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第6章
ヴィシー
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窓から差し込む朝日が顔に当たったのを感じて、結城は目を覚ました。ベッドサイドテーブルに置いてあるスマホに手を伸ばし、時刻を確認すると午前七時四十分。普段よりも一時間ほど遅い起床時間である。
結城は仰向けになると手を額に当てて、ホテルの部屋の見慣れぬ天井をしばらくの間、ぼうっと眺めた。
低血圧で朝に弱いため、起き上がるのに時間を要するほうだが、今朝はひと際、体が重く感じる。原因はおそらく、昨日の慌ただしい移動から生じた疲れだろう。
ヴィシー行きを急遽、決断してから急いでTGVに乗り込み、私鉄を乗り継ぐこと約六時間半の旅だった。ヴィシーに到着したのは昨夜の八時頃。そのまま予約しておいた駅前の宿に直行し、ファビエやランドローらと連絡を取って、遅い夕食の後に就寝したのが午前一時。まさに怒涛の一日であった。
本音を言うと、もう少し眠っていたい。だが調査はすでに四日目を迎えた。佐伯との約束は十日間。のんびりしている余裕はない。
(何でもいい。とにかく手がかりを探さないと)
ゆっくりと起き上がって身支度を整えると、部屋を出て一階へと降りた。ホテルと言っても民宿のようなもので、朝食付きではない。結城は早く営業しているカフェを探すべく表へ出た。
まだ朝が早いということもあり、駅に近い通りでも人は少ない。
少し道なりに歩くと、ちょうど開店したばかりのカフェを見つけたので、テラス席に腰をかけ、ウェイターにコーヒーとクロワッサンを注文した。やはりフランスの朝食と言えば、この組み合わせである。結城も警察庁時代の仕事やプライベートで何度も来仏しているが、その度に欠かさず味わっているメニューだ。
ウェイターが運んできたコーヒーを飲みながら、通りを眺める。フランスのどこにでもある、のどかな町の風景が広がっている。
ヴィシーは、ナントから南東へ約四百キロ、フランス中央に位置するアリエ県のコミューン(地方自治体)である。
人口は三万人弱。フランス国内では温泉保養地として知られてはいるが、他に目ぼしい観光名所もなく、通りを歩いて日本人を見かけることは、ほとんどない。
しかし、この片田舎の町は、第二次大戦中、この国の首都であった。
フランスは一九四〇年、ナチスドイツに敗北した際、国土の北半分を占領された。時の政府は残った南半分を支配地域とし、新たに「フランス国」を樹立する。ヴィシーは、パリに比較的近いという地理的な利便性から首都に定められた。
「…で、なぜ君が、そのヴィシーという町へ向かってるのかね?」
結城はヴィシー行きの列車内で交わした、佐伯との電話での会話を思い出した。
「実は、事件の直前に金村さんが訪れているんです」
「直前?」
「昨日、ナント警察署のガルニエ警部の指示で、金村さんの最近半年以内のネット上の列車予約履歴を捜査課が調べたところ、パリ~ナント間のTGVに往復で二回。それとパリ~ヴィシー間の特急列車に往復で三回乗っています」
「つまり、ここ半年でナントに二回、ヴィシーに三回訪れているというわけか」
「ナントへは、今年の一月と事件のあった四月に。ヴィシーへは昨年の十二月、今年の二月、そして四月です。特に四月は、まずヴィシーへ行き、その三日後にナントへ向かっています」
「どちらの場所へも、短い間隔で複数回行っているね。単なる観光旅行としては不自然だな」
「ええ。何か特別な目的があったと思うんです。そして、昨日の克美君の報告で推測できました。おそらく、金村さんの祖父の件ではないかと」
「祖父…確か、金村源一郎といったな。海軍軍人としてフランスに赴任していたと聞いたが」
「その点について調べてみました。第二次大戦で、ナチスドイツに敗北したフランスは、首都をヴィシーに移転したんですが、その際、日本大使館も一緒に移ってきたんです。そして当時は、どの大使館にも海軍の事務所がありました」
「金村源一郎が、ヴィシーの海軍事務所に駐在していたということかね?」
「おそらくそうだと思います。克美君の報告では、金村さんにとって、彼の祖父は育ての親で、自衛官を志した理由にもなった人物です。その祖父がかつて勤務していた地を訪れたいと考えても不思議ではありません」
「うーん…そうかもしれないが、それが事件に何か関りがあるのかい?」
「まだ分かりません。ただ、事件の直前に行っていることが気になるんです。それに所長がおっしゃったように、短期間に二つの都市へ何度も訪れる不自然さは、事件と無関係ではないように思います」
「ふむ。それで、ヴィシーでは何をするつもりなんだ?」
「今回は、ファビエさんのほかにナント警察署のモルガン刑事も同行していますから、彼らと協力して、金村さんが訪れそうな場所…差し当たっては日本大使館の跡地や、市役所などで聞き込みをしてみます」
「それで何か手がかりが得られればいいんだがね。進展があったら、また報告してくれ」
この会話の後、ヴィシーに到着した結城は、パリでの捜査状況を知るため、ブスケ刑事に連絡を取った。そして、何者かが金村のアパルトマンに侵入し、彼のパソコンを盗んだ疑いがあることを知ったのである。
これで、金村の死が自殺でも強盗殺人でもなく、第三者が何らかの意図を持って及んだ犯行である可能性が俄然高まった。盗まれたというパソコンには、犯人にとって何か不都合な情報が入っていたと考えられる。
