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「――――見損なったぞ、ローニャ」
シュナイダーが一歩踏み出して、口を開いた。
「君とは結婚できない。婚約は破棄させてもらう!」
言い渡される、最後の言葉。
シュナイダーの目の前に、金色の光に包まれた、一枚の紙が現れる。
そして次の瞬間、私の目の前にも同じ紙が現れた。
これは、魔力を使ってサインした魔法の契約書。私とシュナイダーの婚約に関する契約書だ。
シュナイダーが手を振ると、二枚の契約書が引き裂かれた。それらはびりびりに破かれ、金色の光とともに薄れて消えていく。
私は、黙ってシュナイダーを見つめた。
今の彼に「私を信じて」と言ったら、どんな言葉を返されるのだろうか。
ずっと寄り添ってきたのに、私のことを誰よりも知っているはずなのに、信じてほしいと伝えたのに。
彼は、ミサノ嬢の言葉を信じて、私の言葉を信じなかった。
小説通りの展開。これが運命。
私の初恋は、絶望の色に染まりきってしまった。
広間にいる生徒達が、私に罵声を浴びせる。そんな中、ミサノ嬢はシュナイダーの胸に飛び込んだ。シュナイダーもまた彼女を受け止める。
「シュナイダー!」
「ミサノ」
生徒達は、二人に祝福の拍手を贈る。
シュナイダーは、ミサノ嬢を抱きしめたまま私を睨み付けた。
彼はこれから、ミサノ嬢を守っていくのだ。かつて私を守ってくれたように。
きっと二人は、良いカップルになる。運命で結ばれているのだから。
「……幸せになってください」
私はさよならの代わりに、微笑んで告げる。
ずっと私のことを甘やかしてくれた、シュナイダー。今まで支えてくれた彼のことは、嫌いになどなれなかった。今までの感謝も込めて、二人を心から祝福したい。
シュナイダーには、私の言葉が聞こえていたようだ。
それまで険しい表情をしていた彼は、別の感情を顔に浮かべようとしていたけれど――
その変化を見る前に、私は一人、歩き去る。
次第に遠ざかる拍手の音を聞きながら、私は初恋にお別れを告げる。
シュナイダーに愛を育もうと言われ、希望の光が灯った瞬間。
ファーストキス。
寄り添って、甘やかしてくれて、支えてくれた初恋の人。
――さようなら。
彼がいなければ、令嬢生活に耐えられなかった。息もつけないほど多忙な日々に、彼は安らぎと休息を与えてくれた。
両親にも兄にも認めてもらえない、苦しくて息の詰まる日々。
そんなガヴィーゼラ伯爵令嬢の生活から、ついに逃げ出せる。
学園の廊下を歩く私の歩調は、次第に速くなっていく。最後には走って学園を飛び出した。
自由だぁー!!
勢いがつきすぎて、学園の玄関扉から続く長い階段を飛び下りる形になる。
でも、大丈夫。階段の下には、私を受け止めてくれる人がいる。
「ロ、ローニャお嬢様!? お怪我はありませんか!?」
「お迎えありがとう、ラーモ!」
彼は、私の元護衛兼お世話係の青年。今は、お祖父様のもとで護衛として働いている。
名前はラーモ。深い紺色の髪と、アーモンド型の目の持ち主だ。
細身ながらも、私をしっかりと受け止めてくれた。
ラーモは、私を抱きかかえたまま馬車に乗せてくれる。
ミサノ嬢に呼び出された時点で、『結末』はわかっていた。だから祖父に、お迎えを頼んでおいたのだ。荷物も、すでに馬車に載せている。
馬車の中で、私はニコニコしていた。もう学園を振り返らない。
心残りは、二人の友人に別れを告げられなかったこと。
二人は、あの場にはいなかった。だから、魔法で手紙を送ろう。学園を出た今、心からホッとしていること、これから願いを叶えられるのが楽しみなことを伝えたい。
……そう。私は、念願のまったり生活を始めます! ひゃっほーい!!
喜びが抑えきれず、思わず両腕を突き上げる。その瞬間、馬車の揺れに負けてパタンと倒れてしまった。
すぐに起き上がり、姿勢を正してコホンと咳払い。
落ち着きましょう。
ひゃっほーいと小躍りするのは、やめておきます。
馬車の中で足をゆらゆら揺らしながら、私は鞄を引き寄せた。その中から、例の砂時計を取り出す。
そっとひっくり返せば、緑色の砂がキラキラ落ちていく。
苦しい人生だった。
苦しい時間ばかりで、幸せな時間はちょこんとあるだけ。
これからは、もっとまったり過ごしたい。幸せな時間を多く持てる、豊かな人生を過ごしたい。
その願い、叶えに行きます!
