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第二章――華やかなり、学園の庭
第8話 生徒会長からの依頼
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ティンクルバニア学園の校舎に据えられた扉は、どれも分厚く頑丈な樫材で作られていた。
それは校舎が、かつて要塞であったことに由来する。元は開拓初期に頻発した、原住民による奇襲を防ぐ為に建てられたのだ。精霊魔法と呼ばれる原住民独自の魔法は強烈で、要塞は幾度も破壊された、と学園史には記されていた。
セシュナは大きく息を吸う。
(あー、どうしよ。すごい緊張する)
目の前の扉は学園の中でも、一二を争う重さだった。
生徒会役員室の入り口。
一千を超える学生の代表者が務める、不可侵の領域。
汗ばんだ手をズボンで拭うと、真鍮のノブに手を掛ける。
逆の手で三度ノックをしてから。
「し、失礼します」
「……入ってくれ」
ゆっくりと押し開く。
扉の向こうは教室よりは幾分狭く、その分、上等な部屋だった。分厚い絨毯の上には、年季の入った革張りのソファとルーガニー材のティーテーブル。左手の壁には、年間の予定が書き込まれた黒板。
窓から差し込む朝の光が眩しい。
その光を背に、彼女が執務机から立ち上がる。
「わざわざ始業前に足を運んでもらって、すまないな」
緑の眼が真っ直ぐにこちらを向いていた。
柔らかな赤毛はきっちりと結ばれ、項から胸元まで優雅に流れている。制服の着こなしも、立ち振舞も、どこを取っても非の打ち所がない少女。
ライアン教室に所属する第三学年生にして、全校生徒の代表たる生徒会長、ヒルデ・ロタロフィオは、昨日と同じ堅苦しい振る舞いで、セシュナを迎え入れてくれた。
「昨日は災難だったな、セシュナ・ヘヴンリーフ」
「いえ、あの。ありがとうございました。風紀委員の人達を説得してくれて、本当に助かりました」
セシュナは軽く頭を下げながら、後ろ手に扉を閉める。
「大したことじゃない。生徒会は生徒の為の組織だ。風紀委員も同じ、はずだがな」
手振りで示されたソファに座ると、すかさずソーサーに乗ったカップが差し出された。中には湯気を立てる紅茶。
「セシュナ君、お砂糖とミルクは?」
尋ねてきたのは、トレイに小さなポット二つを載せたルチアだった。見知った顔に、少しだけ気が緩む。
「両方ともください。ありがとう、ルチアさん」
「いえいえ、ごゆっくり~」
彼女はヒルデの分もティーセットを並べると、部屋の隅にある小さな台所に戻っていった。生徒会室にはそんな設備もあるのか。
向かいのソファにヒルデが腰掛ける。
逆光から抜けると、改めてその美貌に感動する。
凛々しい面差しは、戦場の絵に描かれた天馬を駆る女騎士を思い起こさせた。
「悪いが、前置きは無しで話をさせてもらう」
低く厳しい声の調子は、“鉄血女帝”の渾名に相応しい。
ヒルデはじっとセシュナの顔を見つめてから、思いつめたように切り出した。
「私は、君が欲しい」
「……はい?」
セシュナはまたしても椅子から転げ落ちるところだった。
台所から、何かが割れたような音。視界の端でルチアがずっこけていた。
「……どうした、セシュナ?」
「いや、あの、すいません。もう少し説明してもらってもいいですか」
こちらの困惑を見て取ったのか、ヒルデは小首を傾げて、何かを考え込んだ。
「つまり、この学園の平和を守る為に君のような人材が必要なんだ」
再び視線を戻してきた時には、やはり揺るぎのない瞳で。