(この町で、その不都合な情報のヒントを、探せないだろうか)
結城が思索にふけっていると、二人の人影が視界に入った。
「今朝は、ずいぶんとラフな格好だね。よく似合ってるよ」
朝の挨拶代わりに軽口を叩いたのはファビエだった。その後ろにいるのは、モルガン刑事である。
二人の言う通り、今朝の結城は、いつものパンツスーツではなく、長袖のシャツにジーンズという姿であった。
「お二人とも、おはようございます。ご一緒にいかがです?」
「私は済ませましたので結構です。ファビエさんは?」
モルガンがファビエのほうを向いた。
「僕はまだだから、頂こうかな」
二人は結城と同じテーブルに腰掛け、ファビエはコーヒーとバゲットのサンドイッチを注文した。
「優雅な所作だねえ」
ファビエが、コーヒーを飲む結城を見ながら言った。
「マドモアゼル・ユウキは美人というだけでなく、マナーも洗練されているね。同席していると、こっちまで上品な人間になった気がしてくる」
「それはどうも。でも、褒めても何も出てきませんよ」
「事実を言ったまでさ。君のような探偵がいたら、男なら誰でも指名で依頼したがるだろうね。どうだい、日本からフランスへ転職を考えてみる気は? うちの事務所なら大歓迎するよ」
「今いる職場をクビになったら、考えてみますよ」
ファビエの口説きを、苦笑しながら、さらりとかわすと、結城はモルガンに向き直った。
「すみません、モルガン刑事。あなたの捜査に無理やり同行したような形を取ってしまって」
「いえ、捜査の妨害にならないようであれば、問題ありません。ガルニエ警部の承認も得ていますから」
モルガンは微笑みながら答えた。見た目が優しげなこの男は、ランドローと比べると、かなり協力的で、結城にとっては助かる存在である。
「ナント署内では、本事件はどう認識されているんですか?」
「正直、かなり深刻に受け止めています」
打って変わって、モルガンの顔つきが真剣になった。
「被害者が日本人であることが、ほぼ断定されたことで、我々捜査陣の緊張も一気に増しました。今後はフランスだけでなく、日本でも本件が報道され始めるでしょう。国際的な注目を浴びる中で、下手な対応をすれば、フランス警察の評判にも関わりますからね。ガルニエ警部を始め、上層部は一刻も早く解決するために躍起ですよ」
ブスケ刑事が持ち帰るDNAサンプルの鑑定で、被害者が金村良純であることが確定すれば、事件の担当判事は記者会見で正式にその旨を発表するだろう。そうなればモルガンの言うように、日本でも大きく取り上げられるのは間違いない。
さらに、こうした国際的な事件の場合、時間を経るにつれて外交問題の様相を呈し始めてくる。被害者家族が、相手国の警察の捜査能力に不満を抱き、自国大使や外務省に陳情するケースも珍しくない。そうなれば、捜査陣にかかるプレッシャーは一段と増すはずだ。
ナント署としても、そんな事態に発展することは回避したいのだろう。
「それでモルガン刑事は、今日はどうするんだ?」
サンドイッチを食べ終えたファビエが尋ねた。
「とりあえずは、地元の警察署に協力を仰いで、目ぼしいホテルやレストランを回り、ムッシュ・カネムラに関する目撃情報がないか調べます」
「何か手がかりを得られたら、教えて頂けますか?」
「もちろんです。マドモアゼル・ユウキは旧日本大使館へ行くと言っていましたね。場所はお分かりなんですか?」
「ネット時代というのは、本当に便利なんです」
結城はポケットからスマートフォンを取り出すと、地図サイトをモルガンに見せた。画面には、旧日本大使館の建物が映し出されている。
「検索エンジンで『ヴィシーの日本大使館』と調べると、とあるユーザーがSNSで当該の建物を写真に撮っていたんです。あとは、ストリートビュー機能のある地図サイト上で、町の衛星写真と照らし合わせれば、住所が難なく分かります」
横でファビエが溜息をついた。
「テクノロジーの進歩は恐ろしいね。おかげで探偵の仕事が、どんどんつまらなくなっていきそうだ」
2
朝食を終えた結城とファビエは、モルガンと一旦別れ、午後になるのを待ってからタクシーを拾って旧日本大使館の跡地へ向かった。
「ヴィシーを訪れるのは初めてなんだが、素朴な田舎町という印象だね」
車窓に流れる風景を眺めながら、ファビエが感想をこぼす。
「ここが短期間ながらも、この国の首都だったなんて信じられないな」
「パリに近いということと、温泉地なのでホテルが多く、臨時の官舎を置くのに都合が良かったというのが理由だそうですね」
「温泉か。そちらの歴史も古いらしいね」
「古代ローマ時代から知られていて、中世は王侯貴族の保養地だったとか」
「今度はぜひ、バカンスで訪れたいもんだな。ところで、目的地はどのあたりなんだい?」
「町の西外れを流れる、アリエ川のすぐそばです」
駅近くのタクシー乗り場から出発して、十分ほどで目的地に到着した。
第二次大戦中に大日本帝国の大使館が置かれたその建物は、立地としては通りの端にあり、目の前をVの字型に曲がった道路が通っている。
タクシーから降りたファビエは、目的の建物を見上げながらつぶやいた。
「何だか、想像と違ったな」
それは一見、何の変哲もない二階建ての民家であった。
建物を囲む塀は低く、立派な門があるわけでもない。