第2章 ❖ まったり喫茶店。
1 喫茶店の開店。
朝陽を浴びて、清々しい気分で起床する。シングルベッドから下りたら、ゆっくりと背伸び。ベッドのシーツを整えたあと、すぐそばにある浴室で顔を洗い、歯磨きをする。
浴室から出た私は、新しい部屋を見渡した。ベッドの他には、ブラウンの机と、窓際に置いたグリーンのソファがあるだけ。私は窓を開けて空気を入れ換え、深呼吸した。
それからクローゼットを開けて、一着のドレスを取り出す。今まで着ていたドレスは装飾が多く華やかだった。でもこれからは、質素なドレスだ。
飾りもスカートのボリュームも控えめで、とても動きやすい。ただ、腰回りはコルセット風のデザインになっている。今までぎゅうぎゅうに締めていたから、なくなってしまうのも違和感がある。私はドレスの腰回りにあしらわれた紐を軽く締めた。
クローゼットに備え付けられた鏡を見ながら、髪を梳かす。
スカイブルーをまとった白銀の髪は、少し癖があって波打っている。私は髪をサイドに集めて、緩い三つ編みに仕上げた。リボンのついたゴムで留めて、肩から垂らす。
「……いらっしゃいませ」
笑みを作って、接客の練習をしてみた。うん、これからは令嬢スマイルが役に立ちそうだ。
今日は、待ちに待った喫茶店の開店日。
ガヴィーゼラ家の娘として学んできたことは、これからきっと私の役に立つだろう。
ここは王都から随分離れているけれど、街は活気に溢れている。私のお店は、他のお店や家の建ち並ぶ通りからはちょっと離れた場所にある。だから街の人達に、お店で出す予定のコーヒーやサンドイッチを振る舞いつつ開店日を知らせた。
お客さん、来てくれるといいな。
私は階段を下りて、一階に足を踏み入れる。そこは、私の喫茶店だ。
中央付近に設えたカウンターには、椅子が四脚。店内の左右には、テーブル席を二つずつ設けた。家具は木製で揃えたから、落ち着いた雰囲気がある。
「よし、軽くお掃除を頼もうかな」
私はパンパンと手を叩き、掌の中で魔力を練り上げた。するとライトグリーンの光が零れ落ちていき、その光が床の上で円を描いた。
ふわりと光った円の中から、「ふわわわー」と可愛らしい声を漏らしつつ、小さな妖精達が姿を現す。
蓮華の妖精、ロトだ。
二頭身で、頭の形はまるで蓮華の蕾のよう。ぷっくりした胴体からは、摘まんで伸ばしたような手足が生えている。肌の色はライトグリーンで、つぶらな瞳の色はペリドット。
前世でいうところのゆるキャラみたいで、とても愛らしい。
彼らは、私が魔法契約を結んでいる、精霊の森に棲む妖精達。
力を借りるかわりに、私も彼らの頼みごとを叶える。これは、精霊達と契約する際の条件だ。
私はスカートを押さえながらしゃがみ込み、「お掃除をお願いします」と頼む。
ロト達は、小さなお手てで「あいっ!」と敬礼すると、蜘蛛の子みたいに「わー」と散り、店の隅から掃除を始めてくれた。
私はカウンターの奥にあるキッチンに入り、白いエプロンをつける。
キッチンにはオーブンも備え付けたし、作業スペースも広々としている。
今日の朝食はホットケーキ。
喫茶店メニューのタルトに載せる、ミックスベリーのソースも一緒に作る。
こういう果物も、妖精達に頼んで摘んできてもらった。美味しい果実を選んでくれるし、お金もかからないからすごく助かる。
別の妖精達には、コーヒー豆の収穫もお願いした。収穫した豆は、魔法を駆使して焙煎している。今後、じっくり改良していくつもりだ。
くいくいっ。
スカートを引っ張られ、私は床に目を落とした。そこには、ロトが一人。掃除の手は足りているらしく、この子は私のお手伝いがしたいみたい。
私は両手でロトを持ち上げて、作業スペースの上に乗せてあげる。
それでは、始めますか。
まずはミックスベリーをほどよく煮詰めて、ペロッと味見。うん、甘酸っぱくて美味しい。
ロトにも味見をお願いすると、小さなお口でソースをペロッと舐めた。次の瞬間、ぶるぶるっと震えて、両手で頬を押さえる。それから小さな右手をこちらに突き出した。目を凝らすと、指が立っているのが見える。バッチリって意味かな。
ふふ、と笑いながら、昨日作っておいたタルトにベリーソースを盛り付ける。
完成したタルトを冷蔵庫にしまったら、お次はホットケーキ作り。
厚めのふわふわ生地を何枚も焼き上げていくと、ロトが余ったミックスベリーソースを添えてくれた。
私は冷蔵庫からヨーグルトの容器を取り出し、ロトの前に置く。
「ヨーグルトも添えてくれる?」
そう頼むと、スプーンですくって「んしょっ、んしょっ」と頑張って運んでくれた。
たくさん働いてくれた妖精達の分もカウンターに並べ、一緒にホットケーキを食べる。
皆小さいから、ベリーソースのかかった一欠片だけでお腹が一杯みたい。食べる前より、まぁるく膨らんだお腹が可愛らしかった。
たくさん焼いたホットケーキ。余りは、精霊の森の皆にも食べてほしい。
ロト達にホットケーキの包みを渡し、バイバイとお別れする。
妖精達は小さな手を振り返し、光る円の中に雪崩れ込むようにして帰っていった。
ホッと息をつき、しばしの間、食事の余韻に浸る。
