日照雨

春想亭 桜木春緒

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 引き寄せられる腕の強さに、逸は短い悲鳴を上げ、すぐに黙った。
 新兵衛の欲求に対して否やとは逸には言えない。彼が雇ってくれたおかげで逸と、逸の家族たちは昨年よりも楽に冬を越し春を過ごした。その恩義は骨身にしみるほど感じている。
 そして新兵衛のその優しさと穏やかさに尊敬と好意を持っていることを、逸は痛いほど自覚している。
 いずれ見も知らぬ相手に身を売らねば、と思い詰めていた逸である。その相手が、新兵衛であるなら、嫌ではない。心底そう思う。
 嫌ではない。しかし、怖い、と思った。声が引けた。
 その沈黙を諾と取ったのだろう。良いか、と新兵衛は再び言った。
 圧倒的な力で、新兵衛は逸を彼の身体の下に巻き込んだ。激流に落ちたように、抗うすべもなく逸は新兵衛の腕の中で翻弄されている。
 新兵衛は、逸の項を探り当てると、それを引いて、逸の唇に彼は唇を重ねた。昼間に為したよりずっと、激しくむさぼる。
「許せ、逸…」
 掠れた声で、唇の隙間から新兵衛は言った。
 許せと言いながら、惨いような力で、身を硬く縮めた逸の乳房を、寝間着の上から鷲掴みにしている。逸の胸の膨らみはまだ青く硬い。強く掴まれて痛みが走った。
「痛っ!」
 声にならない吐息で逸が訴える。すまぬ、と言いながら新兵衛の作業はとまらない。それでも少しは穏やかなしぐさになっただろうか。

 逸は、新兵衛の肘のところに唇があるような、そんな大きさでしかない。
 逸は覆いかぶさっている新兵衛の胸を押し返すように掌をつけていた。彼の鍛え抜かれた分厚い胸は、既に素肌であった。始めから、新兵衛は下帯一つの裸体で逸のもとを訪れているのだった。
 寝間着の襟元からこぼれ出た乳房を下から揉み上げ、それに新兵衛が吸い付いている。獣のように息を荒げながら、二つの膨らみの両方に、あわただしく唇をつけていた。
 逸は事が起きているその方へ目を落とす。新兵衛の、獣のように青白く光る目と出会ってすぐに目を閉じた。あの穏やかな新兵衛とは思えぬほどにぎらぎらした輝きだった。
「だんな、さま…!」
 逸は身を震わせながら、彼を呼んだ。
 昼間までの、穏やかな明け暮れを遠く感じる。
 息を荒らげ、逸の唇と乳房をむさぼり食うように蠢いている人影は、それでもまぎれもなく新兵衛なのだ。時折、逸、と呼びかける声は、確かに彼のものなのだ。聞き分けて、逸の硬く閉ざされた目蓋の下の涙が増した。
 すまぬ、許せ、と新兵衛は何度か言っている。彼なりに逸を労わっているつもりなのかもしれない。
 寝間着を引き剥がされ、逸は膝を割られた気配を覚えた。内股に新兵衛の掌が在る。滑らかなそれを、堪能するように擦っていた。新兵衛が体をずらした気配がある。
「や…っ!?」
 逸は体を大きく震わせた。反射的に縮めた膝の間に、新兵衛の首を絞めた。最も恥ずかしい個所に、彼が居る。体中がひどく熱くなった。
 恥ずかしい、と何度も身を捩る。唇を押さえながら、嫌、と嗚咽を漏らす逸に、くぐもった声で、すまぬ、と新兵衛は答えていた。
 新兵衛の生温かい舌が、逸の秘所を犯している。悪寒に肌が粟立つようなぬらぬらした感触であった。そうして何かを確認するように、彼の指が逸のなかを巡った。
 かた、と板敷きが軋んだ。再び、新兵衛の影がくろぐろと逸を覆いつくす。
 不意に逸が全身を弾かせた。新兵衛が逸の腹に重なっている。いきり立って天を向く彼自身に手を添え、逸の秘所を衝いていた。逸の悲鳴の声が掠れた。彼のそれは、体躯にふさわしく雄渾である。しかし逸は、新兵衛の半分にもならない肢体なのだ。
 身体を割られるような苦痛に、死んでしまうかもしれないと逸は思った。新兵衛に加えられる衝撃は、逸には過剰にすぎる。
 声も出ぬほどに慄いて切迫した呼吸を洩らす逸を、新兵衛はそのときの精一杯の優しさを込めて抱きしめた。
「すまぬ…」
 許せ、と逸の耳に囁きながら、新兵衛は逸の占拠を止めようとしない。それどころか侵入をさらに進めようと挑んでいる。それでも逸は、新兵衛を半ばほどにさえ、受容し得ないようだった。なんとか、もっと奥へ、と新兵衛は欲している。荒い吐息が漏れた。
 眉間にしわを寄せ、陶器のような青白い咽喉を反り返らせている逸は、新兵衛にはひどく艶やかに映った。その咽喉の上に、逸の大童の髪が揺らめいている。新兵衛が力を込めると、さらに髪が揺れた。
 そうして身動きする都度、逸の悲痛な嗚咽が新兵衛の耳に届いてきた。
「逸…」
 その音色を洩らす唇を唇で塞ぎ、いっそう激しく新兵衛は体を律動させ、背を戦慄させて、逸の中に深奥をとどめようと試み続けた。

