猟師の息子ですが、魔法学園では”災厄”と呼ばれています

最上へきさ

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第二章――華やかなり、学園の庭

第7話 最悪の目覚めと、予期せぬ再会

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 窓から差し込む朝日は、やはり故郷ハルーカとは違う。
 それは故郷を遠く離れたせいであり、気候の違いのせいであり、瞼の裏に焼きついた光景のせいでもあった。

(聖堂で死んでいた、女の子)

 不意に思い出される血の匂いが、吐き気とともに喉元まで遡ってくる。

 セシュナは頭を振って暗い記憶を振り払うと、毛布を跳ね除けた。ベッドから立ち上がり、ぼんやりとしたままクローゼットへ向かう。
 裸の胸を無意識に掻きながら、見様見真似で制服を着る。

 ティンクルバニア学園の初日は、波瀾万丈だった。
 風紀委員のジャンに絡まれたことに始まり、呪術師と噂される少女“冷酷女王マーシレス・クイーン”に危うい所を救われ、結局授業開始には間に合わず、陽気なクラスメイトのルチアに出会い、風紀委員と対立する特待生“拳骨魔女ウィッチ・オブ・フィスト”と出会い、放課後にはまたしても風紀委員に追い掛け回され――

(……そして、死体を囲む黒ずくめの連中を見つけた)

 またしても、胃液がこみ上げてくる。

 聖堂に横たわっていたあの少女は、確かに死んでいた。黒い髪を浸すほどの血溜まり。そして落ち窪んだ虚ろな眼差しが、それを証明していた。

 だというのに。
 セシュナは少女の死を誰かに知らせることは出来なかった。

 何故なら死体が失われてしまったから。
 黒ずくめ達は遺体を収めた棺と共に姿を消した。
 立ち去ったのではない。文字通り、消えてしまったのだ。
 あれだけ床に広がっていた血さえ綺麗に消し去って。

 何らかの魔法マギアを駆使したことは、疑いようもなかった。ジャンが使ったような姿を消す魔法マギアなのか、それとも瞬間移動のような魔法マギアか。

 いずれにせよ、彼らの儀式を――いや、犯罪を知っているのは、彼ら自身を除けばセシュナの他に誰もいない。

(真実を見たのは、僕だけ)

 姿見の前でネクタイに挑戦する。
 鏡に映っているのは、長すぎる黒い髪の下で真紅の瞳を瞬かせる少年――いつもの自分の顔だった。

 そういえば、昨日見た血の色はもっと黒ずんでいた気がする――自分の眼と死体が流した血を比べるのは、どうにも気が滅入るが。

 確かに紅い眼は不吉を催す凶相だと言われる。史上でも悪名高き人物は赤眼が多い。近世で言えば“暴虐王ザ・タイラント”ゲオルグに盗掘者ウィトラ、もっと遡れば血塗れ侯爵――

 いや、何よりも有名なのは“裏切者ザ・ベトレイヤー”だろう。ついぞ刃を持たなかった従者テスラに剣を手渡し、自死させた張本人。その罪業故に、聖典には名前も記されていない――

(なのに瞳の色だけ伝わってるなんて、ホント迷惑な話だよ)

 旧大陸ユートリアでは、気味悪がられるのはまだ良い方で、目を合わせた途端に泣かれたこともあれば、石を投げられたこともあった。
 祖母や叔母さえ、セシュナの瞳の色について語ることを避けていた。

(多分、父さんの話をしたくなかったんだろうな)

 冒険者として世界中を駆け巡っている父。数年に一度、思い出したように戻ってきては、少しの土産を置いて去っていく風来坊。
 セシュナが知る限り、唯一同じ紅い瞳を持つ人物。

(……父さんも、この眼のせいで気味悪がられたりしてるんだろうか)

 分からない。
 そんな話をする時間を持ったこともない。

 ――舫い結びになってしまったネクタイを上着のポケットに突っ込み、セシュナは部屋を出た。
 中二階になっている廊下から、一階の食堂へと降りていく。

「おはよう、セシュナさん。よく眠れました?」

 少し掠れた優しげな響き。亜麻色の髪をまとめ上げ、木綿の質素なドレスに白いエプロン。
 下宿屋の主であるジェイン・コールは、セシュナが知る限り最も穏やかな女性だった。