通りの他の家と比べて、特に大きいわけでもなく、およそ大使館には見えない簡素なたたずまいだった。
「それで、来てみたはいいが、ここからどうするんだい? まさか記念撮影して帰るわけじゃないんだろう?」
ファビエの皮肉に、結城は笑顔を返す。
「調べた時に分かったんですけど、ここは今は民泊用の施設らしいんですよ」
「民泊って、最近話題になってる、あれかね?」
「ええ、民泊用のサイトに登録してありました。部屋の状況を確認したら、何部屋か空いてましたね。それで、実は昨日のうちに予約の連絡をしておいたんです」
なるほど、とファビエが感心したようにつぶやく。
「宿泊客として、住人と接触するわけか。荷物を持ってきてるから妙だとは思ってたが」
足元を見ると、結城はキャスター付きの小型スーツケースを持参していた。昨夜に滞在していたホテルは、すでにチェックアウトしている。
「素直に探偵と名乗って話を聞き出そうとしても、怪しまれるだけでしょう」
「そのあたりの業界事情は、万国共通なんだねえ」
二人は門を抜け、結城が玄関のドア横にある呼び鈴を鳴らした。
少し待っていると、ドアが開いて、四十代くらいの男が姿を見せた。
男は、結城とファビエの服装にチラリと視線をやったのち、「失礼ですが…」と訊いてきた。結城は、にっこりと微笑みながら、
「すみません、昨日に、こちらの部屋に泊まる予約の連絡を入れた結城と申します」
男は、「ああ」と気づいたように声を発した。
「承ってますよ。でも、ずいぶん、お早いですね」
「今日この後も、観光する予定なんですけど、近くに寄ったので、先にチェックインして荷物を置かせてもらおうと思いまして。もう部屋は空いていますか?」
「今はシーズンオフですからね。満室になることはないんですよ。あ、私はここの管理人のダバディと言います」
苦笑いを浮かべた男は「中へどうぞ」と結城たちを招き入れた。
玄関をくぐると、内部はオーソドックスな欧州風のインテリアだった。壁は白が基調で、階段やドアは木製。コンパクトに見えた外観に反して、中は広々としており、掃除は行き届いているようで、清潔感を醸し出している。
建てられてから、どれくらい経つのかは分からないが、少なくとも大使館として使われた七十年前まで遡れることは確かだ。その歴史を感じ取れるだけの、格調高い雰囲気に満ちている。
ダバディが宿帳を持ってきて「こちらに記入を。パスポートもお願いします」と言った後、ファビエのほうを見ながら、
「あの、お泊りは確か一名と記憶しているんですが、そちらの方は?」
と尋ねてきた。
「彼は友人です。この町に詳しいので観光案内をしてもらっているんですよ」
「はるばる日本からやってきた美しいマドモアゼルに、ヴィシーの魅力をぜひ知ってほしくてね」
結城の作り話に合わせて、ファビエはごく自然に軽口をたたいた。
「ああ、やっぱり日本の方ですか。それなら、ここに泊まるのは良い思い出になると思いますよ」
「確か、第二次世界大戦中は日本の大使館だったんですよね」
「そうなんです。よくご存じで」
「それが、こちらに泊まる理由の一つなんです」
結城は宿帳の記入を終え、パスポートをダバディに見せた。
「では、二階へどうぞ。お部屋へ案内します」
3
ダバディに案内されたのは、二階の突き当りにあるシングルベッドの部屋だった。ベッドのほかは小さいテーブルとイス、小型の液晶テレビが置いてあるだけの、簡素な内装だが、窓を開けてみると、アリエ川に面していて景色がいい。
「洗面所とトイレ、シャワー室は共同で、今上がってきた階段の横にあります。それと予約時に確認されたと思いますが、食事は自炊式なので、下のキッチンをご自由にお使いください」
ダバディが結城の荷物を置きながら説明した。
「一つお尋ねしたいんですけど、この家の内装は、大使館時代から変わってないんですか?」
結城の質問に、ダバディは困った顔を浮かべた。
「それは、私も詳しくは存じません。この家のオーナーは戦後、何人も代わっていますから。ただ、間取りは変わっていないと思いますよ。もちろんベッドや調度品などは新しいですが」
「ダバディさんは、オーナーになる時に、大使館のことはご存じだったんですか?」
「先代オーナーから聞かされてはいましたが、特にそれが理由で購入したわけではありません。もともと民泊用の物件を探していて、ここはアリエ川のすぐそばにあって立地が良かったのが決め手でしたね」
「確かに、環境に恵まれてるね。泊まるには良い場所だ」
ファビエは窓を開け、景色を見ながら口笛を吹いた。
「やっぱり、日本人の宿泊客も多いんですか?」
「いや、そもそも日本大使館だったことを知ってる人は少ないですからね。年に一組、二組くらいですよ」
「実は、私がここのことを知ったのは、ある日本人からの紹介だったんです。金村良純さんという方なんですが」、
「カネムラ…?」
ダバディは少し視線を宙に泳がせると、「ああ」と納得した表情で、
「あのカネムラさんのご紹介でしたか」
「はい、友人なんです。金村さんもここに泊まったと聞きまして」
「ええ、お泊りになりましたよ。確か去年の冬頃でしたかね。あなたと同じように、日本大使館だったからという理由で選んだと言ってましたね。珍しい理由なので、とても印象に残ってるんです」
結城とファビエは顔を見合わせた。去年の冬という時期は、ナント警察署が調べた列車の予約履歴にあった十二月と一致する。
