漆黒鴉学園

三月べに

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4巻

4-3

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「んなわけないじゃん。モンスター嫌いのハンターだぜ? ハンターのターゲットになるような危険なモンスターが学園の近くで姿を消したから、念のため警戒してるんだ」

 最強のハンターが追うほどのモンスターだ。これぐらい警戒するのが当然なのでしょう。

「ヴィンス先生も協力しているの?」
「いや。今回は、あの人には話さないことになってる」
「同じ純血の吸血鬼だから?」
「そんなところ。ほら、早く飯食いに行かないと、また鳴るぜ?」

 ひょいっと立ち上がった黒巣くんは、私を見下ろしてニヤリと笑う。
 その笑みは、彼がよくする、人をおちょくるような意地悪な笑み。以前、ユリさんに見せてもらった写真の、あの柔らかい微笑は、いったいどんな時に浮かべたものだったのでしょうか。
 訊こうかと思ったけれど、私はそろそろ限界となった空腹を優先することにしました。
 立ち上がると私の携帯電話がメールの着信を告げる。
 見ると中等部の後輩で、実はゲームの攻略対象でもあった双子さんからだった。二人して同じ内容のメールを送ってきている。
 家庭科でマフィンを作ったから、放課後サクラと私に食べてほしいそうだ。
 部活があるから早めに来てほしいと返信する。もちろん、二人に一斉送信しないといけません。

「俺は食堂行くから……階段から落ちるなよ?」

 黒巣くんは最後にそう言って釘を刺すと、背中に翼を広げて、あっという間に屋上から消えた。
 落ちません。
 一人になった私は校舎へ続く扉を開いて、中庭で待っているサクラ達のもとへ向かった。


   五話 急展開


 漆黒鴉学園の校舎裏。白い薔薇の庭園の外れ。
 黒巣の言う通り、吸血鬼二人は一昨日おとといに比べれば、かなり穏便に向き合っていた。

りない子ですね。学習能力というものがないのですか? 赤神君」
「口すらきいてもらえない貴方こそ、ご自分の立場を認識すべきでは? ヴィンセント先生」

 しかし容姿端麗ようしたんれいな二人のまとう空気は、あまりに冷たすぎる。

「あの、二人とも、落ち着いてください」

 六月にしてはひんやりと冷気を感じる校舎裏には、争いとして駆けつけた桃塚もいた。

「落ち着いていますが?」
「落ち着いてるが?」

 桃塚の言葉は、二人から一蹴いっしゅうされる。
 モンスターの中でも上位に位置する吸血鬼同士の争いなど、桃塚の手には負えない。
 視線をずらせば、ブルーシートで覆われた無残に破壊されたフェンスと、立ち入り禁止の看板が目に入る。フェンスの向こうにある公園もひどい状態で、現在も立ち入り禁止になっていた。
 一昨日の名残なごりを思えば、今回はあばれていない分、確かに落ち着いていると言えなくもない。だが、全然穏やかではないと桃塚は顔を引きつらせた。
 ひしひしと肌に感じる吸血鬼の妖気が痛い。
 純血の吸血鬼の放つ妖気は、モンスターの血をぐ桃塚にとっても毒のようなものだ。
 それを正面からまともに受けている赤神はかなり辛いはずなのに、平然と腕を組みヴィンセントに対抗している。
 その反抗的な態度に、桃塚は内心首をかしげる。
 今まで猫被りをして、他人との衝突を避けてきた赤神らしくない。
 何より、ヴィンセントが寵愛ちょうあいする音恋の血を口にすること自体、彼らしくないことだった。
 友人のいつにない態度に、何故か桃塚の胸がざわつく。よくわからない感覚に胸を押さえたら、後ろで物音がした。
 振り返ると、三メートルほど上の木の枝に、黒い羽根をき散らした黒巣が立っている。

