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第三章
密 五
しおりを挟む冷たい水ではなかった。
どこか脈動を感じる、とろりと温もりのある水で、どくん、どくん、と耳元に音が聞こえるようでもある。
「おきさき様!」
底の知れない水の中に落ちて、みなほは沈んでいく。
水面の光を見上げながら、呼吸のできない苦しみにもがく。
救ってくれたのは、あゆとますだった。
みなほを二人がかりで水底から引き上げ、階段の上に押し上げてくれた。
「ありがとう……」
少しむせながら、みなほは二人に礼を言った。
その日は、食事を摂って、横たわったまま過ごした。
身体の重みは、水に落ちた後に層倍になり、呼吸さえ苦しいようだった。手足にも力が入らなくなった。物を掴むにも握る力が乏しい。臓腑が虚になったように、
全てが空っぽになってしまった感覚がして、心細くなった。
みなほはうつらうつらと目を閉じる。それだけで精一杯の心地で、床に横たわった。
昼の無聊を、あゆとますと過ごすことが多かったが、今日はそれさえも難しかった。
可愛らしい少女達と他愛なく過ごす時間も、みなほにはここに来て初めて知った楽しみだった。村では、いつも独りだった。
あゆとますが、貝合わせや双六で一緒に遊びながら、笑ってくれるのが嬉しかった。
「楽しいの?」
「はい」
「楽しゅうございます」
二人が、にこにこと笑って、一緒に楽しいと返事をしてくれるのが嬉しかった。
だから、龍彦の留守でも寂しくはなかった。
しかし、あゆやますは建物に上がることはできない。龍彦が不在で、自ら身体を運べなければ、みなほは天井を見上げて仰臥するばかりだ。
独りには慣れている。しかし、ここへ来て独りではない日々を知り、誰も居ない場所で臥していることの寂しさを感じた。
独りは慣れていたはずだった。
しかし、今は違う。愛おしい、とずっとみなほに囁きみなほを抱く龍彦が居ないことが、夜には寂しくて堪らなくなった。
あゆもますも屋敷に上がることができないために、みなほは一人ひたすら横になっていた。
得体の知れない身体の不調も手伝って、みなほはひどく悲しくなってしまっていた。
夜に、龍彦が戻った。涙ぐんで、みなほは彼を迎えた。
「お帰りなさいまし」
「何とした? 顔色が良くない」
「心細うございました」
寝床の傍らに片膝をついた龍彦が、胸元にみなほを引き寄せる。
「髪が濡れているな」
「外に落ちましてございます」
「……なんと?」
「落ちる前から身体が強張って辛うございました。でも、食事を持ってきてくれたので、外に出たのでございます。そのときに」
「建物から降りてはならんと申したのに」
「はい。申し訳ありません。目が回っていて、足を滑らせてしまいました」
みなほの背を龍彦の両腕が包む。
「目が回ると?」
「はい。何やら何日も何もお腹に入れていないような風に、目が回りました」
「今は?」
「まだ、苦しうございます」
「ああ、そうであろうな……」
そっと、龍彦がみなほの身体を床の上に倒した。
みなほの衣の襟元を広げながら、龍彦の顔が沈む。
肌を吸いながら、唇が下降する。
「あ、……今は、いや」
「ならぬ」
「身体が辛いのでございます」
身体を露わにしていく龍彦の腕に、みなほの指がかかる。
「解っている故、少し急ぐ」
「んっ……、だめ……!」
抗うみなほの腿を割り、龍彦は花芯に唇をつけた。花弁をめくり、舌先を内側に忍ばせていく。
びく、とみなほが腰を反らせる。
重くだるい身体であっても、一度覚えてしまった甘い刺激には抗えない。喘ぎながら、みなほは首筋を左右に揺らす。抗い、強張った脚が、もう閉ざされることはない。
「少し軋むが、許せよ」
「……は」
柔らかに融けるまでに至っていないみなほに、龍彦が彼を含ませた。言うとおり、潤みが足りない。痛みを覚えて、みなほは嗚咽を漏らす。
「こんな風になさるの、いや……!」
「少し耐えよ」
頼りない膝を外側に押さえながら、龍彦が身を進めた。幾度か往来を繰り返すうちに、みなほの肌が桜色に染まり始めた。嗚咽の声も潤み、甘やかになる。