ダバディの反応を見るに、彼は金村の死を知らないようだ。新聞各紙には金村の似顔絵が掲載されたが、やはり東洋人の顔は判別がつきにくいし、まさか自分の宿泊客だったとは思いもよらないだろう。
「カネムラさんは、泊まった時どんな様子だったのかな?」
ファビエが尋ねた。
「家の中をあちこち見回って、何だか感慨深げでしたね。理由を尋ねたら、日本大使館だった頃に、彼のお祖父さんが軍人として働いていたと聞いて、私も驚きましたよ」
「色々と質問攻めにしませんでした? さっきの私みたいに」
次に結城が尋ねると、ダバディは苦笑した。
「ええ。この部屋は当時何に使われていたのか、海軍の駐在室だった部屋はどこかなど、たくさん聞かれました。でも、私が詳しくないと答えると、ガッカリされてましたね」
結城には、その時の金村の心境が容易に想像できた。敬愛する祖父が激動の時代に働いていた場所に、七十年以上の時を経て、初めて足を踏み入れることができたのだ。きっと抑えがたい感動を覚えたのだろう。
「よほど、当時のお祖父さんのことを知りたかったんでしょうね」
結城の感想にダバディが頷く。
「偉大な方だったそうですから、尊敬していたんでしょう」
「偉大、というと?」
「カネムラさんから聞いてませんか? 彼のお祖父さんはレジスタンスに協力していたそうなんですよ」
「レジスタンスというと、戦時中ナチスに抵抗していた組織のことだな」
ファビエが真面目な顔つきでつぶやく。
「ええ。当時フランスはドイツに戦争で負けて、国土の北半分は占領されました。そんな中で結成されたレジスタンスは、フランス各地でナチスに抵抗するため、あるいは迫害されていたユダヤ人を逃がすために活動を続けた。それだけに、ナチスのレジスタンス狩りも激しいものがありました。この町でも同様だったんです」
ダバディは話すうちに表情を曇らせていった。
「占領されたパリの代わりに、戦時中はヴィシーが首都になりましたが、当時の政府は実質的にドイツの傀儡政権でした。役人も、町の市民も、ナチスの要求には逆らえませんでね。むしろ進んで協力する者もいたんです。レジスタンスやユダヤ人の居場所を密告したりね。暗い歴史ですよ。今も、この町の年配の人たちは、当時のことはあまり話したがりません」
「金村さんのお祖父さん…源一郎という方なんですが、彼はどうやってレジスタンスに協力してたんでしょうか?」
当時、日本はナチスドイツと同盟関係にあったはずだ。源一郎が日本の軍人である以上、同盟国の反対勢力に手を貸すことは外交的にも問題があるのではないか。
「カネムラさんが言うには、大使館内の電話を、レジスタンスに使わせてあげたそうです」
「電話?」
「レジスタンスやユダヤ人が逃亡するルートを、仲間に知らせるためには電話での連絡が不可欠だったそうで。でも町中では、ナチスや対独協力者の目がどこで光っているか分かりませんからね。その点、ナチスの同盟国だった日本の大使館は盲点だったんでしょう。かなりの頻度で館内の電話が使われたそうですよ」
「しかし、いくらゲンイチロウが善良な人物だったとしても、日本の軍人としての立場上、レジスタンスに協力することは相当なリスクがあるだろう。単なる正義感だけで、そんな行動に及べるものなのかねえ」
ファビエが疑問を呈した。
「それは…」
ダバディは言葉を詰まらせた。
「何か、ご存じなんですか?」
結城が尋ねる。
「話していいのか分かりませんが…どうやら、彼の妻がレジスタンスのメンバーだったそうなんです」
「源一郎さんの奥さんが?」
神崎からの報告で、源一郎の妻が、現地で結婚したフランス人女性であったことは聞いていたが、まさかレジスタンスに所属していたとは。
「それなら納得できるね。妻の活動を手助けしたいと考えるのは、夫として自然なことだ」
「ええ。ただ…」
「何です?」
「彼の奥さんは、最終的には官憲に捕まったと言っていました。それも、密告によってね。悲しいことです」
「密告…誰にですか?」
ダバディは首を振った。
「それは、分からないそうです。当時は、誰が密告してもおかしくない情勢でしたから、犯人の目星など、つかなかったでしょう。カネムラさんは、とても知りたがっていたようでしたけどね」
そこまで聞いた時、結城の脳裏に、先日のランドローとの電話のやりとりが浮かんだ。
「あの、ダバディさん」
「何でしょう?」
「この町に、当時の…レジスタンスに関する資料を調べられるような場所はありますか?」
結城の質問に、ダバディは驚いた表情を浮かべた。
「カネムラさんも同じことを聞きましたよ」
「あるんですか?」
「ヴィシーに、その手の資料館などがあるとは聞いたことがありません。この町にとっては負の歴史ですからね。あったとしても、行く人はあまりいないでしょう。ただ、数年前でしたかね。第二次大戦中の対独協力に関する資料が、国内で初めて一般公開されるというニュースを新聞で読んだことがあります」
「本当ですか」
「ええ。ヴィシーの人間にとっては大きな話題でした」
「金村さんにも、その話を?」
「はい、しましたが…」
ランドローによれば、金村は今年の一月頃に二週間ほど、連日調べ物をしていたという。
結城の頭の中で、二つの点が結び付いた。
「それで、その一般公開された場所というのは…」
「パリだよ」
返事をしたのはファビエだった。いつの間にか手に持っていたスマホを、結城に見せる。ネットで検索したのか、画面には古いニュース記事が映っている。
「公開されたのは二〇一五年だった。場所は、パリ警視庁の…記録文書館だ」
