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第1部 奈美編
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翌日。
奈美は講義が休講になって、喜んでいたが、京はいつも通りバイトに出かけた。
先週、一ヶ月遅れで大学を卒業した京は、事実上社会人の仲間入りを果たしたらしい。
卒業延期の学生5名のみの卒業式は、学長室で行われ、学長自らの手により一人ずつ卒業証書を授与された。
その際の学長の弁が奮っていて、君たちは、時間を最大限活用しギリギリ電車に飛び乗ったわけだ、というものだった。
卒業延期になったのは、履修科目の単位が足りなかったわけだが、京はゼミに入っていなかったため、卒論を勝手に哲学の教授にお願いしたのだけれども、それがダメ出しされたのだった。
仕方なく全く別なテーマで書き直したが、たしかタイトルは、唯心論と唯物論みたいな感じだった。別にトルストイの著書をパクったわけではないが、そうな風だった。
バイトの方は、新しいバイトに就いたばかりだったが、もう辞めたい自分が京の中にいた。
フード関係の仕事だったが、一緒に採用された一条さんという男性は年齢も近く、気さくな人でこれなら長く続けていける仕事かなと思っていた。
本社での座学と実習の研修も一週間行われ、いよいよ店舗に配属されたが未経験の職種でもあり、憶えなければならない細々としたことも沢山あるわけで、初日はアパートに帰ってくるなり、倒れるようにして眠ってしまった。
しかし、慣れない仕事だからそれは仕方ないと思っていた。ところが、休みを置いてその翌週になっても疲れは徐々に軽減されることもなく、むしろ疲労感は増すばかりなのだった。
何かおかしいと、そのあたりで気がついた。ガテン系の力仕事でもなく、仕事の流れも掴めてきたにもかかわらず、疲れは溜まる一方なのだ。
そこで、もしかしたらこれはストレスから来るものではないのかと思いはじめた。
直接ヒトの体内へと入るフード関係の仕事であるから、取り扱いに神経過敏になるのは当然の事であるだろうが、それにしても小言が多く、それによるストレスの為なのかと京は思った。
お小言を頂戴しないように、ヒトの体内に入る食品を扱っているのだという意識を高めて業務にあたらなければならないのだが、一方でとにかく早く作業を進めろと煽られまくるので、ついついスピード優先に気を取られ注意を怠るという悪循環が生じていた。
それでも何とか頑張っていたある日、もう頑張ってやっていこうとは思えない出来事があった。
一条さんより遅く昼休憩に入った京が食事をすませて仕事場に戻ってくると、一条さんがチーフである社員さんになにやらお小言を頂戴していた。
と、不意にその社員さんがブチ切れたのだった。一体どのようなやりとりがあったのかはわからないが、
「オレが今、説教してんだろうが!」という罵声が、厨房に炸裂した。
それは、所謂キレた大声以外の何物でもなかった。一条さんが何か失敗したわけでもなく、どうやら意見されたことに対して返事をしなかったのではないのかと思われた。
一条さんは俯いたまま、無言で恫喝を受けていた。京はいくらなんでも、社員がキレてはまずいだろうと思いながら呆れて聞いていた。
例えば、恫喝するのが仕事であるかのようなヤ印の人ならともかく、一般の社会人が職場で目下の者に対してキレまくり、罵声を浴びせかけるというのは、いかがなものだろう。
一条さんは、反抗して言葉を返すような人ではなく、ごくごく大人しい性格の人なので、キレられるような流れとなる理由がまったくわからなかった。
また、社員さんが怒号した通り、それは注意ではなく説教らしい。
「オレが今、説教してんだろうが!」
どうもアルバイトを犬猫のように思っているとしか思われなかった。コイツならキレても大丈夫だろうと舐めた上で安心してキレているのではないか。