「聞いたぞ。食堂での立ち回り。数で勝る風紀委員を相手に、見事なものだ」
「いや、あれはその、個人的なことで」
「構わない。奴らの横暴なふるまいは学園でも大きな問題になっているからな」
ヒルデは物憂げに一息ついてから、
「君も、身をもって体験したから分かるだろうが。今この学園には、『自由』を曲解した連中が蔓延っている。一部の風紀委員や特待生のように。私はこの状況を変えたいと思っている」
率直な言葉。ルチアが信頼を寄せるのも分かる。
(この人は、他の特待生とは違う)
ところで、とヒルデは続ける。
「君は『ミリアの子供達』について、知っていることはあるか?」
セシュナは慎重に言葉を探した。
「……テスラ派の教典に出てくる伝道結社のことですよね。狭義では、聖女ミリアの護衛を務めた七名の使徒のこと。ミリアが昇天した後は、その教えを広める為に七つの海へ帆を上げた、最も信心深く情熱的な伝道師達」
テスラ派とは、旧大陸では異端認定を受けたミリア教の一派である。聖女の没後、その血族が広めた正教に対して、使徒テスラの記録を元に広められた教えがテスラ派と呼ばれている。
数百年前のベルック公会議において当時の教皇から追放処分を受けた彼らが、新天地を求めて船団を組織したのが、新大陸発見の端緒となった。
現在では正教とも共存関係に落ち着いているが、熱心な信者の間では未だに摩擦の種となることも多い。
「流石は特待生。メンデル修道博士の著書には目を通しているようだな」
ヒルデは含みのある笑いを漏らした。
もしかして試されたのか。
「『ミリアの子供達』に対する歴史家の評価は定まっていない。山賊紛いの虐殺者だったという説もあれば、真の慈善家だったという説もある。飢饉にあえぐ僻地を救い、異種族や邪教徒を武力で粛清し、一方で私腹を肥やす為に国家を一つ丸ごと支配したとも」
いまいち本筋が見えてこない。
「ええと……『ミリアの子供達』とこの学園に、どういう関係が?」
「いや、長くなったな。すまない。実はな。この学園には今も『ミリアの子供達』がいるんだ」
ヒルデの口振りは、そっくりだった――特待生について語っていたルチアのそれと。
好奇心と恐怖、そして隠し切れない畏敬の念が混ざり合った真剣な表情。
「……それはつまり、結社の存続が信じられているということですか?」
どうしても尋ねたくなる。
ヒルデはただ首肯するだけだった。
「闇に潜む秘密結社。漆黒の外套と仮面を身に付けた少年少女。もしその姿を見かけても、決して他人に話してはならない。何故ならば……理由は諸説ある。歴史上の『子供達』と同じだ。曰く、聖女の生まれ変わりを探している、ケテル階梯の人体実験で生まれた人型モンスターである、権力者――私や一部の教師の秘密を知った者を暗殺している、とか」
途中から苦々しい笑いを漏らしながら、
「……多くは根も葉もない噂か、さもなければ原理主義者の妄想だ。しかし、ただ一つだけ。はっきりしているのは、彼らの影がある所には謎の退学者が出るということ」
「逆の可能性は? 退学者が出た所に、彼らの噂が持ち上がるっていう」
セシュナの反論など、ヒルデはとっくに検討していたのだろう。
「学園を去る者には、それなりの理由と経緯がある。良い理由も悪い理由も、生徒会は全て把握している。しかし、『ミリアの子供達』の噂が絡む退学者には何もない。それどころか、退学後の足取りさえまったく掴めない。忽然と消えてしまったんだ」
――知らぬ間に力んでいた拳を、セシュナはゆっくり開放した。
(あの人達だ――昨日、大聖堂で見た黒ずくめの集団!)
