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49 ジトー侯爵

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「ここが高級クラブのミゼットっていう店か」

 俺はさも重厚な造りの建物と、その建物を囲む瀟洒な感じの鉄柵を見て、感嘆の声を上げた。

「見るからに会員制の高級店って感じだな」

 俺は入り口近くの鉄柵に手を掛け、少し背伸びをして建物の窓から中をのぞき込もうとした。

「ダメだ。全然中なんてのぞけない。柵と建物の距離が有り過ぎるよ」

 建物と鉄柵の間には綺麗に整えられた芝生が植えられており、その間およそ二メートルはあった。

「これじゃあまだいるかどうかなんて、全然わからないな」

 俺はブツブツとしばらく文句を言っていた。

 すると、突然入り口ドアが音もなくスッと開いた。

 俺がおっ!と思って覗いていると、中からタキシードを着た男たちが二人出てきた。

 男たちは扉を大きく開け放つと、鮮やかな仕草で左右に分かれて前に出て、うやうやしく頭を垂れた。

 なるほど。この二人は店の従業員か。

 それにしても身なりといい、仕草といい、さすが高級店。

 見事なものだ。

 俺がそんな風に感心していると、中からさらに一人の男が出てきた。

 もしかしてジトー侯爵だったりして。

 俺は一縷の希望を胸に、その男の顔を見つめた。

 どう見ても三十半ばのダンディーな二枚目だ。

 おまけにちょっと千鳥足だ。結構飲んでいるな。

 風評通りだ。間違いない。

 あれがジトー侯爵だ。

 よかった。間に合った。

 俺は心の中でそっと喜んだ。

 そして相手に気取られぬ様に素知らぬふりをしながらも、じっとジトー侯爵を目で追った。

 するとジトー侯爵が軽く手を上げ、店を出た。

 従業員たちがまたもうやうやしく頭を垂れる。

 ちょっと千鳥足とはいえ、心配するほどじゃないな。

 ジトー侯爵は多少身体を揺らしながらも、しっかりと歩いた。

 そしてどんどんと店を離れていった。

 俺は店の従業員たちが見送りを終えて店の中に入っていったのを確認すると、ジトー侯爵の尾行を開始した。

 あまり近付かず、距離を開けてしっかりと後を追った。

 ジトー侯爵はやはり身体を左右に揺らしながらも、真っ直ぐ歩いた。

 俺はそこで首を傾げた。

(凄いな。さっきは千鳥足だと思ったけど、全然違うぞ。身体は揺れているけど、足取りは全然フラフラじゃない。真っ直ぐ歩いている。もしかして酔ってない?)

 俺は少し警戒感を強め、さらに距離を置いた。

 そしてじっくりと観察して見る。

(やっぱり足取りは真っ直ぐだ。これはもしかすると訓練によって得たものかもしれないな。高度な訓練を受けた者は、どれだけ飲酒をしても前後不覚になることはないと聞いたことがある。となると、ジトー侯爵は只者ではない?)

 俺はそれまでの楽観ムードから気を引き締めた。

 するとジトー侯爵が花屋の前で足を止めた。

 何やら花を物色している。

 俺は素知らぬ顔でその様子を眺めた。

 すると、真っ赤な花を一輪だけ買ったようだった。

 ジトー侯爵が再び歩き始める。

 俺は当然、尾行を再開した。

 しばらくしてジトー侯爵が角を曲がった。

 そしてどんどん中心街から離れていった。

 あれ?ジトー侯爵の居館って、こっちだっけ?

 ネルヴァからのレクチャーとはだいぶずれているようだけど。

 俺は首を傾げながら尾行を続行した。

 するとジトー侯爵がどんどん路地へと入っていった。

 曲がりくねった小道を歩いて行く。

 こんなところにどんな用事があるんだ?

 それにしても曲がりくねり過ぎだ。

 このままじゃあ見失っちゃう。

 俺は仕方なく速度を上げ、ジトー侯爵との距離を詰めた。

 だが道はどんどん狭く、曲がりくねっていった。

 俺は慎重に注意しながらも、距離を詰めていく。

 だがある道を曲がったところで、ついに見失ってしまった。

 俺は驚き、目を見開いた。

 いない!

 どうする!?

 すると俺の耳元に、苦み走った渋い声が発せられた。

「少年、わたしに何か用でもあるのかな?」

 俺はびっくりし、後ろを振り返った。

 そこにはダンディーな装いのジトー侯爵が、ニヤリと笑いながら立っていた。

 馬鹿な!いつ後ろに廻った?

 俺は頭の中がパニックになりそうなのを必死に抑え、誤魔化そうと努力した。

「え?何か用って……俺は別に用なんてないけど?」

 だがそんな俺の言い訳に、ジトー侯爵はさらに笑みを深めた。

「嘘が下手だな少年。だがまあ、それも子供らしくて悪くはない」

 俺はドキドキする胸の鼓動を感じながらも、何とかこの場を取り繕おうとした。

「嘘って、何が?」

 白々しいと思いつつも、俺は言った。

 するとジトー侯爵が顔を上げて、大いに笑った。

「それさ。頬が引き攣っているぞ、少年」

 俺はもはや知らぬ存ぜぬは通じないと観念した。

 だが正体と目的をさらすわけにはいかない。

 俺は頭の中をフル回転させ、何とかこの場を切り抜ける策を講じるのであった。
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