社会人であるのに、大切な職場でいとも容易くキレまくる、そんな人がほんとうにお客様のためになどと考えながら仕事しているとは思えない。
こんな環境で働き続ける理由が京にはもう見つからなかった。自分も似たような商品を指定の位置に入れ間違えた事が何度もある。うどんと蕎麦を選別せずに全て蕎麦の位置に並べてしまったのだ。
その、うどんのスペースにうどんがひとつもないという状況を見て、すかさず社員さんに突っ込まれた。
曰く、
「アレルギー表示が違いますから、最悪の場合、お客様を死に至らしめることもあるんですよ。そんな事態になったら、清水さん、あなたはどうやって責任を取るんですか? というか、あなたたちはただ小言を言われるだけで済むかもしれない。けれど、私と店長は確実に首だ、首。事を起こしたら行政の指導が入るんです。社会的な信用も失墜して、従業員全員が路頭に迷うことにもなりかねないんですよ。だから、意識を高めて下さい。わかりましたか?」
日付けの並べ違いであるとか、商品の入れ違いがあった際には必ず、オレと店長は首だ! というフレーズが決まってお小言に入るのだった。
結局は、お客様がどうのこうのというのはタテマエで、オレが首になるからおまえら気をつけろよ、と言っているとしか思えなかった。いや、実際そうだろう。
それでも、食品を扱う仕事である以上、社員さんはまったく当然の事を述べているのは確かだった。
しかし、一条さんに対する恫喝は仕事を続けてゆく意欲を完膚なきまで萎えさせた事もまた確かなことだった。
たとえ、バイトであろうが、ストレスが溜まる一方で気持ちよく働けないのでは早めに辞めた方がいいと思った。
それに、入試をほんとうに受けるのならば、勉強に早めに取り組まなければ間に合わない。
ただ、とりあえずは受けるという事で、なし崩し的に行けばいいという、ずるい考えが芽生えてもいた。入試に一発で合格しなければならないわけではない。
まだ先の話だし、どう転がるかわからないのだから、はなから捨ててかかるのもどうかと思うのだ。
自分がこんなずるい奴だとは思ってもみなかったが、奈美と別れることは、考えられなかった。
奈美は講義が休講になって、喜んでいたが、京はいつも通りバイトに出かけた。
先週、一ヶ月遅れで大学を卒業した京は、事実上社会人の仲間入りを果たしたらしい。
卒業延期の学生5名のみの卒業式は、学長室で行われ、学長自らの手により一人ずつ卒業証書を授与された。
その際の学長の弁が奮っていて、君たちは、時間を最大限活用しギリギリ電車に飛び乗ったわけだ、というものだった。
卒業延期になったのは、履修科目の単位が足りなかったわけだが、京はゼミに入っていなかったため、卒論を勝手に哲学の教授にお願いしたのだけれども、それがダメ出しされたのだった。
仕方なく全く別なテーマで書き直したが、たしかタイトルは、唯心論と唯物論みたいな感じだった。別にトルストイの著書をパクったわけではないが、そうな風だった。
バイトの方は、新しいバイトに就いたばかりだったが、もう辞めたい自分が京の中にいた。
フード関係の仕事だったが、一緒に採用された一条さんという男性は年齢も近く、気さくな人でこれなら長く続けていける仕事かなと思っていた。
本社での座学と実習の研修も一週間行われ、いよいよ店舗に配属されたが未経験の職種でもあり、憶えなければならない細々としたことも沢山あるわけで、初日はアパートに帰ってくるなり、倒れるようにして眠ってしまった。
しかし、慣れない仕事だからそれは仕方ないと思っていた。ところが、休みを置いてその翌週になっても疲れは徐々に軽減されることもなく、むしろ疲労感は増すばかりなのだった。
何かおかしいと、そのあたりで気がついた。ガテン系の力仕事でもなく、仕事の流れも掴めてきたにもかかわらず、疲れは溜まる一方なのだ。
そこで、もしかしたらこれはストレスから来るものではないのかと思いはじめた。
