冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

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第七章 帝国の象徴〈転〉

5 影動く

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── 大円堂前・広場 ──

壇上の声が静まると、太鼓の余韻が空に溶けていった。
陽はなお高く、石畳に落ちる影が淡く揺らいでいる。

皇帝ダリオスはゆるやかに一歩退き、典礼官の方へと視線を送った。
金糸の房を揺らす杖が掲げられる。

「これより、功労章の授与を行う」

宣言の声が響くと同時に、楽人たちが一斉に調べを奏でた。
笛と弦が風に乗り、香の煙が薄く流れていく。

ダリオスはその場に一礼だけ残し、高壇を降りた。
ゆるやかな歩みで大円堂の奥へと進み、白石の階段の影に姿を消す。

太鼓が三度、低く鳴り渡る。
群衆のざわめきが静まり、秋の陽が白い石畳を照らしていた。

壇上の中央に立つ典礼官が、開かれた書簡を胸の高さに掲げた。
金糸の装束が光を返し、声が朗々と空へ響く。

「――帝国北辺において、暴雪の折に凍河を越え、孤立した民を救出せし者あり。その功、数十の命をつなぎ、辺境の安寧を保つものなり。帝国はこの行いを記録し、皇帝陛下の御名においてこれを賞す」

その声が止むと同時に、群衆の間から息を呑むような静寂が広がった。

「北州辺境警備隊長、オルド・レーン――登壇を許す」

短い号鼓が鳴り、男が壇へと歩み出た。陽を受けて肩章の銀が鈍く光る。
一歩ごとに衣の裾が石段を擦り、群衆の視線がその背に集まっていく。

壇上の中央に至ると、男は片膝をつき、胸に拳を当てた。
典礼官が儀杖を軽く掲げ、声を響かせる。

「陛下の御名において、汝にこの章を授く」

掲げられた金の章が陽を弾き、鐘の音が短く鳴る。
授与の瞬間、広場の空気が一瞬だけ凍りつき――
次の呼吸で、拍手と歓呼が波のように押し寄せた。

男は章を受け取り、一歩下がって深く頭を垂れる。
「この栄誉に恥じぬよう、民を守り続けます」

その声に、また小さな拍手が重なった。
典礼官がうなずくと、男はゆるやかに壇を下り、再び控えの場へと戻っていく。

戻る途中、彼の手が胸の章に触れる。
陽光の中でそれが一瞬、まぶしく輝いた。

王女はその光景を静かに見つめていた。
受章者たちがひとりずつ壇へ上がり、また元の席へ戻ってくる――
その一連の動きが終わるたびに、楽がひときわ柔らかく流れ、帝都の空気が祝福の色に染まっていく。

(……この場に立つというのは、こういうことなのね)

やがて、最後の功績の読み上げが始まる。
「――帝都施療院群、ならびに奉仕に携わりし者たちに告ぐ」

その一節が届いた瞬間、
王女の胸の奥で、静かな鼓動がひときわ強く鳴った。



── 同刻 大円堂上階 ──

昼の光は高窓から斜めに差し込み、白い石壁を鈍く照らしていた。
だがその光が届かぬ位置――柱の陰、深い影の中に、二つの影が並んでいる。

眼下には、大円堂前の広場。
祝祭のざわめきと太鼓の響きが、石の間を震わせて届く。
人々の列、翻る旗、壇上に立つ典礼官の姿――すべてが小さく、ひとつの舞台のようだった。

ダリオスは窓辺の陰に身を寄せ、静かにその光景を見下ろしていた。
黒衣の肩も顔も、光の筋には触れない。
セヴランがその隣に立ち、同じく視線を下へと向ける。
互いに言葉を交わさずとも、呼吸の調子が似通っていた。

「……警備の配置は」

低い声が、影の中に落ちた。

セヴランは顔を向けず、淡々と答える。
「壇上脇に二組、弓兵と剣士を潜ませています。広場を囲む建物の上階にも、見張りを。さらに群衆の中には、服装を変えた兵を数十――衛兵のほか、治安部の者たちも紛れています」

「飛び具で狙われた場合は」

「壇脇の兵が即応可能です。王女殿下を狙う矢や刃があれば、射掛けられる前に遮れる距離です」

一拍の静寂。
広場からは、また新たな受章者の名が告げられる声が届く。歓声が石壁を震わせ、短い風が窓の隙間を抜けた。

セヴランはその様子を見守りながら続けた。
「今のところ、異常の報告はありません――もっとも可能性が高いのは、民衆に紛れていることでしょう。歓呼と拍手の中で動けば、誰も違和感を覚えません」

セヴランの言葉に、ダリオスがわずかに頷く。
「祭りの熱は、刃を隠すのに都合がいい」
その声は、静かで、どこか愉しげでもあった。

下方では、王女が控え席から立ち上がる姿が見える。

「……さて、獣はいつ顔を見せるか」

風が再び吹き込み、幕の端が小さく揺れた。
二人の影は微動だにせず、そのまま祭りの光景を見下ろしていた。



── 大円堂前・広場 ──

「――帝都施療院群、ならびに奉仕に携わりし者たちに告ぐ」

典礼官の声が、朗々と響いた。
「汝らは傷を負いし民を癒し、飢えに苦しむ者を支え、帝国の慈悲を現す柱となった。その功、広く帝都に及び、人の命をつなぎ、秩序を保つものなり。帝国はこの行いを記録し、皇帝陛下の御名において、これを賞す」

読み上げが終わると、群衆が息を詰めた。
「代表者――王女殿下、登壇を許す」

号鼓が鳴り、王女はゆるやかに立ち上がった。
陽光が衣の金糸を淡く照らし、石段を一歩ずつ上っていく。

壇上の中央で立ち止まると、典礼官が儀杖を掲げ、金の章を取り上げた。

「この章を、施療院群の献身の証として授く。
 皇帝陛下の御名において――その慈悲を、永く帝国に伝えんことを」

掲げられた章が光を弾き、鐘が一度鳴る。
王女は深く膝を折り、両手を差し出した。重みが掌に乗る。その重さは、遠くにいる人々の息づかいそのもののように感じられた。

顔を上げたとき、ふと群衆の向こうに見覚えのある顔が映った。
施療院の白衣を脱ぎ、礼装に身を包んだユリオたち職員の一団が、民に紛れてこちらを見上げている。
陽光を受けたその瞳は誇らしげで、どこか温かかった。
彼らの姿が視界に入った瞬間、胸の奥に静かな熱が満ちる。

王女はゆっくりと息を吸い、静かに言葉を紡ぐ。
「この栄誉を、共に働くすべての人々に捧げます。
 彼らの務めが、これからも命をつなぐ光となりますように」

その声を合図に、広場に拍手が広がった。旗が揺れ、花弁が舞い、陽光が反射する。

――その瞬間。

空気が変わった。
風の流れがひときわ鋭くなり、肌を刺すような冷気が走る。

王女の胸に、得体の知れないざわめきが走った。

(……なに……?)

同時に、大円堂上階の陰で、ダリオスとセヴランの気配が変わる。二人の視線が、ほぼ同時に一点へ向いた。
セヴランが低く息を呑み、ダリオスが短く言う。

「――来たな」

その言葉の刹那、群衆の中で光が閃いた。
銀。

次の瞬間、空気を裂いて短剣が飛ぶ。
歓声を貫き、王女の胸元へ――真っ直ぐに。

白い光、歓声、風。
そのすべての中で、ただひとつ、刃の軌跡だけが鮮明だった。
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