなら、それは“変えるチャンス”なんだって思うようにした」

 母にもそう言った。父はにやにや笑いながら「やっぱり強いな、うちの娘」とつぶやいていた。



 体験練習の日。クラブのコーチが、あっけにとられたようにゆうかの頭を見た。

 「……あ、あの。君が体験希望の……?」

 「はい! 結城ゆうかです。サードをやってました!」

 「え、ええと……なるほど。ポジション希望は?」

 「サードです。坊主でも、プレーに関係ないので」

 少し返答に困ったような空気があったが、他の選手たちは興味津々といった様子で見ていた。

 「本当に坊主……」

 「ガチの子じゃん」

 「やば、フォームめっちゃきれい……」

 ノックやバッティングをこなすうちに、だんだんと周囲の目が変わっていくのがわかった。



 練習終わり。

 クラブのコーチがゆうかに声をかけた。

 「結城さん、坊主ってことだけが理由じゃないけど……君はなかなか面白い子だね」

 「え?」

 「ここにいる男子たちよりも、“本気”ってものを持ってる気がするよ。……春から、正式に入部しないか?」

 「はいっ!」

 坊主の頭を下げて答えると、思わずコーチが笑った。

 「坊主でも、女の子でも、野球を愛してるやつは、大歓迎さ」



 帰り道。

 春風が坊主頭に気持ちよく吹いてくる。

 制服の袖を押さえながら、自転車のペダルをこぐその姿は、少し背が伸びて、どこかたくましくなっていた。

 (わたしは、これからもこの頭で野球をする。これが、わたしの“覚悟の形”だから)

 帽子をかぶらないまま、空を見上げて笑った。



 坊主になったあの日。

 それは、ゆうかにとって“変わるための決断”だった。

 そして今、坊主を選び続けることは、“自分らしく生きる”という強い意志だった。


エピローグ 「坊主のその先へ」

 春。中学二年生になったゆうかは、南河ジュニアクラブの背番号「5」をつけて、グラウンドに立っていた。

 相変わらず頭はツルツルの坊主。

 数ヶ月に一度、行きつけの「とこや たかし」でバリカンを入れてもらっていた。今では店主のたかしさんと、「バリカン談義」までできる仲だ。

 新入部員の体験練習が行われるこの日。ゆうかは、外野でノックを受ける一年生たちを見守っていた。



 「……あの先輩、ホントに女の人なんですか?」

 遠巻きに聞こえてきた新入部員のひそひそ声に、思わず笑みがこぼれる。

 最初はみんな、同じ反応だった。

 「坊主=男子」というイメージは、まだまだ根強い。

 でも――プレーを見せれば、気持ちを伝えれば、坊主は“性別”の象徴じゃなく、“意志”の証明”になっていく。



 「先輩、ちょっと質問いいですか?」

 ひとりの女の子が、そろそろと近づいてきた。黒髪を後ろで結んだ、目の大きな子。

 「うん、なに?」

 「その……坊主って、怖くなかったですか?」

 ゆうかは、しばらく空を見てから答えた。

 「うん。最初は、すごく怖かった。バリカンの音とか、髪が落ちてく感じとか。自分が“普通じゃなくなる”ような気がして。でもね――」

 女の子の目を見て、微笑む。

 「その“普通じゃない”を、自分で選べたとき、すごく強くなれるよ」

 女の子は少し黙ったあと、ポツリとつぶやいた。

 「私……実は、ちょっと坊主に興味あるんです」

 「そっか。じゃあ、やってみるのも、ありだね」

 「はい……!」

 そう言って、走って仲間の元へ戻っていく後ろ姿に、かつての自分を見た気がした。



 「坊主のゆうか先輩、今日も神プレーっすね!」

 コウタも、いまは高校生。時々クラブに顔を出しては、後輩たちに熱いエールを送ってくれる。

 「来年、全国大会狙えるってマジっすか? 坊主のまま、甲子園いってください!」

 「おう、髪はないけど、夢はでっかく、だよ!」



 そして、その日の帰り道。

 自転車のペダルを踏みながら、ゆうかはふと、ランドセルを背負っていたあの頃を思い出す。

 あの日、バリカンの音にふるえながら、髪を刈った少女は、もういない。

 いまの自分は、笑って言える。

 「坊主、最高だよ」

 そして、また次の夢へと進む。

 ――髪がなくても、心はどこまでも強くなれる。



おわりに

この物語は、ただ“髪を剃る”だけの話ではありません。

ゆうかが坊主になることで手に入れたのは、自分にウソをつかない「勇気」と、人に何を言われても歩き続ける「強さ」。

読者のみなさんがもし、何かに悩んでいたら、どうか思い出してください。
坊主の女の子・ゆうかのことを。

変わることを恐れずに、自分の意志で一歩を踏み出す――それが、本当の“かっこよさ”なのかもしれません。
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