冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

文字の大きさ
72 / 75
第七章 帝国の象徴〈転〉

12 星を鎮めし者

しおりを挟む
── 翌早朝 帝城・執務室 ──

薄明の光が南窓から差し込み、灰の絨毯の上に淡い帯を描いていた。
少し前まで灯っていた蝋燭は消え、代わりに書類の白が朝の光を反射している。

ダリオスは椅子に深く身を沈め、無言で地図の上を指でなぞっていた。
指先がとまったのは、帝都から南西へ――遠く、海を隔てた国。

扉が叩かれる音。

「入れ」

扉が開く。
側近の姿には、昨夜までの疲労の影がまだ残っていたが、その頬にわずかな朱が差していた。

「……来ました。南州より。内通の証が、ついに」

ダリオスが目を上げる。
「確かか」

「確かです。南州総督とルデクの報せによれば――
 元・元老院筆頭――彼の手による文を入手したとのこと。筆跡と印影、いずれも本人のもので間違いないとのこと」

静寂が室内を満たす。

「……あの狸が、ついに尻尾を見せたか」

セヴランが静かに息を整えた。
「はい。実際に刃を振るったのはカイムですが――奴を半年ものあいだ匿い、今回の一件を促したのは、筆頭と見て間違いありません」

「“民の意思を汲む機関が必要だ”――最後までそう言っていたな。その裏で、他国と手を結んでいたとは」
ダリオスは低く呟き、椅子の背にもたれた。
薄明の光が南窓から射し込み、机上の地図に淡い影を落とす。

セヴランは低く応じる。
「“覇に傾く陛下の独裁を止めるためだ”と、彼は本気で信じていたようです。……退場の時を、自ら選んだのでしょう」

ダリオスは一度目を閉じ、ゆるやかに息を吐いた。
「“罪の名”を得たな。……これで、星も、災いも、物語になる」

セヴランが頷く。
「では――処断を?」

ダリオスはゆっくりと視線を上げた。
「影は二つあったということだ。刃を振るう獣と、その獣に門を開いた愚か者。……まずは門を閉じる方が先だろう」

「はい。内側の“手”を断つことで、外からの獣も動きにくくなります」

室内をかすかに風が撫で、机上の紙が小さく揺れた。

「三日後、大広間で“星鎮めの儀”として執り行う。帝国は、天の怒りと地の乱れを“断罪”によって鎮めた――そう知らしめる」

セヴランがうなずく。
「……公開の儀式、ということですね」

「そうだ。夜までに布告を出せ。噂の余白を与えるな。明日の朝には、すでに帝都中が“儀式を待つ空気”で満ちていればいい」
ダリオスの声が冷ややかに落ちた。

セヴランは筆を取り、静かに頷いた。
「民も、貴族も、すべての目が集まります」
「それでいい。民の怒りの矛先を、真に向けるべき者へと導く。――南の名は出すな。国外の影を示せば、余計な恐慌を招く」

セヴランの視線が鋭くなる。
「……その前に、尋問を」
「抜かりなくやれ」
ダリオスの声は低く静かだった。
「連なる者、帝国に潜む影、南洋との繋がり――すべて、あの老獣に語らせろ。表には出すな。“名を伏せた恐怖”の方が、支配には向いている」

セヴランは深く頷いた。
「……では、“表”はすべて儀式のかたちで進めます。裏の尋問は、悟らせぬように」

「そうだ」
ダリオスは書簡を机に戻し、指先でその端を軽く叩いた。
「これは秩序の儀式だ。皇帝が星を見下ろし、民の怒りを断罪に変え、他国に“帝国の牙”を知らしめる――そのための舞台だ」