一人の少女の死。
その全てを隠蔽した、黒マントの集団。
「この噂の正体を確かめるために、君の手を借りたい。特待生という特別な立場でありながら謙虚さを失わず、周囲のために行動を起こす勇気――そして自分の身を守る強さを持った、君のような人物の手を」
絶賛に、セシュナは思わず苦笑いをこぼした。
「いや、僕はそんな」
その瞬間。
ヒルデの拳が――逆手に握っていたティースプーンが、セシュナの鼻先を掠めた。
「――んなっ!?」
後ろにかわさなければ鼻筋を斬り裂かれていたかもしれない。
恐ろしく鋭い一撃。
「失礼。だが謙遜は不要だ、セシュナ。身のこなしを見ていれば分かる」
どう答えたらいいものか。
セシュナは笑ったまま、ルチアが語るヒルデの逸話を思い出していた。
「……もう一度言おう」
生徒会長になって間もない頃、例によって騒動を起こした風紀委員十数名を、たった一人で鎮圧したとか。
旧大陸でも格式ある武門、ロタロフィオ一族に連なる貴族移民。問題解決の為には、闘争をも厭わない苛烈さ。
「私は君が欲しいんだ。セシュナ・ヘヴンリーフ」
それが“鉄血女帝”という渾名の由来であると。
それは校舎が、かつて要塞であったことに由来する。元は開拓初期に頻発した、原住民による奇襲を防ぐ為に建てられたのだ。精霊魔法と呼ばれる原住民独自の魔法は強烈で、要塞は幾度も破壊された、と学園史には記されていた。
セシュナは大きく息を吸う。
(あー、どうしよ。すごい緊張する)
目の前の扉は学園の中でも、一二を争う重さだった。
生徒会役員室の入り口。
一千を超える学生の代表者が務める、不可侵の領域。
汗ばんだ手をズボンで拭うと、真鍮のノブに手を掛ける。
逆の手で三度ノックをしてから。
「し、失礼します」
「……入ってくれ」
ゆっくりと押し開く。
扉の向こうは教室よりは幾分狭く、その分、上等な部屋だった。分厚い絨毯の上には、年季の入った革張りのソファとルーガニー材のティーテーブル。左手の壁には、年間の予定が書き込まれた黒板。
窓から差し込む朝の光が眩しい。
その光を背に、彼女が執務机から立ち上がる。
「わざわざ始業前に足を運んでもらって、すまないな」
緑の眼が真っ直ぐにこちらを向いていた。
柔らかな赤毛はきっちりと結ばれ、項から胸元まで優雅に流れている。制服の着こなしも、立ち振舞も、どこを取っても非の打ち所がない少女。
ライアン教室に所属する第三学年生にして、全校生徒の代表たる生徒会長、ヒルデ・ロタロフィオは、昨日と同じ堅苦しい振る舞いで、セシュナを迎え入れてくれた。
「昨日は災難だったな、セシュナ・ヘヴンリーフ」
「いえ、あの。ありがとうございました。風紀委員の人達を説得してくれて、本当に助かりました」
セシュナは軽く頭を下げながら、後ろ手に扉を閉める。
「大したことじゃない。生徒会は生徒の為の組織だ。風紀委員も同じ、はずだがな」
手振りで示されたソファに座ると、すかさずソーサーに乗ったカップが差し出された。中には湯気を立てる紅茶。
「セシュナ君、お砂糖とミルクは?」
尋ねてきたのは、トレイに小さなポット二つを載せたルチアだった。見知った顔に、少しだけ気が緩む。
「両方ともください。ありがとう、ルチアさん」
「いえいえ、ごゆっくり~」
彼女はヒルデの分もティーセットを並べると、部屋の隅にある小さな台所に戻っていった。生徒会室にはそんな設備もあるのか。
向かいのソファにヒルデが腰掛ける。
逆光から抜けると、改めてその美貌に感動する。
凛々しい面差しは、戦場の絵に描かれた天馬を駆る女騎士を思い起こさせた。
「悪いが、前置きは無しで話をさせてもらう」
低く厳しい声の調子は、“鉄血女帝”の渾名に相応しい。
ヒルデはじっとセシュナの顔を見つめてから、思いつめたように切り出した。
「私は、君が欲しい」
「……はい?」
セシュナはまたしても椅子から転げ落ちるところだった。
台所から、何かが割れたような音。視界の端でルチアがずっこけていた。
「……どうした、セシュナ?」
「いや、あの、すいません。もう少し説明してもらってもいいですか」
こちらの困惑を見て取ったのか、ヒルデは小首を傾げて、何かを考え込んだ。
「つまり、この学園の平和を守る為に君のような人材が必要なんだ」
再び視線を戻してきた時には、やはり揺るぎのない瞳で。
「聞いたぞ。食堂での立ち回り。数で勝る風紀委員を相手に、見事なものだ」
「いや、あれはその、個人的なことで」
「構わない。奴らの横暴なふるまいは学園でも大きな問題になっているからな」