いつもなら、授業に向かっている頃だ。でも、私はもう学生ではない。
朝食の片付けをしたあとは、チョコレートケーキ作り。
ひとまず、喫茶店のデザートはこの二つに決めた。これからお客さんの要望も取り入れて、メニューを増やしていくつもり。日替わりにするのも、いいかな。
チョコレートケーキが完成すると、今度はサンドイッチの材料を準備する。
手際よく、でもマイペースに、鼻歌まじりに開店前の作業を済ませた。
「よし、これで大丈夫かしら……」
店内を見回して、忘れていることがないかチェック。
カウンターテーブルに置いた砂時計が目に入り、私はそれを何気なくひっくり返した。
落ちていく砂を機嫌よく見つめたあと、看板を出していないことに気付く。
すぐにお店の扉を開けて、小さな階段を下りる。ポーチが汚れていないかを確認しつつ、オープンの看板を立てかけた。
お店の名前は、まったり。
まったり喫茶店。
二階建ての家を見上げ、ちょっぴり誇らしい気分で胸を張った。
「あの、オープンしましたか?」
どうやら、記念すべき一人目のお客さんが来てくれたようだ。私はパッと振り返り、目の前の女性ににっこりと笑みを向ける。
「はい! いらっしゃいませ」
――それから、数週間後。
まったり喫茶店は、嬉しいことに繁盛していた。
開店前に振る舞った、コーヒーやサンドイッチが好評だったみたい。
効果は抜群だったわけだけど……正直なところ、ちょっと困っている。
「ローニャちゃん、コーヒーおかわり!」
「はい、ただいま」
「ローニャちゃん、今日もこのケーキ、美味しいよ。もう一切れお願い」
「はい、少々お待ちください」
「すみません、カフェモカ二つください」
「はい、かしこまりました」
……忙しくて、目が回りそうだ。それでも、笑顔を崩さずに対応をする。
イメージとは違う。喫茶店がこんなに過酷な職場だったなんて。
考えが甘かった。
もっとこう、お客さんが途切れ途切れに来て、猫をなでなでする時間がたっぷりあるイメージだったのに。
ケーキやサンドイッチが余った時にはテイクアウトをおすすめしようと、お持ち帰り用の箱まで準備した。だけど、今のところメニューが余る日はほとんどない。それに、テイクアウトをすすめている暇もまったくなかった。
客足は途切れないし、猫をなでなでする時間なんてない。そもそも、うちのお店には猫なんていない。
つまり、まったりする時間が微塵もないのだ!
「はい、お待たせしました」
コーヒーとケーキのおかわりをお出しし、テーブル席にカフェモカを配膳していると、カウンターのお客さんに声をかけられる。
「ところで、ローニャちゃん。オレの店には、いつ来てくれるんだい?」
「あ、えっと……当分、行けそうにありません。この通り忙しくて……ごめんなさい」
彼は、レストランを経営しているというお客さん。その誘いを、やんわりお断りする。
「え~! ローニャちゃんが来てくれたら、サービスするのに」
……だから、この忙しさでは行けませんって言ったのに。
そんな言葉は呑み込んで、令嬢スマイルを浮かべたまま、次の注文に対応する。
「僕のアクセサリー店にも来てよ、割り引きするよ。あ、コーヒーもう一杯」
「申し訳ありません、アクセサリーは当分、買う予定がなくて……コーヒー、今お持ちしますね」
「なぁ、ローニャさん。街を案内してあげるって言っただろう? いつにする? それからサンドイッチをもらえるかな」
「お言葉は嬉しいのですが……前にもお伝えした通り、忙しくて……ご一緒するのは難しそうです。ごめんなさい。サンドイッチは少々お待ちくださいね、作ってまいります」
「ローニャ店長、ラテを一杯! ついでに君とのデートも注文していいかい?」
「ふふ、デートはメニューにありません。ラテ、今お淹れしますね」
……皆さんに、熱湯をぶっかけて差し上げましょうか。
心の中でそんなことを思ってしまうほど男性客の対応は大変で、疲労もピークだ。
今世での容姿が美しいことは、うすうす気付いていた。でも今までは婚約者がいたから、他の男性に言い寄られる機会なんてほとんどなかった。
それなのに……
正直なところ、かつてないモテ期に戸惑っている。変身魔法を使って営業すべきだったかもしれない。
ちなみに、店内にいるお客さんは男性ばかり。カウンター席に陣取り、カップ片手に立っているお客さんもちらほら。テーブル席には、身を乗り出すようにしてこちらをうかがっている男性達。
女性のお客さんも来てくれるけれど……圧倒的に男性客が多い。
まぁ、若い女性が一人で喫茶店を切り盛りしているので、物珍しさもあるのだろう。しばらくしたら、落ち着くと信じたい。
キッチンに戻り、コーヒーとサンドイッチ、ラテの準備をする。
あぁ、洗いものも溜まってきた……このメニューを配膳したらカップを洗わなくちゃ。
段取りを考えながら作業をしている間にも、店内から私を呼ぶ声がする。
「ローニャちゃん~~!!」
「はい、少々お待ちください!」
……忙しすぎて、目が回りそう。
これでは、前世の二の舞だ。
私が喫茶店を開いたのは、まったりするためだったのに。このままでは、過労で倒れてしまう!