短い沈黙。
セヴランが静かに息を整えた。

「……ならば、その舞台にふさわしい“台本”を整えましょう」
その声は硬質だったが、どこか静かな安堵の響きを孕んでいた。

「……これで、王女殿下に向けられた“災い”の囁きも、静まるとよいのですが」
セヴランが静かに息を吐く。

ダリオスは短く頷く。
「だからこそ、俺が舞台に立つ。“災いを鎮める者”としてな」

だが一拍の沈黙ののち、微かに息を吐いた。
「……もっとも、一度芽吹いた噂は、そう容易に摘み取れるものではないがな」

二人の間に、ひときわ重たい沈黙が落ちた。

外では風が窓をかすめ、石壁の冷気がわずかに揺れた。




── 三日後・帝国各地 ──

それは、太陽が中天を越えた頃だった。

帝城の大広間で行われた“星鎮めの儀”について、帝国全域に布告が出された。

曰く――

『叙勲祭を穢した災いの因は、すでに断たれた。
 皇帝は星を見下ろし、秩序を正し、民の怒りに応えた』

名はなかった。
罪人の身分も、具体の行動も語られなかった。
ただ「帝国の内に潜んでいた影」が裁かれた、とだけ記されていた。

けれど、布告は静かでも、儀に立ち会った者の口から口へと熱は広まる。

──大広間で処断が行われた。
──黒衣の男が膝を折った。
──黒獅子の剣が、ひと太刀で終わらせた。

そんな断片が帝都の通りに溶け、各地の街角で囁きへと変わっていった。

人々は理解した。

それが“災厄を招いた元凶”であり、
“皇帝の剣に討たれた”存在であることを。

それぞれの声が交わるうちに、ひとつの物語が形を成す。

“皇帝の剣によって天の怒りは鎮められた”――と。

民の間には安堵が広がった。
祭りの中で死者が出たことへの、言いようのない不安。
それを誰かに向けたかった怒り。
それらが、ひとつの“物語”として収められていくのを、人々は感じていた。

だが、その静けさの裏では、別の囁きがひそやかに交わされていた。

「……でもさ、結局、直接やった奴は捕まってないんだろ?」
「聞いたぜ。暗殺者は、王女の故国の人間だったって」
「だったらやっぱりさ……王女が、呼び込んだんじゃねえのか?」

ざわめきの中に、そんな声が風のようにすれ違う。

「……そういや、叙勲祭の前に、凶星が出てたって話もあるだろ」
「あれな。王女の故国の方角に昇ってたらしいぜ」

露店の影、酒場の片隅、祈りの列の後ろ――
誰もが口に出すことを恐れながらも、どこかでその言葉を確かめ合っていた。

「“災い”は姫のもとに集まっている……」

その囁きは、風に混じって静かに、しかし確実に帝都の隅々へと滲んでいった。



── 一方、貴族の間では。

「……やはり、“彼”だったのか」
「まさか、南と通じていたとは……」

ささやきは細く、しかし確実に、貴族たちの間を流れていく。

だが――処されたのは、彼一人。
彼らは理解していた。単独で関われるはずがない、と。

それでも、名は出されなかった。
他の者の名も、罪も、明かされることはなかった。

それはすなわち、皇帝からの無言の宣告。

――これ以上の詮索は不要。
――“彼一人で終わった”と、そう受け取れ。

そう語らずして示すことこそ、黒獅子のやり方だった。
貴族たちは身を静かにしながら、心の中でそれを反芻した。

処断は、終わりではない。
むしろ、“名を与えられなかった者たち”への警告として、今、始まったのだと。




── 帝都・女侯爵邸 ──

香油の薫る午後。
薄絹の帳の向こうで、女侯爵は指先を光にかざしていた。

「……ただの市民の血では、贖いにはならないわよねぇ」

磨かれた爪を眺めながら、退屈そうに呟く。
金茶の髪が肩に流れ、薄褐色の瞳がわずかに笑った。

「せっかく“姫”が殉教者となってくださるかと思っていたのに……つまらないこと」

爪先で小瓶を転がす。琥珀色の香油がとろりと揺れ、甘い香りが漂った。

「政ばかりに心を奪われた殿方のなさることは、どうしてこうも味気ないのかしら。理性なんて、祈りの前では塵にすぎないのに」

女侯爵は唇に笑みを浮かべ、頬杖をつく。
「でも……民衆の憎悪を受けて倒れる方が、ずっと悲劇的で殉教者らしいわね」

千年の重みを持つ、聖なる血。
最後のひとしずくとなったその姫君が、滅びた故国の名を背負い、なお帝国のために尽くしている――。

細い指で頬を撫でながら、彼女の微笑は深まる。

故国の者には裏切りと見なされ、帝国の民には災いの源と恐れられ、
祈りにも似た献身は、どこにも届かずに朽ちていく。

その悲劇こそがふさわしい。
その最期こそが、贖罪のかたちとして美しい。

やがて、姫の血が帝都の石を濡らす時――
それは帝国の罪を赦す、神への供物となるだろう。

女侯爵の瞳が細まり、唇がごくかすかに綻ぶ。
陶酔にも似た微笑の裏で、静かに、熱い祈りが立ち上っていた。

「――あぁ、なんて甘美な救済でしょう」

小さく息を吐き、彼女は笑みをこぼした。

香炉の煙がゆるやかに立ち上り、薄闇の天蓋の下で渦を巻く。
その香の奥で、女侯爵の祈りにも似た狂気が、静かに息づいていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生後はゆっくりと

衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。 日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。 そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。 でも、リリは悲観しない。 前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。 目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。 全25話(予定)

モブ転生とはこんなもの

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。 乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。 今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。 いったいどうしたらいいのかしら……。 現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。 他サイトでも公開しています。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

走馬灯に君はいない

優未
恋愛
リーンには前世の記憶がある。それは、愛を誓い合ったはずの恋人の真実を知り、命を落とすというもの。今世は1人で生きていくのもいいと思っていたところ、急に婚約話が浮上する。その相手は前世の恋人で―――。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

処理中です...