花散る男女

トリヤマケイ

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第1部 アイドル編

♬15 再会

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   お昼になったので、教えられた通りベルトを外しポケットから財布も抜き出して、セキュリティのおじさんが差し出すトレイに載せる。




 そして、金属探知機のゲートをくぐった。




   慣れないせいか眼が少し痛かった。眼とその奥の方が。トイレに入って用をたしながら、なにげなく見ると、そこには



「水がなくても人が流れることがあります」
と、書かれてあった。



   人がいなくても水が流れることがあります、ではないのか?すると、いわゆる朝顔でない、縦長の男性用の便器のつるつるの陶器のなかを、小さな男女が、その大きさに見合った絶叫をあげながら直滑降して消えてゆくのが見えた。





 手を洗い、お気に入りのチェック柄のハンカチをポケットから取り出しながら、鏡を覗き込む。





   こんなはずじゃなかったのに。
   なにがこんなはずじゃなかったの?      
   鏡の中の自分と会話する。
   すべてさ。すべてこんなはずじゃなかった。
   しかし。すべては自分が選択してきたことじゃないか。





   トイレを出て、ロッカー室のドアを押し開け、ロッカーのバッグから弁当を取り出して四階に降りた。だが、きょうは、なぜか外で食べたくなった。



   そこで、エレベーターで屋上に上がり、広々とした屋上でやわらかい陽射を浴びながら、胡坐をかいて弁当を食べた。



 風に運ばれてきたクチナシの甘い香りが、鼻腔をくすぐる。空は晴れ渡り、富士山の姿すら見えた。



   これだけ、爽快だと閉塞感いっぱいの天井の低い現場になど何やらもどりたくなくなっている自分がいた。



 さて、どうしたものか。勤労意欲は満々なのだが、午後からまったく働く気がしないのだ。



   ところが、お昼休みも終わり、リフレッシュして五階に戻ってみると、なにやらシステムがトラブっているのだった。作業を進ませることができる状況ではなく、暫く待機となった。午前中作業したデータがすべて吹っ飛んでしまっていたのには、愕然とした。




   おかしなことになったものだ。暇仕事がないではないが、そんなものをやる気も起こらず、屋上に再び舞い戻ると、一点の曇りもない青空を背景にして、ジェット機が音もなく滑空してゆくのをスローモーションの映像のようにして見た。




   しかし、あれほど広い空でも飛行機同士が衝突することがあるというのだから、まったくもって世の中は不可思議なものだ。きょうはほんとうに早退けさせてもらおうかと悩みはじめる。




   現場に戻ってみると、案の定、システムの復旧の目途は今のところまだ立たないという。つまり、原因が未だ解明で出来ずじまいなのだ。そこで、リーダーやサブリーダーの主要なメンバーだけ残して早退したいものは早退するようにとのお達しが出た。



   むろん、京は、渡りに舟と早退する手続きを早々に済ませ、晴れて自由の身になると、刑期満了で十年ぶりに娑婆に出た人のように足取りも軽く、なにやらわくわくしながら勤怠を記録してエレベーターに飛び乗った。




 さてと、どこに行こうか、とりあえずは……。
   と、会社の入っているビルから外に出て駅に向かっていると、曲がったこともない見知らぬ路地へと入ってゆこうという気まぐれが、つむじ風のように湧き起こった。




 そこで非日常に出くわす、みたいなことにならないだろうかと期待しているのかもしれない。むろんそれは、生ぬるく心地よい日常にどっぷりと浸かっている自分がいるからだ。



 とにかくあまりにも自由というのも自由過ぎて実は何も出来ないし、何かひとつだけでも少しずつ決め事をしていこうと、漠然と京は思った。




   それで、ともかく実際にここから見える路地へと入っていって最初に出会った人と何らかのコミュニケートを試みようと思った。これはなにがなんでも実行しなければならないミッションなのだと京は自分を鼓舞する。





   しかし、田舎ならまだしも、都会で見ず知らずの人に、こんにちは、などとにやけ顔で挨拶などしたならば、ギョッとされるのが落ちなのだ。それは実に残念なことにはちがいなかった。




   同じ会社に勤めているもの同士でも、互いに顔は知っているものの、一言も言葉を交わしたことがないという人間が何十人もいる。





 単純に、言葉を交わしたことがあるから意思の疎通が取れているいうことでもないのだが、言葉を交わさないというのは、どうも具合がわるい。




   だが、えぇい、ままよとばかりに、路地へと突撃するように折れると奥の方からうら若き女性が……という展開は残念ながらなかった。




   階段を上ったり下りたり、公園の脇をすり抜けたり、大きなマンションや製薬会社のオフィスビルが見えたりしたが、いけどもいけども人っ子ひとり出会わないのだった。




   家々が犇めくこの都会の住宅地で、たとえポンポン船の午後の曳航のように、ひねもす夢の中みたいな、街全体が午睡に溺れる時間帯であっても、その実ぴったりと身体と身体をあわせるようにして猫の額ほどの土地に詰め込まれているのだから、それら家々から各人の息遣いが聞こえないのがおかしいほどなのだ。





   だから、そこら辺りを慮ると何やら深山幽谷にあるかのような、この森閑とした静けさは、とても凝縮された濃密な静けさなのであり、実はかなりの抑制というエネルギーが必要となるのではないだろうか。これは、むろん家人が学校や会社から帰って在宅しているときならば、尚更だ。