「はい、あの……一応」
「どうぞ、座っていてくださいね。すぐに朝ご飯を用意しますから」

 テーブルに水差しを置くと、調理場へと戻っていく。

 セシュナは食欲を呼び起こそうと胃のあたりをさすりながら席に着いた。
 一息をついて、そして――

 椅子から転げ落ちる。

「……ミロウ、さん?」

 思わず呟いたその姿は、自分でも間が抜けていたと思う。

 古いがよく磨かれた四人がけのテーブル。繊細な柄のクロスと、花瓶に活けられた白い花が一輪。

 その向こう。
 彼女は――ミロウ=ミリア・ミリットは、まるで花の影に眠る妖精だった。

 伏し目に見えるほど、食事に熱中している。丸パンを小さく切っては、黙々と口に運ぶ姿の優雅なこと。
 彼女が口付けると、炒り卵でさえ黄金色に光る花の蜜に見えた。

「な、なんで、えっ、ど、どうしてここに!?」
「どうしたんです? なんだかすごい音が……あら」

 調理場から、ジェインが心配そうな顔を覗かせる。
 セシュナは彼女を振り向き、何かを言おうとして、口をぱくぱくとさせた。

「あらあら、大丈夫? まだおねむなのかしら?」
「なん、あ、え、どうし、て、ミロウさんが……っ?」
「あら? 紹介が、まだだったかしら。昨日は、ばたばたしていたものね」

 ようやく何かを察したのか、炒り卵と煮豆、そして丸パンを載せた皿を片手に、ジェインは食卓へとやって来た。セシュナの眼前に皿を置くと、ミロウを掌で示して。

「こちら、ミロウ=ミリア・ミリットさん。セシュナさんと同じ、ティンクルバニア学園の生徒さんですよ。十四歳だから……同級生、になるかしら?」

 それは知っている。
 問題は何故彼女が同じ食卓を囲んでいるのか――いや、単純な話だ。

「ミロウさんも、ここに下宿してる、ってこと!?」
「そんなに驚かなくても。セシュナさんって、面白い子ですねぇ」

 ミロウがパンをちぎる手を止めて、こちらへ視線を運んだ。

 複雑かつ流麗に編み上げられた銀髪が、窓から差し込む朝日に煌めく。こめかみの辺りから一房落ちる編み髪の瞬きは、磨き上げた髪飾りより綺羅びやかだった。
 髪から覗く耳が尖っているのは、妖精族エルフの特徴――その身に古妖精フェアリィの血が流れている証なのだろう。

 セシュナは動けない。見惚れることしかできない。

「……どうも」

 初めて聞いた彼女の声は、小鳥のように細やかで。

「ミロウさん、こちらでズッコケてるのが、セシュナ・ヘヴンリーフさん。今日から、いえ、本当は昨日からだったんだけど、私達の同居人よ」

 呼ばれて、ようやく正気を取り戻す。
 慌てて立ち上がて身だしなみを確認すると、セシュナは右手を差し出した。

「よっ、よろしくお願いします、ミロウさんっ」

 ミロウはしばらくの間、じっとこちらを見つめていた。

 その肌は白く透き通り、頬から顎にかけての線には気高さすら感じる。小さな唇は、芽吹き始めた薔薇のように控えめなピンク色。すっと通った鼻筋も、細く可憐な眉も、何もかもが完璧な造作だった。

 そして、何よりも。
 真夜中の森のような、底知れない静けさを湛えた漆黒の瞳。

「え……っと、ミ、ミロウ、さん?」
「……あっ」

 半開きの口に、見開かれた目。
 つまりミロウは虚を突かれていたのだろう。

「あの。その」

 ミロウは少しだけ、自身の右手を見つめて――白百合のように繊細な指だった――手近なナプキンでパンくずを落とすと、セシュナの手を握った。

「……よろしく」
「う、うん。よろしく!」

 余りにも華奢な感触に、思わずミロウの手をじっくり眺めてしまう。
 彼女の存在自体がまるで夢か幻のようで――

「……セシュナさん。卵、冷めちゃいますよ」
「あっ、はっ、はい、ごめんなさい! いただきます!」

 熱いものに触れた時と同じく、さっと手を放す。

「…………」

 ミロウは無言のまま、ちぎったパンを小栗鼠のように囓る作業に戻ってしまった。ジェインがおかしそうに笑って、調理場へと戻る。

 そしてセシュナは呆然と、椅子に腰を落とした。

(……なんてことだ)

 口に出してしまうのを、ぎりぎりの所で堪える。

 触れれば崩れてしまいそうなミロウの指。大き過ぎる指輪カレッジリングに刻まれた、星屑の校章。
 輝く七星の刻印、その隙間に。

 ――赤黒い何かが張り付いていた。

 その色、その匂い。
 間違えるはずもない。

 それは人の血だった。
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