これは倒れる前に、対策を考えなくちゃ。
――しばらくしたら落ち着くだろう。あと少し頑張れば、休めるだろう。
思えば、前世でも自分にそう言い聞かせて働いていた。でも、時間は解決してくれない。
いつかは……なんて期待をしていたら駄目だ。今変えなくては、また耐え続ける生活に逆戻り。
とはいえ、具体的にどうすればいいかわからない。
『店内でのナンパお断り』の貼り紙をするとか? あるいは、直接伝える?
でも、伝え方を間違えたら相手の機嫌を損ねてしまいそう。その結果、お客さんが激減してしまうのも困るし、難しい問題だ。
モヤモヤ悩みながら、注文の品をトレイに載せて店内に戻る。
「お待たせしま、した……?」
先ほどまで騒がしかった店内。それなのに、どういうわけかお客さんは一人残らずいなくなっていた。テーブルには、空のお皿やカップがあるだけ。中には、食べかけのもの、手を付けていないものもある。
私は目を丸くしながら、お店の出入り口に目を向ける。
そこに立っていたのは――
人間ではなかった。
首から上は、まるでジャッカルのよう。大きな耳がぴんと立っていて、輪郭はとてもシャープ。毛並みは緑色で、アーモンド型の目は綺麗な深緑の色。
頭は動物だけど、二本足で立っていた。小柄な体格で、身長は私より少し高いくらい。
軍人を思わせる黒い上着は裾が少しほつれていて、その下には白いワイシャツを着ている。黒いネクタイに茶色のズボン、膝丈のブーツ。
その姿をじっと観察して、私はようやく思い至った。
――ああ、獣人族か。
私は、学園で受けた授業を思い出す。獣人族は、教科書でしか知らなかった存在だ。
彼らは、生まれつき変身の能力を持つ。二足歩行の獣人、獣と人の特徴をあわせ持つ半獣、そして人間の姿に変身することができるのだ。獣人の力は非常に強く、俊敏で肉体も強靭だという。人間をいとも簡単に食いちぎると聞いたことがある。
――初めて見た。
目を離せないでいると、獣人さんの尻尾がふわっと揺れた。
緑色の、もふもふした尻尾。思わず、凝視してしまう。……もふもふ。いいな、触ってみたい。
そんな願望が浮かんだところで、ハッと我に返った。呆けていては失礼だ。私は、にこりと笑みを作る。
「いらっしゃいませ」
ジャッカルに似た獣人さんは、静かにこちらを見据えていた。
2 獣人さんと読書。
「今、席を片付けますね。カウンター席でよろしいですか?」
耳の大きな獣人さんにそう尋ねながら、私はカウンター席に一度トレイを置く。
それにしても、先ほどまでここにいたお客さん達は、どこにいってしまったのだろう。
カウンターの上には、ちゃんとお金が置かれている。ということは、自らの意思で帰ったんだと思う。でも、一斉に帰ってしまうなんて。
不思議に思いつつ、カウンター席の一角を片付けていると、視線を感じた。顔を上げれば、獣人さんがこちらをじっと見つめている。
……そういえば、カウンター席でいいかどうかの問いかけに、返事はなかった。
もしかして、言葉が通じていないのだろうか。教科書には、獣人は人の言葉を解すると書かれていたけれど――
笑顔のまま返答を待っていると、ジャッカル似の獣人さんは左手を上げた。
もふもふと丸みのある、獣の手。そこに埋もれた鋭利な黒い爪が、トレイに載ったラテを指す。
「それ、何?」
若い男の人の声だった。確かに、目の前の獣人さんが発したものだ。
「ラテ、ですが……」
「じゃあ、それを。席はいらない」
獣人さんは、ラテをご所望の様子だ。
「では、新しいラテを淹れますね」
私がそう言うと、獣人さんはふるふると首を横に振った。
「それでいい」
少し驚きつつ、私はラテのカップとソーサーをそっと持ち上げる。すると彼は、静かにカップを手に持った。
……あぁ、もふもふの手に触れられなかった。残念。
「ねぇ、早く会計の確認をしたら? 食い逃げした奴はいないと思うけど」
獣人さんは立ったままラテを啜り、私に声をかけてくる。
私は彼の言葉に甘えて、お代の確認と片付けをすることにした。
シュナイダーが一歩踏み出して、口を開いた。
「君とは結婚できない。婚約は破棄させてもらう!」