「まーだ、やってるんですかー?」
「ナナ君! だめだよ、昼間に空を飛んだりしたら!」
「見られるようなヘマはしてませんよー」

 桃塚が焦って注意しても、黒巣はどこ吹く風だ。
 そんな黒巣に、赤神が非難するような視線を向けてくる。

「なんですかー? 赤神先輩が悪いんですよ、俺に暗示をかけたりするから」

 黒巣は、さらっと赤神から暗示をかけられたことを告げ口する。

「暗示!? じゅん、ナナ君に暗示かけたの? よくないよ、それ! 絶対によくない!!」

 仲間に暗示をかけたことに桃塚が非難の声を上げれば、赤神はうんざりしたように肩をすくめた。

「音恋にヴィンセント先生がいかに危険か話していたのに、黒巣が邪魔をしてきたからだ」
「危険なのは、貴方の方でしょう」

 静かな怒りをまとうヴィンセントは、青い瞳の瞳孔を鋭くとがらせた。途端に赤神の身体に妖気が重くのし掛かる。
 膝をついてしまいそうな圧倒的な妖気。だが、赤神は踏み留まった。
 これは、まだ序の口だ。一昨日おととい向けられた妖気に比べれば、羽のように軽い。

「いいえ、貴方ですよ」

 赤神は渾身こんしんの力を込めて、ギッとヴィンセントをにらみ上げる。
 ヴィンセントが音恋のそばにいると、彼女の身が危険にさらされるのだ。
 ヴィンセントの命を狙っているハンターが学園に来た。彼女らは、目的のためなら手段を選ばないという。もし、ヴィンセントの弱点となる音恋のことを知られれば、きっと利用される。
 下手へたをすれば、ヴィンセントを狩るためのおとりにされかねない。そんな事態にならないように、生徒会も風紀委員も警戒を強めているのだ。

「吸血鬼は人間食べるようなもんですし、両方危険ってことでいいんじゃないですかー」

 そんな中、木の上にいる黒巣が緊迫した空気をぶち壊す発言をする。まるで、赤神とヴィンセントの苛立ちをあおっているようだ。
 ギョッとした桃塚が、「黙っててよ!」と口パクで伝えるが、黒巣は知らん顔。

「俺お腹減りましたーんで、食堂行ってますね」

 言うや否や、木の枝から飛び降りた黒巣は、すたすたと校舎の中へ歩いて行ってしまう。

「ちょ、ナナ君!!」

 その場に残された桃塚は、昼休みが終わるまで一触即発の二人を必死になだめるはめになったのだった。


 それから数日後。
 養護教諭の笹川仁のもとに、後島光也から電話がかかってきた。

〔仁師匠? ごっめーん、獲物逃がしちゃった。てか、また海外行っちゃったみたいなんですよねー。僕達も、これから追っかけます。一応師匠にも知らせておこうと思って……もしもし、師匠? 聞こえてます? あれー無視!?〕

 耳元から聞こえる愛弟子まなでしの能天気な声に、仁はぐったりと脱力する。

「光也、次会ったら覚悟しておけ」
〔ええ! あ、もしかして、竹丸達使って厳戒態勢なんかしいちゃった? あはは、師匠、心配性だなー〕
「吐くまでしごいてやる」
〔八つ当たり!〕

 電話の向こうにいる後島に怒りを覚えつつも、仁は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。
 心配事が、杞憂きゆうに終わってくれてよかった。
 ハンターに追われる危険な吸血鬼が去り、要注意の愛弟子達も日本から去る。

「やっぱり紫織は俺に会いに来ないんだな」
〔今隣にいますよー、代わります?〕
〔嫌だ〕

 電話口から、女性の声が聞こえてきた。
 どうやらもう一人の愛弟子の機嫌はよくないらしい。
 最強のハンターと呼ばれる彼女のことだ。またしても獲物を逃して不機嫌オーラ全開なのだろう。

「今度は、仕事のついでじゃなく普通に会いに来いよ。んで酒でも飲もうぜ。紫織だけおごってやる」
〔僕は!? いつもいつも紫織だけなんて贔屓ひいきだよ!〕
「おめーには拳骨げんこつをくれてやる」
〔いりません!!〕

 忌憚きたんない愛弟子との会話に、仁の口元は自然とゆるんだ。
 警戒の必要な相手でも、可愛い弟子に変わりはない。
「じゃあな」と言って電話を切ると、ほっと息を吐いた。
 さしあたっての危機は去った。この一週間、昼夜問わず頑張った可愛い生徒達にも連絡を入れようと、仁は一度閉じた携帯電話を開いた。

