桃薫梅香に勝る

十河

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1.桃

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「……これは、拙いかもしれません」

 瓦礫の撤去作業に勤しむ部下達を見守りながら、赦鶯の副官である春燕チュンヤンは、顎に手を当てて考え込む。黒く焦げた地面に膝をつき、穴の中に潜む『何か』と話をしていた赦鶯は振り返り、軽く首を傾げる。

「拙いとは、何だ」
「それの処遇ですよ」

 あの後直ぐに呼び寄せた部下達と共に調べた結果、赦鶯が村長の屋敷跡で見つけた『何か』の居る場所は、どうやら地下室のようだった。直接下敷きになっていなかったのは幸いだったが、地下に続く通路は崩れ、積もった瓦礫で完全に塞がれてしまっている。

「……君は、誰だ。どうして、地下に居た?」
「どうし、て」
「そうだ。地下に隠れていたのは、村長の家族だからか? それとも、罪人で捕らえられていたのか?」
「かぞく、って、なぁに」

 戸惑いに揺れる、小さな声。

「ざいにん、って、なぁに」

 地面に空いた穴から一瞬垣間見えた、灰色の、大きな瞳。

没有メイヨ、知らない……」
「……没有? それが、君の名前か」
「なま、え……?」
「みんなから、そう、呼ばれるのかい?」
「うん」

 疑問を持たない様子で肯定された言葉に、赦鶯の心は静かな憤りに震える。
 没有――『何者でもない』というその意味も、家族も、罪人も知らないこの『何か』は、どう考えても、普通の育ちをしているようには思えない。
 兎に角、一刻も早く地下から助け出さねばと部下達に指示を飛ばし、急いで瓦礫の撤去作業を始めさせた赦鶯とは裏腹に、渋い表情で考え込む様子を見せたのが、副官の春燕だ。その間にも赦鶯は地面の穴に顔を寄せるようにして没有と会話を重ね、彼が物心ついてからずっと地下に閉じ込められていることや、まともな教育を受けていないことなどを、少しずつ聞き出している。

「……処遇?」

 哀れな子供の今後を語るには、些か不穏すぎる言葉だ。眉を顰める赦鶯の前で、春燕は軽く肩をすくめて首を振る。

「そのままです、赦鶯将軍。その子を地下から救い出し……その後は、どうするおつもりで?」
「然るべき機関に引き取っていただくべきだろう。何なら、俺が後見についても良い」
「……無理です。赦鶯将軍、こちらへ」

 どうやら、あまり部下達に聞かれては宜しくない内容のようだ。
 村長の屋敷跡から少し離れた場所に移動した赦鶯に、春燕は声を潜めて「恐らく、あの子は【タオ】です」と重々しく告げた。

「……【桃】?」
「えぇ。私も話に聞いたことがあるだけで、まさか実在するとは思っていませんでしたが……桃仁村が時間をかけて作る【宝】とやらが【桃】ならば、説明がつきます」

 宮廷仕官の試験に合格した経歴がある春燕は、文官としても優秀で豊富な知識を持つ。そんな彼が噂としてだけ聞いた覚えがあるのが、秘境の地で秘密裏に作られる、【桃】と呼ばれる存在のこと。

「見目の麗しい子供を拐かし、幼いうちに陽光の届かぬ地下に閉じ込め、桃だけを食べさせることで作り上げると聞きます」
「……そんなことをして、まともに育つのか」

 目を丸くした赦鶯の疑問は最もだ。陽に当たらせず、桃しか食べさせないなど、正気とは思えない。

「当然ながら、育ちません。殆どの子供達は数年で衰弱し、死に至る。しかし奇跡的に年頃にまで成長することが出来れば、天女の微笑みも霞むほど美しく、白く柔い肌を持ち、身体の何処もかしこも甘く芳しい香りを放つ、【タオ】と呼ばれる珠玉の宝になるとか」

 それは体重と同じ重さの金よりも価値があると称され、純潔を手にすれば寿命が延び、肝を喰らえば万病が治るとまで言われている。時の皇帝や権力者達が、こぞって手に入れたがる訳だ。

「地下に閉じ込められているあの子が【桃】であれば、我等はおろか皇帝陛下であろうとも、庇護は難しいかもしれません。……それならば、いっそ」

 いっそあのまま、地下で朽ちさせてしまった方が。

「止めろ!」

 春燕の言葉を遮り、赦鶯は声色に怒気を含ませて叫ぶ。

「父母の元より拐かされ、自らの名前を知らず、まともな養育すら受けず、最期は見殺しにされろと? 【桃】であろうと何であろうと、そんな辛苦を無理矢理押し付けられ続けた子供を『面倒になるから』と見捨てるような真似は、俺には出来ん」
「……赦鶯将軍」
「責任は、俺が取る。今は、あの子を救うことだけを、考えろ」
「……分かりました」

 頭を下げた春燕に軽く頷き返し、赦鶯はその下に没有を閉じ込めた瓦礫の山へと足を運ぶ。
 じゃりじゃりと炭となった木片と煉瓦の欠片を踏みしめる音が近づいた為か、地面に空いた小さな穴から指が二本、そろりと差し出された。赦鶯は再び地面に膝をつき、その細い指先を軽く握ってやる。

「没有、怖がらなくて良い。必ずそこから、出してやる」
「……うん」
「俺は赦鶯だ」
「しゃおう」
「ああ、没有……いや、没有は良い名前ではないな」

 そもそも、それは名前ですらない。簡潔な否定の言葉だ。
 少し考え込んだ末に赦鶯が口にしたのは、幼い頃に母から伝え聞いた、不思議な力を持つ鼬の名前。

「今この時から、君の名前は、雨鼬ユーユーにしよう」
「ゆう、ゆ」
「そうだ。天を駆けて雨を運ぶ、小さく、勇敢な鼬の名前だ」
「いたち……?」
「そこから出た後で、見せてあげよう。鼬だけではなくて……色んなものを、お前に見せよう」
「うん……!」

 僅かに弾んだ声と共に、ふわりと漂う、桃の香り。
 それが細い指が差し出された穴から漏れたものと気づいた赦鶯は息を呑み、それでも平静を装い、少年の指を優しく握り続けた。
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