言い渡される、最後の言葉。
シュナイダーの目の前に、金色の光に包まれた、一枚の紙が現れる。
そして次の瞬間、私の目の前にも同じ紙が現れた。
これは、魔力を使ってサインした魔法の契約書。私とシュナイダーの婚約に関する契約書だ。
シュナイダーが手を振ると、二枚の契約書が引き裂かれた。それらはびりびりに破かれ、金色の光とともに薄れて消えていく。
私は、黙ってシュナイダーを見つめた。
今の彼に「私を信じて」と言ったら、どんな言葉を返されるのだろうか。
ずっと寄り添ってきたのに、私のことを誰よりも知っているはずなのに、信じてほしいと伝えたのに。
彼は、ミサノ嬢の言葉を信じて、私の言葉を信じなかった。
小説通りの展開。これが運命。
私の初恋は、絶望の色に染まりきってしまった。
広間にいる生徒達が、私に罵声を浴びせる。そんな中、ミサノ嬢はシュナイダーの胸に飛び込んだ。シュナイダーもまた彼女を受け止める。
「シュナイダー!」
「ミサノ」
生徒達は、二人に祝福の拍手を贈る。
シュナイダーは、ミサノ嬢を抱きしめたまま私を睨み付けた。
彼はこれから、ミサノ嬢を守っていくのだ。かつて私を守ってくれたように。
きっと二人は、良いカップルになる。運命で結ばれているのだから。
「……幸せになってください」
私はさよならの代わりに、微笑んで告げる。
ずっと私のことを甘やかしてくれた、シュナイダー。今まで支えてくれた彼のことは、嫌いになどなれなかった。今までの感謝も込めて、二人を心から祝福したい。
シュナイダーには、私の言葉が聞こえていたようだ。
それまで険しい表情をしていた彼は、別の感情を顔に浮かべようとしていたけれど――
その変化を見る前に、私は一人、歩き去る。
次第に遠ざかる拍手の音を聞きながら、私は初恋にお別れを告げる。
シュナイダーに愛を育もうと言われ、希望の光が灯った瞬間。
ファーストキス。
寄り添って、甘やかしてくれて、支えてくれた初恋の人。
――さようなら。
彼がいなければ、令嬢生活に耐えられなかった。息もつけないほど多忙な日々に、彼は安らぎと休息を与えてくれた。
両親にも兄にも認めてもらえない、苦しくて息の詰まる日々。
そんなガヴィーゼラ伯爵令嬢の生活から、ついに逃げ出せる。
学園の廊下を歩く私の歩調は、次第に速くなっていく。最後には走って学園を飛び出した。
自由だぁー!!
勢いがつきすぎて、学園の玄関扉から続く長い階段を飛び下りる形になる。
でも、大丈夫。階段の下には、私を受け止めてくれる人がいる。
「ロ、ローニャお嬢様!? お怪我はありませんか!?」
「お迎えありがとう、ラーモ!」
彼は、私の元護衛兼お世話係の青年。今は、お祖父様のもとで護衛として働いている。
名前はラーモ。深い紺色の髪と、アーモンド型の目の持ち主だ。
細身ながらも、私をしっかりと受け止めてくれた。
ラーモは、私を抱きかかえたまま馬車に乗せてくれる。
ミサノ嬢に呼び出された時点で、『結末』はわかっていた。だから祖父に、お迎えを頼んでおいたのだ。荷物も、すでに馬車に載せている。
馬車の中で、私はニコニコしていた。もう学園を振り返らない。
心残りは、二人の友人に別れを告げられなかったこと。
二人は、あの場にはいなかった。だから、魔法で手紙を送ろう。学園を出た今、心からホッとしていること、これから願いを叶えられるのが楽しみなことを伝えたい。
……そう。私は、念願のまったり生活を始めます! ひゃっほーい!!
喜びが抑えきれず、思わず両腕を突き上げる。その瞬間、馬車の揺れに負けてパタンと倒れてしまった。
すぐに起き上がり、姿勢を正してコホンと咳払い。
落ち着きましょう。
ひゃっほーいと小躍りするのは、やめておきます。
馬車の中で足をゆらゆら揺らしながら、私は鞄を引き寄せた。その中から、例の砂時計を取り出す。
そっとひっくり返せば、緑色の砂がキラキラ落ちていく。
苦しい人生だった。
苦しい時間ばかりで、幸せな時間はちょこんとあるだけ。
これからは、もっとまったり過ごしたい。幸せな時間を多く持てる、豊かな人生を過ごしたい。
その願い、叶えに行きます!