直接ヒトの体内へと入るフード関係の仕事であるから、取り扱いに神経過敏になるのは当然の事であるだろうが、それにしても小言が多く、それによるストレスの為なのかと京は思った。
お小言を頂戴しないように、ヒトの体内に入る食品を扱っているのだという意識を高めて業務にあたらなければならないのだが、一方でとにかく早く作業を進めろと煽られまくるので、ついついスピード優先に気を取られ注意を怠るという悪循環が生じていた。
それでも何とか頑張っていたある日、もう頑張ってやっていこうとは思えない出来事があった。
一条さんより遅く昼休憩に入った京が食事をすませて仕事場に戻ってくると、一条さんがチーフである社員さんになにやらお小言を頂戴していた。
と、不意にその社員さんがブチ切れたのだった。一体どのようなやりとりがあったのかはわからないが、
「オレが今、説教してんだろうが!」という罵声が、厨房に炸裂した。
それは、所謂キレた大声以外の何物でもなかった。一条さんが何か失敗したわけでもなく、どうやら意見されたことに対して返事をしなかったのではないのかと思われた。
一条さんは俯いたまま、無言で恫喝を受けていた。京はいくらなんでも、社員がキレてはまずいだろうと思いながら呆れて聞いていた。
例えば、恫喝するのが仕事であるかのようなヤ印の人ならともかく、一般の社会人が職場で目下の者に対してキレまくり、罵声を浴びせかけるというのは、いかがなものだろう。
一条さんは、反抗して言葉を返すような人ではなく、ごくごく大人しい性格の人なので、キレられるような流れとなる理由がまったくわからなかった。
また、社員さんが怒号した通り、それは注意ではなく説教らしい。
「オレが今、説教してんだろうが!」
どうもアルバイトを犬猫のように思っているとしか思われなかった。コイツならキレても大丈夫だろうと舐めた上で安心してキレているのではないか。
社会人であるのに、大切な職場でいとも容易くキレまくる、そんな人がほんとうにお客様のためになどと考えながら仕事しているとは思えない。
こんな環境で働き続ける理由が京にはもう見つからなかった。自分も似たような商品を指定の位置に入れ間違えた事が何度もある。うどんと蕎麦を選別せずに全て蕎麦の位置に並べてしまったのだ。
その、うどんのスペースにうどんがひとつもないという状況を見て、すかさず社員さんに突っ込まれた。
曰く、
「アレルギー表示が違いますから、最悪の場合、お客様を死に至らしめることもあるんですよ。そんな事態になったら、清水さん、あなたはどうやって責任を取るんですか? というか、あなたたちはただ小言を言われるだけで済むかもしれない。けれど、私と店長は確実に首だ、首。事を起こしたら行政の指導が入るんです。社会的な信用も失墜して、従業員全員が路頭に迷うことにもなりかねないんですよ。だから、意識を高めて下さい。わかりましたか?」
日付けの並べ違いであるとか、商品の入れ違いがあった際には必ず、オレと店長は首だ! というフレーズが決まってお小言に入るのだった。
結局は、お客様がどうのこうのというのはタテマエで、オレが首になるからおまえら気をつけろよ、と言っているとしか思えなかった。いや、実際そうだろう。
それでも、食品を扱う仕事である以上、社員さんはまったく当然の事を述べているのは確かだった。
しかし、一条さんに対する恫喝は仕事を続けてゆく意欲を完膚なきまで萎えさせた事もまた確かなことだった。
たとえ、バイトであろうが、ストレスが溜まる一方で気持ちよく働けないのでは早めに辞めた方がいいと思った。
それに、入試をほんとうに受けるのならば、勉強に早めに取り組まなければ間に合わない。
ただ、とりあえずは受けるという事で、なし崩し的に行けばいいという、ずるい考えが芽生えてもいた。入試に一発で合格しなければならないわけではない。
まだ先の話だし、どう転がるかわからないのだから、はなから捨ててかかるのもどうかと思うのだ。
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