冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

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第五章 光の胎動 ~ 第二幕 裏切りの証 ~

8 知ろうとする者

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―― 帝城・廊下 ――

会議が終わり、政務の間の扉が静かに閉じた。
春の光が細い筋となって廊下を照らしている。

セヴランは無言のまま数歩歩き、ようやく吐息を洩らした。
「……陛下の気まぐれに振り回されるこちらの身にもなってください」

歩調を乱さずに言うその声は、諫めというより疲労に近かった。ダリオスは視線を前に向けたまま、わずかに口元を緩めた。
「お前がいれば帝国は止まらん。息抜きの余興くらいは許せ」

「陛下にとっては息抜きでも――舞台に立つ者にとっては命を賭ける興行です」
セヴランの返しに、ダリオスの喉の奥で小さく笑いがこぼれた。

そのとき、背後から足音が近づいた。

「陛下」

灰青の礼装を着た男――西州総督代理が、静かに一礼する。
「失礼いたします。私はこれより西方へ戻らねばなりませんが――
 その前に、元帥閣下からの伝言をお伝えせねばと思いまして」

ダリオスは足を止めた。
「ルガードから、か」

「はい。元帥は、王女殿下に興味を持たれたようです。“そのうち旧都に来ることがあれば、ぜひ伴ってこい”とのお言葉でした」

(……相変わらずの嗅覚だな)

ダリオスは心の奥で、短く息を吐いた。
ルガードの“興味”は、いつだって二重だ。
王女という存在そのものと――ダリオスが彼女に何を見ているのか。

(あいつに見られたら、すべて見透かされる)

帝国を支える四つの柱のうち、唯一“本能で政治を読む男”。
あの眼の前に王女を立たせるなど、熊の前に蜜を垂らすようなものだ。

「……そうか」
ダリオスは曖昧に笑って答えた。
「伝言、確かに受け取った」

それ以上、連れて行くとも行かぬとも言わない。曖昧さこそ、最も安全な返答だった。

西州総督代理は一歩退き、柔らかく言葉を添えた。
「それにしても、王女殿下は意外でした。……もっと気丈な方かと想像しておりましたが、実際には、ずいぶん普通の娘で」

セヴランがわずかに肩をすくめる。
その仕草には気づかぬまま、西州総督代理は穏やかに微笑んだ。
「陛下のことです。また、誇張して噂を流されたのでは?」

ダリオスは視線を横に流しただけで答えなかった。

春の風が、回廊を抜けてゆく。
遠くで鐘の音が鳴り、帝都の昼が終わりを告げていた。




── 王女の居室 ──

冷たい空気をまとったまま、王女は部屋へ戻された。
扉が閉じる音が、やけに遠くに聞こえた。

先ほどの場所が何であったのか、まだ理解できない。
ただ、あの場に立っていたという事実だけが、現実と夢のあいだでぼんやりと揺れている。

薄い衣のまま、机の前に立ち尽くす。指先には、あの空気の冷たさがまだ残っていた。

(……何だったの、あれは)

声にならぬ問いが胸の奥で渦を巻く。思考は散り、言葉を結ぶことさえできない。

けれど――ひとつだけ、確かにわかることがある。
自分の行いの波紋が、もう自分の想像の届かないところまで広がっているということ。
知らぬ間に、多くの思惑に絡めとられ、どこか遠い場所で、誰かの秤にかけられているということ。

――怖い。
何がどう動いているのかも、
その輪の中で、自分が何に見られ、何を求められているのかも、わからない。

……でも。

(わからないままでいたら、また、同じ選択をするしかない――)

その思いが、鈍く響く。

リシェルと話したあと、ようやく少しだけ顔を上げられるようになった。
あれが、あのときの自分の精一杯だったのだと――そう思えるようになった。
他に選びようがなかった。だから受け入れるしかない。
それが、自分に関わった人々への責任だと。

けれど、胸の奥には、ひとつの問いが残った。
もしあのとき、ほんの少しでも、この世界の仕組みや、人の思惑というものに気づいていたなら、他の道が見えたのではないか?
もっと穏やかな形で、彼らを救う手立てがあったのではないか――と。

ルデクに聞かされるまで、自分の奪還計画があるなどとは夢にも思わなかった。なぜそんなことが企てられていたのか、今もわからない。
けれど、ほんのわずかでも、その意図に気づいていたなら。

――違う未来を、選べたのかもしれない。

だから。

(……知らなければいけない)

この世界がどう動いているのか。
自分の行いが、どこへ繋がっていくのか。
そして、自分が、何を選べるのか。

赦しを乞うためではなく、知ることで――自ら選び取る未来を変えていくために。

でも――どうやって?

王女は、わかっていた。
故国にいたときも、この帝国に来てからも、自分が“何も知らない”方が、多くの者にとって都合がよいのだと。

自分が生かされたのは、「何も知らない王女」だったから。
知ることを望まぬ限り、誰にとっても取るに足らぬ存在でいられるから。

そんなふうにして生かされた囚われの身に、“知る”ことは許されるのだろうか――。

思考がその先を探ろうとしたとき、扉が静かに叩かれた。
「失礼いたします」

入ってきたのは、ミレイユだった。相変わらず表情の少ない、澄んだ声。
「陛下よりのご伝達です。
 本日をもって、姫様の謹慎は解除されました。明日、今後のことについて陛下よりお話があるとのことです」

王女はゆるく瞬きをした。
(……明日)

その言葉に、先ほどの場所で聞いたあの声音がよみがえる。

『ただし、これ以後の象徴は、独断で動くことを許さぬ。
 その息も祈りも、帝国の理のうちに置かれる。その定めをもって――赦しとする』

思い出すほどに、胸の奥が冷えていく。
赦された――はずなのに、その赦しの中には、自分の息の仕方まで定められている。
(……結局、私にはもう何も許されないということ)

何を願っても、何を恐れても、それすら誰かの定めの中にある。
「知ること」さえも、きっと、自分の外に置かれているのだろう。

その瞬間、胸の中で小さく何かが沈んだ。
光に手を伸ばそうとした途端、足元の影がその手を掴み、静かに引きずり戻そうとする――そんな感覚だった。

ミレイユは報告を終えても、その場を離れず、静かに王女の前に立っていた。
王女は、しばらく迷った末に口を開いた。
「……ミレイユ。あの場は、何だったの?」

ミレイユのまつげがわずかに揺れた。
「“全州会議”と申します。帝国を構成する四つの州の総督が、政務や軍務の方針を定める場です」

「政務……」王女は小さく繰り返す。
「そのような場に、どうして私が呼ばれたの?」

ミレイユは一拍置いてから、淡く言った。
「それは、陛下の御心にございます。私に理由までは」

ミレイユの言葉に王女はうつむく。
(……そうよね、やはり私に知ることは許されない……)

王女の沈黙を見て、ミレイユは言葉を継いだ。
「陛下にお尋ねになればよいのでは?」

王女は息を呑む。
「……私が、聞いても?」
「答えてくださるかはわかりませんが――“知ることを望む”くらいで陛下が姫様を罰することは、ありません」

その声音には、ほんのわずかに柔らかさが混じっていた。それに自身で気づいたのか、彼女ははっと姿勢を正し、短く頭を下げた。
「失礼いたしました」
そのまま、音もなく退室する。

残された部屋に、静けさが戻った。
王女はしばらくその扉を見つめたまま、自分の胸の奥に芽生えた“知りたい”という感情を確かめていた。
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