第2章 ❖ まったり喫茶店。
1 喫茶店の開店。
朝陽を浴びて、清々しい気分で起床する。シングルベッドから下りたら、ゆっくりと背伸び。ベッドのシーツを整えたあと、すぐそばにある浴室で顔を洗い、歯磨きをする。
浴室から出た私は、新しい部屋を見渡した。ベッドの他には、ブラウンの机と、窓際に置いたグリーンのソファがあるだけ。私は窓を開けて空気を入れ換え、深呼吸した。
それからクローゼットを開けて、一着のドレスを取り出す。今まで着ていたドレスは装飾が多く華やかだった。でもこれからは、質素なドレスだ。
飾りもスカートのボリュームも控えめで、とても動きやすい。ただ、腰回りはコルセット風のデザインになっている。今までぎゅうぎゅうに締めていたから、なくなってしまうのも違和感がある。私はドレスの腰回りにあしらわれた紐を軽く締めた。
クローゼットに備え付けられた鏡を見ながら、髪を梳かす。
スカイブルーをまとった白銀の髪は、少し癖があって波打っている。私は髪をサイドに集めて、緩い三つ編みに仕上げた。リボンのついたゴムで留めて、肩から垂らす。
「……いらっしゃいませ」
笑みを作って、接客の練習をしてみた。うん、これからは令嬢スマイルが役に立ちそうだ。
今日は、待ちに待った喫茶店の開店日。
ガヴィーゼラ家の娘として学んできたことは、これからきっと私の役に立つだろう。
ここは王都から随分離れているけれど、街は活気に溢れている。私のお店は、他のお店や家の建ち並ぶ通りからはちょっと離れた場所にある。だから街の人達に、お店で出す予定のコーヒーやサンドイッチを振る舞いつつ開店日を知らせた。
お客さん、来てくれるといいな。
私は階段を下りて、一階に足を踏み入れる。そこは、私の喫茶店だ。
中央付近に設えたカウンターには、椅子が四脚。店内の左右には、テーブル席を二つずつ設けた。家具は木製で揃えたから、落ち着いた雰囲気がある。
「よし、軽くお掃除を頼もうかな」
私はパンパンと手を叩き、掌の中で魔力を練り上げた。するとライトグリーンの光が零れ落ちていき、その光が床の上で円を描いた。
ふわりと光った円の中から、「ふわわわー」と可愛らしい声を漏らしつつ、小さな妖精達が姿を現す。
蓮華の妖精、ロトだ。
二頭身で、頭の形はまるで蓮華の蕾のよう。ぷっくりした胴体からは、摘まんで伸ばしたような手足が生えている。肌の色はライトグリーンで、つぶらな瞳の色はペリドット。
前世でいうところのゆるキャラみたいで、とても愛らしい。
彼らは、私が魔法契約を結んでいる、精霊の森に棲む妖精達。
力を借りるかわりに、私も彼らの頼みごとを叶える。これは、精霊達と契約する際の条件だ。
私はスカートを押さえながらしゃがみ込み、「お掃除をお願いします」と頼む。
ロト達は、小さなお手てで「あいっ!」と敬礼すると、蜘蛛の子みたいに「わー」と散り、店の隅から掃除を始めてくれた。
私はカウンターの奥にあるキッチンに入り、白いエプロンをつける。
キッチンにはオーブンも備え付けたし、作業スペースも広々としている。
今日の朝食はホットケーキ。
喫茶店メニューのタルトに載せる、ミックスベリーのソースも一緒に作る。
こういう果物も、妖精達に頼んで摘んできてもらった。美味しい果実を選んでくれるし、お金もかからないからすごく助かる。
別の妖精達には、コーヒー豆の収穫もお願いした。収穫した豆は、魔法を駆使して焙煎している。今後、じっくり改良していくつもりだ。
くいくいっ。
スカートを引っ張られ、私は床に目を落とした。そこには、ロトが一人。掃除の手は足りているらしく、この子は私のお手伝いがしたいみたい。
私は両手でロトを持ち上げて、作業スペースの上に乗せてあげる。
それでは、始めますか。
まずはミックスベリーをほどよく煮詰めて、ペロッと味見。うん、甘酸っぱくて美味しい。
ロトにも味見をお願いすると、小さなお口でソースをペロッと舐めた。次の瞬間、ぶるぶるっと震えて、両手で頬を押さえる。それから小さな右手をこちらに突き出した。目を凝らすと、指が立っているのが見える。バッチリって意味かな。
ふふ、と笑いながら、昨日作っておいたタルトにベリーソースを盛り付ける。
完成したタルトを冷蔵庫にしまったら、お次はホットケーキ作り。
厚めのふわふわ生地を何枚も焼き上げていくと、ロトが余ったミックスベリーソースを添えてくれた。
私は冷蔵庫からヨーグルトの容器を取り出し、ロトの前に置く。
「ヨーグルトも添えてくれる?」
そう頼むと、スプーンですくって「んしょっ、んしょっ」と頑張って運んでくれた。
たくさん働いてくれた妖精達の分もカウンターに並べ、一緒にホットケーキを食べる。
皆小さいから、ベリーソースのかかった一欠片だけでお腹が一杯みたい。食べる前より、まぁるく膨らんだお腹が可愛らしかった。
たくさん焼いたホットケーキ。余りは、精霊の森の皆にも食べてほしい。
ロト達にホットケーキの包みを渡し、バイバイとお別れする。
妖精達は小さな手を振り返し、光る円の中に雪崩れ込むようにして帰っていった。
ホッと息をつき、しばしの間、食事の余韻に浸る。