窓から差し込む朝日が顔に当たったのを感じて、結城は目を覚ました。ベッドサイドテーブルに置いてあるスマホに手を伸ばし、時刻を確認すると午前七時四十分。普段よりも一時間ほど遅い起床時間である。
結城は仰向けになると手を額に当てて、ホテルの部屋の見慣れぬ天井をしばらくの間、ぼうっと眺めた。
低血圧で朝に弱いため、起き上がるのに時間を要するほうだが、今朝はひと際、体が重く感じる。原因はおそらく、昨日の慌ただしい移動から生じた疲れだろう。
ヴィシー行きを急遽、決断してから急いでTGVに乗り込み、私鉄を乗り継ぐこと約六時間半の旅だった。ヴィシーに到着したのは昨夜の八時頃。そのまま予約しておいた駅前の宿に直行し、ファビエやランドローらと連絡を取って、遅い夕食の後に就寝したのが午前一時。まさに怒涛の一日であった。
本音を言うと、もう少し眠っていたい。だが調査はすでに四日目を迎えた。佐伯との約束は十日間。のんびりしている余裕はない。
(何でもいい。とにかく手がかりを探さないと)
ゆっくりと起き上がって身支度を整えると、部屋を出て一階へと降りた。ホテルと言っても民宿のようなもので、朝食付きではない。結城は早く営業しているカフェを探すべく表へ出た。
まだ朝が早いということもあり、駅に近い通りでも人は少ない。
少し道なりに歩くと、ちょうど開店したばかりのカフェを見つけたので、テラス席に腰をかけ、ウェイターにコーヒーとクロワッサンを注文した。やはりフランスの朝食と言えば、この組み合わせである。結城も警察庁時代の仕事やプライベートで何度も来仏しているが、その度に欠かさず味わっているメニューだ。
ウェイターが運んできたコーヒーを飲みながら、通りを眺める。フランスのどこにでもある、のどかな町の風景が広がっている。
ヴィシーは、ナントから南東へ約四百キロ、フランス中央に位置するアリエ県のコミューン(地方自治体)である。
人口は三万人弱。フランス国内では温泉保養地として知られてはいるが、他に目ぼしい観光名所もなく、通りを歩いて日本人を見かけることは、ほとんどない。
しかし、この片田舎の町は、第二次大戦中、この国の首都であった。
フランスは一九四〇年、ナチスドイツに敗北した際、国土の北半分を占領された。時の政府は残った南半分を支配地域とし、新たに「フランス国」を樹立する。ヴィシーは、パリに比較的近いという地理的な利便性から首都に定められた。
「…で、なぜ君が、そのヴィシーという町へ向かってるのかね?」
結城はヴィシー行きの列車内で交わした、佐伯との電話での会話を思い出した。
「実は、事件の直前に金村さんが訪れているんです」
「直前?」
「昨日、ナント警察署のガルニエ警部の指示で、金村さんの最近半年以内のネット上の列車予約履歴を捜査課が調べたところ、パリ~ナント間のTGVに往復で二回。それとパリ~ヴィシー間の特急列車に往復で三回乗っています」
「つまり、ここ半年でナントに二回、ヴィシーに三回訪れているというわけか」
「ナントへは、今年の一月と事件のあった四月に。ヴィシーへは昨年の十二月、今年の二月、そして四月です。特に四月は、まずヴィシーへ行き、その三日後にナントへ向かっています」
「どちらの場所へも、短い間隔で複数回行っているね。単なる観光旅行としては不自然だな」
「ええ。何か特別な目的があったと思うんです。そして、昨日の克美君の報告で推測できました。おそらく、金村さんの祖父の件ではないかと」
「祖父…確か、金村源一郎といったな。海軍軍人としてフランスに赴任していたと聞いたが」
「その点について調べてみました。第二次大戦で、ナチスドイツに敗北したフランスは、首都をヴィシーに移転したんですが、その際、日本大使館も一緒に移ってきたんです。そして当時は、どの大使館にも海軍の事務所がありました」
「金村源一郎が、ヴィシーの海軍事務所に駐在していたということかね?」
「おそらくそうだと思います。克美君の報告では、金村さんにとって、彼の祖父は育ての親で、自衛官を志した理由にもなった人物です。その祖父がかつて勤務していた地を訪れたいと考えても不思議ではありません」
「うーん…そうかもしれないが、それが事件に何か関りがあるのかい?」
「まだ分かりません。ただ、事件の直前に行っていることが気になるんです。それに所長がおっしゃったように、短期間に二つの都市へ何度も訪れる不自然さは、事件と無関係ではないように思います」
「ふむ。それで、ヴィシーでは何をするつもりなんだ?」
「今回は、ファビエさんのほかにナント警察署のモルガン刑事も同行していますから、彼らと協力して、金村さんが訪れそうな場所…差し当たっては日本大使館の跡地や、市役所などで聞き込みをしてみます」
「それで何か手がかりが得られればいいんだがね。進展があったら、また報告してくれ」
この会話の後、ヴィシーに到着した結城は、パリでの捜査状況を知るため、ブスケ刑事に連絡を取った。そして、何者かが金村のアパルトマンに侵入し、彼のパソコンを盗んだ疑いがあることを知ったのである。
これで、金村の死が自殺でも強盗殺人でもなく、第三者が何らかの意図を持って及んだ犯行である可能性が俄然高まった。盗まれたというパソコンには、犯人にとって何か不都合な情報が入っていたと考えられる。
(この町で、その不都合な情報のヒントを、探せないだろうか)
結城が思索にふけっていると、二人の人影が視界に入った。