 だが、妖艶さが匂うように漂う美しい人妻風が、忽然とまさに夢のごとくに路地に現われると同時に、その心地よい世界と自分との均衡が一気に破れ、あれよあれよという間に着衣のまま交接しているというのは、どうだろうか。





   想像するだけならばいくらでも自由なのだ。アスファルトジャングルの都会には、田舎のような茂みはないが、人目につかぬ死角となる場所が存外あるものだ。
 

 


   しかし、それもほんの束の間。昼下がりの情事は、あっという間に終わりを告げると、女を打ち捨てるようにして置き去りにしたまま、京は後ろを振り向きもせずまた歩きはじめる。




   見知らぬ土地、それも迷路のように張りめぐらされた路地を探索するのが、京はたまらなく好きだった。この角を曲がったら、どんな景観が待ち受けているのか。





   似たり寄ったりの家並みが続いていくばかりなのか、あるいは、見晴らしのいい開けた場所に出るのか、興味は尽きないのだ。





   路地を抜けて一旦、車道に出るとまたコンビニの横の路地に入る。だらだら坂をのんびりあがってゆくと右に教会が見え、しばらくは平坦な道となるがやがて下りになって道は二股に分かれ、一方は木立に覆われた急坂な階段となり、もう一方は、住宅を縫うようにして走り抜け、先ほど通った車道へと戻る道らしかった。





   むろん先へと進むことにして手擦りの付いた階段を降り切り、左に小さな公園を見ながら、なにやら弓なりに曲がる巨きなマンション脇をすり抜けてゆく。




 マンションを過ぎると、道は平坦となり、横道にぶつかって激しく車が行き交う大通りが左の先に見えた。




  足の向くまま、その大通りに向かって歩いていく内に、何やら一抹の侘しさを覚えている自分に京は気づいた。路地が終わってしまい、つまらないのだろうか。




 小雨がぱらつきはじめていた。





 もう一度あの二股のところまで戻って、左に折れてみようかと思った。何か後ろ髪を引かれるような気がする。




   踵を返して、半分地下に埋まっているように見えるマンションの一階を坂の上から見下ろしながら、掘り起こされた巨大な遺跡をまざまざと脳裏に思い描いて、現実の建築物とそれをダブらせてみた。




   というのも、五階建てのマンションは、自然石のような洒落た風合いの外壁であったからで、それはまるで桃色花崗岩のようだった。





   マンションは、民家を避けるようにして歪曲しており、建築の際に民家が立ち退いていたならば、これほどまでに複雑な形状にはならなかったのではないかと思った。





   どうせやるなら複雑系でというわけでもないのだろうが、このマンションが、フラクタルなシルエットを為しているだろうことが、容易にわかる。




   自然界にはむしろ、真四角やら直方体といった直線のみで構成されたものは稀であることを京は再認識するのだった。




   と、階段を誰かが下りてくる。




 女性がヒールの音を立てながら下りてくる。彼女がちょうど階段を下りきった辺りでふたりは最も接近し、そして、そのまますれちがい、二度と出会うはずもなかった。




   だがすれちがいざま、視線を感じ京は彼女を見た。すると彼女は、こちらを見ながらそこに根を生やしたように立ち尽しているのだった。 




「夏樹ちゃん?」




 半信半疑で京は、そう言った。




    彼女はこくりと頷くと、




「ああ、やっぱり京さんだあ」 



 と言って、弾けるように笑った。




「こんなとこで、何してんの? 家、吉祥寺の方っていってたよね、たしか」



「友だちのとこに遊びに来たんです」




「ああ、そうなんだ。いやあ、奇遇だね。驚いたな」 




「京さんは?」




「仕事の帰りだよ。ちょっときょうは、早いけど」




「ふ~ん」 




「で、なに、友だちって、髭なんか生やしてる人じゃないの?」




「ええ! ちがいますよ」 




 夏樹ちゃんは、けらけらと笑う。




「ちゃんとした女のこですよお。ここ、ここに住んでるんです」




 そう言いながら、くだんの桃色花崗岩みたいな外壁のマンションを指差した。




    夏樹ちゃんとは、以前に京がアパレルメーカーのバイトをしている時に知り合った。結構名の知れたブランドの服やら装飾品を旗艦店等に出荷する仕事だったが、途中から京は女性の下着の部署に異動になって、最初は触るのも嫌で仕方なかったが、慣れとは怖いものでそのうち何も感じなくなった。 





「そうだ、京さん、ほんとうにグッドタイミングですよ」
 



「え? なになに?」




「実はですね、今夜、これから鍋パーティなんです」




「でね、友達、伽耶子っていうんですけど、結構かわってる子で、きっと京さんと話が合うと思うんですよ、どうですか?  一緒に鍋パしましょうよ」




「そうなんだ。ちょうどひまだし、でも、いいの? そんな勝手にきめちゃって」




「ぜんぜん、OKですよ。逆に伽耶子喜びますって」



「そう? なんか夏樹ちゃんだけ、盛り上がってない?」 



「そんなことないですよ。じゃ、善は急げってことで」
  


「はいはい」



   坂を下り、蔦の絡まったゲートをくぐって、マンションに入ると、京はなぜか胸騒ぎがするような、わくわくするような不思議な感覚を覚えながらエレベーターを待った。












  
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