「そういうことだったのですね」

 ギクッ、とした。
 あまりにも気がゆるみすぎて、部屋に入ってきたヴィンセントの気配に気付けなかった。
 ヴィンセントはスライドドアを静かに閉めると、仁に冷ややかな眼差しを送る。

「悪かったな。おめーさんが関わると事が大きくなりそうだったから、伏せさせてもらった」

 苦笑していさぎよく白状するも、ヴィンセントの眼差しは変わらない。

「東間紫織のことは知っているだろう?」
「……ええ、もちろん」

 ヴィンセントがかつて愛した女性のめいであり、ヴィンセントの命を狙っているハンター。

「アイツが今追っている獲物は、純血の吸血鬼でな、おめーさんとも関わりのある相手って聞いたから、知らせない方がいいと思ったんだ」

 スッ、とヴィンセントが青い目を細めた。心当たりがある反応だ。

「それを知った私が、〝彼〟を助けるとでも?」
「いいや。ただ万が一にも、その〝彼〟とやらに会って〝学園に近付くな〟とか言わせたくなかったんだよ」

 ヴィンセントが動くことで、東間達にヴィンセントの弱点を知られたくなかった。
 ヴィンセントは呆れたようにため息をつく。

「どんな関係と聞いたかは知りませんが、私と〝彼〟の仲はよくありません。……何より、私が〝学園に近付くな〟と言えば、近寄ってくるような相手です。そんな者に、わざわざ会いになんて行きません」

 後島から旧友と聞いていた仁は目を見開いた。ヴィンセントの言い方からして、むしろ〝彼〟とは仲が悪いようにも聞こえる。

「次は知らせてください。音恋さんは私が守ります」

 クルッときびすを返し、ヴィンセントは青いリボンで束ねた白金髪プラチナブロンドを揺らして保健室を出て行った。
 現在音恋から、完全に拒絶されているヴィンセントではあるが、彼女から離れる気はさらさらないらしい。根本的な問題が残っていることに疲れを感じつつ、仁は携帯電話のボタンを押した。
 ――この時、仁は忘れていたのだ。
 現役最強のハンターと言われる自慢の愛弟子まなでしの追跡を振り切った獲物は、何十年もの間ハンターから巧妙に逃げのびている吸血鬼だということを。
 愛弟子の言葉を鵜呑うのみにして、吸血鬼自身が彼らに海外に逃げたと思わせた可能性など微塵みじんも考えなかったのだ。


「あはははっ!」

 仁との電話を切るなり、後島は空港のロビーで人目もはばからずお腹を抱えて大声で笑った。

「師匠すんげー疲れてるっぽい! 次会ったら絶対にハゲてるって! あはははっ!」

 仁の疲れきった顔を想像して、後島はひぃーひぃー言いながら笑う。

「超効果覿面てきめん! 獲物が昔住んでいた屋敷から学園はすっごい離れてるのに、竹丸達使って無駄に学園を警戒……ぶふっ! おっかしー!」

 一度はこらえたが、すぐに噴き出した後島は、目に涙まで浮かべている。
 そんな後島は、不審そうに彼を見てくる女性二人を目に入れた途端、表情を変えた。

「美しいお二人に出会えたことに、喜びのあまり涙があふれました。きっとこれは運命っ……! 僕とお茶しませんぐぁ!」

 気障きざ台詞セリフを並べ立て、颯爽さっそうと女性たちをナンパしようとした後島だったが、後ろえりを掴まれて引っ張り戻される。その間に女性二人は逃げてしまった。

「ちょ、紫織! 一期一会いちごいちえを大切にさせてよ!!」
「もう少しで飛行機出るんだから、ふらふらサカってんじゃないわよ」

 膝まで届きそうな紫色のストレートヘアーをした東間紫織は、不機嫌そうにぴしゃりと返す。目元が見えない真っ黒いサングラスをしていても、彼女の不機嫌さがひしひしと伝わってくる。
 しかし後島は彼女の不機嫌など気にも留めず、ニコニコと笑みを浮かべる。

