花散る男女

トリヤマケイ

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第2部 名古屋編

🎵20 赤坂卍ジロー、タキオンゼルロペを語る②

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「わ、わかりました、じゃあ、タ、タ、タキオンゼルロペの話をし、し、しますね」


  と言って赤坂ジローは、ヲタク特有のあの早口で、しゃべりはじめた。




 *


   タ、タキオンゼルロペは、このごろヘンゼルとグレーテルのお話に出てくる、お菓子の家をよく想いうかべる。

 それが、どんなお話だったのかほとんど憶えていないにもかかわらず、ヘンゼルとグレーテルという題名と、そのお菓子の家だけは鮮烈な印象を伴なって記憶にいつまでもとどまっている。

 というか、記憶を何度も呼び起こしているから、ログはいつまでも消えないのだろうか。あるいは、ただの食いしん坊ということなのだろうか。

 タキオンゼルロペは、ある日、一生懸命ごちそうを運ぶ働き蟻たちの一本の長い隊列が、神社の庭をよこぎっていくのに出くわして、面白くて時間も忘れて眺め入ってしまった。

 そして、ありという響きから、ふとアリババと四十人の盗賊を思い出した。

 確かアリババは、盗賊の唱える呪文を聞いて、それを憶えてしまうのだ。そして、いわずもがな洞窟の前で呪文を唱え、まんまとお宝をゲットしてしまう。

   しかし、たとえ相手が盗賊だとしても盗みは盗みなのであり、アリババは、ネコババに改名した方がよいのではないか、などと思ったが、とにかくあの話は面白かった。

 タキオンゼルロペが、しゃがみ込んでいた蟻の行列の前から立ち上がると、木立ちの間から飛行機雲が、西の空の方へとすーっと伸びていくのが見えた。

 ずんずんと伸びていく飛行機雲は、しかし、後ろの方から少しずつスカイブルーの内へと、吸い込まれるように消え入ってゆく。

 記憶も、ちょうどそんな感じなのかもしれない。アクセスがなければ古いものからオートマティックに次々と消えていく記憶たち。

 それは、むろんソフトの記憶容量を護るためなどではない。ヒトの脳は、九割がた使われてはいないのだ。

 タキオンゼルロペは、神社の境内から、遥か彼方へと吸い込まれてしまいそうなスカイブルーを眺め、私は、このかけがえのない故郷の景色を決して忘れることはないだろうと思った。

 神社の十数段ある石の階段を下り切り、なだらかな坂をゆっくりとした足取りで歩いてゆくタキオンゼルロペは、つい最近東京から引っ越してきた男の人の家の前を、またわざわざ通って帰った。少し怖いもの見たさ、みたいなことがあるのかもしれない。

 その男の人は、独り者らしく、いったい何で収入を得ているのか、まったくわからないのだった。

 たとえばタキオンゼルロペの大好きな梨や桃を栽培しているとか、あるいは、炭鉱で働いていて身体を壊してしまい、いまは、骨休めしているのだとか、あたかも人生のリタイヤ組とみせかけて、実はバリバリのデイトレーダーで毎日が給料日だったりとか、あるいは、ガテン系で、防塵マスクをつけて、毎日どこかの現場でハツリ作業や玉掛け作業をやっているだとか、実は、マネーロンダリングの名人であるとか、大きな麻を押入れの中で愛を以って育んでいたりとか、蟻の門渡り的短い一生をまさに迎えんとしているところだとか、おじさんは、そのどれにも当て嵌まらないようなのだ。

 だが、とにかく働かなくとも生活ができるだけの貯えがあるらしいことは確かなようだった。

 で、その日はいつものように、そうなのだ、タキオンゼルロペは実はこのところ毎日遠回りして、その男の人の家の前を通って帰るのが、クセみたいなことになっていた。

 だが、タキオンゼルロペには、迂回して男の人の家の前を通って帰るのも、もう今日が最後になるかもしれないということが、薄々わかっていた。

 というのも、タキオンゼルロペの家のお隣の木下さんちでタキオンゼルロペが以前から飼いたくて仕方がなかったマンチカンを飼いはじめたからだった。

   つまり、タキオンゼルロペの旺盛な興味は、都会から引っ越してきた見知らぬ男の人から、マンチカンのブルース(そのマンチカンの雄猫は、ブルースと名付けられたらしかった)へと完璧に移行しつつあった。

 見知らぬ男の人は一度もタキオンゼルロペの前に姿を現わさないまま、タキオンゼルロペのなかで淡雪みたいに大地に滲むようにして消えてゆくのだ。

   それは、薄荷のキャンディみたいに、タキオンゼルロペの鼻腔をすうっとすり抜けてゆく涼しい息のようだった。

 しかし、なぜまたヒトは、そんな風に忘れるようにできているのだろうか。つまりは、そう。ヒトは、物事を忘れるように設定されているのではないのかと思うわけなのだ。

 そこで不意にタキオンゼルロペは「あなたのお書きになるチンカスのような糞テクストをWebにばら撒くのは、ある種犯罪ですよ」という自分への書き込みを思い出して苦笑いを洩らし、愛犬のジェフにこんなことを言うのだった。