「今朝は、ずいぶんとラフな格好だね。よく似合ってるよ」
朝の挨拶代わりに軽口を叩いたのはファビエだった。その後ろにいるのは、モルガン刑事である。
二人の言う通り、今朝の結城は、いつものパンツスーツではなく、長袖のシャツにジーンズという姿であった。
「お二人とも、おはようございます。ご一緒にいかがです?」
「私は済ませましたので結構です。ファビエさんは?」
モルガンがファビエのほうを向いた。
「僕はまだだから、頂こうかな」
二人は結城と同じテーブルに腰掛け、ファビエはコーヒーとバゲットのサンドイッチを注文した。
「優雅な所作だねえ」
ファビエが、コーヒーを飲む結城を見ながら言った。
「マドモアゼル・ユウキは美人というだけでなく、マナーも洗練されているね。同席していると、こっちまで上品な人間になった気がしてくる」
「それはどうも。でも、褒めても何も出てきませんよ」
「事実を言ったまでさ。君のような探偵がいたら、男なら誰でも指名で依頼したがるだろうね。どうだい、日本からフランスへ転職を考えてみる気は? うちの事務所なら大歓迎するよ」
「今いる職場をクビになったら、考えてみますよ」
ファビエの口説きを、苦笑しながら、さらりとかわすと、結城はモルガンに向き直った。
「すみません、モルガン刑事。あなたの捜査に無理やり同行したような形を取ってしまって」
「いえ、捜査の妨害にならないようであれば、問題ありません。ガルニエ警部の承認も得ていますから」
モルガンは微笑みながら答えた。見た目が優しげなこの男は、ランドローと比べると、かなり協力的で、結城にとっては助かる存在である。
「ナント署内では、本事件はどう認識されているんですか?」
「正直、かなり深刻に受け止めています」
打って変わって、モルガンの顔つきが真剣になった。
「被害者が日本人であることが、ほぼ断定されたことで、我々捜査陣の緊張も一気に増しました。今後はフランスだけでなく、日本でも本件が報道され始めるでしょう。国際的な注目を浴びる中で、下手な対応をすれば、フランス警察の評判にも関わりますからね。ガルニエ警部を始め、上層部は一刻も早く解決するために躍起ですよ」
ブスケ刑事が持ち帰るDNAサンプルの鑑定で、被害者が金村良純であることが確定すれば、事件の担当判事は記者会見で正式にその旨を発表するだろう。そうなればモルガンの言うように、日本でも大きく取り上げられるのは間違いない。
さらに、こうした国際的な事件の場合、時間を経るにつれて外交問題の様相を呈し始めてくる。被害者家族が、相手国の警察の捜査能力に不満を抱き、自国大使や外務省に陳情するケースも珍しくない。そうなれば、捜査陣にかかるプレッシャーは一段と増すはずだ。
ナント署としても、そんな事態に発展することは回避したいのだろう。
「それでモルガン刑事は、今日はどうするんだ?」
サンドイッチを食べ終えたファビエが尋ねた。
「とりあえずは、地元の警察署に協力を仰いで、目ぼしいホテルやレストランを回り、ムッシュ・カネムラに関する目撃情報がないか調べます」
「何か手がかりを得られたら、教えて頂けますか?」
「もちろんです。マドモアゼル・ユウキは旧日本大使館へ行くと言っていましたね。場所はお分かりなんですか?」
「ネット時代というのは、本当に便利なんです」
結城はポケットからスマートフォンを取り出すと、地図サイトをモルガンに見せた。画面には、旧日本大使館の建物が映し出されている。
「検索エンジンで『ヴィシーの日本大使館』と調べると、とあるユーザーがSNSで当該の建物を写真に撮っていたんです。あとは、ストリートビュー機能のある地図サイト上で、町の衛星写真と照らし合わせれば、住所が難なく分かります」
横でファビエが溜息をついた。
「テクノロジーの進歩は恐ろしいね。おかげで探偵の仕事が、どんどんつまらなくなっていきそうだ」
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朝食を終えた結城とファビエは、モルガンと一旦別れ、午後になるのを待ってからタクシーを拾って旧日本大使館の跡地へ向かった。
「ヴィシーを訪れるのは初めてなんだが、素朴な田舎町という印象だね」
車窓に流れる風景を眺めながら、ファビエが感想をこぼす。
「ここが短期間ながらも、この国の首都だったなんて信じられないな」
「パリに近いということと、温泉地なのでホテルが多く、臨時の官舎を置くのに都合が良かったというのが理由だそうですね」
「温泉か。そちらの歴史も古いらしいね」
「古代ローマ時代から知られていて、中世は王侯貴族の保養地だったとか」
「今度はぜひ、バカンスで訪れたいもんだな。ところで、目的地はどのあたりなんだい?」
「町の西外れを流れる、アリエ川のすぐそばです」
駅近くのタクシー乗り場から出発して、十分ほどで目的地に到着した。
第二次大戦中に大日本帝国の大使館が置かれたその建物は、立地としては通りの端にあり、目の前をVの字型に曲がった道路が通っている。
タクシーから降りたファビエは、目的の建物を見上げながらつぶやいた。
「何だか、想像と違ったな」
それは一見、何の変哲もない二階建ての民家であった。
建物を囲む塀は低く、立派な門があるわけでもない。
通りの他の家と比べて、特に大きいわけでもなく、およそ大使館には見えない簡素なたたずまいだった。
「それで、来てみたはいいが、ここからどうするんだい? まさか記念撮影して帰るわけじゃないんだろう?」