「いい案だったね。紫織」

 追っていた吸血鬼が、学園の近くまで来たなんて真っ赤な嘘だ。
 全ては仁に〝仕返し〟をするために思い付いた悪戯いたずらだった。
 実際には、ターゲットの吸血鬼は、学園からだいぶ離れた森の奥にある屋敷に向かったところまで掴めている。しかしそのあとの足取りが一向に掴めず、先刻海外に飛ぶ便に乗ったと情報がきた。

「甘いんだよ、師匠は。――甘い、甘い、甘過ぎる」

 東間紫織は吐き捨てるように言った。「同感」と、後島も頷く。
 笑みを浮かべている後島の目は、笑ってなどいなかった。

「生徒を守りたければ、モンスターを一掃いっそうすればいいのよ」
「師匠、まだあの雪女狩っていないみたいだしねー」
「本当に甘い。モンスターに情を移すような人が、最強のハンターだったなんて笑わせるわ」

 東間は、仁に対して心の底から激怒していた。

「僕達に隠し通せると思っているなんて、ホント甘いよねー。僕達を甘く見すぎ。子ども扱いはいい加減やめてほしいよ」

 後島は、怒りのオーラをまとって立つ東間に笑いかける。

「師匠が悪いのよ」

 ニコリとも笑わず、東間は再び吐き捨てた。
 サングラスの奥にある紫の瞳は、憎しみの感情を燃え上がらせている。

「ヴィンセント・ジェン・シルベルが学園の教員になった情報を隠すのが悪い」

 仁達が何としても隠したかった〝ヴィンセントが学園の教員になった〟事実は、すでに東間達に知られてしまっていた。
 仁が東間一族の復讐をよく思っていないことは知っている。だから念のために、独自の情報網を張っていたのだ。
 学園に勤める教員の情報など、部外者でも探れる。だが、ヴィンセントが、むべき人間と共存する学園の教師になった理由まではわかっていない。

「どんな理由だろうねー? ヴィンセントが人間に交ざるなんて」
「なんであれ――好機だ」

 そこでやっと東間は笑みを浮かべた。
 最強のハンターの名を継ぐ東間にとっては、些細ささいな変化こそ貴重な好機。三十年にわたる一族の憎しみを背負った東間は、わずかな好機も逃さない。
 けれど仁は、自分にヴィンセントの情報を教えてくれなかった。だから東間は怒り、獲物を追うついでに悪戯いたずらをしたのだ。

「まずはあの緑目の吸血鬼を狩ってからだ」
「そうだねー。あのムカつく野郎を狩ってから――ヴィンセント・ジェン・シルベル狩りをしようか」

 最強の狩人は、獲物を狩る絶好の機会を、息をひそめてうかがっている。



 第二章 楽しむ


   六話 予報は雨


 放課後すぐに教室を出て、私はサクラと一緒に一階へ下りた。
 約束の中庭に面した廊下へ行くと、窓から中等部の生徒会長、猫塚美海ねこづかみうくんと副会長の猫塚美空ねこづかみくくんが、笑顔で私達にマフィンを差し出してきた。
 中等部の後輩である猫塚くん達は、綺麗な顔立ちをした双子さんだ。やや垂れ気味の大きな目と藍色につやめく黒髪をしている。実は彼らもモンスターで、正体は猫又ねこまただ。
 ゲームでは、脇役の私をきっかけにヒロインと交流を持つようになる立派な攻略対象。今のところ、サクラとの間に恋愛フラグが立つ気配は欠片かけらもないけれど。
 私とサクラは顔を見合わせて、双子さんからもらったマフィンにかぶりつく。チョコチップの入ったふんわりとしたマフィンは、すご美味おいしかった。満面の笑みを浮かべるサクラと一緒に、美味しいよと伝えると、彼らは嬉しそうに笑ってくれた。
 せっかくなので、私はマフィンを食べながら双子さんに部活に入ったことを報告する。