「ジェフ、ぼくはもう生きてゆく気力がない。いっそのことあの谷底に落ちて死んでしまった方が生きていることよりも楽なのではないかなどと思うんだよ。なぜぼくたちは人の揚げ足取りばかりしているのだろう。貶めること、馬鹿にすること、差別することを一日として忘れたことはない。差別することこそ無上の喜びなのだ。いや、もういい。どうだっていい。とにかくぼくはもう何も考えたくはない。くたびれてしまったんだ、心底この人生に。さあ、ジェフお別れに何かおまえたちの歌でも歌ってくれないかい」

 すると、ジェフは、グルルルルと喉を鳴らしたかと思うと、前足を揃え、つぶらな眸で見事な満月をまっすぐ見上げると朗々と歌うように鳴きはじめた。

   ジェフの名前は、タキオンゼルロペの好きなギタリストである、ジェフ・ベックに因んだ名だったが、実はめちゃめちゃ可愛いチワワだった。

   いま、チワワであるその彼が崖っぷちに立つロンリーウルフのように遠吠えをはじめた。

 高く低くワオーン、ワオーンとジェフは狼の遠吠えの真似をすると、その無理が祟って咳き込みはしたが、やがて声をひそめて詩を朗読するように、あるいは恋人に愛を囁くように甘く優しい声音で語りはじめた。 

 さてここでジェフは、主人であるタキオンゼルロペを勇気付けるために、こんなことを語っていたのでした。



 *

 バウワウ。プルーストは、確かこんなことを書いていましたっけ。「肉体的所有行為のなかで、ひとは何も所有することなどない」と。

    しかし、そもそも所有するしないという感覚は、肉体があるからこそ生まれるものであるから「肉体的所有行為のなかで」とするのはおかしくはないでしょうか。所有という言葉じたいが肉体的なものだからです。   
   
 ヒトは肉体がなければ生きたい死にたいと思わないでしょうし、肉体があるからこそ貧富の差も美醜も老若も生じてくるわけで、死とは、そういったあらゆる物質的な束縛からの解放でしょう。バウワウ。

 そして、それっきりタロウは目を閉じて地面にぺたりと腹ばいになってしまい、もう顔を上げようともしなかったのです。それは、やる気がなくなったわけでも哀しくなったわけでもありませんでした。

 それは、装うということに関してなぜか不意に思考し始めていたからでした。

   繰り返しというミニマルな手法によって、この装うということ、これを炙り出せばいいのか。

 実にうまくそのものになりきっているその仮面を、その装いを剥ぎ取ることに眼目があるのか。しかし、なぜまたそのように装う必然がどこにあるのか。

 そもそもいったい、装うということはなんなのか。何かを隠そうとする必然から装うことがはじまったのか。などなど。ジェフには疑問やら欺瞞がむくむくと夏空の入道雲のように膨らんでいったからでした。

 あるいは、真逆であるのか。何かを隠そうとするサマを敢えて強調し描写してゆくということか? などと考えたり……。


 と、そこで赤坂ジローは、ついに言葉が尽き果ててしまうのだった。

 それでも、吃りながら何かをひねり出そうとするのだが、脳はオーバーヒートしたのだろうか、真っ白だった。

 一巻の終わり、そんなフレーズが赤坂ジローの脳裏をよぎる。



 *

 顔だけは、超絶美少女、しかしオッパイ丸出しのエロ怖いバケモノは、そこで、ニタリと笑った。背筋がゾゾゾとする怖ろしい笑み。目は一切笑ってなどいない。

「おもろいやんけ。その話、どのタイミングでわろたらええねん?   しばき倒すぞ、禿げ!」 

 絶対絶命は、to be continued だった、まったく微動だにしない。

 赤坂ジローは、天にも昇るような解決策が降って湧かないかと祈って祈って祈り倒してみたが、やはりアニメみたいに絶好のタイミングで助けがくるわけもなかった。

 外的要因で救われるのは、もうありえないと思った赤坂ジローの脳が選択した緊急措置は、なんとバックレることだった。

 この現前する恐怖をないものと認識してしまおうという、ありえない対応だった。

 具体的にいえば、赤坂ジローは、最後の手段としてまさに現実から寝逃げするため、居眠りをはじめたのだった。それは、まるで日出ずる国日本の素晴らしい国会議員先生みたいに。
 
 すると、不思議なことが起こった。ひとつの柔らかな細胞の中で幾千幾万もの桜の花弁のようにどこまでもそこはかとなく薄いピンクに透過して見える浸透膜の優しいヒダに滲むように透過しながら、その夢と現実の狭間のような世界で赤坂ジローは、淀みなく話し続けている自分のイメージをしっかりと捉えることができた。

 夢の中で、赤坂ジローは立て板に水の如く、ベラベラとヲタク特有の早口でベシャリまくっていたのだ。

 それは、こんな風に……。

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