花散る男女

トリヤマケイ

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第1部 アイドル編

♬16 非可逆性YOGIBO

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   ドアが開いたとたん、大音量でトランスの耳を劈く弾けるようなビートが頭の上から降ってきた。





  ドアを開けてくれたのは、かなり若い子で、夏樹ちゃんが伽耶子の友達のなんとかちゃんと言ったが、耳を覆いたくなるほどの大音量で聞こえない。





  エレクトリックな音の礫が顔にぶつかってくるようだった。




   鼓膜を震わせ心も震わせるようなピアノの繊細なタッチのピアニッシモの終止音とは対極にある音の暴力といってもいいかもしれない。




   音楽も電気的に増幅させた極端に大きな音は、鼓膜を破壊するほど振動させ難聴になりかねないから、たしかにテロルで間違いはない。




   部屋にはもう七八人の若い男女がいて、踊り狂ってるやつ、ソファで死んだように眠りこけてるやつ、ヘッドホンをしてゲームをしてるやつと、みんな好き勝手に楽しんでいるようだった。 





  これだけ大きな音でも防音のしっかりしてるいいマンションならば大丈夫なんだなと、感心していると、夏樹ちゃんが飲み物を持ってきてくれた。




   そして、部屋の角にしつらえてあるL字型のちょっとしたバーカウンターの中で飲み物を作っている小柄な女性を指差して、伽耶子だよと言った。




  すると伽耶子ちゃんは、夏樹ちゃんのそのそぶりで、こっちに向けて手を振ってくれた。




   しかし、これだけ大音量で音楽が継続して鳴っているとある種の酩酊感を覚えはじめるのは、おもしろかった。




   繰り返されるビートが麻薬みたいな効果を生むのだろうか。




   大音量で鳴り響くサウンドは、音のぶ厚い壁となって身体にぶちあたってくる。





   それに耐えていると、いや、それに耐えるために、どこかを麻痺させなくてはならないからか、なにやらネジが何本か吹っ飛んだ次元の違う狭間にトランスしていく感じになってくる。




   そのわけのわからない独特な浮遊感の中で、無意識に記憶をまさぐっていた。




   紹介されたばかりの伽耶子ちゃんと間違いなくどこかで会ったことがあるような気がして仕方なかった。




   ただどこかで、たまたま見かけたとかではない。それに、たんなる知り合いとかでもない。かなり、親密な間柄であったのではないか。




   しかし、悲しいかな何も思い出せはしないのだった。たんに漠然とそんな気がするだけにはちがいないが、そこには決定的な何かが介在している、ような…




   キウイやパイナップル、チェリー、桃が入ったフルーツポンチだか、パンチのガラスのボールが、カウンターにオブジェのように鎮座していた。




  そしてその横には、バカラかもしれない水晶みたいな華麗な輝きを放つクリスタルの花入れがあって、目を射るような純白のトルコ桔梗が挿してあった。 




   バーカウンターは、黒だったから白がとても映えて美しかった。




   まるでレイブ会場のスピーカー間近にいるような空間だから、会話などできるはずもなく、京は自然に内省的になって、とりとめないことを考えている。




   新しい仕事に就いてまだ間もなかったが、さらなる変化を欲している自分に気づいていた。




   そして、唐突にどこか遠くに行きたいと思った。スマホでペンションの住込みのバイト募集記事を見た。




   冬ならば小笠原諸島もいいかもしれない。そこで北海道はどうかと思った。富良野の近くにある芽室という知らない地名のところで、牧場の仕事を見つけた。




   バイトの時間給は東京に比べたら格段に低いものだけれども、ひと夏だけというところになぜか惹かれる。




   今やっている仕事先には、ひと夏だけ休暇をもらえばいい。どうせ短期なのだし、それがだめならまた探せばいいだけの話。




   問題は、仔猫たちだった。どうしたものだろう。やはり、一緒に連れていくべきか。




   むろん、奈美は預かってくれるだろう。しかし、なにかちがうような気がした。奈美のところも北海道も仔猫たちにとってはヨソにちがいない。



   だが、いったん預けたなら奈美のところからは仔猫たちが戻って来なくなるのではないかと、そんな気がするのだ。




   不意に音が鳴りやむと、京は撃ち落とされた鳩のように、YOGIBOに倒れこんだ。




   さっきまで重力を忘れ、ふわふわと部屋の中を彷徨っていたのに、一気に現実に引き戻された感じだった。




   音が止んだだけではなく改めて重力が戻ってきたと思った。
 



「ごめーん。ダイニングに鍋用意しとくから、お腹空いた人は食べにきてね」 




   伽耶子ちゃんが、そう言って夏樹ちゃんと一緒に部屋から出ていくと、再び大音響が戻ってきた。
 


   なんかアレだった。




  シャブ切れの禁断症状をまさに体感したかのよう。音が切断されたのは、ほんの一瞬に過ぎなかったのに、汗が噴き出していた。




  その切断で思い出したが、京は、仙川にあったライブハウスでいわゆるノイズ系の連中とブッキングされて、一緒に何回かやったことがあった。




  その中に独りで活動してる原田くんという、たまたま知っているやつがいて、その日、彼は持ち時間を過ぎても演奏をやめなかったため、スタッフに電源を落とされるという、出来事があった。




   本人は、髪を振り乱してキーボードを叩きまくり絶頂に達するその前に、突如、音が切断されてしまったので驚いただろうが、ノイズのようなビートのない音響的な音楽では、突然の切断というものも、逆にありなのだ。それは、とってもかっこ良かったのである。




  そんなことを思い出しながら、いくらでも飲める甘いパンチを飲み過ぎたのか、京は尿意を覚え探検がてらトイレを探す旅にでた。




   曲は、ドラムンベースに変わっていた。むろん、ドラムンベースもダンサブルにはちがいないけれど、自分の好みは、エレクトリックで広がりのあるやつだ。




  トランスとかハウスとか、まったく詳しくはないが、そういったクラブミュージックは、おしなべてギターを用いない。




   一方ロックは、ギターなしでは成り立たない。前から京にはトランスにフリーキーなギターを乗っけてみたいという願望があった。ビートがあるから、ギターは幾らでも遊べるのだ。




   まだ誰もやっていないのは、やっぱりうまくハマらないからじゃないのか、とか考えながら廊下を歩いていくと、左手に少しだけ開いているドアがあった。




    何気なく中を覗いてみると、そのとたん、眼の前でなにかがスパークした。




   そこにいたのは、後ろ姿だったけれど、あの忘れもしない飛鳥ちゃんの雰囲気を纏っている若い女性で、京はまざまざと飛鳥ちゃんを思い出したのだった。





   人違いである可能性もある。しかし京は逆にあの時の一度きりしか見たことのないはずの、いや、その後に街角で偶然エンカウンタしたことがあった飛鳥ちゃんの雰囲気やら面影をしっかり記憶している自分自身に驚いた。




   そして。



「なにやってるの?」




  思い違いかもしれないのに、京は華奢なその背中に旧知の友にするかのように、ごく自然に声をかけている自分の声を聞いた。










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