「ええー!? 音恋先輩、演劇部に入ったの!? すっごぉい!」

 綺麗に重なった声を弾ませて、双子さんは大きな目を輝かす。

「わぁい! 文化祭が楽しみだなぁ」

 裏方志望と言えば揃って文句を言いそうなので黙っておこう。
 それに、今は文化祭よりも体育祭だ。

「二人とも、体育祭には来るの?」
「うんっ! 先輩のご両親にも会いたいから!」
「先輩のお弁当食べたいから!」

 元気に即答される。体育祭を見に来るわけではなく、私の両親とお弁当が目的みたい。

「二人とも、ネレンのご両親に会ったことあるの?」
「去年の中等部の体育祭で、会ったの」
「いいなぁ! あたしも会いたい!」
「うん、紹介する」

 私はサクラに頷いた。お母さん達も私の親友に会わせてと言っていたから、体育祭で紹介するつもりでいた。
 両親は今、台湾に旅行中。前回のパリ旅行の時みたいに、私の見合い相手を探してこなければいいのですが。まぁ、そのために桃塚先輩に恋人のフリをしてもらったのだから、大丈夫でしょう。
 体育祭の前日に日本へ帰ってくると言っていたので、私はお弁当の材料を買って自宅に戻る予定。当日はお弁当を作って両親と一緒に登校することになっている。お弁当は、双子さんの分もあるので多目に作らないといけませんね。
 まぁ、体育祭当日は雨の予報だから、行われるかどうかはまだわかりませんが。
 生徒会室に用があるというサクラと双子さんと別れて、私は今日も付き添いに来た桃塚先輩と部活へ行った。
 今日から正式に入部したので、改めて部員の皆さんに挨拶する。

「一年B組の宮崎音恋です。裏方作業に専念させていただきます。どうぞよろしくお願いします」
「こらぁあ!! なにちゃっかり裏方専門になろうとしちゃってるのよ!?」

 深々と頭を下げて挨拶したら、隣からビシッと台本を振って江藤先輩がツッコんできた。

「部長の権限として、貴女には役をやってもらいます!」
「江藤部長、それパワハラ」

 胸を張って断言した江藤先輩を、他の部員が止める。
 入部の挨拶が終わった私は、紅葉ちゃん達の横に座った。

「えー、前に話した通り今文化祭用の新作を書いているわ。来週には書き上がるから、各自に配布します。再来週の金曜日にやるオーディションに向けて、それぞれ希望する役の練習をしておきなさい。どのシーンでも構わないわ」

 気を取り直して、江藤先輩は床に座る部員達に告げる。
 言い終わるや否や、江藤先輩が台本で私を指してきた。私と言うか、私ときょんくん。

「オーディションの目玉は、宮崎さんと園部くんのヒロイン争奪戦よ!!」
「ヒロインやりません」
「部長命令!」
「パワハラです。短い間でしたが、お世話になりました、今日で退部します」
「あーっ! 一体どうすれば、オーディションを受けてくれるのよ!?」

 執拗しつように食い下がる江藤先輩は、なんとしても私に劇のオーディションを受けさせたいらしい。

「まぁまぁ。そんな無理に押し付けちゃだめだよ、菜穂ちゃん。音恋ちゃんは頑固なんだから」

 部屋の隅に椅子を置いて見学していた桃塚先輩が、仲裁するように笑いかける。

「部外者は口を挟まないで。口を挟みたければ入部して文化祭の劇に参加なさい!」
「えっ、僕はちょっと無理だよ。生徒会との両立が……」

 理不尽な要求を押し付ける江藤先輩に、桃塚先輩は苦笑して首を横に振る。

「……わかりました。ヒロインのオーディション受けるだけ受けます」
「! 皆聞いたわね!? ここにいる部員全員が証人よ! ヒロイン争奪戦、決定!!」

 いつまでも食い下がってきそうなので、仕方なく百歩譲って了承した。すると、拳を天井に突き上げる江藤先輩。そんな先輩に、部員が「よかったね」と拍手する。愛されていますね。
 きょんくんは、異論はないのだろうかと振り返ってみたら、闘志をみなぎらせ「全力でやれ」と言われた。どういうわけか私をライバル視する彼は、やる気満々ですね。