ファビエの皮肉に、結城は笑顔を返す。
「調べた時に分かったんですけど、ここは今は民泊用の施設らしいんですよ」
「民泊って、最近話題になってる、あれかね?」
「ええ、民泊用のサイトに登録してありました。部屋の状況を確認したら、何部屋か空いてましたね。それで、実は昨日のうちに予約の連絡をしておいたんです」
なるほど、とファビエが感心したようにつぶやく。
「宿泊客として、住人と接触するわけか。荷物を持ってきてるから妙だとは思ってたが」
足元を見ると、結城はキャスター付きの小型スーツケースを持参していた。昨夜に滞在していたホテルは、すでにチェックアウトしている。
「素直に探偵と名乗って話を聞き出そうとしても、怪しまれるだけでしょう」
「そのあたりの業界事情は、万国共通なんだねえ」
二人は門を抜け、結城が玄関のドア横にある呼び鈴を鳴らした。
少し待っていると、ドアが開いて、四十代くらいの男が姿を見せた。
男は、結城とファビエの服装にチラリと視線をやったのち、「失礼ですが…」と訊いてきた。結城は、にっこりと微笑みながら、
「すみません、昨日に、こちらの部屋に泊まる予約の連絡を入れた結城と申します」
男は、「ああ」と気づいたように声を発した。
「承ってますよ。でも、ずいぶん、お早いですね」
「今日この後も、観光する予定なんですけど、近くに寄ったので、先にチェックインして荷物を置かせてもらおうと思いまして。もう部屋は空いていますか?」
「今はシーズンオフですからね。満室になることはないんですよ。あ、私はここの管理人のダバディと言います」
苦笑いを浮かべた男は「中へどうぞ」と結城たちを招き入れた。
玄関をくぐると、内部はオーソドックスな欧州風のインテリアだった。壁は白が基調で、階段やドアは木製。コンパクトに見えた外観に反して、中は広々としており、掃除は行き届いているようで、清潔感を醸し出している。
建てられてから、どれくらい経つのかは分からないが、少なくとも大使館として使われた七十年前まで遡れることは確かだ。その歴史を感じ取れるだけの、格調高い雰囲気に満ちている。
ダバディが宿帳を持ってきて「こちらに記入を。パスポートもお願いします」と言った後、ファビエのほうを見ながら、
「あの、お泊りは確か一名と記憶しているんですが、そちらの方は?」
と尋ねてきた。
「彼は友人です。この町に詳しいので観光案内をしてもらっているんですよ」
「はるばる日本からやってきた美しいマドモアゼルに、ヴィシーの魅力をぜひ知ってほしくてね」
結城の作り話に合わせて、ファビエはごく自然に軽口をたたいた。
「ああ、やっぱり日本の方ですか。それなら、ここに泊まるのは良い思い出になると思いますよ」
「確か、第二次世界大戦中は日本の大使館だったんですよね」
「そうなんです。よくご存じで」
「それが、こちらに泊まる理由の一つなんです」
結城は宿帳の記入を終え、パスポートをダバディに見せた。
「では、二階へどうぞ。お部屋へ案内します」
3
ダバディに案内されたのは、二階の突き当りにあるシングルベッドの部屋だった。ベッドのほかは小さいテーブルとイス、小型の液晶テレビが置いてあるだけの、簡素な内装だが、窓を開けてみると、アリエ川に面していて景色がいい。
「洗面所とトイレ、シャワー室は共同で、今上がってきた階段の横にあります。それと予約時に確認されたと思いますが、食事は自炊式なので、下のキッチンをご自由にお使いください」
ダバディが結城の荷物を置きながら説明した。
「一つお尋ねしたいんですけど、この家の内装は、大使館時代から変わってないんですか?」
結城の質問に、ダバディは困った顔を浮かべた。
「それは、私も詳しくは存じません。この家のオーナーは戦後、何人も代わっていますから。ただ、間取りは変わっていないと思いますよ。もちろんベッドや調度品などは新しいですが」
「ダバディさんは、オーナーになる時に、大使館のことはご存じだったんですか?」
「先代オーナーから聞かされてはいましたが、特にそれが理由で購入したわけではありません。もともと民泊用の物件を探していて、ここはアリエ川のすぐそばにあって立地が良かったのが決め手でしたね」
「確かに、環境に恵まれてるね。泊まるには良い場所だ」
ファビエは窓を開け、景色を見ながら口笛を吹いた。
「やっぱり、日本人の宿泊客も多いんですか?」
「いや、そもそも日本大使館だったことを知ってる人は少ないですからね。年に一組、二組くらいですよ」
「実は、私がここのことを知ったのは、ある日本人からの紹介だったんです。金村良純さんという方なんですが」、
「カネムラ…?」
ダバディは少し視線を宙に泳がせると、「ああ」と納得した表情で、
「あのカネムラさんのご紹介でしたか」
「はい、友人なんです。金村さんもここに泊まったと聞きまして」
「ええ、お泊りになりましたよ。確か去年の冬頃でしたかね。あなたと同じように、日本大使館だったからという理由で選んだと言ってましたね。珍しい理由なので、とても印象に残ってるんです」
結城とファビエは顔を見合わせた。去年の冬という時期は、ナント警察署が調べた列車の予約履歴にあった十二月と一致する。
ダバディの反応を見るに、彼は金村の死を知らないようだ。新聞各紙には金村の似顔絵が掲載されたが、やはり東洋人の顔は判別がつきにくいし、まさか自分の宿泊客だったとは思いもよらないだろう。