 やがて、大きく緩やかな溜息を吐きながら逸から退き、新兵衛はか細い身体の傍らに横臥した。
 逸の肩が大きく震えている。呼吸を乱し、そのうえ泣いてもいるようだ。
「許せ、逸…」
 新兵衛は逸を胸に抱き寄せながら、言った。先ほどから、彼は、すまぬ、許せとしか言わない。そんな彼の声を頭上に聞いて、逸は、手で顔を覆ったまま、首を横に振り、泣きじゃくった。

 泣いていては困らせてしまう、と思う。しかし、体の痛みは、顕在だ。その痛みをもたらした新兵衛は、許せ、と言う。逸は、痛んでいる箇所は、既に新兵衛に壊されたと思った。許せと言われても許しがたい。
「酷い、こんな…」
「わかっている、すまぬ」
 逸が新兵衛を非難するように言った。そこに馴れたような甘えを含んだことに、逸は自分に対して少し驚いた。
 その逸の未だ震えの止まない薄い肩を掌で撫でながら、新兵衛は素直に謝った。逸には、惨いまねだったと思っている。
 昼間、逸の唇を愛撫したときには、そのまま逸を犯してしまいたい衝動に耐えた。
 しかし、日が暮れ、夜になるに従い、新兵衛の中に昼間のその忍耐が、熱い塊のようになり、胸の中を圧していった。床に入ってもどうにも抑えようがないほどに、体が熱を帯び、井戸端で水を浴びたものの、まったく治まりようがなかった。
 水を浴びた裸のまま、新兵衛は、気が付けば逸の部屋に立っていたのだった。そして逸を捕らえながらも、逸を求める衝動と、逸には苦しかろうと言う思いやりと、相反する思いに揺らぎながら、新兵衛は本能の奔流に負け、逸を抱いていた。

「知っていたか?」
 意味のわからない問いかけに、逸は頭を振る。まだ、涙も、体の痛みも治まらない。
「逸は、美しい」
 俺はずっと知っていたよ、という。新兵衛の声はいつのまにか普段どおりの温かな音色を取り戻している。低く、穏やかな響きだ。
「俺は、久しぶりに、男になってしまった…」
 そういえば、と思い出してみれば、妻を失ってから、新兵衛はほとんど女に興味を無くしていた。遊里にも所用で出掛けたものだが、結局、敵娼に興趣がわかずにそのまま触れもせずに帰ってきたことが、幾度か記憶にある。
 逸にはわかるまい、と言いながら、新兵衛はそんなことを語った。
「逸は、…よく稽古を見ていただろう?」
 涙のまだ残る睫毛を上げて、逸は新兵衛を見上げる。
「そう、その目…。その目で見られると、何故かこう、居たたまれない様な気分になって、胃が痛いような、それでいてひどく励みになるような、そんな気がして堪らなくなっていた」
「旦那様…」
「…逸は、どうだったのだ?何故、飽かず俺を見ていた?」
 問われて、逸は、新兵衛の目から視線を外せなくなっている。
「俺は、逸を見ていた。掃除をしているときも、給仕をしてくれるときも、本の話をするときも、逸を、ずっと…」
 言ってしまってから、新兵衛はひどく含羞んで、逸から眼をそらした。
「いや、すまない。逸には、…辛いばかりだったな」
 ようやく震えを止めた逸から離れ、新兵衛は立ち上がった。投げ出した下帯を手探りで見つけて掴み、悄然と逸に背を向けて闇の中に消えて行った。
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