いつもなら、授業に向かっている頃だ。でも、私はもう学生ではない。
朝食の片付けをしたあとは、チョコレートケーキ作り。
ひとまず、喫茶店のデザートはこの二つに決めた。これからお客さんの要望も取り入れて、メニューを増やしていくつもり。日替わりにするのも、いいかな。
チョコレートケーキが完成すると、今度はサンドイッチの材料を準備する。
手際よく、でもマイペースに、鼻歌まじりに開店前の作業を済ませた。
「よし、これで大丈夫かしら……」
店内を見回して、忘れていることがないかチェック。
カウンターテーブルに置いた砂時計が目に入り、私はそれを何気なくひっくり返した。
落ちていく砂を機嫌よく見つめたあと、看板を出していないことに気付く。
すぐにお店の扉を開けて、小さな階段を下りる。ポーチが汚れていないかを確認しつつ、オープンの看板を立てかけた。
お店の名前は、まったり。
まったり喫茶店。
二階建ての家を見上げ、ちょっぴり誇らしい気分で胸を張った。
「あの、オープンしましたか?」
どうやら、記念すべき一人目のお客さんが来てくれたようだ。私はパッと振り返り、目の前の女性ににっこりと笑みを向ける。
「はい! いらっしゃいませ」
――それから、数週間後。
まったり喫茶店は、嬉しいことに繁盛していた。
開店前に振る舞った、コーヒーやサンドイッチが好評だったみたい。
効果は抜群だったわけだけど……正直なところ、ちょっと困っている。
「ローニャちゃん、コーヒーおかわり!」
「はい、ただいま」
「ローニャちゃん、今日もこのケーキ、美味しいよ。もう一切れお願い」
「はい、少々お待ちください」
「すみません、カフェモカ二つください」
「はい、かしこまりました」
……忙しくて、目が回りそうだ。それでも、笑顔を崩さずに対応をする。
イメージとは違う。喫茶店がこんなに過酷な職場だったなんて。
考えが甘かった。
もっとこう、お客さんが途切れ途切れに来て、猫をなでなでする時間がたっぷりあるイメージだったのに。
ケーキやサンドイッチが余った時にはテイクアウトをおすすめしようと、お持ち帰り用の箱まで準備した。だけど、今のところメニューが余る日はほとんどない。それに、テイクアウトをすすめている暇もまったくなかった。
客足は途切れないし、猫をなでなでする時間なんてない。そもそも、うちのお店には猫なんていない。
つまり、まったりする時間が微塵もないのだ!
「はい、お待たせしました」
コーヒーとケーキのおかわりをお出しし、テーブル席にカフェモカを配膳していると、カウンターのお客さんに声をかけられる。
「ところで、ローニャちゃん。オレの店には、いつ来てくれるんだい?」
「あ、えっと……当分、行けそうにありません。この通り忙しくて……ごめんなさい」
彼は、レストランを経営しているというお客さん。その誘いを、やんわりお断りする。
「え~! ローニャちゃんが来てくれたら、サービスするのに」
……だから、この忙しさでは行けませんって言ったのに。
そんな言葉は呑み込んで、令嬢スマイルを浮かべたまま、次の注文に対応する。
「僕のアクセサリー店にも来てよ、割り引きするよ。あ、コーヒーもう一杯」
「申し訳ありません、アクセサリーは当分、買う予定がなくて……コーヒー、今お持ちしますね」
「なぁ、ローニャさん。街を案内してあげるって言っただろう? いつにする? それからサンドイッチをもらえるかな」
「お言葉は嬉しいのですが……前にもお伝えした通り、忙しくて……ご一緒するのは難しそうです。ごめんなさい。サンドイッチは少々お待ちくださいね、作ってまいります」
「ローニャ店長、ラテを一杯! ついでに君とのデートも注文していいかい?」
「ふふ、デートはメニューにありません。ラテ、今お淹れしますね」
……皆さんに、熱湯をぶっかけて差し上げましょうか。
心の中でそんなことを思ってしまうほど男性客の対応は大変で、疲労もピークだ。
今世での容姿が美しいことは、うすうす気付いていた。でも今までは婚約者がいたから、他の男性に言い寄られる機会なんてほとんどなかった。
それなのに……
正直なところ、かつてないモテ期に戸惑っている。変身魔法を使って営業すべきだったかもしれない。
ちなみに、店内にいるお客さんは男性ばかり。カウンター席に陣取り、カップ片手に立っているお客さんもちらほら。テーブル席には、身を乗り出すようにしてこちらをうかがっている男性達。
女性のお客さんも来てくれるけれど……圧倒的に男性客が多い。
まぁ、若い女性が一人で喫茶店を切り盛りしているので、物珍しさもあるのだろう。しばらくしたら、落ち着くと信じたい。
キッチンに戻り、コーヒーとサンドイッチ、ラテの準備をする。
あぁ、洗いものも溜まってきた……このメニューを配膳したらカップを洗わなくちゃ。
段取りを考えながら作業をしている間にも、店内から私を呼ぶ声がする。
「ローニャちゃん~~!!」
「はい、少々お待ちください!」
……忙しすぎて、目が回りそう。
これでは、前世の二の舞だ。
私が喫茶店を開いたのは、まったりするためだったのに。このままでは、過労で倒れてしまう!
