冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

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第七章 帝国の象徴〈転〉

4 祝祭の下のざわめき

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豊穣の香がまだ街に残る中、帝都は深紅と黒の旗で彩られていた。
神への祈りは終わり、今日からは人の功を讃える日――叙勲祭。

帝都中心にそびえる大円堂の堂内では勲章と剣が授けられ、外の広場では功労者たちが民の歓声に迎えられる。
恩寵の収穫を“人の秩序”へと還元する、帝国最大の大儀。
皇帝の慈悲と威が、ひとつの儀に結ばれる日だった。



── 昼前 大円堂・回廊 ──

勲章の授与式が終わり、堂内には金糸の衣擦れと拍手の余韻が残っていた。
高窓から差す光が、赤絨毯の上に斑を落とす。
列席者たちは緩やかに動き出し、昼の卓へと向かっていた。

王女もまた、ミレイユに付き従われながら歩みを進める。
白い肩掛けの裾を整えながら、柱のあいだから人波を抜けようとしたそのとき――

「……王女殿下」

かすれた声が背後から響いた。
振り返ると、大神官長が立っていた。

王女は歩みを止め、裾を整えて一礼した。
「お久しゅうございます、大神官長様」

言って顔を上げた王女の視線に、異変が映った。
大神官長の顔色は、死人のように蒼白で、掌が微かに震えている。
「……神官長様? お顔が優れませんわ。お身体の具合が――」

大神官長は、しばし言葉を探していた。
唇が動きかけては閉じ、何度か胸の前で手を組み直す。
人々のざわめきが遠のき、回廊に沈黙が落ちた。

やがて、老人は顔を伏せ、かすれた声を絞り出す。

「……もし、できることなら」
一言ごとに、喉が震えた。
「殿下、どうか……本日の午後のご出席を、見送られることは……できませぬか」

王女は目を見開き、思わず尋ねる。
「……なぜですか?」

大神官長は答えられず、ただ掌を強く握りしめていた。

そのとき、低い声が背後から響いた。

「……何をしている」

王女も大神官長も、思わず身をこわばらせて振り返る。
そこに立つのは、祭礼の装束に身を包んだダリオスだった。

大神官長はひっと息を呑み、思わず一歩引いた。
「陛下……」

ダリオスの眼差しが鋭く大神官長を射抜く。
「式典の最中に、王女を呼び止めて何の用だ」

大神官長はうろたえ、杖を握る手が震える。
「い、いえ……ただ、殿下のご体調を案じて……」

「ほう。わざわざ私の目の届かぬところで、王女の“体調”を案じてくださるとは――ご熱心なことだな」
その声音は冷たく、ひやりと空気を凍らせた。

大神官長は頭を下げ、ほとんど逃げるようにして回廊を去っていく。

沈黙が落ちた回廊に、ダリオスの足音が響く。
王女の前に立つと、わずかに眉を寄せた。

「何を言われた?」

低い声。
問いというより、確認に近かった。

王女は一瞬、言葉に詰まる。
(言ってよいものだろうか――)
大神官長の蒼ざめた顔が脳裏にちらつく。

「……それは……」
「神官長は、午後の式典への出席をお控えになるよう申し上げていました。理由は申されませんでしたが……」
背後から、ミレイユの澄んだ声が割り込んだ。

ダリオスの表情が微かに動いた。だが、すぐに冷たい笑みを浮かべる。

「なるほど。星の話を続けているらしいな」

短く鼻で笑う。

「戯言だ。気にするな」
言って、背を向けて歩き出す。

その声は穏やかに聞こえた。だが、近くに立つとわかる――
その穏やかさの中に、どこか剣呑な気配が滲んでいる。

王女はその空気を感じ取り、知らず息を呑んだ。
(陛下が……何かを隠している?)

「陛下」
呼びかける声が自分でも驚くほど小さかった。
ダリオスの足が止まる。

「わたくしに、何か……隠しておいでではありませんか?」

一瞬、風が止まったようだった。
回廊に掲げられた旗が静止し、遠くの喧騒だけがぼんやりと響く。

ダリオスは振り返らなかった。
ただ、背を向けたまま低く言う。

「“隠す”とは、何をだ」

王女は言葉を探す。
理由も確証もない。ただ、感じるのだ。彼の声に、いつもと違う硬さがあることを。

「……わかりません。ただ、陛下が――」

「王女」
その声は穏やかだったが、どこか冷たい刃のようだった。
「お前が知るべきことは、すべて伝えてある。それ以外は、知る必要がない」

王女は息を呑み、視線を落とす。
言葉を重ねれば、踏み込んではならない領域に触れてしまう――そう感じた。

ダリオスはゆるやかに振り向き、わずかに目を細めた。
「式典の刻が迫っている。支度を怠るな」

それだけ言い残し、彼は歩み去る。
漆黒の裾が揺れ、遠ざかる足音が石床に消えていく。

その背を見つめながら、王女の胸に、形のない不安が広がっていった。



── 午後 大円堂前・広場 ──

鐘の音が三度、澄んだ空に響いた。
群衆が息を揃え、風に翻る旗が一斉に陽を返す。
漆黒と深紅――帝国の色が、ひとつの波のように広場を覆っていた。

高壇の上には、皇帝が立っていた。
黒獅子の紋章をあしらった外套が風をはらみ、陽の光を受けて鈍く輝く。
ダリオスの声が、堂前に集う民衆の頭上を渡っていく。

「本日ここに、秋の叙勲祭の功労章授与を執り行う。この豊けき年を支えた者に恩寵を――」

群衆から歓声が湧き上がり、無数の花弁が空へ舞った。
太鼓と角笛が鳴り響き、旗手たちが列を組む。

その光景を、王女は演壇下の控えの場から見上げていた。

淡い麦色に金糸が織り込まれた式服に身を包み、他の受章者たちと共に用意された椅子に腰かけていた。

顔は静かに、儀礼の微笑みを保ちながらも、胸の奥のざわめきが消えなかった。
昼の光の中に立つダリオスは、威厳と冷静そのものだった。
だがその姿に、先ほどの回廊で見せた一瞬の鋭さが重なり、王女の指先がかすかに強張る。

控えの場では、受章者たちが小声で言葉を交わしている。

「……緊張しますね」

「ええ……まさか自分がこの場に立つ日が来るなんて」

「うちの工房の仲間が来てくれてるんですよ」

「本当に……皆の分まで、恥じないようにしないと」

控えめな笑いが交わり、衣擦れの音が続く。
華やかな式の片隅で響くその声は、努力の跡と誇りの静かな証だった。

それを耳にした王女の胸の奥に、懐かしい笑顔たちが浮かぶ。

『俺たちの代表を殿下がつとめてくださるんだぜって、鼻高々に自慢してるんですよ、施療院の連中』

王女は目を伏せ、そっと息を整える。

(……そう。彼らのためにも、今は顔を上げなくては)

背筋を伸ばすと、陽の光が肩を包んだ。
祝祭の喧騒のなかで、王女は静かにその中心へと身を据えた。
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