 そんなこんなで、本入部初日が終了。
 最後まで見学していた桃塚先輩と、紅葉ちゃんときょんくんと一緒に寮へ帰る。その途中、隣を歩く桃塚先輩が口を開いた。

「恋ちゃん、もしかして、さっき僕を助けてくれた?」
「なんのことですか?」
「困ってた僕を助けるために、オーディションを受けるって言ってくれたように思えたんだけど」
「違いますよ。ああ言わないと、いつまでも江藤先輩が引かないと思っただけです」
「ふーん……」

 隣を歩く桃塚先輩を見ると、夕陽に照らされた横顔は、どこか嬉しそうに笑っていた。

「桃塚先輩って、音恋ちゃんの呼び方使い分けてますよね。もしかして、二人はこっそり付き合ってたりするんじゃないですか?」

 きょんくんと腕を組んで前を歩いていた紅葉ちゃんが振り返りながら悪戯いたずらっぽく笑う。
 私と付き合っているフリをした時、愛称を使って呼び合ったせいでしょう。その後もたまに愛称で呼ばれるようになった。チラッと桃塚先輩の顔を見上げると、笑みを強張こわばらせている。

「そう見える? 最近〝恋ちゃん〟って呼び始めたんだけど、〝音恋ちゃん〟が定着してるからどっちも出ちゃって」

 桃塚先輩はそんな風に誤魔化ごまかしたけれど、きょんくんがじっと桃塚先輩を見てくる。感情の見えない表情でじっと見つめてくるきょんくんに、桃塚先輩の笑顔はますます強張った。
 そのうちきょんくんは何事もなかったかのように前を向いて、紅葉ちゃんと会話を始める。おそらくきょんくんは、何やら勘づいたご様子。私が再び桃塚先輩を見上げると、冷や汗をかいていた。
 翌日から桃塚先輩は、ことあるごとにきょんくんの誤解を解こうとしていました。ご苦労様です。


 来週の体育祭に向けて、各チームの練習はますます活気を見せていく。橙先輩率いる、一年B組と二年B組が一緒になったBチームのテンションは今や最高潮。本番さながらの熱気を保ったまま体育祭当日を迎えそうな勢いに、私は正直ついていけなくなってきた。
 それにしても、橙先輩の求心力には感心します。こんなにもチームの士気に影響を与えられるなんて、さすが学園で人気を誇る生徒会メンバーの一人ですね。
 疲れて休憩している時、私は練習にはげむクラスメイト達を眺めて思った。
 みんなで一緒に盛り上がり楽しむ。それは、病院のベッドで過ごすことの多かった前世の私が、経験できなかったことだ。
 だから、少しだけ、ほんの少しだけ……頑張ってみようと思う。

「ネレン! 次は孫悟空そんごくうやるって!」

 サクラが駆け寄ってきて、私に両手を差し出してくる。私はその手を掴んで、立ち上がった。
 一年生の学年種目『跳べ孫悟空』は、跳び箱役になって並ぶ生徒を代表者がどんどん飛び越えてその速さを競う競技。
 私は本番さながらの力の入った練習に、何とかついていった。
 そして、迎えた体育祭前日、外はどしゃ降りの雨だった。そんな中、全校生徒は体育館に集まって、明日の予行演習をおこなっている。
 こんな大雨なのに、何故か先生達は、明日体育祭が行われるということをまったく疑っていないようだった。
 その日は部活もお休み。私は寮に戻って明日の支度をし、急いで女子寮を出る。これから買い物をして、一時間かかる自宅へ戻らないといけない。
 通りかかった寮のラウンジは、人もまばらでテレビの音がよく聞こえる。夕方のニュースを伝えるアナウンサーが、焦ったように緊急速報を伝えた。
 その内容は、台湾発、日本行きの旅客機が――行方不明になったというものだった。


   七話 朝虹あさにじ ~桃塚星司~


 雨の匂いがする。
 朝、部屋の窓から外を見ると、どんよりした灰色の雲の隙間から朝日が差し込み、虹がかかっているのが見えた。真っ先に彼女へ知らせようと思い、僕は急いで着替えて部屋を出た。朝食を取るラウンジに行くと、先に虹が見えるベストポジションを探す。


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