「カネムラさんは、泊まった時どんな様子だったのかな?」
ファビエが尋ねた。
「家の中をあちこち見回って、何だか感慨深げでしたね。理由を尋ねたら、日本大使館だった頃に、彼のお祖父さんが軍人として働いていたと聞いて、私も驚きましたよ」
「色々と質問攻めにしませんでした? さっきの私みたいに」
次に結城が尋ねると、ダバディは苦笑した。
「ええ。この部屋は当時何に使われていたのか、海軍の駐在室だった部屋はどこかなど、たくさん聞かれました。でも、私が詳しくないと答えると、ガッカリされてましたね」
結城には、その時の金村の心境が容易に想像できた。敬愛する祖父が激動の時代に働いていた場所に、七十年以上の時を経て、初めて足を踏み入れることができたのだ。きっと抑えがたい感動を覚えたのだろう。
「よほど、当時のお祖父さんのことを知りたかったんでしょうね」
結城の感想にダバディが頷く。
「偉大な方だったそうですから、尊敬していたんでしょう」
「偉大、というと?」
「カネムラさんから聞いてませんか? 彼のお祖父さんはレジスタンスに協力していたそうなんですよ」
「レジスタンスというと、戦時中ナチスに抵抗していた組織のことだな」
ファビエが真面目な顔つきでつぶやく。
「ええ。当時フランスはドイツに戦争で負けて、国土の北半分は占領されました。そんな中で結成されたレジスタンスは、フランス各地でナチスに抵抗するため、あるいは迫害されていたユダヤ人を逃がすために活動を続けた。それだけに、ナチスのレジスタンス狩りも激しいものがありました。この町でも同様だったんです」
ダバディは話すうちに表情を曇らせていった。
「占領されたパリの代わりに、戦時中はヴィシーが首都になりましたが、当時の政府は実質的にドイツの傀儡政権でした。役人も、町の市民も、ナチスの要求には逆らえませんでね。むしろ進んで協力する者もいたんです。レジスタンスやユダヤ人の居場所を密告したりね。暗い歴史ですよ。今も、この町の年配の人たちは、当時のことはあまり話したがりません」
「金村さんのお祖父さん…源一郎という方なんですが、彼はどうやってレジスタンスに協力してたんでしょうか?」
当時、日本はナチスドイツと同盟関係にあったはずだ。源一郎が日本の軍人である以上、同盟国の反対勢力に手を貸すことは外交的にも問題があるのではないか。
「カネムラさんが言うには、大使館内の電話を、レジスタンスに使わせてあげたそうです」
「電話?」
「レジスタンスやユダヤ人が逃亡するルートを、仲間に知らせるためには電話での連絡が不可欠だったそうで。でも町中では、ナチスや対独協力者の目がどこで光っているか分かりませんからね。その点、ナチスの同盟国だった日本の大使館は盲点だったんでしょう。かなりの頻度で館内の電話が使われたそうですよ」
「しかし、いくらゲンイチロウが善良な人物だったとしても、日本の軍人としての立場上、レジスタンスに協力することは相当なリスクがあるだろう。単なる正義感だけで、そんな行動に及べるものなのかねえ」
ファビエが疑問を呈した。
「それは…」
ダバディは言葉を詰まらせた。
「何か、ご存じなんですか?」
結城が尋ねる。
「話していいのか分かりませんが…どうやら、彼の妻がレジスタンスのメンバーだったそうなんです」
「源一郎さんの奥さんが?」
神崎からの報告で、源一郎の妻が、現地で結婚したフランス人女性であったことは聞いていたが、まさかレジスタンスに所属していたとは。
「それなら納得できるね。妻の活動を手助けしたいと考えるのは、夫として自然なことだ」
「ええ。ただ…」
「何です?」
「彼の奥さんは、最終的には官憲に捕まったと言っていました。それも、密告によってね。悲しいことです」
「密告…誰にですか?」
ダバディは首を振った。
「それは、分からないそうです。当時は、誰が密告してもおかしくない情勢でしたから、犯人の目星など、つかなかったでしょう。カネムラさんは、とても知りたがっていたようでしたけどね」
そこまで聞いた時、結城の脳裏に、先日のランドローとの電話のやりとりが浮かんだ。
「あの、ダバディさん」
「何でしょう?」
「この町に、当時の…レジスタンスに関する資料を調べられるような場所はありますか?」
結城の質問に、ダバディは驚いた表情を浮かべた。
「カネムラさんも同じことを聞きましたよ」
「あるんですか?」
「ヴィシーに、その手の資料館などがあるとは聞いたことがありません。この町にとっては負の歴史ですからね。あったとしても、行く人はあまりいないでしょう。ただ、数年前でしたかね。第二次大戦中の対独協力に関する資料が、国内で初めて一般公開されるというニュースを新聞で読んだことがあります」
「本当ですか」
「ええ。ヴィシーの人間にとっては大きな話題でした」
「金村さんにも、その話を?」
「はい、しましたが…」
ランドローによれば、金村は今年の一月頃に二週間ほど、連日調べ物をしていたという。
結城の頭の中で、二つの点が結び付いた。
「それで、その一般公開された場所というのは…」
「パリだよ」
返事をしたのはファビエだった。いつの間にか手に持っていたスマホを、結城に見せる。ネットで検索したのか、画面には古いニュース記事が映っている。
「公開されたのは二〇一五年だった。場所は、パリ警視庁の…記録文書館だ」
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