冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

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第二章 繋がれた季節

3 繋がれた翼

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── 夜 王女の居室 ──

その夜、王女は自室へと連れ戻された。
豪奢な装飾の施された寝台、その端には新たに取り付けられた鉄環が鈍く光っている。

やがて扉が開き、一人の侍女が姿を現した。
銀盆に小さな枷と鍵を載せ、静かな足取りで近づく。

侍女の名は、ミレイユ。
王女がこの城に連れて来られてから、ずっと傍らに仕えている侍女だ。
ただ仕えるというより――その無表情と淡々とした物腰は、むしろ「監視」と呼ぶ方がふさわしかった。
光を吸うような黒髪が一本の乱れもなく、後ろでまとめ上げられ、
深い黒の瞳には、感情の色がほとんど映らない。
その冷ややかな瞳に見据えられるたび、王女は血の気を奪われるような居心地の悪さを覚える。

王女の足元に跪き、淡々と告げる。
「失礼します」

まるで水を汲みに来ただけのような無機質さで、王女の足首を取る。
鉄の輪がひやりと肌に触れ、血が引くような感覚が走った。

カチリ、と乾いた音を立てて錠が閉じられる。
寝台の鉄環へと繋がれた鎖が、僅かに引かれて鳴った。
ミレイユは何の感慨も見せず、枷を嵌め終えると静かに立ち上がり一礼した。
「これで本日より、夜は安心してお休みいただけます」

その言葉の「安心」という響きに、王女はぞっとした。
抗う術もなく、ただ枷の重みを足首に感じながら視線を逸らすしかなかった。

部屋を出る際、ミレイユはふと王女に視線を向けた。
感情を欠いたその瞳は、なおさら不気味に映った。

扉が閉じられ、鎖の金属音だけが静かな部屋に残る。

王女は寝台に腰を下ろし、己の足首を見つめた。
わずかに身じろぐたびに、鎖が床に擦れて小さな金属音を立てる。
その音は耳障りなほど鮮明で、
――「羽ばたきの末に待つのは、より重い鎖だと知れ」と告げる声のように思えた。

冷たさが肌に食い込み、想像以上の重みで誇りを蝕んでいく。
受け入れると自分で言ったはずなのに、胸は軋み、息が詰まる。

(……私は繋がれた鳥)

その言葉が脳裏に閃いた瞬間、記憶が不意に胸を刺した。
山風の匂い、子供たちの笑い声、そして窯の前で笑いかけてきた女。
ほんのひとときの温もりが、今は鋭い刃となって蘇る。

知ってしまったからこそ、いまが余計に苦しい。
王女は唇を噛み、寝台に身を横たえて、ぎゅっと瞼を閉じる。

屈辱に胸をかきむしられるような夜。
けれど涙だけはこぼすまいと、必死に耐える。

鉄の鎖に囚われても、あの空気と記憶を抱き続ける限り、私はまだ生きている――
そう固く誓うかのように。



── 翌朝 厨房 ──

まだ朝靄の残る時刻、王女は粗末な麻の衣に着替えさせられ、厨房へと連れて行かれた。

巨大な竈に火が焚かれ、鍋や壺が並ぶその空間は、宮廷の豪奢な空気とはまるで別世界のように雑然としている。
油と灰の匂い、慌ただしく動く下働きたちの声。
活気に満ちた朝の厨房――だが、王女が足を踏み入れた瞬間、その喧騒はすっと消えた。

鍋をかき回す音も、桶を運ぶ足音も、まるで一拍遅れたように途切れる。
視線は王女に集まり、そして一様に逸らされた。
彼女の存在そのものが、空気を凍らせたのだ。

女中頭が前に出て、冷たく言い放つ。
「お前は水汲みと床磨きだよ。黙って手を動かしな」
桶と布が押しつけられる。
王女は無言でそれを受け取り、黙々と床に膝をついた。

その動きを合図にしたかのように、下働きたちも再び手を動かし始める。
包丁の音、薪を割る音、鍋をかき回す音――少しずつ場の活気が戻っていく。
だが王女の周囲だけは違った。誰も近寄らず、目も合わせない。

賑わいの只中にありながら、彼女の周りにはぽっかりと空白が広がっていた。

粗末な麻布の衣が、床に這うたびにざらついて肌を擦った。
かつては絹の衣で玉座の傍らに座していた自分が、今は人々の目にさらされながら石床を磨かされている。
屈辱の熱が頬を焼く。
桶の水に映る己の姿を、決して見たくはなかった。

だが、それ以上に奇妙な痛みが胸を刺していた。

――王女であった頃ならば、下働きたちと交わらぬことこそ誇りの証。
隔たりがあることは当然であり、誇らしい壁のはずだった。

なのに、今はどうしてか、その隔たりが苦しい。

粉にまみれて笑い合った町の日々を思い出す。
共に汗を流し、煤に染まった手を見せ合いながら肩を並べた人々の笑顔。
そこには屈辱などなく、むしろ温もりと安らぎがあった。
同じ息を吸い、同じ火の匂いに包まれて生きている――そう実感できた。

今、帝城の石床で孤立した自分を苛むのは、屈辱よりも――あの温もりを失った痛みであった。

王女は布を絞る手を強く握りしめ、奥歯を噛みしめた。
濡れた石床に、揺らぐ影のように自分の顔が滲んで見える。
それは誇りを守るためにうつむく自分か――それとも、壁を越えて共に生きたいと願う自分か。

答えは見えず、ただ石の冷たさだけが指先に沁みていった。
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