冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

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第三章 帝国の象徴〈序〉

5 火種の余韻

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── 夜会 帝城・大広間 ──

「故国の民がいる限り――そのために生きるのが、私の務めだと考えています」

王女の毅然とした言葉が広間に落ちると、
一瞬の沈黙のあと、波紋のようにざわめきが広がっていった。

「帝国に忠誠を誓わないということか……?」
「これは……帝国への反逆の言葉ではないのか」
「もしも故国の残党が立ち上がったら、旗になるということか…?」

さざ波のような囁きが、広間を不穏に揺らした。
好奇は疑念に変わり、疑念はやがて不安と敵意を帯びた。
王女はその視線の重みに押し潰されそうになる。

その時――。

「――静まれ」

低い声が広間を圧した。
一瞬にして広間は沈黙に沈んだ。

ダリオスが王女を見下ろし、ゆるやかに口元を緩めた。

「故国の地から遠く離れてなお、民を思う心――実に気高く、素晴らしいではないか」

あたかも高貴な振る舞いを称賛するかのように、優雅に持ち上げる響きだった。
その一言だけで、広間に渦巻いていたざわめきはすっと鎮められていった。

しかし次に放たれる言葉が、それをすぐに帝国の論理へと転じていく。

「その慈しみこそ、帝国が彼女を生かして抱えている証。
 亡国の姫がなお生き、民を思う姿を世に示す――これ以上の“慈悲の象徴”があるか」

広間の聴衆たちに、視線を巡らせる。

「そして、その慈悲をも掌に収めるのが帝国の覇だ。
 亡国の姫を殺すでもなく、ただ閉じ込めるでもなく――“象徴”として掌に抱く。
 それこそが、帝国の覇と慈悲を示す証だ」

最後に、彼はわずかに口元を歪めて客たちを見渡した。

「見よ――この姫は帝国の慈悲を映す器であり、その器さえ支配するのが俺だ」

その言葉が広間に落ちた途端、緊張に固まっていた空気が大きく揺らいだ。

「……なるほど!」
「さすがは陛下!」
「まったくもって仰せの通りにございます」

感嘆を洩らす声に、恭しく同調する言葉が続く。
重々しく頷く者、杯を掲げて同意を示す者、扇の影でうなずきを隠す者、沈黙のまま目を伏せる者――反応はさまざまだった。

だが結局はすべてが、喝采の渦へと呑み込まれていく。
大広間は歓声と賛嘆に満たされ、皇帝の言葉を称える声で揺れた。

王女はその横に立たされたまま、歓呼に包まれる。
けれどその胸の奥では、悔しさが込み上げていた。

――結局、またこうして利用されるのか。

民の安寧を願う想いすら、帝国の慈悲という名の枷に組み込まれてしまうのか。
胸の奥に悔しさが焼けつくように残るのを、王女は否応なく噛みしめていた。

その隣りで、ダリオスは王女の面差しを横目に見やり、まるで胸奥の悔しささえ見透かすように、唇に薄い笑みを浮かべた。




── 同夜 皇帝の私室 ──

夜会の喧騒が遠のき、静けさの戻った一室。
壁の燭火がゆらめき、深い影を床に揺らしていた。

礼服の上着を脱いだダリオスは、長椅子に片肘を預けて杯を傾けていた。
その傍らに控えるセヴランが、慎重に口を開く。

「……肝を冷やす一幕でした」

低く吐き出す声に、ダリオスが視線を横へ流す。

「まさか姫君の口から、あのような言葉が、あの場で飛び出すとは……」

セヴランの額にはまだ薄く汗が滲んでいた。

「あの言葉ひとつで、帝国の威信が揺らぎかねなかった。
 あれは諸刃の剣です。
 民を思う響きとして受け取られれば美談。ですが逆に、反逆と取られれば……」

言葉を濁しながらも、視線は鋭い。

ダリオスは杯を机に置き、短く笑った。
「だが結局、俺の言葉ひとつで“美談”になった」

「……ええ。ですが今夜のざわめきは、見過ごせぬ兆しです。
 王女があのように口を開くたび、同じ火種が生まれるでしょう」

セヴランの声音には憂慮が滲む。

ダリオスはその憂慮を愉快げに受け止めながら、再び杯を手に取った。
「……面白いじゃないか。火種を抱えた象徴こそ、もっとも人の目を惹く」

「私は、少しも面白くは思いません」
セヴランが憮然と返す。

側近のその様子に、ダリオスはふっと笑う。
「そう言うお前だって、なかなか強気な印にしたじゃないか」

セヴランの眉がわずかに動く。

「周辺諸国や血筋にこだわる者たちからすれば、挑発に等しい強烈なメッセージだ」

燭火に照らされた黒い瞳が、愉しげに細められる。
セヴランは、とぼけるように目をそらした。

「……王女の言葉も、お前の仕掛けも。どちらも俺にとっては面白い」

セヴランはわずかに沈黙し、その言葉を否定も肯定もせずに受け止めた。




セヴランが一礼して部屋を去った後、
ダリオスは長椅子に身を預けたまま、ゆるやかに一人、杯を傾けていた。

燭火の揺らぎと、杯に落ちる琥珀の液。
炎の影が壁を這い、帝都の夜気が遠く窓辺を撫でた。

しばし無言。

やがて彼はふと笑みを浮かべ、思いついたように扉の方へ声を投げた。

「……王女を呼べ」

重い扉の向こうに控える侍従が、小さく応じる気配がした。
燭火の下で覗いたダリオスの瞳は、静かに光を宿していた。
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