「いや、いや」
「……みなほ、もう、良いはずだ……」
囁きながら、龍彦がみなほの唇を覆う。
奥を突き止めた龍彦をみなほのうねりが締め上げる。白い膝が律動する腰を挟んでゆらゆらと揺らぎ続けた。
身体の調子が良くないと訴えたのに、忙しなくみなほを貫く龍彦を、むごいと思った。
それなのに、肌が熱くなっている。
「たつ、ひこ……様!」
みなほは奥に龍彦を受け止めて強張り、弛緩した。襞の内がなお彼を迎えようとしているのがみなほ自身にもわかる。
ほんの三日ほどの不在だったのに、これほどに龍彦を待ち望んでいたのだろうか。
恥ずかしいほどの愉悦に、みなほは震えて泣いた。
みなほ、と呼ばわりながら、龍彦が身体を震わせる。迸る精が、みなほの隘路に満ちた。
一度果てたようなのに、そのまま龍彦がみなほを翻した。
身体は繋がったままだ。
「あ、……まだ……?」
「まだだ」
腿に、温い物が溢れたのを感じる。粘ついた音を立てながら、それでも龍彦がまだみなほを貫いている。
(お腹が熱い)
龍彦に突き上げられた。みなほは伏せた姿勢で、腕を突っ張らせて衝動を受け止める。
首筋に汗を感じた。胎内に熱いままの龍彦が居る。内側から焙られるような心地で、みなほは肌身に熱が灯ったのを知る。
ぎゅう、と指の節が白くなるような力を籠めて、褥を掴んだ。みなほはその柔襞で、龍彦から注がれた精を再び吸い込んだ。
呼吸を途切れさせながら、みなほは身体を起こす。
指が強張るような力で褥を握っていたことを、そのときに覚った。
(さっきまで、何も掴めないほどだったのに?)
龍彦に抱かれているうちに、不思議と手足の心許なさが消えている。
「頬が紅くなった」
襟元も髪も乱れたまま、みなほの頬に触れて、龍彦が美貌をほころばせた。
「おいで、みなほ。留守の間に足りなくなったのだろう」
「足りない……?」
「そなたは儂ゆえにここに在る」
「はい」
「儂の精がそなたの内に満ちれば、また身体の力も戻る」
「そうなのですか」
「今は、先ほどに比べてどうであろう?」
ずきずきするほどに貫かれ、腹の中には龍彦のそれが充填されている。
(目が回ってない。……手にも力が戻っている)
確かに彼の言う通りかもしれない。
そうだとしたら、みなほは、食事をするように、常に龍彦を身体に受け入れることで生きていることになる。
「ここではそうなのだ」
みなほを膝の上に抱え上げながら、龍彦が額に唇をつけた。長い髪の下に手を入れ、みなほが龍彦の首筋に腕を回す。半ば剥がれた薄絹がはらりと背を滑って褥に落ちた。
露わになったみなほの背を龍彦の掌が往来する。触れそうな距離で、みなほは彼の瞬きを見上げる。瞳の底が青白く光っている。人ならざる眼差しを、初めて見たときには怖かった。
「我が故に生きる者よ……」
端整な唇が笑みを刻んだ。笑みのまま、みなほの唇に重なる。
みなほは目を閉じて、龍彦の首筋から頬へと掌を滑らせた。少し湿ったような肌が、みなほの手にも快い。何より温かだった。
「ふぁ……」
大きな手がみなほのささやかな膨らみを覆う。やわやわと弾ませ、尖った蕾を指の間に挟んで円を描く。感触が、みなほの肌を熱くした。
「我が、妻だ。……みなほ」
「はい」
「そなたの気が儂に力を与え、それ故の精がそなたの糧になる。儂故に生きるそなたと、そなた故に力を得る儂と、互いに補い合うのだ」
「互い、に?」
「そうだ。ずいぶんと長く独りで生きてはいたが、日々このように力が増すなど、過去にはなかった。今の儂に、みなほの居ない日々は耐えられぬ。そなたが儂には必要だ。それゆえの、妻だ……」
「……はい」
小さな声でうなずきながら、みなほは身体を波打たせる。
腿に、再び力を湛えて反り返る彼が当たった。禍々しいように鎌首をもたげたそれから湧き出すものが、今のみなほの身体に力を与える糧になるのだと龍彦は言った。
(ここは、人の世ではない)
御子ヶ池の精霊たる龍彦の世界だ。彼が言うのなら、それは本当なのだ。
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