ヒルデは物憂げに一息ついてから、
「君も、身をもって体験したから分かるだろうが。今この学園には、『自由』を曲解した連中が蔓延っている。一部の風紀委員や特待生のように。私はこの状況を変えたいと思っている」
率直な言葉。ルチアが信頼を寄せるのも分かる。
(この人は、他の特待生とは違う)
ところで、とヒルデは続ける。
「君は『ミリアの子供達』について、知っていることはあるか?」
セシュナは慎重に言葉を探した。
「……テスラ派の教典に出てくる伝道結社のことですよね。狭義では、聖女ミリアの護衛を務めた七名の使徒のこと。ミリアが昇天した後は、その教えを広める為に七つの海へ帆を上げた、最も信心深く情熱的な伝道師達」
テスラ派とは、旧大陸では異端認定を受けたミリア教の一派である。聖女の没後、その血族が広めた正教に対して、使徒テスラの記録を元に広められた教えがテスラ派と呼ばれている。
数百年前のベルック公会議において当時の教皇から追放処分を受けた彼らが、新天地を求めて船団を組織したのが、新大陸発見の端緒となった。
現在では正教とも共存関係に落ち着いているが、熱心な信者の間では未だに摩擦の種となることも多い。
「流石は特待生。メンデル修道博士の著書には目を通しているようだな」
ヒルデは含みのある笑いを漏らした。
もしかして試されたのか。
「『ミリアの子供達』に対する歴史家の評価は定まっていない。山賊紛いの虐殺者だったという説もあれば、真の慈善家だったという説もある。飢饉にあえぐ僻地を救い、異種族や邪教徒を武力で粛清し、一方で私腹を肥やす為に国家を一つ丸ごと支配したとも」
いまいち本筋が見えてこない。
「ええと……『ミリアの子供達』とこの学園に、どういう関係が?」
「いや、長くなったな。すまない。実はな。この学園には今も『ミリアの子供達』がいるんだ」
ヒルデの口振りは、そっくりだった――特待生について語っていたルチアのそれと。
好奇心と恐怖、そして隠し切れない畏敬の念が混ざり合った真剣な表情。
「……それはつまり、結社の存続が信じられているということですか?」
どうしても尋ねたくなる。
ヒルデはただ首肯するだけだった。
「闇に潜む秘密結社。漆黒の外套と仮面を身に付けた少年少女。もしその姿を見かけても、決して他人に話してはならない。何故ならば……理由は諸説ある。歴史上の『子供達』と同じだ。曰く、聖女の生まれ変わりを探している、ケテル階梯の人体実験で生まれた人型モンスターである、権力者――私や一部の教師の秘密を知った者を暗殺している、とか」
途中から苦々しい笑いを漏らしながら、
「……多くは根も葉もない噂か、さもなければ原理主義者の妄想だ。しかし、ただ一つだけ。はっきりしているのは、彼らの影がある所には謎の退学者が出るということ」
「逆の可能性は? 退学者が出た所に、彼らの噂が持ち上がるっていう」
セシュナの反論など、ヒルデはとっくに検討していたのだろう。
「学園を去る者には、それなりの理由と経緯がある。良い理由も悪い理由も、生徒会は全て把握している。しかし、『ミリアの子供達』の噂が絡む退学者には何もない。それどころか、退学後の足取りさえまったく掴めない。忽然と消えてしまったんだ」
――知らぬ間に力んでいた拳を、セシュナはゆっくり開放した。
(あの人達だ――昨日、大聖堂で見た黒ずくめの集団!)
一人の少女の死。
その全てを隠蔽した、黒マントの集団。
「この噂の正体を確かめるために、君の手を借りたい。特待生という特別な立場でありながら謙虚さを失わず、周囲のために行動を起こす勇気――そして自分の身を守る強さを持った、君のような人物の手を」
絶賛に、セシュナは思わず苦笑いをこぼした。
「いや、僕はそんな」
その瞬間。
ヒルデの拳が――逆手に握っていたティースプーンが、セシュナの鼻先を掠めた。
「――んなっ!?」
後ろにかわさなければ鼻筋を斬り裂かれていたかもしれない。
恐ろしく鋭い一撃。
「失礼。だが謙遜は不要だ、セシュナ。身のこなしを見ていれば分かる」
どう答えたらいいものか。
セシュナは笑ったまま、ルチアが語るヒルデの逸話を思い出していた。
「……もう一度言おう」
生徒会長になって間もない頃、例によって騒動を起こした風紀委員十数名を、たった一人で鎮圧したとか。
旧大陸でも格式ある武門、ロタロフィオ一族に連なる貴族移民。問題解決の為には、闘争をも厭わない苛烈さ。
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