これは倒れる前に、対策を考えなくちゃ。
――しばらくしたら落ち着くだろう。あと少し頑張れば、休めるだろう。
思えば、前世でも自分にそう言い聞かせて働いていた。でも、時間は解決してくれない。
いつかは……なんて期待をしていたら駄目だ。今変えなくては、また耐え続ける生活に逆戻り。
とはいえ、具体的にどうすればいいかわからない。
『店内でのナンパお断り』の貼り紙をするとか? あるいは、直接伝える?
でも、伝え方を間違えたら相手の機嫌を損ねてしまいそう。その結果、お客さんが激減してしまうのも困るし、難しい問題だ。
モヤモヤ悩みながら、注文の品をトレイに載せて店内に戻る。
「お待たせしま、した……?」
先ほどまで騒がしかった店内。それなのに、どういうわけかお客さんは一人残らずいなくなっていた。テーブルには、空のお皿やカップがあるだけ。中には、食べかけのもの、手を付けていないものもある。
私は目を丸くしながら、お店の出入り口に目を向ける。
そこに立っていたのは――
人間ではなかった。
首から上は、まるでジャッカルのよう。大きな耳がぴんと立っていて、輪郭はとてもシャープ。毛並みは緑色で、アーモンド型の目は綺麗な深緑の色。
頭は動物だけど、二本足で立っていた。小柄な体格で、身長は私より少し高いくらい。
軍人を思わせる黒い上着は裾が少しほつれていて、その下には白いワイシャツを着ている。黒いネクタイに茶色のズボン、膝丈のブーツ。
その姿をじっと観察して、私はようやく思い至った。
――ああ、獣人族か。
私は、学園で受けた授業を思い出す。獣人族は、教科書でしか知らなかった存在だ。
彼らは、生まれつき変身の能力を持つ。二足歩行の獣人、獣と人の特徴をあわせ持つ半獣、そして人間の姿に変身することができるのだ。獣人の力は非常に強く、俊敏で肉体も強靭だという。人間をいとも簡単に食いちぎると聞いたことがある。
――初めて見た。
目を離せないでいると、獣人さんの尻尾がふわっと揺れた。
緑色の、もふもふした尻尾。思わず、凝視してしまう。……もふもふ。いいな、触ってみたい。
そんな願望が浮かんだところで、ハッと我に返った。呆けていては失礼だ。私は、にこりと笑みを作る。
「いらっしゃいませ」
ジャッカルに似た獣人さんは、静かにこちらを見据えていた。
2 獣人さんと読書。
「今、席を片付けますね。カウンター席でよろしいですか?」
耳の大きな獣人さんにそう尋ねながら、私はカウンター席に一度トレイを置く。
それにしても、先ほどまでここにいたお客さん達は、どこにいってしまったのだろう。
カウンターの上には、ちゃんとお金が置かれている。ということは、自らの意思で帰ったんだと思う。でも、一斉に帰ってしまうなんて。
不思議に思いつつ、カウンター席の一角を片付けていると、視線を感じた。顔を上げれば、獣人さんがこちらをじっと見つめている。
……そういえば、カウンター席でいいかどうかの問いかけに、返事はなかった。
もしかして、言葉が通じていないのだろうか。教科書には、獣人は人の言葉を解すると書かれていたけれど――
笑顔のまま返答を待っていると、ジャッカル似の獣人さんは左手を上げた。
もふもふと丸みのある、獣の手。そこに埋もれた鋭利な黒い爪が、トレイに載ったラテを指す。
「それ、何?」
若い男の人の声だった。確かに、目の前の獣人さんが発したものだ。
「ラテ、ですが……」
「じゃあ、それを。席はいらない」
獣人さんは、ラテをご所望の様子だ。
「では、新しいラテを淹れますね」
私がそう言うと、獣人さんはふるふると首を横に振った。
「それでいい」
少し驚きつつ、私はラテのカップとソーサーをそっと持ち上げる。すると彼は、静かにカップを手に持った。
……あぁ、もふもふの手に触れられなかった。残念。
「ねぇ、早く会計の確認をしたら? 食い逃げした奴はいないと思うけど」
獣人さんは立ったままラテを啜り、私に声をかけてくる。
私は彼の言葉に甘えて、お代の確認と片付けをすることにした。
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